○ アブ役の人

 仮面ライダーの怪人のような着ぐるみを着たその人物は、開口一番、意味不明なことを言った。

「ぼくちんはアブだアブ!」

 頭がおかしいのかと思った。

 聞けば、彼の所属する劇団が今度、子供たち向けに『わらしべ長者』の舞台を上演するらしい。

「主人公は『わらしべに結びつけたアブ』を『みかん』と交換するのよ」と、歴史研究家が教えてくれた。どうしてそんな取引が成立したのかよくわからなかったが、追求するのはやめにした。

「ぼくちんは役づくりのために、日常からアブ口調を徹底しているのアブ! この衣装、どうアブ?」

 リアル過ぎアブ。こんなのが出てきたら子供は泣くアブ。とは言わなかった。

「よくできてますね」

「アッブッブ」と、アブ役の人は得意げに笑った。「ところでチミ、ぼくちんの悩みを聞いてくれるアブ?」

 断った時の反応も少し気になったが、蓮太郎はとりあえず頷いた。

「明日から本番なのに、まだ『わらしべ』の小道具が用意できていないのアブ……」

 明日から本番なのに標題の小道具がないとはどういうことだろうか。

「このご時世、わらしべなんてないアブ。ぼくちんは紙で作ろうアブって言ったアブけど、演出家さんはあくまでも本物のわらしべにこだわってるのアブ」

「じゃあ、これでよければ」と、蓮太郎はいつしか拾ったわらしべをアブ役の人に差し出した。

「アブブブブ! アブブブブブブ!」と、アブ役の人は狂喜乱舞した。これはひどい。子供が見たらきっとトラウマになる。

「お礼にこれをあげるアブ!」と、アブ役の人は公演の招待券をくれた。

 百パーセント行かないけれど、蓮太郎はできるだけ嬉しそうに受け取った。

 アブ役の人はわらしべを小指にぐるぐると巻きつけると、「それでは、アブュオス!」と言って、川に飛び込んだ。

「『アデュオス』はスペイン語で『さよなら』という意味よ」と、歴史研究家が教えてくれた。

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