共和国軍学校 共和国協定千四百三十七年草木萌動

 親子での軍都での観光の二日目は主に本屋と食品雑貨屋を中心にした商店巡りだった。辞書と数論書と地図と料理の本を買い与えた。

 ジュラルミン複合材で作ったトランクは見かけよりもだいぶ軽く防水のための口金の目止めもあり、車や馬に踏ませても歪まないくらいの代物だった。八桁の数字の方向合わせ鍵というのはいささかやり過ぎの気もしたが、マジンの気分としてはそもそも子供たちをこういう遠隔地に放っておくのはどうなんだと心配しつつ、きっと放っておくのだろうなという後ろめたさもあり、親バカっぷりを晒して隠し銃納と内張りに金貨を貼りこむという凝った仕掛けをしてあった。

 二つ持たせたトランクの出来はもちろんだが、実のところはその外側に巻かれた細く艶のある鎖と南京鍵のほうが材料も細工も当代の物品として抜きん出いるはずだった。南京錠は磁石を使った仕掛けで普通にいじっても閂に触れられない作りになっていたし、鎖も錠も金よりも重い金属で出来ていた。重さにして二パウンそこそこ、長さにして十キュビットほどの白金類を中心にした合金は細い鎖だったが、よほどの工具でも苦労する材料だった。

 調べてみると白金の地金と称されるものは多くの不純物が溶けていて、基本的には金よりも重たいよくわからないものは全て白金として扱われていた。地金と称するくせに融け合っておらず、金槌で叩くと割れてしまうようなものもかなり多かった。

 白金と称されつつ白金でないものは一様に重く相応に溶けにくく油断すると工具の刃が割れる材料が多く、つまるところ、町中で白金と扱われるものは重たくて熔けにくい硬い扱いにくい材料、という認識で良いのかと思うような雰囲気でさえあった。色や密度から白金とは異なることまでは容易にわかったものの硬さや熔かしにくさという問題の他に量が少なかった。

 ともかくそうやって十種類ばかりのひどく熔けにくい硬い金属を手に入れた。そのうち幾つかは他の鉱物の中にも熔けていて似たようなものも幾らかあり、それなりの量も手に入ったが、全般的にはアルミや珪素を鋳出している石炭灰の中や地金の純度を上げる過程で不純物の形で手に入る物で、あまり積極的に大量に手に入るものではなかった。

 そういう中では鉄重石から回収されるウォルフラムは例外的に工作機械の基部を作れるくらいには手に入る材料で、振動を嫌う旋盤や自由旋盤やらの回転機械の基部や歯車につかっていた。

 使えそうな雰囲気はあるものの希少すぎる金属の扱いにマジンは様々に困っていたのだが、十二時間制の自動巻きの懐中時計と鎖と南京錠という実用品にして娘達の餞別にした。刃物はあまり重たくても仕方がなく、固く切れ味の良い刃物でもどうしてもある程度刃毀れするという現実に、それなら研ぎ出しやすいもののほうが長く使えるという結論で落ち着いていた。

 二人に渡した懐中時計に組み込まれた重金属製の駆動部品は、細い天球軌道状の球状に歯車を組み合わせた立体的な動作機構をしていて、固く密度の高い材料によって重力の影響を最小に配した駆動部品は乱暴に扱っても或いはあまり顧みられることのないような状況でも正確に時を刻み続ける設計として作られた。設計の理屈の上ではいっぱいまでねじを巻けば十日は放置しても時を刻むはずだし、一日五分ほど揺すってやればゼンマイを勝手に巻き上げるはずだ。

 娘達の肩から下げているなめし革の袋の中身は野外で使えるような工作道具でおよそよそ行きの格好をしている女性の荷物ではないが、アルマイト処理した水筒や薄刃の自在ノコギリ、折りたたみ式のスコップ、オイルライタや十徳ナイフ。アルマイトの飯盒に収まる形に調整した固形燃料コンロ、ランタン線と石綿を軸にしたカンテラ、燃料ベンジン、アルミを真空蒸着した防水布と防水袋等、中身の多くはおよそ世間で金を出して買える種類のものではなかった。

 全く単なるマジンの親バカ振りがそうさせたというだけのことで、見せびらかせて使うようなものではないと、つい正直に娘達の判断を仰ぐことになった。

 親バカという言葉の意味するところに娘は首をひねったが、なめし革の袋も中身もローゼンヘン館では当たり前に使っている野営具で、しかし軍都では売っていないということは一日軍都の町中を歩いてみればすぐに知れた。二人の娘は大事に使えということだろうと理解した。

 二人は入校にあたっての書類に署名をするとセントーラを伴って宿舎の部屋に行き、帽子と服と靴を制服に着替えた。

 ファロンとワゼルという先に入校していた同室の二人にセントーラはキャラメルを差し入れて挨拶をした。ワゼルは瞳の形がタダヒトと異なるゼペル族という亜人。ファロンはマヨーラという町の出であるらしい。

 ファロンはこれまで亜人というものを見たことがなくワゼルの瞳が猫のように輝くことにちょっと驚いていたが、アルジェンとアウルムが立派という他にない長い尻尾と頭の横から生えている毛の生えた尖った耳にはさらに驚いてもいた。そういう二人が如何にも身分よさ気なメイドを従えて着替えをしているというのはすこしばかり衝撃であった。

 亜人といえばタダビトの町ではせいぜい使用人扱いで悪くすると奴隷である、という通り相場がファロンの常識であったから、新入りの姉妹が自分の家では雇うことは疎か雇っている家にも自分には縁のなさそうな、如何にもしつけがなされているメイドを連れてきたことに驚いていた。

 さらにそのメイドが、お嬢様の同室のご学友への挨拶とともにキャラメルを差し入れてくれたことに全く現金に機嫌を良くしていた。

 ワゼルの方はもう少し世慣れた感じで、キャラメルをもらったその場で口にして興味深げにしていたものの態度そのものは保留という感じで、感情表現が今ひとつうまくないアルジェンとアウルムに空回りしているファロンと対象的に落ち着いた様子で同室の者たちを観察していた。

 見せびらかすために持ってきた荷物のいくらかをセントーラは慣れた様子で広げ、まとめて荷物を片付けると制服と入れ替えて必要な物だけを選び、分けるとトランクに収めた。

「それではアルジェン様、アウルム様、私はご主人様のもとに戻ります。こちらに参ることはそうはないと存じますが、八年間、お励みいただけますよう、心より応援しております」

 そう言うとセントーラは一礼した。

「ありがとう、セントーラ」

「ありがとう。手紙は書くけどみんなによろしく伝えて」

 そう言って二人はセントーラを見送り、入寮に際して先導してくれた寮監を待った。

 寮監が幾つか寮の生活を説明したところで昼食を知らせるラッパがなった。ラッパは一つでは足りないらしく、吹き手の上手い下手や早い遅いがあって奇妙な和音を旋律にしていたが、石造りの建物の中でもよく聞こえた。ラッパ手は中隊小隊でそれぞれ副長がラッパを預かるという。

 学生生徒たちはラッパの音で部屋を出て戸口で整列して点呼を受け、ぞろぞろと食堂に向かった。寮監の説明によれば、ラッパが鳴ったら部屋の外に全員並ぶというのが基本であるという。

 軍学校の食事は味が濃く、舌の上にいろいろゴソゴソと残るが不味くはなかったし、量は多いといえるほどだった。アウルムはかつて旅をしていた頃の料理を思い出してなにやら懐かしくさえ思えていた。食堂に定まった席はなかったが、まとめて移動している関係で空いているところはだいたい決まっていてなんとなく席は落ち着くという。

 女生徒には亜人は目立つほどいないが、男子生徒学生には探すまでもなく幾人かは目につき、上級生の中ではむしろ亜人がいない机のほうが少ないくらいだったし、幾つかの班らしき机では亜人がどうやらまとめ役をやっている様子さえあった。

 そしてそのことをいちいち気にした様子でもない。

 まだ入校が定まっていない新入生たちのいくらかはもちろん動揺していたが、騒ぐほどの度胸はまだなく、街場ではあまり見られない風景は奇妙な調和を保っていた。

 だが、今日はちょっとばかり例外もあった。どういうわけか、と云うのはアルジェンとアウルムには見当がついていたのだが、食堂に校長が来客とともに来ていた。身なりのよさ気な若い男であるマジンも目を引いたが、やはりセントーラの美人ぶり使用人ぶりは圧倒的で隣りにいるマジンが黒白で地味に見えるのに、同じように黒白であるセントーラは男物のオーバージャケットを膝の上に抱えているだけでひどく華やかに見えていた。

 男子学生はもちろん女子学生もセントーラとマジンの姿に目を留めているようで、奇妙に浮ついた雰囲気と視線があった。マジンは露骨な幾つかに愛想よく視線を返す素振りを見せていたが、セントーラは完全に無視しており、そのことが一層セントーラを際立たせていた。

「さっきの人だね。隣の人は誰だろ」

 ファロンが興味深げに口にした。

「うちの父様」

 敢えて視線を食事から動かさないままアルジェンが答えたのに気がついたのかマジンが小さく手を振る。

 ついうっかり尻尾で返事しそうになるのをこらえて、二人は頷くように会釈した。

「若いしカッコいいね。さっきのメイドさんもすごく美人だし、いいなぁ」

 いかにも無責任な他人事のようにファロンが言う。

「いいところに転がり込んだんだな。ほんとうに羨ましいね。全く」

 皮肉げにワゼルは一言そう言った。

「アウルム」

 ハッとしたようにアウルムがワゼルに目を向けるのにアルジェンが声をかける。

 一瞬緊張したアウルムが改めてマジンに手を振り返した。

 校長に導かれるようにマジンがアルジェンとアウルムの元を訪れた。

「大丈夫だと思うけど、何かあったら宿においで、月末までは居る」

「大丈夫。父様これから忙しいんだから、そっちをしっかりやって」

 マジンの言葉にアルジェンが突っぱねるように応えた。

「ここのお食事、懐かしい味だから、心配ないよ」

 アウルムは気楽そうに笑った。

「そうか。ならいいけど、ボクはこのあと校長先生に一回り案内してもらって軍都に帰る」

「わかった」

 アルジェンが簡素に応えた。

「みんなによろしくね」

 アウルムがそう言う。

「必要な物があったら手紙を書いてくれ」

「わかった」

「大丈夫だよ」

 念を押すマジンに娘達が困ったように応えるのをマジンは頭に手をおいて順番に乱暴に髪をかき混ぜる。

「随分甘やかされているんだな」

 皮肉げにワゼルは言った。

「いつまでも子離れできない親なんだ」

 去ったあとを確かめるようにアウルムが少し後ろを振り向いて言った。

「かっこいいお父さんだね」

 ファロンが羨ましげに口にした。

「うん」

 アウルムはぼんやりと頷いた。

 今のやり取りは娯楽の少ない学生たちの注目を浴びたらしく慣れないほどの視線をアルジェンとアウルムは感じていた。

 夕食までの課題は二人にはひどく簡単なものだった。課題をさっさと済ませると中庭を走り始めた。

 軍学校は二人にとって快適かどうかは分からないが、地獄のような場所ではなさそうだった。

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