百万丁の花嫁

開戦

狼虎庵 共和国協定千四百三十七年新春

 まだ冬明けぬ年明け早々に貨物用機関車が完成した。

 六輪にそれぞれ動力を分配する独立懸架式の車輪はそれぞれに差動器を持ち、中央の軸に対して六輪がそれぞれ自由に動く自在継手でつながり一つの機関の出力を分配する構造を持っていた。

 また、前側四輪の操舵輪には油圧式の、制動機には更に排気圧を使った倍力装置を設けたりという試みもしていた。

 同じ六足とはいえ構造的に昆虫と比較するにはあまりに未熟な作りだが、最低限の機械制御を六輪全てに備え、少なくとも自身の操作で突然あらぬ方向に回転するような無様を晒さないですむような配慮の努力はされた機構構成にはなっている。

 五キュビットに達する車幅は馬車の入れない道は使えないが、そういう道はそもそもこういう荷車の出番ではなかった。

 一グレノル半を一気に積むことを念頭に置いた機関車はしかし幅広のゴムの車輪を六輪使い、それぞれが馬数十頭にも匹敵する力を発揮することで多少の荒れ野であっても自在に走れ、雪道でもモソモソと滑ることはあっても自分で這い出すことが出来た。

 グレノルという本来農家の小屋の大きさを念頭に置いた寸法は荷袋の数や体積のみならず重量をも示すわけだが、一グレノル半を積むということは屋根付きの荷台や運転席を含む車体の重さが二グレノルをゆうに超えても不思議はないわけで、小さな一グレノル建ての小屋ではどうやっても入らない大きさのものになっていた。

 当然に一番最初に訪れた場所である狼虎庵では悲鳴のような声で迎えられた。

 それまでの機関車が半グレノルを一気に積むことで馬車のソレとは全く違うと思っていたら、その三倍をゆうに積めるという巨大と言っていい天蓋付きの荷車になっていた。

「いや、しかし、三倍上げ下ろしするんですよね。これ」

 地べたからでは全く見えない貨車の屋根を見上げるようにそういうジュールの声はいかにも嫌そうで疑い深げでいちゃもんと自覚しているようだったが、マジンは笑った。

「揚げ降ろし機。うちで使ってるよな。こっちでも」

 ポンプ式の上げ下ろし器をつけた台車を、去年から使わせているが、樽の落下が減って腰が痛くなくなったと評判は良かった。

「つけたんですか。揚げ降ろし機」

 センセジュが驚くようにたずね返した。

 マジンが頷いた。

「なんと、電動油圧機械式だ」

 マジンが後ろの戸板を平たく落として脇の端末を操作すると、鋼の薄板で出来た戸板の縁が地面に触れるまでなめらかに静かに降りてくる。その板にマジンが踵を滑らせるように足首だけ動かして、鉄の戸板のなだらかな傾斜をぬるりと登った。

「――まだきちんと実験はしていないが十ストンくらいはいける計算になっている。電池の電気を使うから長いこと使うときは機関を回しておいてくれ」

 そのまま昇降機で男たちの胸の高さまで昇り降りてくるマジンのつま先を眺めながら狼虎庵の面々がざわめいた。

「おいおい、マジかよ。こんなんできるなら、はよやってくださいよ。ってか、これがあれば配達で氷に轢かれないで済むぅ」

 ジュールが嬉しそうに昇降機に乗ったのにマジンが渡すと見ようで操作して大きな鉄の荷台の扉を開いた。

「あと、荷台の中は冷凍庫にできる。つうて、機関を止めると止まっちまうから、その辺は上手く考えて使ってくれ」

 新しい貨物車の説明を受けて、男たちはあまりの衝撃的な言葉の連続にうめき声を上げたが、やがて怪しげな笑い声になった。

「すげぇ」

 ようやく人語を思い出したようにペロドナーが言った。

 設計そのものは一昨年に粗方出来上がっていて、床やら屋根やらという貨車部分の使い勝手の細かいところを組み立てるにあたっての様々が残っていたせいで後回しになっていたが、舟を作ったときの要領でできることはわかっていたから、単に時間の問題であった。三十台の小型機関車の納品が終わり、ようやく新しいことに着手できたということで、まずは日常が戻ってきたということでもあった。

「ところで旦那」

 センセジュがなにやら話があるらしく切り出した。

「――電灯ってやつは高いんですか」

「誰かからなんか言われたかね」

 機関車に浮かれていた一同もそれなりに心あたりがあるらしい。

「あ、それ私も町役場で聞かれました」

 最近は町の仕事で狼虎庵に居ずっぱりになったベーンツも後を追うように口にした。

「高いっていうか、安いっていうか。止めないようにするのは面倒くさいけど、そのへんがいい加減でいいなら簡単かな。狼虎庵でもたまにあるんじゃないか。灯りが怪しくなったりするって」

「ああ。ありますね。驚きますけど、夏場は少ないかな」

 センセジュが頷いた。

「蒸気圧機関で発電機回して電池に貯めているから、仕事が少ない時期はどうしても電気量が減るんだ」

「ははぁ。すると、冬場もガンガン石炭焚けば電気もできるとそんな感じですか」

 ジュールが思い出すように言った。

「ま、乱暴に言えばそうなる。今は冷凍庫の温度を基準に窯を焚いたり止めたりしているからね。風呂の湯くらいだと問題にならないけど、湯がぬるい時もあるだろ」

「まぁそうですな。茶にしようってには足りない時もあります」

 センセジュが言った。

「そういういい加減な感じで良ければ、多少払ってくれれば電灯を町の真ん中へん、あんまり遠くないあたりまでなら敷くのは容易い」

「値段はどんなもんで」

 センセジュが改めた。

「ウチで年に二千五百タレルってところかな。ほかに電線やら電球やらってことになるけど、近場ならそっちは金貨一枚くらいだろ。ついでのついでだったからまじめにかんがえたことないけど」

「意外と安いですね」

「月に金貨二枚ってのが安いと思えるようなら、お前も立派だよ。でもまぁ、そういう立派なところなら敷いてもいいようなものではある。そういう立派なところがそれでもほしいってならそれ用に作るのも悪く無い」

 ジュールの軽い言葉に笑うようにマジンは言った。

「発電機っていいましたっけ面倒なんですか」

 センセジュが尋ねなおした。

「発電機が面倒ってか、小さいものならここしばらくの機関車には全部組み込んでるよ。ただまぁ大きいのはそれなりに面倒かな。磁石とかも大きいのが欲しくなる。そんなところよりも電灯がつかないとか面倒が起きたら直しにいかないとならない。そっちがいちいち面倒かな。電線が切れたり、わけのわからん理由で灯りが消えたので呼びだされたりするのは間違いない。目の前ならいいけど、どっかから夜通し駆けてこられたら、行ってやらんわけにもいかんし、それで直るかどうかはその時次第だ。電球たまに切れたかどうかわからんけど交換すると点くような事もあるだろ」

「ははぁ。なるほど。面倒ですな」

 センセジュにもどこが面倒なのか解ってきたようだ。

「まぁ、町役場がそういう厄介引き受けてくれるってなら、電気を提供すること自体は吝かではない。電球はウチで使っているのでよければ、ひとつ一タレル、金口も一タレルだ。販売契約って話になるなら細かいところはあとでちょっとまじめに考えるとして、一軒あたりどれくらい電灯と金口がほしいかによるかな。穴開けたり線引いたりの工事は別になる」

 マジンの言葉に男たちは静かになった。

「すみません。町役場から他にあの要望がありまして……」

 ベーンツがおずおずと手を上げながら言った。

「ああ、狼虎庵とお屋敷とで使っている無線電話ですか。ああいうのは手に入らないかと」

「もちろんできるよ。けど、あれも電気で動いているからなぁ。どことどこを結びたいかって話がわかると値段の相談もしやすくなる。ともかく苦情の窓口と資材が必要になる話だ。今言った年金貨二十五枚出せる連中で寄りあい立ててもらって考えたほうがいい」

 マジンは少し考えて言った。

「電話も同じ値段ですかね」

「本当は少し違うけど、要は新しい物にカネを突っ込むくらい忙しくてカネはあるって連中にしかお薦めはできない。絶対に問題が起きるはずだから。そして問題を直すのはボクかお前らの仕事になるはずだから。そういう状況がわかっていて気長にできる人々以外は相手にできないよ。うちの無線電話、何度不都合起きたさ」

 ベーンツの改めての言葉に応えたマジンの言葉に男たちは苦笑いを浮かべるしかなかった。

 電話機は有線式にすれば無線電話よりも簡単になることはわかっていたが、それでも面倒なことは間違いなかった。

 とはいえ面倒ごとと言いながら、たがいに話を通す先、通すべき筋がわかっている間柄のことで、実のところカネの動きが鈍いことを除けば、難しさはそれほどでもない話だった。


 この年、そんなのとは桁の違う面倒ごとがローゼンヘン館はおろか、ヴィンゼでおさまらずデカートを超えて吹き荒れることになるとは、狼虎庵の面々は想像だにしていない雪解け前の穏やかな新春の出来事だった。

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