Episode 043 「異性への認識」

 藤沢は調子を改め、身の上を語り始めた。



「おれには今彼女がいるんですけど、その付き合ってる子は自己主張をはっきりとしないタイプなんです。多くのことは話してくれなくて。だけど彼氏には察して欲しい、みたいな空気を発してくるんですよ。でも、おれはそういうのに気を遣うのってなんか上手にできなくて……」


 智史はゴールデンウィーク明けの登校初日を思い出す。朝の通学路で藤沢が女子と親しげに歩いているところを目撃したことがあった。交際している相手とはその人物のことだろう。当時の二人は仲睦まじい雰囲気だったが、現在でもそれが続いているわけではないらしい。

 カウンセラーが主導的に具体性を探ろうとする。


「彼女さんとは交際を始めてからどれくらいになるの?」

「バレンタインの時からだから、もう四ヶ月目になりますね」

「それなりに相手のことを分かってくる時期だと思うけど、難しいかしら?」

「一週間前が丁度三ヶ月の記念日だったんで、気合い入れてデートに行ったんです。だけどちょっと空回りしちゃったというか……。気を利かせたつもりが逆効果みたいな。それがきっかけで彼女に今までの不満点とか色々指摘されたりもして。それから若干態度に棘があるんですよ」

「ああ、そういうパターンね」

「『今まで言わなかったけど』って何? その場で言えばいいじゃん! って考えてしまうおれは女心が分かってないってことなのかな……とか悩んでます」


 藤沢は釈然としていない様子である。しかし、それは相手のことを理解しようとする努力の表れでもあった。

 智史が他人事のように色味の乏しい感想を並べる。


「チョコをきっかけに交際とか……これがいわゆる青春ってヤツなのか。俺とは大違いだ。凄いな、高校生って生き物は」

「しっかりしろ、和島も同じ高校生という生き物だぞ」


 大げさな表現に呆れながらも、藤沢はその言い草に笑みを作った。

 いつも通りの軽口を挟む様子にカウンセラーが安堵する。


「いいなあ、本当に学生らしいって感じがする」

「浸ってる暇があったら助言の一つでもあげたら?」


 若さが精神的に沁みるらしい大人を笹原が窘める。

 早川はすぐさま本題へと戻った。


「じゃあまずは……、藤沢くんって姉か妹はいる?」

「いますよ。無駄に元気でやかましい姉が二人も。おれが好きになるのって落ち着きのある女の子が多いんですけど、その反動かもしれないですね」

「その姉二人とは仲良くやれてるの?」

「それなりに、かな。あいつらは思ったことをすぐ口にする性格してるので、むしろ察しやすいんですよ。さっきは上機嫌だったな、とか。でも今はイライラしてるな、って感じで」

「お姉さんたちと世間話なんかはしてる?」

「不仲ってわけでもないんでしてますよ。漫画の貸し借りとかができる程度には良好だと思います」

「なるほど」


 下地となる異性との関わりを早川は分析しているようだ。


「姉ねえ……こういうのが家族に二人もいるのか。大変そうだな」


 智史は特定の人間に視線を送る。

 けれど、藤沢の意見は違っていた。


「そうでもないぞ。相手が容赦してくれない分、おれも遠慮なんてしてられないからある意味楽だぜ? 姉二人は自分に正直で思ったことを全部吐き出すから、おれも本音で喋れるんだよ。まあ負ける時は徹底的にぶちのめされるわけだが」

「だそうよ? もし私に愚弟がいたら、ごめんなさいって言えるようになるまで丁寧に丁寧に教えてあげるような立派な姉を目指すわ」


 笹原が先方の挑発に文句を返す。

 流れをどう解釈したのか、藤沢は智史に対して甚く真面目に訴えた。


「頑張れ和島。こき使われる舎弟には決してなるなよ、マジで」

「そうなったら家出の準備が捗りそうだな」

「……まあ、どこぞの姉弟きょうだいの話は置いておくとして」


 くだらない雑談を名残惜しそうに軌道修正する早川。


「そうね。どうしようもない奴のことは放っときましょう」

「そもそもそんな姉弟いないけどな」

「はいはい……。お姉さんたちとはまあまあだとして、藤沢くんは彼女とどう接してるの?」

「ええと、最初はおれが率先して話を振ったり提案することも多かったんですけど、最近は割と我儘を言ってくるようになりましたね。それと、おれは段取りを重視しがちなのに対して彼女は思ってたより気分屋みたいです。今続いてる不機嫌もおれが急かして自分のペースを押し付けちゃったからだし」


 藤沢の自己分析は客観的で整えられていた。

 正確な情報があればこそ、カウンセラーは力を発揮する。


「うんうん。……要は相性というより慣れと接し方の問題だと思う。女の子の思考回路とか興味の傾向とか、分からないことを一つ一つ知っていけばもっと親密になれるはずよ」

「そうは言っても難しいですよね、それって」

「だからまずは簡単なことから始めるの。手近なところだと、お姉さんが好んでるドラマとか雑誌から女性について学んでみるとか。今時だとインターネットに載ってる女性向けのコラムや特集記事を読んで参考にしてみるとか、かな」

「女性向けを男が見るんですか? なんかエグいこと書いてありそう」

「確かにド直球な内容もあったりはするけど、それは男の子の場合だって似たり寄ったりでしょう。とにかく、異性のことをちゃんと理解したいなら正面から向き合わないとね」


 口調は優しかったが、早川はしっかりと見据えなければならない現実を明示した。


「つまり、もっと相手の目線で考えろってことですか?」

「ざっくり言えばそうなるかな。そういうところに意識を回せるようになるだけでも少しは違ってくると思う」

「そっか、頑張らないとなあ……。これからも一緒にいられるように、できる範囲から試してみます」


 前向きな検討を聞いて早川の表情が満足そうに和らぐ。


「わたしからはこれくらいだけど、聞いてた二人はどうすべきだと思う?」


 野次を挟むだけだった外野へ白羽の矢が立った。

 藤沢は興味深そうに智史と笹原を視界に収めている。


「そう言われても、綾乃の次じゃ大したこと浮かばないのよね」


 笹原は首を傾げつつ、けれど確信を持って主張した。


「私から言えることがあるとすれば……、女心なんて駄目な時は同じ女でもまったく分からない場合もある。だから安心しなさい」

「その助言のどこに安心材料があるんだ?」

「同性でも通じ合えないことはある。だから逆に、異性だからこそ理解してあげられることもあるかもしれないってことよ。必要以上に壁を感じてたら遠のくばかりでしょう」

「ほう。異性だからこそ、か」


 新たな知見に触れた藤沢は、その感性を自身に落とし込むように頷いた。


「……ふうん。そんなふうに前向きに考えられるようになったんだ?」


 早川が勘ぐるように問いかける。


「交際しているくらい親密な間柄だったら、の話でしょ。常に私がそう思ってるってわけじゃない」

「ふふ。それはそうでしょうけどね」


 含みのある応答に笹原は不服そうである。


「和島は、どうすればいいと思う?」


 藤沢がまだ意見を話していない同性へと意識を移した。

 手に余る議題の前で智史は難色を示す。色恋に関する実体験も、それらを題したコンテンツに触れる機会もなかったからだ。


「俺は恋愛沙汰の時点で門外漢なんだよなあ」


 力不足を痛感しながら、それでも独自の憶測から言葉を組み立てていく。


「でもまあ、本当に嫌だと感じるような奴と付き合い続けたりはしないだろ。不満を言いつつも別れるような事態にはなってないんだから、気の持ちようでどうとでもなるんじゃないか? ……分からんけど」


 自信のなさが結論を濁していた。

 心強い助言へと変えるには積み上げるべき経験が欠けている。


「なんか曖昧だな」

「しっかりしたアドバイスが欲しいなら俺に当たるんじゃない」

「悪い悪い。相談に来たのはおれのほうなんだから、答えてくれれば文句はないよ。意見を聞けるだけ助かるってもんだ」


 邪気のない笑顔を向けられ、智史は目を逸らしてしまう。

 不意に藤沢が壁時計を確認すると、針は昼休みが終わる十分前を指していた。


「今日はありがとうございました。自分なりに頑張ってみます」


 ソファから立ち上がって藤沢は謝意を述べる。


「ええ、頑張って」

「結果が伴うといいわね」


 早川と笹原も言葉を返す。

 女性二人から切り替えるように、藤沢は残るクラスメイトのほうを見た。


「和島も、ありがとな」

「……礼を言われるようなことはできてない」


 未だに智史は視線を逃したままだ。


「それでもだよ。ありがとう。……じゃあ、おれはこれで。失礼しました」


 藤沢はそう告げて、ドアのほうへ歩いていく。

 返す言葉に詰まったまま、智史は退室するクラスメイトの背中を見送った。


「私たちもそろそろ戻らないと」

「そうだな……」


 鞄を持って腰を上げる笹原。智史もそれに続く。


「由美奈も放課後、頑張ってね」

「そうね、やるだけやってみるわ」


 唐突な早川の励ましに対して、笹原は断ずるように受け応えた。

 当然、智史は全容を察することもできない。


「なんかあるのか?」

「ええ、君には無縁のことだけど」

「あっそ」


 交わされるやり取りは無味乾燥としたものだ。

 関心が僅かにあったとしても、二人は互いに冷めた態度を保持している。


「まあ、お前の気苦労が俺に分かるわけもないしな」


 何気ない軽口を吐き捨てて、智史は先に廊下へ出ようとした。

 ドアを開け部屋から去ろうとする――その背後で。


「誰が相手でも簡単に突き放せたら、苦労なんてしないのよ」


 確かに届いたはずの、憂う笹原の文句。

 室外にいる智史は振り返るだけの理由を持たなかった。

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