Episode 035 「踏み出せるか否か」

 早川はそれを尊ぶように、優しく目を細めた。



「素敵な友達ができて良かったわね、由美奈」

「まあ、うん。お陰様でね」


 照れ臭さから無愛想な素振りを見せる笹原だったが、色づいた頬を隠すことにまでは気が回っていないらしい。

 普段は見せようとしない一面を探ろうとして、流れるように早川の口が動く。


「友達として由美奈と接するようになってからはどう? 教室での会話は増えたりした?」

「はい、結構話すようになりましたよ。由美奈からも話しかけに来てくれることも増えて……まあ大半は愚痴なんですけどね」

「大体想像できちゃうんだけど、それに対して思うことはある?」

「本当に、本当に男の子のことが嫌いなんだなあって感じました」

「まあ……そうでしょうね」

「そりゃそうだろうな」


 内面を知る早川に驚きはなく、付き合いの浅い智史も妥当だと言わんばかりの相槌を打つ。


「何か問題でも?」


 笹原は悪びれもせずに平然としていた。

 智史が槙野に問いかける。


「ソレの言動は教室でもこうなのか?」

「ここにいる時ほど口数は多くないかな。どっちかって言うと態度で自分の気持ちを表してると思う。不機嫌だってことを隠さないから何度か教室の空気が凍ったこともあるよ」

「同じクラスにならなくて良かった……」

「我が強いと言うか、とことん曲がらないわね」


 教室での居住まいを知らない二人はその情景を思い浮かべ、揃って溜め息を吐いた。


「そういう自分を貫けるところ、格好いいと思いませんか? 周りの人は確かに大変かもしれないけど、意見をしっかり言えるのってわたしはとても羨ましいです!」

「確かにそれは由美奈の長所でもあるんでしょうね」


 槙野の無邪気な称賛を聞いて早川が笑い、智史は怪訝な顔を作る。


「参考にするのはいいとしても真似だけはするなよ? きっと悲惨な結果になるぞ」

「あら、どうして私を見るのかしら」

「言わなくても分かるだろ」

「……私が順調に友達と過ごせているのを見て、羨ましいとか?」

「どうしてそういう流れになる。違うからな? 人の話聴いてる?」

「ごめんなさい。君の声も耳に入ってはいたんだけど、言われなかったことについては分からなかったわ」


 故意に曲解した笹原がわざとらしい謝罪を口にした。


「これじゃ空気も凍るわけだな。そんなんで集団生活やっていけるのか?」

「その質問、君が先に答えてくれるなら、私も返事してあげてもいいけど?」

「…………」


 挑発的な文句に追随する即答はなかった。劣勢に立たされた智史の態度が硬化する。

 有効打を受けて言葉にきゅうしていると、無自覚な伏兵が現れた。


「和島くんは、自分のクラスに友達いないの?」


 槙野は馬鹿にするでもなく、あくまで純粋な疑問として尋ねている。

 見つめる視線と逸らされた視線が交わったのは一瞬のことだ。


「悠香、そんな肯定しづらいことを聞くなんて余りにも酷よ。何十にも重ねたオブラートで梱包してあげないと可哀想だわ」

「偉そうに忠告してるけどさ、お前の薄っぺらいオブラート破れてるぞ」

「そうだったかしら? けど仕方ないわよね。オブラートを使ってる時点で肯定的な内容であるはずがないもの。あ、もし直接的な罵倒のほうが好みだって言うなら教えてね。粗品で良ければいくらでも送ってあげるわ」

「こういう毒ばっかり撒き散らすから余計に人が遠ざかっていくんだろうなあ。うんうん分かる分かる」


 やり取りを窺っていた槙野は早川に向けて問いかける。


「早川さん、これは『嫌よ嫌よも好きのうち』ってことにならな――」

「違うから」

「違うわよ」

「……この二人が共通の敵を相手に手を組んだら厄介なんだろうなあ」


 答える前に遮られてしまった早川がひそかにみと呟いた。

 解消されていない疑問を槙野は再び提示する。


「じゃあここで会う人以外で、和島くんには友達と呼べる人はいるの?」

「………………特別、そう言える奴はいないよ」


 避けきれない視線を前に、智史は振り絞ったような声音を発した。

 素直で根が真面目な槙野は真剣に考えるような素振りを見せる。


「本当にそうなの? ちょっと以外かも。……わたしとの会話だって普通にできてるし、言いたいことを遠慮して口にできないってタイプでもなさそうなのに。何が原因で友達を作れないんだろう?」

「偏屈な性格のせいでしょ」

「ミス慇懃無礼は黙ってろ」


 二人の小競り合いを横目にしながら早川は助言を添えた。


「わたしから今直接どうこう指摘するつもりはないけど、一応言っておくわね。引きこもりだったり不登校だったり、それらは大抵人間関係の悪化が原因で起こるものだけど、必ずしも当事者のコミュニケーション能力が欠けているせいだとは限らないのよ。色々なケースがあるけど……正しく意思疎通ができてしまうからこそ、余計な気苦労を重ねてしまう場合もある。できればこのことを覚えておいてね」

「はあ……そういう人もいるんですね」


 要領を得ない槙野の反応に、早川は手近な実例を挙げた。


「由美奈だって友達になるための最初のハードルが高かっただけで、会話が極端に噛み合わなかったわけじゃないでしょ?」

「なるほど、和島くんもそのパターンだと」

「まあ似たようなものかな」


 一連の流れを看過できなかった二人が透かさず苦情の声を上げる。


「私とコレを一括りにするのは控えて欲しいんだけど?」

「俺とソレに共通する部分って人間であること以外にあったんですか?」


 槙野がおかしそうに肩を揺らした。

 早川は苦笑いに留めつつ、一つ補足を付け加える。


「どちらにせよ、はっきりと言えるのは自分の望まない関係が長続きすることは少ないってことかな」


 新たな前提を念頭に置きながら槙野は智史のほうへと視線を戻す。


「とすると、クラスメイトの中に気の合いそうな人がいないってことなの?」

「さあ……探せば一人くらい見つけられるかもしれないけど、どうだろうな」


 出された答えはどちらにも転ばない玉虫色をしていた。


「じゃあ、わたしと友達になってみる?」


 なんでもないことのように、槙野は自然な運びでその言葉を選んだ。

 予想外の提案が飛び出したことで、智史は堪らず硬直する。当事者ではない笹原が身に覚えのあるような表情を浮かべた。


「綾乃もそうだけど悠香も劣らずお節介よね」

「不満そうに言うけど、満更でもないんでしょ? むしろそういうところが気に入ってたりするんじゃないの?」

「……うるさいっ」


 妹をからかう姉のように、早川が反応を楽しんでいる。

 笹原は文句を口にするばかりで指摘を否定まではしなかった。槙野の行動を嫌がりもせず、半ば黙認する形となる。


「どうして……そんなこと、頼んでもいないのに」

「理由? 単純に興味があるの。男の子の中でも由美奈と一方的じゃないやり取りが一応は成立してる珍しい事例だし。もうちょっと近くで観察したい、みたいな感じ?」

「俺は珍獣か何かかよ……」

「駄目かな。由美奈のウィークポイントとか教えてあげられるかもよ?」

「こらそこ、勝手なことを言わない」


 頬を抓ろうとした笹原の指先から槙野は体を反らして逃れる。

 智史が難しそうに首を傾げた。


「うーむ。それはそれで魅力的な誘いかもしれないな」

「ちょっと待ちなさいってば。君まで何馬鹿なことを言ってるの」


 慌てている笹原の様子を見て智史は僅かに緊張を緩めた。


「でもまあ」


 茶化すような言い草に、けれど続く言葉は至極真面目に放たれる。


「――いいよ、俺は。わざわざ気を遣わなくたって。別に、大丈夫だから」


 やんわりと、槙野の申し出は拒まれてしまう。

 異性の友人を得られるかもしれない好機を前にしようとも、智史の態度は貫徹されたものだった。依然として必要以上の他人を自分の傍へ引き寄せようとはしない。

 具体的な内容は含まれず、ただその意志だけが明言され、人と人との間に線を引く。まるで他人という存在が自分の中で大きくなることを恐れるかのように。


「由美奈と同じで手強いなあ」


 槙野は断られた事実を悲観的に捉えなかった。むしろ既視感のある態度を懐かしんでいた。

 一方で、楽観的ではいられない人間もいる。


「そこまでして、人との距離を空けるのね」


 笹原の瞳が厳しく光った。責め立てるまでには至らないが、何かに対して憂慮しているようだった。心優しい槙野の申し出を断ったことに対する苛立ちか、あるいは心を開くことができない人間の度量に対する哀れみか。自らの意志に関わらずとも、顔を合わせるほどに気づくことがあり、関心というものは生まれてしまうのだろう。

 女子二人の心境を知ってか知らずか、早川は孤立しがちな精神に寄り添おうと努める。


「ありがとう。だけど急がないであげて。今はこういう場所でちょっと話すくらいが二人のペースに合ってると思うの。距離を近づけることだけが仲を深める方法じゃないから」

「それ、分かる気がします。……最近はそういう人と一緒に過ごしてますからね」


 槙野はくすりと笑ってから力強く頷いた。釈然としていない笹原は、思い出したように飲み物に手を伸ばしてクラスメイトの眼差しから逃れるようとする。

 ありふれているはずの友達という関係性、なんでもないような日常の在り方を、智史は物憂げに眺めていた。

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