セラム二十才

 食事の後、マジンは工房でセラムの義眼についての相談を始めることにした。

 全くそれは成行きだったけれど、せっかく作るからにはそれなりのものにするつもりで、工房で作った様々な色のコランダムの結晶サンプルを見せた。

「あなたは錬金術も嗜むのか」

 常識的に十分巨大の域に入るルビー・サファイア・エメラルドの輝きを見てのセラムの驚きは幾人目かの幾度目かの言葉であったので、マジンはただ微笑むだけで済んだ。

 そのあとふたりで色やデザイン寸法合わせのためにしばし工房で打ち合わせをおこなうと、義眼は内側を金の鏡張りにした白磁と炭素材の半球を組みあわせ純水を詰め中心にレンズを支え更にもうひとつのレンズで蓋をするつくりにすることにした。

 それは美しい黒と紫を演出する作りになるはずだった。彼女の失った瞳は茶色だったが、似たような暗い色の紫の瞳に憧れていたという。

 昼には寸法合わせのための試験品が作られ、型の精度が確認され、セラムはマジンの仕事のあまりの手早さに驚いていた。痛みもないということでセラムは仮の義眼を入れたまま、午後と翌丸一日を過ごしていた。

 手作業そのものは殆どその場で終わるが、焼き窯ばかりはそうはいかない。すでに前日から予熱と予備加圧はしてあるが、小さくともそれなりの時間がかかる。

 この頃は真空高圧釜の改良が進み、適度な大きさ単純な形であれば、相応に圧力をかけても比較的短時間で焼き上げることが出来る。光を相手にしている目の代わりになる部品であればそれなりに慎重にもなるが、幸いロットを重ねまたぐ必要なく使える部品が焼きあがっていた。

 その間、マジンはほとんど工房にこもりっぱなしで義眼内部に収めるレンズ部分を制作していた。

 セラムとしては多少気を揉むことになったが、なにか始めるとあんな調子、というリザの説明には納得せざるを得なかったし、だから子種を絞るつもりなら機会をみて一息に計画的に躊躇容赦なく、と云うのにひどく納得いった流れだった。

 夕食の席でマジンはセラムに工房に来るように告げた。

 工房で出来上がった義眼を見たセラムはその全体にうす青く艶のある白と黒の球体と白い面の中央に収まった深い紫の瞳の出来に驚いた。

「こんなものが二日で」

 出来上がった義眼は今詰めている仮のものがひどく重く感じられるほどに軽く、おそらくは生身の目玉と同じくらいの重さであるように感じられた。

「まぁ、冗談ではなく一種の宝石細工であるのは知っての通りだが、どんなに出来が良くても君の目の代わりになるわけはない。が、それでも使ってくれるなら差し上げようと思う。受け取ってもらえるかな」

 セラムは右目で目の中を覗き込むと複雑に調整された屈折率の義眼は思いのほか強く外の光を受け、紫に輝き黒く静まる。

「これは、アレかな。わたしの体を買いたいという、これだけの価値があるという風に自惚れていいのかな」

 セラムのイタズラっぽい言葉にマジンは傷ついたような困った表情を顔に浮かべた。

「ボクの愛人情婦を自称する女性はどうしてこぞってボクが物で女を囲いたがっているように云うのだろうか。単に気まぐれの贈り物でボクの工作の実験の成果を喜んでくれる人に差し上げようという以上の意味は無いよ。宝石細工には違いないけど手間と材料があればいくらでも作れる紛い物だ」

 そういった言葉は事実ではあったけれど全てではなかった。中央のレンズには色材として小さな麦粒のような血晶石を鋳融かしてあった。コランダムが作れるようになったときにおよその機能が推測できる手持ちの血晶石のひと粒を実験する上で鋳溶かしたものだった。

 混ぜ溶かし薄く大きく伸ばしたから、といってとくに魔法の発現がおこなわれるわけではなく、爆発もせずおとなしく色硝子として使われていた。

 血晶石はレンズの母材になったコランダムと綺麗にとけ合い、他のコランダムとはレンズの性質は微妙に計算と変わっていたが、瞳の側のレンズの調整で事足りる範囲であったので概ね予定通り、全く完璧な混じりけなしの純水を詰めた義眼は予定通り完成した。

 幾分厳しい嵌め合いで締め付けられている義眼はもし仮に破壊されればセラムの頭蓋を破壊しかねないことは承知すべき内容であったが、そのことを聞いたセラムは二度も同じ目を失って生きていられる方が不思議だろう、とあまり気にしないように笑った。

「で、実のところ、落としたら壊れるような種類のものなのかね」

 セラムは真顔で尋ねたが、義眼はおそらくセラムの頭蓋よりも数段丈夫であろうとマジンには思えた。義眼などというものは差し歯の類と同じで、痛みを感じるようなら抜くべき間に合わせであることは忠告しておいた。

 陽の光の下でセラムの義眼を覗き込んだリザは、これが一財産になる美術品になると断じた。座りを良くつくりすぎた義眼は痛みは感じないものの、頻繁な抜き差しには不都合を感じるようになっていた。そのことは衛生上疑問が残らないわけでもなかったが、抜いて洗えば良いのかといえば、戦場ではそうもいかず、眼帯で蓋をして不都合が起きるまで入れておく、とセラムは笑った。

 義眼をつけたセラムは眼帯を必要としなくなった。金の鏡が義眼の内側に張り巡らされていて光を眼窩の奥まで溢すことはなかった。光学設計上セラムの目は僅かに光を蓄える。そして本当の暗闇では僅かに輝くはずだった。

 ともかくもセラムはマジンの作品を喜んでくれたのは間違いない。



 一行が来訪して一週間した夜、マジンの寝室にアルジェンとアウルムが尋ねてきた。

 マジンとセラムはまさにつながっていたところだったが、セラムに風呂に入ってくることを頼むと彼女はあっさりと承諾してくれた。

「私達軍学校いったほうがいいのかな」

 不安そうに思いつめた表情の二人の娘の用件はそういうことだった。

 マジンは男女の匂いの残るベッドで娘と三人で川の字に並んで寝た。

 もちろん軍学校は軍人を要請するための学校で、学志館とは本質的に異なる職業訓練校である。それを理解すれば将来軍人になることを佳しとするか否かという質問でもある。

「ふたりはリザをどう思う」

 マジンは尋ねてみた。

「強い」

「カッコいい」

「ああいう人がいるかもしれない」

 マジンは二人の言葉に応えた。

「そうだけど、そうじゃなくて」

 アウルムが困ったように言った。

「父様は私達が軍学校に行って軍人になったら嬉しいですか」

 アルジェンがはっきりと尋ねた。

「勉強や仕事で色々な人と会って友達ができたら嬉しいかな。軍人かどうかは割とどうでもいいけど、学校にはいかせたいと思ってはいたんだ。軍学校は獣人や亜人の子もいるらしいから、そういう人たちがどういう風に過ごしているのかも知りたいし、共和国の地理とか歴史とか他所の国の話も知りたい。ここでこうして色々作っているだけでも色々わかってくることも多いんだけどね。軍都にお前たちがいるとボクが軍都に行く理由ができる。それにね、ボクの自慢の娘達をどこかで見せびらかしたいとは常に思ってはいる」

 アルジェンとアウルムは困ったような顔になっていた。

「――八年は長いな。と思ったけど、機関車があれば片道四日頑張れば二日だからなぁ。会えないことはないよ。手紙をくれたら会いにゆくよ」

「でも、父様お手紙に返事書かないもの」

 アウルムが泣きそうな顔をしていった。

「お前は行きたくないのか。アウルム」

「わかんない。父様が言ったことはリザ様も言ってた。父様にお仕事を頼むから軍都にいることも増えるだろうってことも」

「父様は私達がじゃまになったの?私達がバカだから弱いから子供だから亜人だからじゃまになったの?」

 アルジェンがはっきりとした口調で尋ねるとアウルムは姉の顔を絶望的な顔でみた。

「そんなことはない。と言っても賢いお前たちは嘘だと見ぬくだろう。でも邪魔になったからじゃない。お前たちやソラやユエを学校に入れているのは、お前たちが子供だからだ、というのは事実だ。お前たちは四人とも計算も読み書きも家のことだって工作だって狩りだってできる。お前たちは賞金首の回状をボクよりもちゃんと覚えている。ぜんぶボクの役に立ちたいからだよな」

「父様の手伝いがしたいの」

 訴えるようにアウルムは言った。

「お前たちはずっとボクの役に立ってくれているよ」

「でも、父様は共和国軍じゃない。軍人でもない。軍学校行って役に立つの」

 アルジェンが確認するように尋ねた。

「軍でなにが起こっているのか、偵察して欲しい。帝国という国と戦争が起こっているらしい。なんで戦争になったのかもわからない。どう戦うつもりなのかもわからない。それを偵察してきて欲しい」

「リザ様じゃダメなの」

 アルジェンが尋ねた。

「アイツは。強いからな。強すぎるからな。ダメだ。アイツは人にわかるように説明するのが苦手すぎる」

「でも、軍学校は軍隊じゃないんでしょ」

「そうだな」

「そういうところを偵察して父様の役に立つの」

「歴史とか地理とかはなにをどうやってもそうそう変わるものじゃないよ。川の流れや畑の形は変わるし、工事で多少の変化があっても、ローゼンヘン館からヴィンゼまでやデカートまでの距離は変わらない。うちの裏に山があることも変わらない。だからボクは川まで線路を敷いたし、荷物はデカートまでは船のほうが多い。ボクはなぜ、共和国は帝国と戦争しているかが知りたい。そしてどうやって勝つつもりなのか、勝ってどうするつもりなのかが知りたい」

「リザ様が父様に鉄砲をたくさん頼むんだって言ってた。この間みたいに皆で大急ぎで作るんじゃないの?」

 アルジェンが確認するように言った。

「別にそんなのの組立は算数もできない手紙もかけない花の名前も星座の見方も知らない人だってできるよ」

 鼻で笑うようになんでもないことのようにマジンは言った。

「私達が軍学校に行ったら、父様の役に立つの?父様嬉しい?」

「いっぱい勉強してたくさん友達と知り合っておいで。そして共和国がどうやって国になったのか、どうやって国で在り続けているのか、誰となぜどうやって戦っているのかを勉強しておいで。軍人になるかどうかは、そのときに出会ったヒトや勉強したことをまとめて判断してからでいい。軍人にならなくても軍人のやり方考え方は役に立つよ。なぜなら昔百万千万の軍人が失敗して考えた方法のはずだから。それが間違っていることがあったとしても、今度はそれを直せばいい」

「そういうことを勉強すればいいの?」

 アウルムが尋ねた。

「体を鍛えて、怪我がないようにね。ボクはお前たちの耳や尻尾が綺麗だと思っている。引っ掛けて破ったり折ったりしないように気をつけるんだよ」

 そう言いながら二人の耳を指先で撫ぜるとふたりはくすぐったそうに嬉しそうに身じろぎした。

「父様。お願いがあるの」

 アルジェンが真剣な眼差しで体を起こして訴えた。

「なんだい」

「軍学校で怪我しないで帰ってきたらでいいの」

「言ってごらん」

「父様の子供欲しい」

「わたしも父様の子供欲しい」

 アルジェンが言うのにアウルムも跳ね起きて言った。

「子供はなぁ。できるかどうかそのときにならないとわからないからなぁ。リザのときもできてるんじゃないかなぁとは思ったけど、確信がなかったし。約束はできないぞ」

 二人が真剣なのを理解して心底困ってマジンは言った。

「そんなのいいの。やるの。やることだけ約束して」

 アルジェンが言い募った。

「今じゃなくていいんだね」

「だって、父様。セラム様と盛ってた時と全然違ってる。私達も大人の匂いでないし。リザ様と一緒に来た人たちは皆大人の匂いさせてた。なんかよくわかんないけど、まだダメなのはわかるの」

 少し悲しそうにアルジェンはわかっていることを説明した。

「この匂いと味好き」

 そういうとアウルムは乾き始めたマジンの股間に鼻を押し付けて舐め始めた。

「リザにもやったんじゃないだろうな」

「やったよ」

 アウルムはマジンの股間をいじりながら応える。

「酒場の上でも何度かやったことがある。早く大人になるおまじないって言ってた」

「そんなのデタラメだ」

「知ってる。でもいいの。父様の精の味。好きだから」

 アルジェンは応えた。

「お前たちもボクにくっついていたいとか言うんじゃないだろうな」

「うーん。それは邪魔かな。お掃除とかお洗濯とかできなくなっちゃうし。でも、朝晩頭なでてくれると嬉しい。っていうのは前にお願いしたけど本当。最近父様サボりがち」

「ゴメンな」

 マジンがそう言って撫でるとアルジェンは嬉しそうな顔をする。

「わたしも」

 そう言ってアウルムも股間から胸の上に這い上がってきた。

 よだれで光る口元を掛布で拭いてやって、頭を撫でると丸まるように嬉しそうな顔をする。

「軍学校どうする。断るか」

 そう言ったマジンの言葉にふたりは不思議そうな顔をした。

「なんで」

 アルジェンは不思議そうに応えた。

「行くのヤだったろ」

「行くのはヤじゃない」

 アルジェンは応えた。

「ヤだったのは父様に捨てられるのかと思ったから」

 胸の上のアウルムが今は軽く応えた。

「父様がなんで八年も私達を他所に預けるのかが知りたかったの。勉強や調べ物ならデカートの史料館でも出来るから」

 独学で学ぶべきことを探すことの難しさは計り知れないが、そこを無視したようにアルジェンは言った。

「そか。ベーンツさんに測量の話教わろう。参考になる本を聞いておこう」

 アウルムが言った。

「そういえば、お前たちいつの間にかセラムは様なんだな。セントーラは呼び捨てなのに、ベーンツにはさん付けだ。マイラとロークは呼び捨てだ。なんか違いがあるのか」

「あるよ。ベーンツさんはウチで雇ってるわけじゃないじゃない。ちゃんと他所で仕事しているヒト。呼び捨てなんて失礼」

 アルジェンは断言した。

「でもボクも給金出しているし、うちに寄せているよ」

「でも、自分で仕事してる人だもの。稼ぎ悪くて苦しいみたいだけど、父様の手伝いだけしてるヒトじゃない。セラム様はリザ様と同じだから様付けでいいの。セントーラは父様の家来でしょ。一緒じゃない」

 二人の間では明確な格付け規定があった。

「それで、ふたりの少尉はさん付けなのか」

「あのひとたちはリザ様の部下でしょ。お風呂で種付けしててもそんなの、父様は酒場の商売女のひと相手でもやること。牧場で馬が盛ってるのと一緒」

 言い草に微笑むしかない。

「親子の語らいを邪魔して申し訳ないのだが、こちらに眼帯を忘れてしまったようだ。すまないが朝まで寄せていただけないだろうか」

 話が落ち着くまで待っていたセラムが現れた。

「どうぞ」

「ありがとう」

 そう言ってセラムを迎え入れるや胸の上のアウルムが背中を気にした。

「なんだ」

「父様。盛っている。ひょっとして」

 マジンが尋ねるのにアウルムが言った。マジンの股間が硬く勃起していた。

「どうした」

 セラムが気にして尋ねた。

「いや。暗闇でキミを迎えたらコイツラの尻尾がくすぐったくて勃起した」

「それは気の毒に」

 マジンが説明するとセラムは取り合わずそのまま寝てしまった。

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