Dead Flowers

高梨來

第1話

 食べられる花の苗はありますか? 開口一番に尋ねられたのが、そんな一言だ。

「ええと、」

 思案に明け暮れるこちらを前に、彼は続ける。

「同居人が、」

「ある晩帰宅したタイミングで、居間の花瓶に生けた花を口にしているところに出くわして。時折、そういうことがあって」

 肩を落とすようにしながら、続けざまに紡がれていく言葉はこうだ。

「何か特定のものしか食べなくなるんです。でも、花は初めてで。慌てて病院に連れて行ったんですが、どうも花しか食べたくないだなんていうから。エディブルフラワーっていうのがいまはあるんでしょう? どうせなら自分で育てたほうがいいだろうと思って」

「生憎ですが」

 くしゃり、と頭を掻きながら僕は答える。

「少量ならおいてはいますが、苗は。僕は雇われなので確証は出来ませんが、置くことが出来るか尋ねることならできます。それで構いませんか?」

 あやふやに揺らいだ瞳の奥で、にぶい光がゆらりと立ち上る。

「ならそれを」

 ほっそりとしなやかな白い指先は、手慣れた手つきでロングカーディガンのポケットから使い込まれた様子の革財布を取り出す。滑らかなその動きを制するように、僕は答える。

「すこしだけ待っていただいても構いませんか?」

 こくり、とちいさく頷いてくれる姿を見届けたのちに告げるのは、こんな言葉だ。

「野菜を買って帰るんじゃないんだから、見た目にも華があったほうがいいでしょう?」



「お待たせいたしました、こちらになります」

「へえ、」

 薄紫に黄色、濃い紅色、淡い水色―色とりどりのアレンジメントを薄紙で包んだ花束を手渡せば、彩度を落としたままだった瞳には僅かにおだやかなぬくもりを潜めた色がおちる。

「お生憎、栄養価は保証できずに申し訳ございませんが」

「喜ぶと思います」

 声を潜めて答えるのに合わせて、白いのどが僅かに震える。すこし骨ばった指に指輪がはめられていないことに気づいたそのとき、なぜだか安堵にも似た気持ちを僕はおぼえる。

「ねえ、これって」

 花びらのひとひらを指先でこするようにしながら、彼は言う。

「どんな味がするんだろう? あなたは、食べたことは」

「残念ながら」

 サラダや肉料理の彩りに、と添えられるそれに、何か特別な嗜好品としての魅力があるとは思えないのだけれど。

「ふうん」

 答えながら、滑らかな指先は音も立てずに薄い花びらをぷつりと引きちぎる。

 無残に引きちぎられた花が、みるみるうちに音も立てずに飲み込まれていく―時間にすれば、ほんの一瞬。そんなささいなひとときを、どこか見過ごせないような心地でじっと僕は見つめる。

 嚥下のためにゆっくりと動く白いのどは、まるでなにかのいきもののようで、不思議ななまめかしさを呼び起こす。

「……悪趣味だ」

 顔をしかめながら、ぽつりと洩らされた言葉がそれだ。

「目で楽しむものを無理に口にするだなんて、誰が考えたんだろう」

 やれやれ、とでも言わんばかりの様子で、引きちぎられた後の残りの花束をじっと見下ろすまなざしは、それでもどこかしら慈愛にも似た色に満ちている。「ごめんなさい、おかしなことに付き合わせて」

 会釈とともに答えるその仕草には、どこか取り澄ましたようなよそよそしさが途端に呼び戻される。

 ほんのひと時前に垣間見せたあのむせかえるような生々しい感情のありかを覗かせた顔つきは、舞台に立つための演技に過ぎなかったのだとでも言いたげなほどに。

「……いえ」

 わずかにそうっとぎこちなくかぶりを振って見せたその後、こちらもまた、取り繕うかのような笑顔を張り付けるようにして投げ返す台詞はこうだ。

「またいつでもいらしてください、その頃にはまた種類を増やしておきますので」

「……飾れる花を買えるようになれば、それがいちばんなんだけれど」

 力なく笑いながら答えてみせるその姿に、どこかしらあやふやな感情を引きずられていくのにただ身をまかせる。

 花の香りのその奥で、静かに揺らめくような色がこぼれおちる。

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