共和国北街道 共和国協定千四百三十七年雨水

 山から帰ってきて試射した感想を聞き取りしたものの、女性士官たちには役に立ったのかたたないのかよくわからない様子ではあった。

 しかし、ともかく試射した小銃には元から必要そうな機能は備わっていることを確認した上で幾らかの希望や疑問を整理した。

 その試射から五日で最初の小銃の量産試験品の生産実験装置が完成した。

 完成と云って、もともと図面もジグも存在していたし、組立工程表も整理されていたから、保管されていた工作機械を整備して作業動線に並べただけとも云える。

 小銃も聞き取りを元に修正が反映された部品も幾らかあったが、全体としては金具の形や取り付け位置の調整調節の問題であったから、些細な小改造と云える範疇だった。

 これまで使っていなかった工作機械を収めるための動線のレイアウトは今後の作業を見て再設定の必要があったけれども、つまりはそれだけで作業が始められる状態であるとも言える。

 半日で工房の開いた隙間に機械を一列並べ、残りの半日で材料を揃え、翌日から調整を始めながら試し打ちを始めた。その間、幾度かすでに動いていた機械の再配置もおこなわれた。

 牛や馬ではきかない象の大きさの鉄の塊を油圧ジャッキとウマで引きずり運ぶマジンの姿をウェッソンとリチャーズはしばし呆然と口に目玉がついている様子で眺めていたが、ため息を付いて自分の仕事に戻った。

 生産工程の手際というものは大物の工作機械とその出来も重要だが、それ以上に必要なものがいくらでもあることはウェッソンとリチャーズの二人とも蒸気圧機関の量産の指導をした経験で理解していた。

 彼等の理解では世の中の工作の半分は段取りで、残りの半分は順番待ちの時間で、更に半分が手持ちの在庫の整理で残りがようやく工作や設計やその他様々な実作業だった。アルジェンとアウルムにも幾らか助けてもらって二人は当面の作業に必要な資材の大まかな管理計画を建てた。

 夕食の前、マジンの構想と大きなズレがないことを確認して二人は生産工程設備の稼働に向けた調整を始めた。

 その翌日のうちにネジやバネ、精度のゆるい外装の強度部品が機械によって何種類かの圧延鋼板から千丁分あまりが打ち出された。

 それとは別に銃の心臓をなす砂型鋳物を機械的に洗い焼入れし研磨する装置の列の脇で、機械でメッキまで仕上がった銃身をこればかりはウィルソンが手をかけて歪みを確認して仕上げてゆく。



 三日目には機械を動かし止めまた動かしとしている間に、銃身と主要な部品が百丁分が出来上がった。

 同じくらい弾いた物も出来ていたが、それは今は仕方がないことだった。

「こりゃ、鍛冶仕事っつうよりは、小間物細工に近いですな。ガキの時分は鉄砲づくりっつうたら、もっとこうやたら難しいことのように思いましたが、まるでパンを焼くようにできる」

 ウィルソンは今は出来上がった部品を測定用の治具に放り込むように並べながら言った。

「やっていることはちょっとした飴細工や傘張りと大した差はないさ。材料が鋼だからちょっとばかり重たく騒がしいが、それだけだ」

 マジンは測定治具の雌型をかぶせ、部品を固定するとバネ尺を押し込んで部品を固定し、軽く揺らして精度を確認する。リチャーズに計測した数字をメモさせて作業を引き継いだ。

「これだけ同じ物を言葉通り百万作るってなると、いっそ全部カラクリ任せでやっちまったほうが早いですな。砂型機械がどれだけちゃんと動いてくれるのかわからないですが。百万作るなら刃物準備してプレスしたほうがいいかもしれませんな。まぁ今はちょっと機械の数が足りませんが、鋳物磨くよりは鍛造のほうがウチではいいかもしれません」

「設計は戦地で兵隊が使っても大丈夫なように作っているし、そうそうキチキチの精度では線を引いていないから、大きな問題は出ない、と思う。がまぁ、多分オマエの言うとおりだろう。最後は全部機械に任せたいけど、先のことはあとで考えることにして、これからしばらくボクが居ない間、部品を作ってみてくれ」

「まぁ感じからいうと、リチャーズとふたりで月に二千頑張ってもうちょいってところでしょうなぁ。ことによると千超える辺りで色々問題が起きるかもしれませんし。危なくないようにぼちぼちやってみます」

 ウィルソンの言葉にマジンが頷いた。

「別にこれは本番ってわけじゃなくて、単にお試しのお試しだから、うちで作れる組み立てられることがわかればいいし、問題がでたらボクが帰ってくるまでそこで止めておいてくれ。ともかく怪我をしないように」

「お客人に組立をお願いしていいんですか」

 改めて念押しするようにウェッソンは尋ねた。

「そういうことになる。ただ鉄工工房には絶対入れるな。目を放しているときに刃物が飛ぶかもわからんし、髪の毛一本余計なものに触られると全部狂うことになる」

「まぁそうですな。あのふわふわした巻き毛のお嬢さんとかあちこち蹴飛ばしてますからな」

 態度と裏腹に乱暴な女士官であるファラリエラの行動に苦笑いをするようにウェッソンが言った。

「本人は自分が怪我しないで迷惑かけていないつもりだろうが、ああいうものだと思うしかない。リザに命令させるのが多分早いだろう。町の連中はモイヤーとエイザーに仕切らせておけ。ヘソを曲げず自分で馬なりにやっている間は連中も心配ない。揉めるようなら、いればミリズに仕切らせろ。いなけりゃ馬舎を仕切らせてるマキンズに任せるしかないが、いずれにせようちの連中で手に余る様なら、セラム……マークス大尉に制服で出てもらって軍法で仕切ってもらえ。お前は無理に矢面に立たないでいい」

「よろしいんで」

 ウェッソンは少し覗き込むような顔になった。

「お客様方には、うちにいる間はボクの愛人として働いていただく約束だ。愛人ってのは股に穴が開いてる肉布団ってわけじゃないだろ。あれで気の早いと評判の騎兵連中を二百だか三百だか仕切っていた女だ。それくらいやってもらってもいいだろう。残りのふたりもおミソってわけじゃないだろうが、使い所はわからない。セラムは常識的なところにかけちゃ、リザよりだいぶマシだと思う」

「ま、旦那のコレだってなら、それなりのところを見せてもらうのはいいかもしれません」

 そう言いながらウェッソンは小指を立てて笑った。

「――じゃ、面倒が起きたらマークス大尉殿に任せるつもりで、マキンズには言っときます。街の連中はモイヤーとエイザーで仕切れる間はふたりに任して、でいいですな」

 ウェッソンが確認するのにマジンは頷いた。

「出稼ぎの給金もモイヤーにあずけておくよ。今更魔が差したりはしないだろ。それこそみっともないことになるようなら、マークス大尉に任せてしまえ。最悪、預けてあるのを使ってくれ。事故でボクが戻れなくても五年くらいは困らないはずだ」

「お早いお帰りを、ってのはまぁアレですが、無事を祈っていますよ」

 ウェッソンは引き締めた顔で頷いた。



 その日の夜のうちにリザが出立前に申し述べることとしてセラムと二人の部下に、館での命令を伝えた。

「明後日よりこちらのご主人がしばらく不在になる。家令のマイエツシ氏も帯同されるということだ。したがってこちらのお屋敷は手が足りなくなる。こちらのご家人に面倒をおかけせぬようにしろ。期間は概ねひとつきだが、日程の詳細は不明だ。

 ご主人の不在中、工房には絶対に入るな。戸口が開いていたとしてもだ。扉の手に触れることも許さん。もし入れば、こちらのご主人はわたしの計画に協力しないと言っている。出来ないではない。しない、だ。

 レンゾ少尉、貴様はしばしば自分で機転を利かせて命令の抜けや裏を取ろうとするが、今回ばかりは絶対に禁止を無視するな。言い訳は許さん。これは軍務ではないが、平常の任務よりも影響は重大だ。こころしろ。

 もし禁止事項を破ったときのためにご主人にはお前たちの苦手をそれぞれ教えておく。

 お前たちの行動範囲は居館の食堂・居間・客間・寝室・談話室・図書室・厠・浴室・厨房・広間・玄関への通路・階段或いは中庭・野外・厩舎ということになる。工房関係が集まっている居館東側の一辺は用がなければ近寄るな。戸外の工房関係施設や機械類へも無用に近寄るな。外出は禁止しないが、他家に逗留している身であることを忘れるな。

 お前たちも気づいていると思うが、臨時雇いで厩舎の宿舎に住み込みをしているヴィンゼの人々が三十名ほど月末までいる。特段の指示はないが留意しろ。

 余計なことを考えるようなら森の中の道を好きなだけ走れ。知っての通りわたしは朝晩一周、毎日二周している。それだけ走ってもこのザマだ。

 それだけでは退屈だろうから、ご主人から退屈しのぎの作業として、小銃の試作品の組立作業をおこなってもらう提案があった。早速夕食の後にウェッソン氏が指導してくださる予定だ。

 これは来るべき本採用にむけた小銃生産の実働実験であるので、急ぐ必要も数をこなす必要もない。それどころか実射に耐える必要すらないが、それでも真剣にやってほしい。ご主人が帰宅後に各人の所見を述べてもらい、ご主人の検品点検後に試射ということになるはずだ。部品の加工は触って危なくない程度には仕上がっていて危険は少ないというが、それでも金物だ。怪我には気をつけなさい。

 わたしは明後日から軍務に復帰すべく軍都に戻る。こちらのお嬢様がたが軍学校に入校されるということなので軍都まで便乗させていただく。私の馬は消耗扱いで弁済しておくので、こちらの厩舎に預けたまま気にしないで良い。

 最後になるけれども。ごめんなさい。出発のときに説明した予定通りだけど、あなた方に半ば命令するような形で休暇に付きあわせて、自分だけ途中で軍務に戻ります。こちらのお屋敷でこの後起こることが、私の思い描いているとおりなら、きっとあなた方はこの休暇のことをこの先何度か思い返して笑いながら悔やむことになると思うわ。こちらのお家が居づらいようなら他所に行くのも止められないけど、出来ればこの人の手伝いをしてあげてくれたら嬉しい。妊娠配置がどうこうとかそういうのじゃなくてね。

 あなた方の休暇が有意義で何より幸福で楽しいものであることを願い期待します。

 以上です」

 そう言って言葉を切ったリザに三人はごく自然に敬礼をした。

 夕食の後で、百ばかりでできた部品の小銃の組立が説明がてらおこなわれた。

 僅かな期間に小銃が百も準備されたことに注文をつけたリザでさえ驚いていたが、百万と言い放ったリザの言葉を思えば、週で百では到底足りず日に百でもまだ足りなかった。

 打ちぬかれ折られ丸められ削られた部品は一応は角が落ちていたけれど、油断をすると指先の皮を切るくらいには荒く立っていた。ウェッソン自身は全く無意識にそういうところを避けて掴んで小銃を組み立ててみせたが、金物の工作に素養のない四人の女性士官たちは血を流す程ではなかったが、気が付かぬ間に指や手のひらの皮が切れ剥けていることに驚いていた。

 翌日は部品の仕上げの見直しと調整で部品の生産は一旦停止になった。

 とはいえ、これは全く予定通りで停止にならないようならそのほうが驚きだった。

 現場を知っているウェッソンやリチャーズが呆れるような手早さでマジンは一気に装置やジグを手直しし、要点を説明した。



 その日忙しい中、来客があった。

 スピーザヘリンの上の兄弟のうちのどちらかが現れた。

「娘さんたちが軍学校にゆかれると聞いた。うちの母ちゃんがお祝いに菓子を焼いた。邪魔にならないなら道中食べてやってくれると喜ぶと思う」

 とつとつとそういう農夫の言葉にマジンは慌てて娘達を呼んだ。他に彼は自家製の乾麺を持ってきていて野営の足しにしてくれと言った。

「虫よけにミョウバンとホウ酸が一緒に袋に入っているから、茹でる前に一回水で洗ってくれ」

 スピーザヘリンの親指の爪のような乾麺は偶にどういうやり取りかでマキンズが手に入れてきて腹の足しにしていた。どうというものではないが、使い勝手が良く、町で売っている物よりもマキンズは好んでいるらしい。

「元気で行っといで」

 農夫は亜人の娘にそう言って不器用に笑いかけた。

「マーシャさんにお礼を伝えておいてください。コルランズさん。わたしも皆様の健康と繁栄をお祈りしています。ありがとうございます」

 アルジェンは相手をあやまたず礼を言った。

 アルジェンとアウルムは真ん中に農夫を挟んで光画を撮ることをせがんだ。

 アルジェンはその日のうちに印画作業を終え、出発当日アウルムとふたりで届けに行った。

 畑に出ていたゴルディーニはふたりが出発することはマキンズとの雑談の流れで知っていたから、旅路に忙しいはずのふたりが美しく整った旅装で突然に訪れたことに内心驚いていたが表情には出さず来訪の意図を尋ねた。

 アルジェンは封筒の中から光画を取り出し見せると、忙しい畑作業のさなかではあるだろうが光画を取らせてはくれまいか、と求めた。

 光画というものをこの場で初見であったゴルディーニの表情もこの申し出には驚きの形に動いた。

 傍らにいる父親にゴルが声をかけると父親は特に文句も言わず家族を集めるように言った。

 そのまま、一家全員が戸口に揃うのを待って光画に収めた。

 光画というものはよくわからなかった一家だったが、昨日のアルジェンがとった光画を目にすると、それが謄写版とは全く別物の存在であることは瞬間的に理解し、細君のマーシャは慌てて余所行きに着替え、亭主のモウをとうとう怒鳴らせたが、それでも小一時間ほどして一家十人が揃って光画をとった。

 大騒ぎをして準備をしたものの光画撮影そのものはものの数十秒であったことから多くは拍子抜けしたが、マーシャの提案でゲリエ家の三人とエリスを抱いたリザを加えて改めて光画をとった。

 光画は後日届ける約束をしてスピーザヘリン農場をあとにした。

 狼虎庵には町長と保安官が来ていた。

 ふたりとも並んでアルジェンは光画をとった。

 そうこうしていると、ぞろぞろと町の連中が集まりだし、結局昼食はヴィンゼで食べることになった。

 慌てて春風荘に連絡を取るとロゼッタは電話口で呆れた様子だったが、ソラとユエは想像していたらしかった。

 そんな強行軍は旅立ちにふさわしくないとふたりは反対もしていた。

 ソラとユエのふたりは共和国とか軍とか戦争とかは今ひとつ理解していなかったが、ともかくアルジェンとアウルムが入れる学べる学校があるとなれば、それは当然に歓迎するべきことだと考えていた。

 ふたりとも学志館での勉強は楽しいと感じていた。

 全く残念なことに姉二人の学校が遠方であるのは、自治体としてのデカートの不甲斐なさではあっても、自分たちはそのことを泣くほどの子供ではないと自分たちで決めていた。

 どの道、一行はデカートで一泊してその間にリザは休暇終了の旅程報告の事務手続きを終える予定だった。

 リザが事務受付の終了に滑りこむようにしてデカートにある軍の地方監察事務所に出頭して、休暇を終了し帰隊する意思を示し、明日より原隊復帰を目指す旅程につくことと、旅程で馬を損耗したことや貸与の天幕毛布等の旅装の遺失の報告をおこなった。

 三週間後のリザの休暇終了予定日は早馬の二等速達予定日でもあったから、原隊復帰の意思を確認した地方監察担当官は、デカートと軍都との旅程を考えれば厳しいが遅着の査問を受けずにすめば騎兵としての資質があることを示すことになるだろう、と嫌味混じりの激励をした。

 典型的な出世の見込みない佐官の発言にリザは笑うでもなく敬礼で返した。

 軍人会では馬の死亡や逃亡による損耗は頻繁に起こることで、預り金の返還がないことの確認がおこなわれたが、武器や装備の貸与はなく、とくに目立って頻繁に貸馬の損耗を起こしていたわけでないリザを咎める様子はなかった。

 係官は新たな貸馬の必要について尋ねたが、同行者に便乗するというリザの弁に頷き、軍服の背中に背負われたエリスに目をやって、挨拶として旅の無事を祈ったのみだった。

 その晩、アルジェンとアウルムはソラとユエの部屋で夜通し二人の通う学志館の話を聞いていた。



 翌日、昼前に一行はセレール商会の本店を訪れ、軍都までの幾つかの町で信用できる油屋のある場所を尋ねると、持参していた鋼板を鍛造した四角い樽に大豆油を詰めた。縦横に積み重ねられるレンガのような行李のようなそれこそはスヌークがこれまでの樽に抱いていた不満を晴らす別の形のものだった。

 ひとつ水で半ストン入るその金属容器はいっぱいに詰めるとスヌークの腰にはやや不安を感じる大きさ重さであったけれど、計算と人足の数を考えると減らしても四十パウンというところで万の単位を念頭に試しに千ばかり買うことは出来ないだろうかと、雑談交じりに話をしてマジンを少し驚かせた。

 四十でも五十でも一般家庭では一息に使う量ではないが、そういう家向きに二十五パウン、四分の一ストンの容器もあれば、なおいいとスヌークはいった。

 樽は瓶に比べて割れにくく扱いが楽だが、一方で樽は職人の腕もさることながら原料となる木材の信用が重要になるので小さくても大きくても二タレルを割る安いものは怖くて使いにくいという。そういえばかつて氷屋を始めたときにそんな話をした覚えもあったマジンはスヌークの話に納得するところも多かった。

 だが、金属の容器は焚付には出来ない、と疑問を投げかけるとスヌークは、そこがいいんです、と笑った。

「これは商談ではありませんが、希望として欲しい物ではありますので、お見積りをいただければ即座に検討いたします」

 そう言ってスヌークは笑って改めて一行の旅の無事を祈ってくれた。

 外装をキャンバスから五シリカの圧延鋼板の打ち出しに変えた貨客乗用の機関車は一日に百リーグほどのペースで街道を走った。欲張ればもう少し走れないこともなかったが、馬での行程を前提にした旅程であったリザの日程には余裕があったし、無任所であるリザの出頭を受け付ける人事部は厳密な意味では彼女の原隊ではなかった。無論遅着については嫌味のひとつも言われるだろうが、仮に十日遅れてもデカートまで問い合わせがゆくことはまずない。リザが気にしないといけないのはワージン将軍の兵站参謀キオール中佐と主計副長のホライン少佐が軍都に滞在中に面会の予定を求めることだった。

 予定では三週間後に幕僚ふたりは師団に帰隊するはずで、マジンとの心証や状況如何によっては将軍との面会は全く無意味に終わるので、マジンが協力的に機関車を出してリザを便乗させることが、リザの野心的な計画の第一歩だった。



 街道では野盗の集団らしきものも見かけたが、馬と機関車のかけっこでは勝負にならないことを改めて示す結果が見えただけだった。

 彼らが野盗であると認識できたのも銃で射かけてきたからであって、マジンは地方の風習の一環で祭りか競技のようなものなのだろうか、と夜、軍人会指定の宿で食事をとっているときに話になった、そのことで野盗馬賊であることが話題になった。

 乗用車の外装を金属に変えたことは手入れの意味合い以上のことはなかったのだが、その場合わせ以上に丁寧に仕上げる必要もあって、雨漏りや湿気の漏れは消え、暖房の効きも万全だった。荷馬車が通らないような道は往来困難というよりは不可能に近かったので、リザたち一行の往路よりは八十リーグ越えるほど遠回りをしたが、デカートから軍都までの四百リーグ少々の距離を機関車は三泊四日で走破した。

 冬場の道は雪や凍結ももちろんあったが、かなり無理をして荷物を積んでいるはずの機関車は、馬百頭以上の力を発揮して力づくで乗り越えてみせた。

 リザは面倒を避けるために軍人会のある小さくない町での宿泊にこだわっていたが、結果としてそれは彼女の手帳に軍人会の利用記録の形でわかりやすい証明として残った。

 軍の常識的な行軍距離である一日六から十リーグというものを無視した伝令や早馬の一日二十五リーグ、更には町とは関係ないところに馬を配置しての区間限定の一等速達の一日五十リーグという法外な速さを更に倍もしたような長距離移動の記録だった。

 数百年前の帝国軍との緒戦の大敗北とアタンズの失陥とペテルズの包囲を伝える伝令が東進するデカート軍十万を基幹とする本営に伝えられる物語があって、ペテルズ騎兵隊が裸馬と身一つでなしたという一晩で七十リーグというくだりがある。物語の信憑よりも大敗北に至る経緯として地図が誤りで敵軍がいたという丘を目指したはずの軍勢が霧の中、湿地にまろび出て慌てて戻るという事件があり問題視されていた。

 後年の研究でその際に軍議に使用された地図というものが発見された。その結果、記号や筆跡から時代性そのものは確認され、物語の経緯が追跡された。

 現地調査を含む研究によると一晩で七十リーグというのは地図上の距離で明らかな誤りだが、言及される地形から一晩で三十リーグ超を走破したのは間違いなく、配置された継馬がない状態で記録としては相当の記録であるのは間違いないとされている。

 そういう通信事情を克服するために近年は、魔導を扱える連絡猟兵なるものが養成され参謀として大隊以上の規模の部隊には数名、中隊に一名配置されているが、魔法魔導というものの実用的な研究は、魔導士が個人の資質にひどく左右され教育が難しいという壁で止まっていた。一応ほぼ三千名の連絡猟兵を士官として部隊に配置したが、重大な問題とされているのは魔導を使う場合、多くの連絡参謀は体力的には幼児並みに減退し、短期的な後遺症が残るという点だった。まともに魔導士を戦場に投入したときになにが起こっているのか、長いこと誰も全くわからなかった。しかしここしばらく魔導士の体力測定や身体検査をおこなう中で多くが内臓機能までも低下していることが判明した。

 魔導士の魔導そのものの研究もさることながら、魔導使用中の魔導士が不意の事故で死なないように様々な手段が講じられていたが、今のところは柔らかく暖かくした寝台のような座席と特別な馬車と麸と飴の間の子のような特別食がほとんど唯一の対策だった。それも中隊規模の司令部では運用がなかなかに困難で後方司令部で魔導士の配置された中隊本部の位置を探す探査目標としてだけに中隊連絡参謀の役割を制限していた。

 しかし、ただ位置や連絡参謀の感じる緊迫感を後方から検知するそれだけで、上級司令部の支援は飛躍的に的確に、部隊行動は円滑になるため、連絡参謀を配置した部隊はそれだけで迷走や散逸という戦場での混乱を拡大する事態を減らせた。

 連絡参謀は一般に戦場のカナリアとして大事に扱われるが、戦場での不意の戦死の多い役職でもあり、一般に言われている魔法使いの超人性とは対局の存在だった。

 幾割かの魔導士官は魔導に対する適性が高く、より実用的な戦闘的な魔導も扱えたが、本人にも事後でないと理解の困難な魔導の特性があり、当人からの申請と客観評価の間には大きすぎる隔たりが生まれることもあった。中隊に配置される魔導士官連絡参謀の消耗率は師団間の空白地帯を走る騎兵伝令よりも多少マシ、という危険で重大任務だったから中隊長が馬を失って徒歩になっても、連絡参謀はギリギリまで馬車か馬を当てられる。

 リザ自身も連絡参謀として扱われる三等魔導士資格をもっているが、実戦は先ごろの撤退戦のみであった。とはいえ非公式な決闘で肉体的な影響を感じる程に致命的でなかったので、それなりの適性があると本人は感じている。しかし連絡参謀で求められる魔導の感知は適正が低く、連絡参謀として上級部隊に着任することはないだろうということだった。

 一方で中隊などの実戦部隊でカナリアとして着任する可能性もあったが、どうやら大尉となった今、中隊指揮官という立場はありえても連絡参謀ということはなさそうになった。予備として中隊指揮官に魔導の素養があることは望ましかったが、突然の喪失があり得る魔導連絡の任務に指揮官を直接当てることはあまりに危険が大きい。

 リザは過日の決闘で魔導を使ったことは報告しなかった。そもそも決闘自体を語ることはなく、友人に対しても大喧嘩というより婉曲な表現までにとどめていた。

 そういう共和国世界の例外的な魔導士による通信事情を完全に覆しうるものがこの機関車には二種類ある。

 ひとつは当然に機関車自体であるし、もう一つは無線電話であった。

 無線電話には問題も多い。一番の問題は真空管自体が未だに寿命がよくわからないという生産性の問題であったし、もう一つは相手が機械を使っていないと意味が無いという点であったし、細かくいえば操作性や空間電位の問題もあった。

 しかしそれでも条件が揃えばローゼンヘン館と春風荘の会話を成り立たせることは出来た。電気の問題は機関車の存在を条件に解決できる。

 それは全く明確に世界を変えうる力だった。

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