マジン二十才 1

 短時間の睡眠だか失神だかを休息の代わりにしていたリザは食事中流石に眠そうにしていたが、風呂に入り身を整えた軍服姿になると驚くほどに凛々しく精悍に今日の予定を告げた。

 その切替の見事さこそが、ゲリエ家の娘達をして或いは家人たちをしてリザを認める彼女の資質であるわけだったので、全くいつものことであるのだけれど、マジンとしては苦笑せざるを得なかった。

 リザの運転で軍都を囲む丘陵の反対側にある軍学校に向かった。

 徒歩騎馬の間道で約二リーグ、荷駄用の街道で約六リーグの道のりは目と鼻の先と言うにはやや遠かったが、ヴィンゼの家々を回ることを考えればなんとはない距離で馬車であっても半日で往来できる距離だった。

 軍学校は広がりを感じさせる巨城と呼べる平城で城を意識するわかりやすい尖塔は堀土塁の内側にはなかったが、代わりに丸太を組んだ見張り櫓は見える限り六棟あった。

 堀と土塁のその内側に見えている建物の堅牢そうな石造りに比して木造の櫓の色艶は如何にも場違いであったが、リザによると櫓は猟兵科七回生以降の演習で作られる学生の作品で、当代の砲兵の技量や攻城技術に応じて研究された建物であるという。

 形が揃わず位置がまばらであるのは、毎年論述される課題が異なり、建物の目的や方針が異なるためであるという。

 リザの代で作った櫓は二本の足に赤錆びた鉄板を載せたお世辞にも格好のよろしいものでなかったが、マスケットの威力や射程、砲の威力や互いの半数必中界を意識した構造で、簡素なのは戦中の倒壊や再建をも視野に入れているからだという。櫓の中には脱出用に一本の鈎付きの綱が置かれていて、ここしばらくの櫓の流行であるらしい。ともかく今なお健在であるということは、四年の年月の後も櫓の理念や機能に疑いが持たれることなくあるということだ、とリザは言っていた。

 軍学校は差し渡し半リーグの八芒星上の堀を切った敷地内にあったものの、一般的な城郭を意識するわかりやすい形での城壁はなく、小銃や前衛砲列の散弾に対応した土塁や空堀と爆砕可能な橋で成り立っていた。

 街道まで真っ直ぐ伸びる今ひとつ作りの良くない橋は学生の演習による作品で、演習のたびに破壊され再建されるという。

 元来の予定では高さ三十キュビットほどの城壁と、その外側の二十キュビットほどの馬出しの外郭を八個持った収容想定五万の堂々たる巨城になるはずだったが、完成を待つ前に帝国の侵攻が始まり、火砲と戦術の変化が予算計画を粉砕する形で築城計画は中止になった。堀割と先行して進められていた司令部建物とそれを囲うような師団各大隊の宿舎以外は未完成のまま、共和国軍中央軍団司令部の建設は停止した。

 その後、中央軍団の壊滅と共和国軍の大反攻という共和国の歴史の中でも華々しい一幕があり、共和国軍軍学校はかつての中央軍団司令部の施設を利用する形で居を構えている。

 学校長のマキサネル・スケルツォ大佐は軍人というよりは学者肌の人物でかつて一度退役して音楽家を志したこともある人物であるという。

 砲兵として数学的素養に優れたスケルツォ大佐は途中軍歴を停止していた折も糊口をしのぐために数学的な知識を活かした測量に携わり、中小の橋脚等の実用的な建築の設計を手がけ、請われるように予備役召集に応じ聯隊を任され、今こうして学校長の任にある極めて異例の軍歴を経た人物である。

 彼はリザのことはよく覚えており、面倒の少ない火薬のような学生で良い上官と配置に巡り会えるといいと願っていたそうだ。

 校長はあまりマジンとセントーラには興味を示さなかったが、二人の娘については遠慮のない視線を向けた。

 簡単な挨拶の後、校長は教務長と助教長を連れて学内の見学を案内した。

 約一万の学生と五千の職員を抱える軍学校の施設は軍の持つ労働集約的な方針によって生活環境は保たれているものの、例えばデカートあたりと比べて生活環境良好であるかは疑わしい雰囲気であった。それでも訓練を受けている学生の体格や健康状態或いは服装や衛生状態といったものに不自然さはなく、学志館の学者連中のほうがよほど危なさを感じさせるものだったので、今のところは投資努力が必要を上回っていると言えそうだった。

 見学の一行は学生たちの興味を引き付けるものであったようで、遠巻きな視線をセントーラと娘達に向けているようだったが、予定通りでもあったしそれに対する教官たちの態度がしれて好都合だった。学内を巡った限り、不自然な負傷者はいないようで、体罰で尻や頬を叩かれている学生はいたが、鞭を持った教官は姿を見なかった。それどころか腰に拳銃を挿した教官もいないことが驚きだった。

 校長に問いただすと、警備巡検と野外演習以外では教官の武装は一切禁止しているという。学生の武装も禁止して火薬の管理も厳重にしているが、それでも様々な方法で入手したり保管したりして決闘に使われている事実は遺憾に感じている、と校長は言った。万に至る学生の私物の管理は困難ごとであるということだった。

「なにやら百回を超える決闘をした女生徒もいたとか」

 マジンが尋ねると校長はリザを睨むようにして頷いた。

「遺憾ながら」

「そういう人物が一方的に武力暴力を振るうということはないのですか」

「ないとは言い切れません。ただ、結果は残るので、それをどう処分するかははっきり言えば校長である私の裁量です。無論、信用せよ、とは申し上げにくいところですが、ご判断いただければと思います。劣悪な人物については過去に教官生徒ともに処分を科したこともあります」

「そういう暴力の中で断尾断耳の強要という行為はあるのでしょうか」

 マジンの質問に校長は怪訝な表情を一瞬浮かべたが、すぐに平静な顔に戻った。

「共和国全体で言えば亜人の人権について特段の宣言をしていません。結果として保護をおこなわないことを良しとする或いは排斥に対して傍観・推進をするという立場があるのは存じていますが、共和国軍としては軍人・軍属の保護を軍機能の信頼の一環として保証すべく心を砕いています。それは亜人種の軍人・軍属においても例外ではありません。

 各地方軍においては全く根拠怪しげな様々な理由・経緯から亜人に対する暴力や排斥がおこなわれている例があることは知っていますが、共和国軍ことに軍都周辺においては軍組織の信頼崩壊に繋がる暴力は認められませんし、また積極的に糾弾されています。

 当然に学内においても暴力はもちろん生地人種外見を根拠にした暴言・侮辱或いは脅迫を認めれば退校処分を念頭に置いた処分がくだされます。これは高尚な理念や形而上学的問題によるものではなく、全く純粋に共和国軍の運営と存続とに関わる組織の実利問題として扱われています。

 興味があれば軍大学の講義を案内して差し上げてもよろしいかと思いますが、いずれにせよ、亜人の人権一般の問題とは切り離して、軍の組織構造の問題として軍人軍属の立場の保護は種族前歴にかかわらずおこなっております。これは亜人に関わるのみならず、移民や犯罪者についても同様です。

 軍組織外或いは地域によって断尾断耳矯角という行為がおこなわれていることは知っていますが、共和国軍及び当校においてはおこなっておりません。また入営年齢を鑑み、四肢切断同様の衛生健康に懸念のある行為と考えております」

「多人種にまたがることでの食事や禁忌についてはどうお考えですか」

「はっきり言えば、食事や禁忌の問題は軍組織内においても問題になることは避けられませんし、少なくありません。当校においても最大限の努力は払っておりますが、過去に問題発生した例も多くあります。とくに食事の問題は健康問題に直結するので、理由も不明に死亡する生徒が出てしまったこともあります。当校の入学に際して一ヶ月の留保期間が設けられているのも、どちらかと言えば学校側が生徒の受け入れに対応可能かを確認するためであるといえます。留保期間そのものは正規科目単位とは独立したものですが、初等教育基礎や上級生有志による学内案内といった受講内容と学校生活の準備期間として設けています」

「留保期間はいつからですか」

「先週三日前から。入学試験は原則として設けておりませんが、一年次終了時点の過去問題を留保期間中の演習として解いてもらって基礎学力の確認をしています。文盲も軽度であれば対応可能ですが、人員設備も無制限ではありませんし、重度ですと差し障りがありますので最低限学習意欲を示して貰う必要を感じています。毎年三千人ほどが学校の門を叩いてくれるのですが、二千人ほどは文盲で希望者には志願兵として募兵課を案内しています。入校に至らない概ね二千人足らずについても留保期間においては同様に扱います」

「その期間においても暴力や不当な圧迫はおこなわれないということですか」

「当然です。才能能力境遇において格差があり、様々な問題事件は起こりますが、そういった問題行動の確認も留保期間の目的です。入営時に書面及び口頭にて説明申し渡しをしています。また留保期間においても退校者には私が直接面接をおこなっております。過去に問題がなかったわけではありませんが、私が把握できる範囲においては許しておりません。無論それで完璧と誇れるかは我が身の不明ですが、生徒及び教官の関係した幾件かの問題を発見処分できた実績もあります」

 そこまで言われれば根拠なく懸念を語ることは出来なかった。

「――家族を心配される気持は良く分かります。またそれを十全に止める手段がないことも我々は理解しています。ただここで示せることとしてご理解いただきたいことは、共和国軍は各地方政府と地方民の負担を小さくしつつ、強大な敵と対する上で兵士・士官・協力軍属等の人員を効果的効率的に運用する必要を感じ対処の努力を方針として定めているという事実です。結果として軍組織の士気と信頼を毀損する問題を重大に捉えるようになりました。兵粮・装備・軍票などの経済資源問題と同様に人材資源として亜人問題を一例とする軍人軍属の人権についても問題の把握に務めています。従いまして、軍組織の規範となる軍学校或いは各地の共和国軍隷下の兵学校についても全く同様に問題の管理対処にあたっています。ご理解いただければ幸いです」

「全く興味に基づいて参考までに伺いたいのですが、例えば共和国内の亜人排斥の傾向の強い土地には亜人軍人軍属を送り込まないということですか」

「軍令としてそこまで明確な判断を下した例はないはずですが、派遣部隊を調整するということは、司令官或いは幕僚の作戦判断の一環としてあるはずです。それは全く逆にタダビトに不信感を抱く部族との接触に宥和的な人種の人員を起用するのと同じことです。共和国軍は国内外に対する自身の脆弱を意識するが故に無駄な争いを求めていません」

 そうスケルツォ校長は断言した。

「校長先生は面白いことを言っていた。共和国軍は弱いから軍人軍属を守ろうとしているって。そしたら戦争に勝ったら敵がなくなったら軍人軍属を守るのを止めるのかしら」

 アウルムがアルジェンに尋ねた。

「国軍の敵は国がある限りなくならないからそれはない。無限の期間を前提にした国家にとって自国以外は潜在的には全て敵だし味方、それは自国民でさえ内部組織でさえ潜在的には例外ではない。だから軍が軍人軍属を守るのを止めることは共和国軍が負けた時に起こるということを心配すべき。共和国に負けるかもしれない」

 アルジェンはあっさりと断言した。

「実に利発なお嬢さんだ。……アルジェンくん。具体的に共和国が共和国軍を敵と見做す可能性は何かね」

 校長はふたりの会話を聞き止めてアルジェンに質問をした。

「共和国の邪魔に感じたら。予算とか成果とか接点がいっぱいありすぎて、具体的って言ってもたくさんある。あります。それに、共和国も軍も大きすぎて、お互いにどこでなにが邪魔になるのかわかりません」

 校長はアルジェンの答に微笑んだ。

「君が一番最初に思いついたことはなにかね」

 校長は改めてアルジェンに問いかけた。

「帝国軍との戦争に決着がついたとき」

 アルジェンは簡潔に応えた。

「ん?あたしと一緒?」

「ちょっと違う。戦争に勝ったら軍と共和国の間で争いが起こる。もちろん兵隊で殺しあうわけじゃない。負けても似たことが起こる。どういう風に起こるか進むのかはよくわかんないけど、ともかく軍と共和国は一旦敵になる。ずっとじゃないけど。負けると帝国と帝国軍も相手にしないといけないから多分長引く」

 アウルムの言葉にアルジェンは説明した。

「勝つのと負けるのとどっちが良いと思うね」

「校長先生の言ったことが全部その通りなら多分勝ったほうがいいと思います。でも、困る人もいる。だから戦争に勝っても負けても共和国と共和国軍は争いになります。軍が負けると軍人軍属を守ることができなくなる」

「共和国は嫌いかね」

 校長は笑うように尋ねた。アルジェンは困ったように考えた。

「よくわかりません。けど、耳とか尻尾切られるのはヤです。そういう土地には住みたくありません」

「ふむ。尤もだ。――ベイレス曹長。聞いてのとおりだ。優秀な高級士官となる資質の片鱗を見せている両名だ。共和国軍の敵となる事のないように指導管理せよ。耳や尻尾を切られるようなことがあれば、彼女たちは極めて危険な叛徒となることだろう。心して厳重な指導に当たれ」

「はっ。了解いたしました。両名の耳や尻尾が切られる事のないように心得ます」

 助教長と紹介されたベイレス曹長は厳しく鯱張って敬礼した。

「それで、いつから入営できますか」

「二日ほど博物館を見学したいと思っていました。その後に明々後日に」

「まぁ留保期間中は外出の制限はとくにありませんが、博物館見学ということであれば市内のほうが楽でしょうな。あそこは見るべきものは多い。制服の手配はお済みですか」

 マジンがセントーラに目をやると彼女は頷いた。

「昨日済ませました。手直しで足りるということなので明日にも」

 セントーラがそう言ったのに校長は頷いた。

「留保期間中はとくに制服の着用義務はありませんが、慣れておくに越したこともないでしょう」

 校長はそんなふうに言って頷いた。

 騎兵の演習代わりに軍都までの案内をしてくれるという学生を断ったのは当然に速度からであったが、生徒が作った橋がかかっている間の道そのものは全く不便なく学校からでられるからでもあった。ただ、ひとつき後の留保期間が終わると演習が始まり、橋の接続が変わり迷路のようになるという。

「ま、お父上についての心証は最悪だと思うけど、あれだけ色々あればいきなり尻尾を切られることはないと思うわ。毎日五リーグも十リーグも走らされることになるかもしれないけどね」

 リザは帰りの車の中でそう言った。



 翌日からは博物館めぐりだったが、そちらにはセントーラは同行しなかった。

 エリスは意外とおとなしくマジンに抱えられていたが、それでもオムツやらお乳やらで突然爆発することもあり、ソラとユエもこんな感じだったと思いだした。

「意外と驚かないのね」

「なにが」

「エリスの世話に辟易としているかと思った」

「ま。ボクも子持ちだからな。おっぱいはやれないがオムツくらいは替えられる。……何だ、その顔」

「驚いているのよ。本当にあの子たち育ててたらしいから」

「あいつらの時は女房いたし、ソラとユエの時はあいつらも手伝ってくれた。一人じゃなかったし、ま、言っちゃ悪いが女房と会うまではアイツラ死んでもしょうがないと思っていたよ。なにもわかんなかったからね」

「そりゃ、言っちゃ悪いわね。よく育ったわね。偉いわ。あの子たち」

「だから結婚しようって言っているんだ」

「でも私には養育院があるわ」

「なんか、制限があるんだろ」

「……。まぁねぇ」

「言ってみ」

「調べればいいでしょ。って、程の事じゃないから教えてあげちゃうと、三人目からは親権者の結婚と夫婦同居が前提になる。まぁ別に子供の親とじゃなくてもいいんだけど、ともかく異性との結婚と同居を要求されて、面倒くさいことに抜き打ちの家庭訪問もある」

「同性同士の同居じゃダメってことか」

「そういう人たちが養子をもらって育てるのもあるけど、養育院はそういうなんて云うか、趣味的な育児には協力しないの。共和国軍は少数民族保護支援の観点で近親婚はまるで気にしないけど、同性愛には冷淡なのよ。軍には同性愛者は少なくないけど、同性愛の人たちって基本有能で裕福だし支援自体を必要としないことも多いわ」

「それで変な夢見たんじゃないのか。二人目もまだだってのに気が早いな」

「言いたいことはわかるけど、そういうんじゃないと思う」

 博物館には様々な展示物があったが、圧巻だったのは、象やクジラの骨格標本に混じって、竜や巨人の骨格が展示されていたことだった。

 とくに竜は数百数千の種類を誇った後に極めて細り、事実上の絶滅をしたが金属の骨格を持つものが登場するや再び隆盛を極め、同じく金属の骨格を持つ亜人種である巨人と共に人類と覇権を争ったという。膝をついた姿でおよそ二十五キュビットの人型の巨人の骨格と高さで二十キュビットとやや小柄ながら骨格の量と複雑さでは倍ほども感じさせる竜のうずくまった姿は専用の展示施設を必要としていた。

 伝説上では彼らは極めて高い知能を持つ生命体で、友好的な関係を築くことは難しいものの交渉そのものは物語として実績が多く語られている。

 無敵の力と無限の命を思われた彼らも、互いを敵とするうちにいつしか倒れ数を減らし、共和国領域には彼らの遺骸残骸の幾らかが残るのみであるらしい。

 彼らは筋肉と血管を兼ねたような動力繊維と高温の溶融した塩状の血液を共通として、似たところもあったが、異なるところも多く、ヒトの理解を拒むような構造をしている。とくに血液は高温であるのみならず毒性が高く、零れた血が冷え固まったものがあるだけで農地は枯れ果ててしまうという。また、死ぬときに血液が極めて高い温度で燃え上がり、しばしば骨格まで溶かす温度になったらしい。

 遺骨の発見につながった軍都の遥か北、天墜盆地の一角にあるペラム湖と呼ばれるカルデラは巨竜と巨人の伝説を裏付ける鉱毒に満ちた不毛の地で、錬金術士や山師の集う地であるという。

 そんないきものの骨格が体に良いわけもなく、説明文を見たときに危険を感じたが、見ただけで死ぬようなものでもなく、そうでなければ骨をつなぎあわせ、往時の遺骸の姿に戻すことは出来なかったろう、というリザの説明はそれなりに納得できたが、撫で触るほどには親しく出来そうもなかった。

 彼らは亀のように部分的な甲羅甲殻を頭蓋の他にあちこちに持っていたようだったが、全体的には既存の生物に似た骨格構造をしていて、突然何処かから現れた異界の生物というよりは、よくわからない生物進化の果ての産物でその特徴的すぎる進化の結果として生物として最も基本的な生命維持の根幹環境を破壊してしまったのだろう、と推測されていた。

 ひどく明確な骨格を残骸として残した彼らはいわゆる魔族とはマジンには思えなかった。各部で色合いの違う鈍色の艶をこぼす骨格は作り物めいた感触もあるが、骨折のようなその場で繋いだような傷跡もあり、機械部品のような交換を前提にした構造でないことは感じられたし、そうするには全体の骨格構造が大きすぎ、造りは繊細だった。

 ともかくこれほど明確に威容を残した遺骸があれば存在は疑うわけにはゆかず、もしこれを何処かの誰かが個人の想像力のままに作ったのだとすれば、意図はともかく確かに偉大な芸術作品と言わざるを得ず、その制作意欲や技術もさることながら、全体のディテールとバランスを見事にこだわりぬいた傑作であると、ただひたすらに絶賛する以外になかった。

 共和国は今の政体になってから千五百年ほど或いは成立までの数百年を含め二千年ほどの歴史を持つが、前史として各地の歴史は数千年或いは不確かながら十数万年ほども遡れることは確実でそのことは三百年ほど前に各地が自らの成立の正当性を過去の遺構に求めた時期があり、相応に根拠や証拠がある。そういった中で亜人種との衝突や融和が繰り返し行なわれ、自ら以外の人類の政体を認めない極めて攻撃的な帝国に対する抵抗の根拠を強めてきた歴史が示されていた。

 最初の三百年は帝国の流刑者或いは逃亡者であるゲオルグ・ワシニホフ或いはニヤス・ヨシハズ、フセギ・カマタリと云った帝国の政変で政治犯となった指導者の入植で始まった。

 政治的に先鋭的自由主義傾向のある彼らは地域主義的な土地で様々な軋轢を起こしつつ、しかし同時に結果として横断的な交易の主体として現在の共和国の領域を西へ東へと点々としつつ利益と立場を成立させていった。

 共和国領域は人口は少なく資源は様々に偏りがあったものの貧しいと云うには程遠く、流刑者の多くは敢えて軋轢に怯えて居地を構えるよりは交易をおこなうことを選んだ。無論一生を旅の空で終えることは彼らの望むところではなく、それぞれがそれぞれに落ち着くことを求めてのことであったが、様々な経緯で帝国領域を出ることになった彼らは互いに協力的であることも難しく、少ない例外を除けばまったく個人的家族的な自由主義を共和国に振りまくことになった。

 共和国議会が成立してから千四百年という時間を経ても、本質的に元帝国臣民の移民一般について云えることで、有能裕福な面倒くさい移民、というものが、帝国のおのぼりさん連中や都落ちのお公家さん、への一般的な認識である。

 とはいえ、帝国の文明程度が極端に進んでいる或いは劣っているという認識はなく、金属精錬や冶金技法、或いは火薬の利用、水理灌漑農地管理や薬学医療等はせいぜいが値段と流行の違いといえる程度の範疇で収まっていた。

 強いてあげれば帝国は亜人種を奴隷として運用することで集約的な労働力としていたが、その維持運用を考えれば長期的な採算で優れているかはかなり怪しい。

 具体的な実態として帝国の都市市街は設備程度は優れていたが、衛生面では必ずしも優れておらず、しばしば疫病を蔓延させていた。

 一方で集約的な労働力の結果として、陶芸・冶金や宝飾・高級服飾といった工芸品の帝国製品の品質や価格面での優越は明確で、このことは第三国市場における帝国の優越として印象付けられている。

 こういった商材の品質格差は基礎技術の格差というよりは政治的な力量として明白に認識されており、共和国内でも奴隷制度について見解が分かれ、実際に扱いが異なる点でもある。

 近年、帝国軍の火力がとくに騎兵火力が共和国を圧倒しているのは、後装銃の前線普及率によるもので、実態として概ね倍の野戦戦力の格差として認識されている。共和国軍が価格的な不利や様々な問題を認識しながら前線に後装銃を配備し始めたことは故なしというわけではない。帝国の後装銃の配備率は概ね八割で、更にその半数ほどは新型の施条にひねりを加えた新型銃身、旋条銃身になっている。

 旋条銃は命中率という点で前装銃の概ね五分の一の命中円、共和国で配備が遅れ問題になっている新型後装銃の二分の一の命中円であることが博物館の展示で示されていた。

 現在のところ、共和国では薬莢製造の職人の手数が間に合わず、また、旋条銃身の旋盤加工も職人と工具と動力のそれぞれの面から量産には至っていない。

 帝国の生産状況を漏れ聞くところによればデカートの天蓋材を使った旋盤刃物が第三国経由で輸出された、という噂と呼ぶには生々しい話が上っている。

 全く冷静かつ冷酷にこの事実を展示できる博物館の運営姿勢は驚くべきものであった。

 さらに、この事実は野戦戦力としての共和国軍が帝国軍の概ね四分の一程度の交戦距離であること、騎兵に至っては事実上打撃戦力と扱うことが危険でさえあることを示していた。

 それで尚、なぜ帝国軍と共和国軍が拮抗しうるのか、といえば共和国軍が中隊規模での連絡参謀の配置を徹底し、友軍の状況動向を的確に把握し、運動戦と効果的な伏撃配置によって損耗と戦力配置を管理し続け、敵戦力の誘引と誘導をおこなうことで作戦的な自由度を帝国軍に与えないまま、戦機を選択できるということを示していた。

 このことはさらに砲兵の連絡参謀との連携という例外的な共和国の戦術的有利を支えている。一等連絡参謀同士の遠距離連絡の精度は現時点で最高の砲誘導技術で、幾何的機構的な砲運用の蓄積を裏付けるという相乗効果を示していた。結果として一等連絡参謀の支援を受けた砲標定は工作技術の未熟な砲の射表を即時に更新することができ、天候や地形といった微細ながら重大な影響を排除することができた。

 共和国軍の魔導士の大量育成と運用は全く非公式なものではあったが、政軍不干渉という共和国の成立に至る建前論が、亜人種の軍編入と同様に偏見や敵意に晒されがちな魔導士魔法使いの文化・血脈の保護を成立させ、結果として帝国軍に対する作戦上の優位として共和国軍を支えていた。

 魔導士・魔術師の養成は共和国軍の努力にもかかわらず、華やかなかつての期待とは程遠い十全とは言い難いものであったが、それでも用途を限った連絡参謀としての機能は装備の充足の差による戦術上の不利を作戦上の運用で補って余りあるもので、よほどに慎重な帝国軍士官であっても共和国軍は、魚を漁るが如く、追い詰めていた。

 その魚が網を切る力として帝国軍の新型小銃が登場していた。 

 一般状況として戦略的な労働力の集約と物資の蓄積で戦術局面を有利に展開する帝国軍を、魔導連絡による作戦運用上の合理化で支える共和国軍が、帝国軍の優位を支える時間を奪うまで耐久するという形が一つの形になっている。互いの有利不利を消す形でリザール湿地帯の陣地攻防が繰り返されていた。というのが昨年夏までの状況である。

 人為的な土石流による戦略的奇襲。というものが昨年夏の帝国軍の攻勢の初手であったが、そこまでは展示物にはなかった。

 だが、リザール湿地帯周辺の地形図を目の前にリザは防衛戦の第二幕の撤退劇を膠着状態での閉幕を演出することに成功した主役の立場から説明してみせた。

「なぜ私が、あなたを、アナタの娘をここに連れて来たかったかは、わかるでしょ。共和国は、少なくとも、共和国の博物館は、あなたが共和国が帝国に抗うために必要な物を持っていると示している。その成果の一つは軍が話題にしている小銃と機関車だけど、そんなのは正直オモチャも同然」

「蒸気圧機関、というよりも、機械加工技術か」

「そう。アレがあれば、奴隷は不要になるわ。別にそのことで誰かを救おうって話じゃないわよ。要らなくなるの。農作業に使えるような機械も作れるんでしょう」

「冷酷で不吉だな」

「そうね。帝国にあの技術が渡ればたくさんの奴隷が価値を奪われ、命を奪われるわ」

「見てきたように云うんだな」

「見るまでもないわ。彼らは捕虜を取らない。亜人種は殺す」

「例外はないのか」

「どんなものにも気まぐれや例外はあるわよ。多分。でも私は知らないわ。……ああ、ウソ、知っているわ。彼らの奴隷は尻尾や耳・翅・角そういう種族的な特徴を切られるの。爪の形が違うってだけで剥がれるらしいわ」

「誰から聞いたんだ。妙に生々しく詳しいな」

「戦地で帝国の偉い人から聞いたわ。尋問していた士官が角を生やしていたのがよほど気に入らなかったみたいね。異様にテンション上がったわよ」

 歯を剥くようにして笑ったリザの表情を見て彼女がどこでなにをやったかはわからなくとも、どういう状況だったかは想像がついた。

 リザは必要をためらわない種類の有能な人物であることは、出会った瞬間からマジンは理解していた。

「……つまりなにが言いたい。ボクが機械や工具を売ることがマズいってのか」

「そうじゃないわ。バカね。共和国軍を助けて欲しいって言っているの。共和国軍は脆弱よ。色々な理由でそうあることを望まれて、そうであることを佳しとしているけど、今このままだとあの子たちが言ったように共和国自体が共和国軍の敵になるわ。十万だかもっとの戦力をアタンズとペイテルは支えきれない。穴が開けば軍都までの道のりは広すぎる。小技を利かせて地の利を生かすのが共和国軍の戦い方だけど、時間がかかる。軍都まで来られたら共和国の幾つかの地域は離反するわ。本当はアタンズだってかなり危なかった。共和国が崩壊を始めたら共和国軍はどういう意味でも戦力を構築できない。最低限、ギゼンヌ・ペイテル・アタンズが突破される前に敵の十万の戦力に打撃力で負けない戦力が準備できる必要になる。ギゼンヌ・ペイテル・アタンズが突破されず陣地地形があれば、それは十万でいいけど、軍都までの広さを考えれば、最低二十万。捜索を考えれば二十五万。欲を言えば四十万必要になる」

「それは無理だろ」

「地方軍が協力してくれれば可能ね。一応数字の上では。戦力として宛になるかは、まぁ、出たとこ勝負」

「協力してくれる可能性はあるのか」

「勝てる目算があれば。それもわかりやすく」

「新型小銃と後装銃弾の梃入れじゃダメなのか」

「ダメね。女子会でそのことははっきりと分かった。そもそも現役師団の中堅士官が帝国の戦力に疑問を持っていない段階で話にならない。帝国軍は強い。それは事実よ。でもその理由を見なければ、単純に押し合いになれば倍居ても怪しい。ワージン将軍の積極策は正しいと思うけど、一撃で敵の兵站を破壊できなければ、単に新たな戦線の網にかかってすり潰されるだけ。あなたの小銃が千あって千万の銃弾があっても倍の戦力が逃げまわるつもりなら殲滅できない。そして兵站を守る軍勢は戦うのが目的じゃないから逃げる。攻囲中の軍勢は陣地を動かないから攻撃はできるけど、五倍の戦力に包囲されたら千丁じゃ足りない。だからワージン将軍が勝てるのは帝国軍がワージン将軍の戦力を見誤った一回だけ。そこで大勝できるかどうかよ。そして帝国が本気らしいことが伝わっていることを考えれば、冬に五万来るようならこの夏に五万きてもおかしくはない。冬に無理やり普段の倍の兵を送って兵站が維持できるようなら、夏に同じことやるくらいわけないわ。夏の戦力がどんなものかわからないけど、数だけ揃ってれば押し込んだところを抑えておくくらいはできちゃうでしょ。共和国が十万の戦力を待っても勝てないのよ」

「たとえば、田畑焼き払って現地調達できないようにするってのはないのか」

「共和国が崩壊する可能性を考慮しないならありね。帝国は見事だったそうよ。リザール城塞後方に回られたと察知するや、近隣の家・小屋・屋敷一切合切全て焼いたって。山肌のいくらかが山火事になったそうだけど、山林水源ごと焼き払って炙りだしたらしいわ。おかげで腕っこきの猟兵達が連絡参謀抱えて帰ってくるのが精一杯。その後は連絡線の破壊どころか手をかけたふりをするのもやっとよ。共和国でそんなことやったら議事堂に銃を持ち込む議員が出るわ」

「で、大尉閣下のご希望は小銃と銃弾じゃ間に合わないとするならなんだ。少しはっきり言え。ボクは戦争にあまり向いていないらしいとお前の話を聞いていると思えてきたよ」

 リザはマジンの言葉を聞くとクスリと笑った。

「アナタは多分、戦争に向きすぎてるんだと思うわ。というか、最初から負ける気がしないんでしょ」

「勝ち負けなんか考えたこともないよ。あんまり駆け引きとか争いごとは得意じゃないんだ」

「羨ましい。そういう人が軍を指導してくれれば楽だと思うけど、それは別の話ね」

「言えよ。どうせ、それなりになんとかなるようなことなんだろ」

「銃弾と小銃のことはそれでもヤラないとダメ。あれがないとパンがないのと同じだわ」

「で、おかずは何だ」

「デカートの武装検事団。アレを師団並みの戦力にして」

 マジンが目をパチクリとさせた。

「千人とかだよな。アレを師団並みって例えば二万かそこらの兵隊と同じくらい戦えるようにしろってことか」

「できるでしょ。というより、出来ないと勝てない。今からどれだけ頑張っても歩兵火力を帝国軍並みに引き上げるのはムリ。あなたの小銃で散兵と騎兵の火力を上げても、突出した少数じゃ正面から突き崩せないわ。機関車が前線にそれこそ千でも百でもあれば別だけど、騎兵の速度じゃ五万の軍勢の中枢を破壊する前にすり潰される」

「つまりなんだ。武装検事団に機関車を例えば千両と小銃を与えて、共和国軍の増援にしろ。ということか」

「それじゃ足りない。例えば機関車を五百両と機関銃を五百丁。それと彼らの使っている軽野砲。まぁそこに新型小銃千丁がオマケで付くなら彼らも心強いだろうけど、あくまでもそれはオマケよ」

「機関銃だけじゃダメで野砲が必要ってのはなんでだ」

 リザは明らかに無理を承知でふっかけている。マジンはそう信じたかったが、リザは彼女なりに帝国軍の戦力の見積もりを予想した上で、相応の理想の戦力を求めてもいた。

「バカね。ペイテル・アタンズは包囲中なのよ。帝国軍は陣地を作ってるでしょ。陥落してたら、こっちがそれぞれの街を落さないとならない。そんなところにちまちま穴開けてたんじゃ、時間かかってしょうがないわ。少数の劣勢の軍勢にとって時間は敵なの。これまで共和国軍にとっては時間は味方だったけど、湿地帯の陣地を抜かれて戦力を上乗せした帝国軍相手には話が違う。時間は共和国軍の敵になった」

「ふむ。それで少数の戦力の梃入れに速度と火力を重視した機関車と機関銃か。一応使い方を聞いてみたいんだが」

 バカめ、ムリだ。と云ってしまえばそこで潰える話だが、マジンは敢えてリザの存念を聞いてみた。

「何それ、試してるの?それとも本当にわからなくて聞いてるの?ひょっとしてバカ?」

「顧客の希望をできるだけ明確に確認するのは商売の基本だよ」

 リザはマジンの表情を改めるように眺め、鼻息でため息を一つ大きくついた。

「一リーグ先に敵がいるって話を聞いて動き始めて、半キュビット先まで行ってそれっぽいものを見かけるでしょ。で、一気に千五百キュビットまで詰めたら、機関銃で射撃を開始。敵の銃火は基本五百キュビットまで無視できるから相手の砲の展開が行われるまでは一方的に銃撃。弾丸そのものは千キュビット飛んで来るからのんびりするのは危ないけど、撃たれてて狙いを外さないような相手はこっちが何やっても最初からなにやっても当ててくる。方陣組んでるようならまるっと頂いちゃえばいいわ。四人二両で一個小隊なら二百五十小隊。六十から八十個中隊なら師団級戦力よ」

「前線じゃ機関車の整備なんかできないだろ。どうするんだ」

「出来るようにして」

「ムリだ。それに町中と違って戦場を銃弾くぐって走り回って無事とも思えん。帝国軍はバカじゃないっていうのがオマエの論だろう」

 流石にマジンは首を振る。

「帝国軍はあんまり散兵を信用していないみたいだけど、きっと機関銃が当たり前になったら対応してくるでしょうね。でもとりあえず、単独で行動してなければ基本的には問題にしないでいいと思う。ただ、射手はあの機関車だと後ろで立つことになると思うから弾除けが欲しいかも」

「五百キュビットより内側に寄らないってなら十シリカでいいかな」

「転んでも起こせるくらいの重さにしておいて」

「機関銃をてっぺんに乗せたらそれだけで半ストンだ。鋼板と機関銃だけで三ストンだぞ。弾丸は無しで」

「お得意の炭素材とかは」

「割れる。けどまぁ中に挟み込めばアリだな。三ストンが二ストン半になるかも知らん。だけどな。問題は」

「問題はいつまでにデカートに引き渡すかと、どう云って引き渡すかでしょ。戦争税の物納とかダメかしら」

「あのな。一体ボクにどれだけ税金を納めろっていうんだ」

「じゃぁ、物納で例えば二十両収めて使ってもらっちゃえば、嫌も応もなく使うでしょ」

「それじゃぁ秋だか冬だか来年の春だかに間に合わなくなるんじゃないか」

「それは、なんとかして頑張って間に合わせて。冗談じゃなく五百両を目指して作ってくれるなら、砲騎兵師団に相当するわよ。デカートには魔導士がいるって話は聞かないからあんまり散らばると効果的に動けないかもだけど、単純に戦闘力って意味なら数万の兵に匹敵する戦力になる。ちゃんと統制できるって計算が立つなら十万だって相手ができる」

「で、なんでデカートなんだ」

「あなたのおうちが近いでしょ。……と言うのは理由の半分で、女子会でも話題になってたけど、デカートの代表があちこち煽ってそのくせのらりくらりしているのに苛立っている人達は軍の内外に多いのよ。はっきり言えばデカートなんて田舎だし亜人も居ないから、戦争がどうこうって言っても共和国を守る気のある連中に乗る以上の意味は無いんだけど、それを正直に曝されると立つ瀬のない人達も多いのよね。亜人の奴隷に頼っているところとか、亜人と宥和的なところとかは。

 一方でいろんな成行きで軍とデカートの折り合いの悪さは色々な形や理由で有名だから、デカートが敢えて軍に対して積極的な協力支援を約束するという展開は軍が期待している一つの勝利の条件なの。ってか、まぁつまり共和国軍の実績をデカートが認めたという事になるわけよ。

 ただのらりくらりとしている代表の姿とは別にデカートの軍に対する要求と立場は明確かつ厳しくて、勝算を示せ、とこうよ。

 はっきり言えば、共和国軍五十万、っていう数字が正面戦力であるなら勝算はあるわ。でも、実際には違う。正面戦力は額面で三十万だけど、各地方との協定で過半は自由に動けないわ。残りの二十万は後備と云うにも足りない官僚よ。それだって動員されれば士官として働けるけど、ともかく議会の承認が必要になる。堂々巡り。積極的に戦おうってのが亜人の部族ばかりじゃ戦力が足りないし共和国が分裂しちゃうのよ。軍もわかっているからあまり積極的な発言は投げられない」

「だから、デカートか。デカートに戦力や責任があることを自覚するようにそそのかしてほしいわけだな」

「前にも言ったけど、デカートの武装検事団は民兵としては異様に精鋭よ。後備戦力と云うにはもったいないくらい。規模が小さすぎて並べて使うには難しいけど、そういう彼らに機関車と機関銃を与えたら、すさまじい戦力になるわ」

「忙しいな。忙しすぎるな。ムリだ」

「来年の春までには忙しかろうとやってもらわないとならないわ」

「こうなると優先順位をはっきりした方がいいな。オマエがボクのことを評価してくれているのは嬉しいが、機関車五百両にしても来年の春までには間に合わない可能性が大きい。諦めて月に二十両と考えてもそれでさえかなり怪しい。機関小銃の件もあるし、後装小銃の銃弾の件もある」

 マジンの言葉にリザは後ろ手に腰に手を回し、肩を引き下ろすようにして首を伸ばした。

「デカートが先頭ね。ともかく武装検事団なり義勇兵なりに十分な武器を提供して共和国軍の後備戦力として活躍してもらわないとならない。最低限デカートが戦争協力を積極的におこなうという姿勢が必要。多分一番いいのはアナタが武器を軍に売ることで利益を得る。その利益が税金なり投資なりとしてデカートを豊かにするというという利益と責任の循環。そう考えると、必ずしも機関車も機関銃もいらないけど、今から何万もの義勇兵をデカートが揃えるよりは現実味がある。デカートがその気になればまたデカート軍十万ってやるかもだけど。ともかく帝国がペイテル・アタンズを抜くまでにやる気になってくれないと困る。

 次に後装銃の銃弾のテコ入れ。あなたの小銃を一気に流し込んで全部変えちゃいたいけど、予算や計画の時間を考えれば、先に既存の銃弾が先。これは各師団が動き出すまでに手はずが整えばいい。

 でもやっぱりアナタの小銃もばかにならない。というか、兵隊が持って運ぶ武器として威力と手頃さを考えれば、完成されている。売り込みの機会は逃せないし、出来れば前線で使わせたい。というか、アレを看板にしないとあちこちを黙らせるのが難しい。けど、ま、看板になれば慌ててもしょうがないくらいに他にやることがいっぱいある。日に何百とか千とかそれくらいあれば今はいい。銃弾備蓄と輸送は兵站上の問題を大きくするけど、実質的に輜重を三倍にしても構わないくらいの威力があるわ。三分の一の兵力でも五倍くらいの歩兵戦闘力になる」

「それは単純に弾丸の消費量を言っているだけじゃないのか」

「歩兵指揮官にとっては弾丸の消費量は打撃力とほとんど等価よ」

「戦闘力は人員数じゃないのか」

「銃の普及が徹底して槍が廃止されたあとは、人員数は部隊の強靭さを示す耐久要素ではあるけど、単純な戦闘力という意味では兵個人の命中精度と装填速度の高さが部隊の打撃力とほとんど等しくなる。命中精度の問題は部隊長の指示の徹底と交戦距離で補填可能だけど、結局、短時間に高密度の弾幕を形成できること、たくさん銃弾が発射できることが戦闘力になる。だから、初期の竜騎兵は十丁とか小銃を携行していたこともある」

「百万丁と二億発はあの小銃じゃないとダメか」

「機関銃とその弾も勘定してあげてもいいわよ」

 リザは鼻で笑うように言った。

「そりゃありがたいが、軽野砲とかその砲弾はどうさ」

「あんまり興味なさそうだったのに、そんなものを準備できるの」

 ついさっき自分で要求したことも忘れたようにリザはマジンの言葉を疑った。

「機関銃だけでいいと思ってたけど、役に立たないっていうならしょうがないさ。バラ撒くほどは作れないけど、城門や石の壁が崩れるようならいいんだろう。いうほどには難しくないさ」

「簡単に言うのね」

 リザの疑うような言葉にマジンは肩をすくめる。

「何百リーグも運ぶことを考えれば、作るの自体は簡単さ。大砲なんて大きな銃だよ」

「運べないようなものじゃ困るわよ」

「城門を破るくらいはわけがないし、城壁だって一発でダメなら五発でも十発でも打てばいいんだろう。簡単だよ。当てる側は慣れてもらわないとならないけど、ちゃんと作ればちゃんと飛ぶ。捕虜を殺さないようにとか、どこかを潰さないようにとか言い出すと少し面倒だけど、城壁を綺麗に作っても無駄なのはここしばらくでわかっているだろう」

「そんなのが運べるような大きさでできるの?」

「砲弾の中に火薬を詰めればいいんだよ。起爆信管とか火薬の詰め方とか弾の格好とかいろいろ考える必要があるのはそうだけど、ウチの屋敷を吹き飛ばせるような物を作ればいいんなら、そんなに難しくないさ。ちょっとした発条仕掛けを仕込める大きさなら、撃ったあとに落ちてから爆発させられる。調整に慣れてくれば頭の上や胸の高さで爆発させることもできる。そういうものを百でも千でも降らせればいい。屋根のない塹壕なんてやり方が分かれば、あっという間だ」

 簡単そうに云うマジンにリザはむしろ嫌な顔をする。

「あなた、悪魔みたいね」

「別に、思いつきを言ったまでだよ。作らないでもいいし、間に合うようには作れないかもしれない」

 責めるようなリザの言葉にマジンは肩をすくめる。

「いえ。作って。デカートの議会に持ち込んで。デカートが共和国軍に貸しを作れる機会を与えて」

「いいのか。そういう不確かなので」

「デカートの人たちが偏屈だとしても、帝国軍よりはだいぶマシよ。嫌味や嫌がらせを軍にふっかけるかもしれないけど、それは帝国軍との戦争のあとの話。それにもし戦争に勝ったらデカートはあなたを無視できない。アナタは私を無視しない。そうよね」

「まぁ、お前がボクを無視しないなら、そうかな」

「アナタのことを無視なんかしたことは一度もないわよ。殺したいと思ったことは割と最近もあったけど、無視した覚えはないわ」

「ちなみに殺したいと思った時はどんな時だ」

「エリスに私の悪口を言ってた時よ。さっきのアレはなに。男に愛を囁かれても業突く張りな因業母ちゃんの真似はするなよ。ってのは、まるで私が私欲に強欲に溺れて無理言っているみたいじゃない」

「私欲かどうかは知らないが、出世欲や功名心や傲慢はつま先から頭の先どころか湯気のように毛先から漏れているぞ」

「あたしから噴き出しているものが欲得だって言うなら、愛国者は全員末期的な精神病患者ね」

 エリスをあやしながらリザが鼻で笑うように言った。

 一通り戦争の展示を見終わった後で、工業分野の展示を眺めるが、機械としては貧弱なものが多い。構造として貧弱であるということが、結果として基本的な要素を形にしていた。貧弱すぎて洗練という言葉とは程遠い機械とも言いにくい器具だったが、実用に供された実績とともに示されていれば、却って問題点が浮き彫りでマジンにとっては好ましい展示品ばかりだった。

「別にお前が欲の塊だってそれは構わないが、エリスがそうなるのは勘弁いただきたいというだけだ。そんなのが必要な状況ってのはあまりに不条理の成行きの香りがする」

「まるで私の境遇に同情しているみたいね」

「同情はしないけどね。不条理は感じるよ」

「情け深いこと。腹立たしいほどね」

 リザはふてくされるように言った。

「そうでもないと思うよ」

「確かにそうでもないと思うわ。真実情け深い人なら、愛する女の頼みの愚痴を女の娘に言ったりはしないわ」

「腹立つ言い様だな。お前をぶん殴ってエリスをうちの子にしてしまいたい」

「そこまでやるなら、私をちゃんと殺しちゃったほうがいいわよ」

 開き直るリザに不愉快げに言葉を返すマジンを見て、彼女はニヤリとした。

「――惚れた弱み、ってやつを振り回せる機会をもらえるなんて思いもしなかった。それで世界を歴史を動かす大事業を振り回せるなんて思いもしなかった」

 そう言いながら、リザは大きな共和国の地形図の前に立った。共和国の地形図は現地部隊の演習や往来のために作られたもので、大雑把ではあるが、それなりに正確で、とくに国内の交通危険地域や未測量地域はかなり正確に描かれていた。

 一方で人口地域や集落の形や位置については真実大雑把で、誤りというほどではないが、ヴィンゼもソイルも名前の無い記号で示されデカートも単なる記号として扱うくらいに簡素だった。当然にローゼンヘン館の記号はどこにもない。だが、ローゼンヘン翁のかつての実績は地図上の上方向の突端に町の記号を持たないままに地図上において共和国であると主張するその地図が認めていた。ヴィンゼは左の肩口あたりに見慣れたザブバル川のうねりとともに描かれていた。そしてその川の本流支流をたどりさかぼれる限り共和国であると、地図は主張していた。

 ざっと千リーグ千二百リーグの楯状の広がりを持つ共和国は狭いはずもない国家で、その国土をわずか五十万の軍で守れるとは想像すらしにくかったが、二十個の師団が国家に分散していることで、あるいは約百個の軍の出張所や軍人会が地方に存在することで資源物流や命令を与えるための動脈として機能していたし、悪党どもが不定期に作る関を破壊できもしていた。

 共和国軍は共和国の軍であることを支えるために地域からの物資とは別に統一した制服や武装というものを強く意識していたし、ビスケットや油脂などの質についても相当に強く地域に求めていた。とくに腹ぐされ食中毒を起こすと地域の食品納入業者を一斉に二年間さし止め業者が変わるほどの事件となるくらいに徹底していた。

 それを支えていたのが共和国全域二十万ほどの官僚機構だった。駅馬車と倉庫番を合わせたようなそれが共和国の近世数百年を支えていた。

「――もちろん、そのことが悪いわけではないけれど、限界でもあった。はっきり言えば、今一人の事務方は三人の兵隊を支える以上のことが出来ないの。有能でも二人半。なぜこうなるかといえば、単純に共和国が広すぎて、つまらない連絡や確認のために忙殺されることが多すぎるから。平和なときにアナタの機関車や鉄道の話が軍の耳に届けば、紆余曲折の一波瀾があって鉄道が事業として成立したでしょうね。どういう規格で理由でも共和国にとって鉄道は無視できない存在になる。あなたは面倒くさそうだったけど、鉄道を事業化すればあなたは共和国の王様になれるわよ」

「そういえば、リザール湿地帯で蒸気圧機関を使っていたといったね。どうなったろう」

「どうだろう。なんで」

「どうなったろうな。と思ったんだ。あれは大した機械じゃないけど、そのせいで誰でも使えるものになっている」

「アレが大した機械じゃないって言い切っちゃうのが、あなたのすごいところなのよ」

「アレが大した機械だって云うなら、帝国が山のように作るかな」 

「なにが言いたいかわかった。でもどうだろ。考えてみたこともなかった。陣地の割と奥の方にあったから埋まってるかもしれないし、下流にあったから無事かもしれない」

「まぁいいんだがね。実のところアレは思いつけば作れる程度に大したものではないんだが」

 そんなものであってもこの数百年作られることのなかったものであることを指摘すべきか、少しリザは考えた。

「大したことがないって言ったら、あなたのところで使っているマッシュポテトをたくさん作る機械。アレもあなたは大したことがないみたいな事を言っていたけど、アレはすごいものなのよ」

「知ってる。そのままだとあんまり美味しくないから評判良くないけど、まじめに味付けをすれば文句をいうようなものじゃないのはわかってる。乾燥させて粉にしているから嵩も減っている。行程で虫やカビは全部落として途中からは混ざらないようにしているから、乾いた涼しい場所においておけば相当に保存が効く。ウチならその気になれば十年やそこらは保つ」

「ヴィンゼの芋を全部買ってるって話も聞いた」

「市場ではねられた屑芋だけな。ソイルやセレール商会からも飼料用に引き取っているよ。一グレノルで十五タレルくらいかな。マッシュポテトにも向かないような奴は材料用のデンプンにしている。このあと機械の発注がむやみに増えるようだと値段が上がるよ」

「芋で機械を作っていたの?」

「芋だけじゃないよ。間伐材とか溶かして使う。けど、木材砕いて溶かすよりも簡単に粉の状態で保存しやすいから最近はデンプン使うことが多い。外側はセルロイドの糸で固めている。体積と密度の調整がしやすいから軸材に使っている。麦より断然安いしね」

「てっきり石炭使ってるんだと思ってた」

「コールタールから取り出したものもつなぎに使っているけど、基本は木材と芋だな」

「芋じゃないとダメなの?」

「芋じゃなくてもいいけど、デンプンが多くて水気が少ないほうが都合がいい。麦や豆は意外とデンプンが少ない。あと油が多い」

「意外と面倒くさいのね」

「型が鉄とかガラスで作れるから万くらい作る分には簡単だが、億とか言い出すと流石に面倒くさいな」

「銃弾とか大丈夫なの」

「あのへんは焦げたクッキーを作っているようなものだから、たかが知れている」

「そういう技術がないと機関車って作れないものなのかしら」

「そんなことはない。単にある程度形が作りやすい材料で丈夫だというところが気に入っているけど、加工技術があるなら鉄で作ったほうが面倒が少ないかもしれない。ボクの工房の話で言えば材料の選択はほとんどその場の思いつきと手元にあるかないかというところが大きい。工房の脇に使っていない地金のたぐいがあるのは知っていると思うけど、あの中には金や白金よりも重たい熔けにくい材料がある。うちには電気釜があるから使えるんだけど、量が多いわけじゃないから鉄やアルミに溶かして混ぜて使っている。けど、アレだって使えば相当色々な使いみちがある」

「なにが言いたいの」

「なにが、ってわけじゃないけど、結局、工作は工具の準備と材料で勝負が決まるから、下地のあるところで勝負をしたほうがずっと楽なんだ。そういう意味じゃストーン商会が蒸気圧機関をあちこちに売り出すのに成功したのはちょっと大したものだと思っている。ただ、彼らが戦争で役に立つほどになにかを溜め得ているわけじゃない。帝国は共和国に比べて工業生産技術で十年かもっとの先達だ。戦争が三年か五年か後なら随分楽だったと思っている」

「戦争に負けるって言いたいのかしら」

「ボクの苦労が多い、って愚痴を言っているんだ。共和国のまともな地図を見たのは正味今日が初めてだ。あと五年もすればストーン商会がどこかの誰かと組んで勝手に商売を始めるようなことを、今僕が一から全部仕切る必要があるってのはどう考えても不条理だ。しかも、いまストーン商会と言わず他のどこと組もうと思っても却って足を引っ張られるのは間違いない」

「人員の募集はかけているの」

「ヴィンゼで船乗りや人足くらいはね。ここしばらくで工作向けの人材もある程度見当がついている。けど、全然足りないよ。準備が足りない」

「なにか思惑があったのね」

「そりゃあるさ。三年もすればストーン商会のところの職人連中が蒸気船を作り始めて、五年もすればまともに使える機械旋盤を作れると思っていた。そうすりゃいま君がボクに要求している小銃やら少なくとも既存の小銃弾の話は放っておいてもケリが付いた。金槌と旋盤なんて数があればこその機械なんだから、手際の勝負よりは手数の勝負だよ。折々手を貸せばボクは黙っていても鉄道くらいは事業になったよ」

「まさか、ここしばらくで言ってみせたことは出来ないことだったとか」

「そんなことは言っていない。単にボクが忙殺されて、苦労する割に面白いことが何一つないと言っているんだ。根本的なところでボクが生活する上で金はいらない。土地があれば自分と子どもたちが食うくらい百姓するのはわけがない。今なら土地と水だけあれば一から農民やってもなんとかなるよ」

「つまりなにが言いたいのよ」

「忙しい退屈は最悪だってことだよ」

「巻き込んで悪いとは思ってるから、結婚しましょうって言ってるのよ」

「随分尊大だな」

「今更なに言っているのよ」

「ボクが全部投げ出すとか考えないのか」

「なにを」

「小銃の話も機関車も結婚の話もローゼンヘン館の一切合切もさ」

「どうして」

「なんか突然嫌になってさ」

 リザは不思議そうな顔をしていた。

「そう言われれば、そうかも。あなたにそんな人並みの感覚があると思いもしなかった」

「バケモノ扱いはいまでもたまにされるがね。ここまでひどく理不尽を感じることは少ない」

「それはごめんなさい。で、投げ出すつもりとか、予定とかあるの」

「それをボクに尋ねるのか」

「だって投げ出されたら、困っちゃうわ。戦争負けるってことはあんまり考えたくないけど、苦労するのは間違いないわ」

「戦争に勝ち目はないだろう」

 そう言うとリザは明らかに剣呑な顔になった。

「なぜそう思うの」

「だって、帝国は問答無用なんだろう。そういう相手とまともに話し合いができるとは思えない。じゃぁどこまで勝ち続ければ戦争に勝てるんだ」

「そういう妥協主義が敗北主義者を招き寄せるのよ」

 マジンは眉の間を抑えるようにして表情を隠す。

「そうしたら大尉閣下の戦争終結の勝利条件とは何ですかな」

「帝都に進軍して皇帝を主賓に迎えて大元帥による閲兵かしら。あいにく私帝都がどこにあるのかよく知らないんだけど」

「よく知らないことを条件に据えられるとは大尉閣下の剛毅な慧眼には恐れ入りますな」

「前の戦争はまともな意味ではもう何百年も前のことだもの。その後はリーザス城塞を攻略するために塹壕掘って陣地作ってたけど、結局完全に包囲できるほど戦争の技術は進まなかったわ。うまく湿地を使って帝国軍が城の側面を抑えていたし、北側も陣地が巧妙に設定されてて、補給線を破壊できるほどにも押し込めなかった。火砲も陣地戦を押し込めるほど懐深くに持ち込めなかったから一部の例外を除いて十分な火力を城塞の破壊に向けられなかったわ。一般状況として勝てなかったのは事実」

「でもお前この間なにやら景気の良い思いつきがあるようなことを言っていたな。城塞は丸裸だとか」

「言ったわよ。湿地を迂回しての野砲の持ち込みは帝国軍の陣地構築の巧妙さからうまくいかなかったし、実際これまではムリだった。理由は幾つもあるけど、リザール川が湿地帯に常に潤沢な水をあたえていて不定期に小規模な氾濫を続けていたから。共和国側はほとんど常に陣地戦で不利な状況だったけど、それでも押し込めた状況を無視できないから色々やってたけど、はっきり言えば勝利を諦め帝国軍の出口を抑えることを目的にしていた。帝国側の陣地がリザール川の水量を適当な周期で増減させるようになってからは為す術もなかったわ。前方の陣地や空堀は事実上の遊水地よ。積極的な指揮官が火砲を配置したくても、それどころじゃなかった」

「よくもまぁ。そんな状況でリザール湿地帯を支えられたものだな」

「我らが猟兵科ってやつが縦深的な偵察と小規模な渡渉を支えることになったのよ。小規模な捜索騎兵と柔軟な偵察活動に適した軽装。野砲は持たない代わりに即時報告を可能とする連絡参謀。まともな連絡参謀につかえる一等魔導士は育成が難しいけど、単に生存の緊張や危機的感情を波に乗せるだけの三等魔導士はそれなりに育成できるから、まとめて使うだけで偵察には十分な情報が得られたのよ。まぁ、戦死消耗もそれなりにあったけど、一朝事が起これば、指揮官の有能無能にかかわらず騎兵は確率論的に死ぬし、歩兵は指揮官の選択で死ぬしね」

「砲兵はそういうのないのか」

「一番最初に狙われるからあまり羨ましいとは思えないけど、負けないうちは死ににくいかな」

「リザール城塞が丸裸っていうのはどういうわけだ」

「簡単よ。湿地帯に枯れない水を与えていたリザール川の流れが共和国側に深く流れを変えたの。別に私だけが知っているわけじゃないわ。概況を伝えてきたのはギゼンヌの参謀だもの。ともかく渡渉不可能だったリザール湿地帯がなくなるのよ。多分このあと夏草が覆って枯れたあたりでそこらのジメジメした河原と変わらなくなる」

「それはいいことなのか」

「リザール城塞の攻略に限ればね。外掘り代わりのリザール川も沼沢地もなくなることを意味するわ。高いだけの城壁なんていまどき役に立つはずもないわ。あなたの言い草じゃないけど、それこそ百でも千でも砲弾を降らせればいいだけ。今頃陣地を慌てて作っている頃でしょうけど、陣地なんて、基本の形だけ抑えてるだけじゃ役に立たないわ。凝ったものを半年で作るつもりなら、それこそ何万人も必要になる。常識的に今年一年は帝国軍は落とし損ねたアタンズとペイテルにかかりっきりになる。だからしばらくはリザール城塞は丸裸」

「限らないと」

「それ以外に話を広げれば大軍の、とくに帝国の輜重隊が楽に動けるようになったことを意味するわ」

「マズいんじゃないのか」

「とってもマズいわね。下流に位置するワージン将軍が全然気が付かないわけがない、とも思うけど、ともかく二万やそこらで五万だかの兵力がいるリザール城塞が落とせるとは思いにくい」

「ワージン将軍は二万で五万を相手にできるような凄腕なのか」

「面白くならない?どうやって決戦必敗の我軍を勝利に導くのか」

 ニヤニヤとしながら皮肉な顔で笑うリザをマジンは呆れ顔で睨むしかなかった。

「剣呑な事を言っているのはわかるがね」

「多分ふたつきもすると私も配置転換されることになるわ。妊娠が発覚しなければね」

 話の流れを切るようにリザが言った。

「妊娠しているのか」

「知らない。おっぱいのせいか、月のものも不安定だし。でもまぁ、私くらい前線偵察の実績の多い猟兵士官が取り合いにならないわけはないわ。新設の聯隊参謀あたりに配置されるわよ。それとも拳銃の腕を買われて軽騎兵中隊あたりを任されるかもしれない。議会がどう動いても協定に従って常設師団はふたつきくらいで充員を始め、夏には移動を開始する。前線で壊滅した二つの師団を充当する予算は大議会が始まれば自動的に承認されるから軍都で無任所の士官はどのみち実戦部隊送りよ」

「貨車一両分くらい差し入れはするよ」

「その時が来たら期待しているわ。それはそれで置いといて、博物館は楽しかったかしら」

「面白かった。ボクは本当に勉強したことなかったからな。こんなに色々見られるとは期待してなかったし、状況が物で見られると思ってなかったから興味深いものばかりだった」

「本とか読まないの」

「あんまりかな。そういう意味じゃアイツラのほうがものを知っているだろう」

 そう言ってマジンは娘達を目で探す。

 二人は産業史のあたりで逸れた、というよりは、放し飼いで好きに建物の中を巡らせていた。

 数学史のあたりをたぶん回っているはずで、線形写像のあたりで二人は張り付いて動かなくなった。

「あれなにが面白いのかしら」

「線形写像か。あのままだとたしかになにがなにだかわからないと思うけど、ウチだとレンズやプリズム、鏡とか電波とか電話とか色々なものの考え方の基礎になっている。入口は色々あるし応用も広い。数字通りに作るのは難しいからアレだけど、計算尺の証明とか設計の無理を確認することにも使える。要素が増えると手作業で解くのはだんだん面倒くさくなってゆくけど、それ用の計算尺と計算機を作れば決まった形のを解くのは難しくないよ」

「ふーん」

「あいつら色々計算するのに使っているから、きちんとわかりやすい証明の解説があるのが嬉しいんだと思う。ボクは手法の説明はできても証明は苦手なんだ」

 リザはやはりなにを言っているのか全く理解できていないようだったし、そもそも高等数学を使うような計算が必要な物事が日常の実用に存在するという事自体が不思議であるようだった。

 数ベクトル空間の軍事における応用として、砲術の初速と重力加速による二次曲線運動とを基本諸元に弾体の六軸運動と高度等座標の空気密度の変化による揚力の変動から導かれる理論数値的な弾道と、実際に観測された弾道と砲弾の装薬量と重力加速による二次曲線から弾体形状による揚力を算出し大気密度等の環境変数を導き、求められた二つの行列を互いに逆行列として折り返し砲術諸元を割り出すことでより正確な理論式と定数を求める数学手法に至るという説明は、リザにとってわかるようなわからないような解説だった。だが、自分の使っている拳銃や小銃の弾丸形状が六軸の回転のうち二つを減らす目的で砲弾を長く伸ばし進行軸に回転をかけ、揚力の計算を容易にするために弾体の回転軸長形状を定めているという説明は、リザにとってそれなりに面白くもあった。

「――基本は比例と幾何的な相似なんだが、そこに代数的な一般化つまり無限を持ち込んでいる。例えば連立千元一次方程式とか連立千兆元方程式とかそういうものをどうやって解くか、という問題だ」

「そんなものをどうやって解くっていうのよ。というか、解いてどうするの」

「実用上一番重要なのはどれだけ早く解けないということを発見するかということだ」

「意味がわからない」

「一見まとめて見るとそれっぽく示された要素のうちに実は全く意味のない設定や情報が混ざっていることがある。そういうものがあると問題が堂々巡りになる。要素が増えれば増えるほど、そういう矛盾をつくるゴミが増える。だから全部解く必要はないんだ。そもそも現実世界は学校の例題や問題集のように完全性や正答がある事のほうが少ない」

「現実が間違っていることがあるというの」

「そうじゃなくて、人間は現実の正しさに付き合いきれないことが多いんだ。だから付き合いきれない面倒な現実を無理に扱うのを諦めるその見切りに使える。例えば連立千兆元方程式の要素書き出しをしようとすれば、それだけで相当量の紙面を使う。それに耐えれられないと思えば別の方法を探す。だが、現実では千兆元方程式というのは例えば、大判のキャンバス上の絵の具の層について記述をしようと思えば、最終的にその程度の覚悟は必要になる。なにせ人の目は一千万から二億程度の色階調の識別ができるらしいからな。つまり、何かを思いついたときに今できるか出来ないかを判断する基準になるということだ」

 リザは心底呆れ返った顔をする。

「あなたどうしてそんなことを思いつくの」

「なにもボクの独創じゃない。去年も点描・線画と活字的絵画手法の境界というデカートの学志館の論文があった。絵画を紙上の線画とキャンバス上の油絵とに分けて単相の高次曲線としての線の集合体と、キャンバスの目を単位とした絵の具の積層情報の二つの論点から活字による活版印刷的な絵画印刷の手法について論じた論文だ。レンズを使った実験では人の目は十分の一シリカから百分の一シリカの点を識別することが可能らしい。そういう点を集めて剣山のような印刷機で印刷をすれば、様々な印刷が少ない色数で印刷できるという話だった。ま、そのままでは無理だと思うが、ともかく概念は面白い」

 フーンと鼻で笑うようなリザの反応にマジンは諦めたように肩をすくめるばかりだった。

「ひょっとして戦争がなかったら、なんだかわからないそれを作るつもりだったの」

「うん。まぁね。計算機を色表現に転用して色の変わるステンドグラスか、いろいろな絵にかわる万華鏡を作ろうかと思っていた。あと、光画を色付きにしたり、色付きの印刷ができるようにするとかね。最初は時計台の時計みたいな大きさになるだろうけど、そういうコケオドシを狼虎庵に作ってもいいかなとね」

 そこまで聞いてリザは少し気の毒そうな表情を初めて作った。

「ごめんなさい。本当にあなたのお遊びの邪魔をしちゃったのね」

「まぁいいさ。共和国が勝てないと色々面倒になるんだろう」

「それもそうだけど、あの子たちのことよ。全然わかってなかったけど、あなたのお遊びの大事な助手だったのね」

 放し飼いで展示を見て歩いている子供を吹き抜けの回廊により掛かるように探しながらリザは口にした。

「今更だが、アレだ。可愛い子には旅をさせよ、ってヤツだ。ただまぁ冗談じゃなくて、とてつもなく大事な助手だよ。よほどの私塾でも、あの子達には単なる雑談の場、ネタ探しの場になってしまう。それを考えれば戦争そのものは愚かしい消費でもそれと向き合う軍の姿勢は様々に真摯な定見や実例に満ちている。と期待している。エリスがそのうちボクの助手になってくれるんだろ」

 軽く口にしたつもりだったが、マジンの言葉には思わず力がこもっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る