第2話 くだん

「…く…くだん…」

錆が浮いた真鍮のボールの中で、粘液に塗れてそれは呻いた。

「……はあ」

朝食の目玉焼きを作るために割った卵の内部に、それは居た。体の割には妙に大きい目玉をぎょろりと動かして、俺を見ている。…超、ガン見だ。

『千葉牧場の健康たまご』と書かれたパッケージに、元々それは収められていた…はずだ。自然放牧で伸び伸び育った鶏が産んだ健康たまご。こういう卵には稀に有精卵が混ざる…とは聞いたことがあったが。


くだんが混じるなぞ、想定外だ。


くだんてアレだろ、普通の家畜に混じって突然生まれてきて、予言を残して死ぬっていう。こんな気軽なカンジでパックの卵に混ざってる場合か。とにかくこんなものを見たら、まだ部屋で寝ている嫁がひきつけを起こす。妊娠8ヶ月目の、大事な体なのだ。俺がボウルを持ってあたふたと右往左往していると、くだんは呟いた。

「と、とおからずうまれるおまえの、こども…そのせいべつは…」

「女の子だが?」

「………!!」

「…妊娠20週目で分かるんだよ、今は。知らんのか」

「おっ…おまえなんてことをっ…」

奴は卵白にまみれてぷるぷる震えている。…俺は予言をネタバレしてしまったらしい。

「さ、さいあく…さいあくだ…」

ボウルの中で、粘液まみれになって『さいあく、さいあく』呟きながらぷるぷる震える、ひよこのなりそこないのような何か。不吉極まりない情景だ。

とりあえず、こいつがあの『くだん』なのだとしたら、そろそろ死ぬはずだ。死んだあたりで、嫁に気づかれないようにこっそり捨ててこよう。

「なぜだ…なぜだ…」

それから5分ほど様子を見てみたが、一向に死ぬ気配がない。あいかわらずぷるぷる震えながら、なぜだ、なぜだを繰り返している。

「何が、なぜなんだ」

「しねない、しねない…」

「死ねないってお前!?」

「しくった……しくった、からか……」

予言しくったから、死ねなくなったのか!?

「いやいやいや、どうすんだよお前!!くだんて死ねないとどうなるの!?」

「しらん…」

「じゃ、じゃあ何でもいいから予言し直せば!?明日の天気とか」

「よげんは、いちどしかできない…しくったわー…」

しくったわー、じゃないだろうが。

「えっと…よかったら、殺そう、か?」

「いいが…そのへんの、これからうまれるものに、くだんがうつるぞ」

「その辺の生まれる者…」


―――俺の子じゃねぇか!!


ダメだそりゃ絶対ダメだ。我が子が生まれた途端不吉な予言残して死ぬとか絶対無理だ。

「じゃあどうすりゃいいんだよ!!」

「あー……しくった……」

奴は観念したかのように粘液の中を這い回り始めた。ああぁもうどうすりゃいいんだよ。ペットとして飼うにも気持ち悪過ぎだよ。ていうか。

「…お前って、死なずに育つとどうなるの」

「しらん。しらんがもともと、にわとりよてい」

俺はボウルを手にしたまま、天を仰いだ。…この状況から、どう盛り返してにわとり的なものになる気なんだろう。奴は奴で、ぷるぷる震えながら「こ…こけ…」とか呟きはじめている。奴なりに、今後の身の振り方を考えた結果なのだろうが…

「……なーに、大騒ぎしてるの……?」

居間のふとんが、もそりと動いた。やばい、やばい激やばい!!俺はボウルを抱えたまま、往来へ飛び出していた。




……以上のことを早口にまくしたて、先輩は拝むようにして無理矢理ボウルの中の生き物を俺に押し付けて逃げた。



それ以来3日にわたり、俺はこの四畳半で、変な生物と差し向かいで暮らしている。偶に「こけ…こけ…」と喉を震わせて鶏の真似をするが、明らかに何か別の生き物だ。人語を喋るし、顔は鶏というより人っぽい。

「こけ…こけ、こっこう」

また始まった。

「いいって、そういうのはもう」

「………とうてんこう」

「いちいち小賢しいなお前は」

先輩は「こ、こっちが落ち着いたら必ず、必ず何とかするから!!」と叫んで逃亡したが、落ち着くには少なく見積もって、20年はかかるのだろう。成人するまでが子育てです、とか言って。


成人した娘を送り出し、2人きりの平穏ながら少し寂しい生活が始まったあたりで

すっかり変なかんじに成長したくだんを平和なリビングに放り込んでやろう。



平穏な老後なんか送らせないぞこの野郎。

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