キトゥスホテル 獣の間
幕僚たちの書面の精査はセントーラにほとんど任せた。
マジンは自身が法律についての知識が全く足りないことを自覚していたし、用語も適切に選べないことを知っていたから、一通り書面を読むと判断そのものはセントーラに任せるようにして、最後に署名をだけした。
用意周到な幕僚団は納入業者法人登録と中央銀行の口座設立の書式や技術特許申請書に関わる実用証人証書や計算尺やデカート周辺の地形図まで持ってきていた。
各地の出張所が集うこの街は様々な様式の特許請求があるが、その特許をつかった製品を軍部隊が証人として認定した、という承認番号の発行をおこなった技術特許申請書の実用証人証書は、実際の特許とは全く別物ながら特許の申請にあたっての速度を大幅に上げる錦の御旗のはずだった。
セントーラはまる一日がかりで各地の出張所の特許発行をめぐって歩き回っていたということで、鞄の中から取り出した各地の特許発行の申請受領書類を取り出し、現役幕僚たちの技術特許に関わる書類の地方州政府の数とセントーラの申請したものとがピタリと一致した時には、幕僚全員が感嘆の唸り声を上げた。
デカートの書式構造と軍都の書式構造は基本的には表書きだけだが、各地の書式は多少中身も異なっており、多く書く分には問題がないが少ないと様々に問題もある。
技術特許申請書に関わる実用証人証書は、そういう細かな差異を軍が実用的に運用している実績として飲み込めという指示書でもあり、日時に遡って棄却されることはなくなる事実上の特許査読として扱われる。
これだけできる女性の仕事がどうしてデカートの軍連絡室で書式に振り回されることになるのかという話は全く現役幕僚たちには理解し難いわけだが、つまりは悪弊の一種そういうことなのだろうという風に理解された。
幕僚たちはそれぞれの納品請求覚書にはマジンの公証を求めないまま署名だけで良いといった。
後日納品の確定と同時に公証を押して契約書にするということであるらしい。
書式書面の取りまとめが終わると、リザは明日の試射のために幕僚たちとともに出て行った。
マジンとセントーラはそのあと宿に戻るまで一切口を利かなかった。
半日座りっぱなしでいたせいで体力的に消耗はしていないはずだったが、緊張していたのかもしれない。
だが、口を利かなかった本当の理由はこの建物の中で誰がどこでなにを聞いているのかわからないという実感があったからでもある。
馬車の中で今日様々に準備された書類を内容を思い出していた。
一昨年、学志館に寄付を行うにあたって公証をつくり、その際にローゼンヘン工業という名で工房を法人化したりとしていたが、実のところ人も雇わず現金取引ばかりで決済を行っていたマジンにとっては長らくどうでもよいことであった。
だが、デカートを離れた取引を利用するとあっては手形や為替の作成裏書などで銀行が必要で責任者の所在証明が不要な法人公証はあらゆる意味で必要な物だった。
面倒くさいからなのか興味が無いからなのかはともかく、セントーラについて詮索することは避けていた。
しかしまたともかくも彼女の事務整理能力は全く大したもので会計以外に関する限り、かなりのところを任せきりにしていた。
会計は算数が楽しくてしょうがなくて二人で競争をするようにしていたアルジェンとアウルムがほとんど取り仕切っていたが、今後はそういうわけにもいかなくなる。
「明日の仕事は、まずは頂いたこれらを各地の出張所に申請書の控えと一緒に持ってゆくことですね」
「機関車の技術特許申請書のものもあるな」
「当然でしょう。彼らにとって見ればゴネられて止まっては困るわけですから」
「ストーン商会が先に申請している可能性はあるのか」
「可能性という意味で言えばデカート以外のすべてで申請している可能性はあります。ですが、その場合は棄却理由として示されるのでわかりやすいことになると思います」
「軍が予め証人証書を出している可能性は」
「まぁありますね。ですがその場合も同じことです。ストーン商会がそういう恥知らずなことをしているかどうかはすぐに分かります」
「そういえば、冷凍庫の申請は各地には出していないが」
「一昨年出してあります。返事はまだ返っていないものがほとんどですが」
「自転車や光画機は」
「昨年お嬢様がたが作られた分は軍都に来ることが決まった日から書類を作って、ご主人様がリザ様とお出かけになっている間に一日がかりで収めてまいりました」
マジンは自らの無能に脱力する思いだった。
「面目ない」
「とんでもない」
セントーラは型通りに答え微笑んでみせた。
「すると、あの長銃を売ろうとするとやはり特許の申請は必要かな」
「どなたにであれ世に出すつもりであれば当然と思います。軍相手ではとくに」
「各地の書式を教えてくれ」
「僭越ながらご指導させていただきます」
セントーラの荷物の中に一つだけやけに重たいものがあったが、その中身は殆ど書類と白紙だったことを今更マジンは知った。
そんな風にして七組の書類を仕上げていると、リザが久しぶりにエリスを抱いて訪れた。
今日の営業はおしまいということらしい。
「なにこれ。結構あるわね」
「ここしばらく怠けていた分の課題をセントーラに手伝ってもらってた。遠眼鏡と長銃と望遠照準鏡それから蒸気圧機関船。旅客機関車と貨物機関車に鉄道の特許申請書。各地方自治体分。図面や構造概念説明書は小銃なんかの分と合わせて後回しだ」
「他はわかるけど、鉄道ってどういうこと」
「他はっていうか、鉄道を事業化するのはこの十年内の必然なんだから今のうちに本気だってところは宣言する必要があるだろ。デカート以外の二十行政の出張所が集まっている軍都は様々に都合がいいからな。ボクは明後日一回帰る。――セントーラ、十日ばかりこっちは任せる。どうせ、この書類もすぐに査読されるわけじゃないと思うけど、何か言われたら一旦引き上げてもう一回直す」
話を振られたセントーラは手元の書付を確認してうなずいた。
「では先日出した分も確認してみましょう。証人証書があればおそらくネジが巻かれるでしょう」
セントーラの言葉にマジンはうなずき、リザに向き直る。
「で、明日の件、どうだって」
「ワージン将軍が宿営している砲兵用の演習場がつかえた。機関銃の方はどうするの」
「弾が少なすぎるから試射したら使えなくなる」
しかし、と思いマジンは機関銃の特許申請書を書き始める。
何度も書いているうちに大枠は手が慣れて割と順調に進められている。
「だからもっと持ってくればいいって言ったのに」
「二十五シリカ弾は大きいから千発でもいっぱいいっぱいだ。一発三十タレルもあるんだぞ」
「九シリカの銃弾ってどれくらいだって言ってたっけ」
「五タレル」
さすがにリザもウッとした顔をする。
「下ろしたら車の足が動いたのお前も見たろ」
「見たけど、まさか小銃用のあの大きい鉄棹より重いなんて思わなかった」
「円錐の体積は円柱の三分の一だろ。同じ体積の箱の三辺の合計が最も短くなるのは立方体に近づく時だ」
偶に手を止めリザに目をやるとエリスを抱えて、インクが乾くのを待っている書類を眺めていた。
「そうなの」
なにを云っているのかという様な顔でリザが尋ね返した。
「……まぁいいや。ともかく、千発しかないから楽しくお披露目をすると、あっという間に弾切れになる」
「でも、あれは機関車と組み合わせればすごい武器になる。だから持ってきたんでしょ」
「まぁねぇ。だが、千発では試射して意味がわかったところで弾切れだろう」
長銃は百発も弾を撃つような使い方をしないはずだから弾は十分だが、二百発のリンクベルトは往復の自衛用に持ってきたものだった。
「弾は帰ればあるのよね」
「まぁ二三万なら」
「銃も何丁か見かけたわ。塔の上の方に置いてたでしょ。衛兵もいないのにどうするつもりだったのよ」
「まぁ、完成したときに浮かれて使い方を考えてたんだよ。ただ。あれは弓矢みたいに使うにはちょっと大きすぎるかなという気はした」
「どういうこと」
「上から見下ろして走っている連中を追っかけて流して撃つには大きすぎる。それに半リーグ先のレンガを一発で砕くようなものをうちの敷地くらいの広さで使うのはもったいない」
「じゃ、どうやって使うのがいいのよ」
「見えない壁を張るのに使うんだよ」
そう言うとマジンは手元の白い紙に長く伸ばした線で小さく三角形を区切り更に三本の線を足し六芒星というか作りかけの蜘蛛の巣のような図にした。
「例えばこういう風に陣地を作るとか――」
矢印を直線で横切ってみせた。
「進行中の敵の横合いに射撃をするとか。多分そういう風に使うのがいいはずだ。新型小銃も同じようにして使うわけだけど、機関銃の方は威力も射程も段違いだから配置が良ければ伏撃の効果も大きくなる。ただ弾が届けばいいだけなら一リーグ半は飛ぶ」
「いいじゃない」
「でも、銃弾千発で三ストンだ。撃つとなれば、この間やってみせたくらいの時間で尽きる」
「それなら、機関車と組み合わせればいいじゃない」
「そうだが、せっかくの機動力を殺す」
「こっちの矢印に機関銃と機関車を使えば、敵の銃列を突破できるでしょ」
リザが紙の上の図と言うにも雑な線の集まりを指で叩いて見せるように言った。
「まぁ、そう使うのはいいと思うんだが、撃たれたら死ぬ。車が転んでも死ぬ。あまりおすすめはしにくい使い方だ。機関車や機関銃の数が少ないうちはとくにね」
「あなたならどう使うのよ」
口をとがらせてリザが言った。
「わからない。地形と敵と状況によるだろうな。けど、銃兵の戦列だったら、無理に突破しないで弾ばらまいて混乱させたらあとは後続に任せるってのがいいんじゃないか。無理に撃破しないでいい敵なら、報告するまで動きを止められればいいだろう」
リザが不満そうな顔をした。
「嫌われない答ってやつね。つまらない」
マジンは困った顔をした。
「こう言うと色んな人々から変な顔をされるが、基本的にボクは面白い答えっていうのはあまり選んだことがないぞ」
マジンの言葉を聞いてリザはそばで書類の続きをしていたセントーラに目を向ける。
「個人のお楽しみで月に五十グレノルも石炭を焚いている人が面白い答えを選んでいないっていうのは不思議よね。そう思わない」
リザはセントーラに声をかけた。
「私は、人同士が分かり合うのは極めて困難な事業である、という言葉を胸に刻むように心がけて努めさせていただいております」
セントーラはマジンが一気に書き上げた特許申請書を地方自治体ごとに分けて書式と内容を確認しながら言った。
それが感想なのか一般論なのかは、見事に紛れていた。
「あなたのそういうところ、あたし、嫌いよ」
「全く行き届きませんことで申し訳ございません」
子供っぽく文句を言ったリザにセントーラが慇懃に答えた。
「二人共わたしを子供扱いしているのが気に入らないわ」
「そういうことを言うから子供扱いせざるをえないんだよ」
「ええ、ええ。どうせわたしは子供ですよ」
そう言いながらリザは胸に抱えたエリスに目を戻した。
「わかったよ。二百だけ撃ってみせることにしよう。玄関の脇に弾薬箱とベルトリンクが入ってる箱があるはずだから組み立ててくれ。指を挟んだり切ったりしないようにな」
はぁい。と間の伸びた返事をしてリザは部屋から出て行った。
申請書の一部のケリが付いたところで目を上げるとリザはエリスを連れて行ったらしい。
さて、と玄関に行くとエリスが金具で数珠つなぎになった銃弾を首飾りのかけてよろよろと立っていた。
花かんむりというよりは破れ傘という風情の弾薬の首飾りは大人の首を飾るにちょっと足りない長さのはずだが、二十もつなぐとエリスには体重の二割を超えているはずの重さになる。
「もう立てるのか」
エリスは重さに抗するのを楽しむように転んでは起き上がり立ち歩きを繰り返していた。
「怒るかと思ったわ」
リザがよろけながらマジンへ歩んでゆくエリスを見ながら言った。
「ウチのは鉛がむき出しの弾丸と違うからな。噛み付いていたりしたらちょっと困るが、このくらいなら子育てのうちだろう。他所のでは遊ばせないほうがいいぞ」
そう言うとリザは少し悲しそうな顔をする。
「あなたの価値観はよくわからないわ」
「ボクを怒らせようと思ったのか」
「そういうわけじゃないけど」
リザはマジンがエリスを抱え上げたのを見ると銃弾の帯を作る手元に目を戻した。
エリスの首の周りの銃弾は首飾りというよりはポンチョのようになっていて、抱えるとゴリゴリとあちこちに当たり痛そうであったが、取り上げようとするとエリスは抵抗した。
仕方なくマジンはエリスをあぐらの中に座らせて、しばらくリザの作業を見守ることにした。
僅かに二百発と言っても一発三十タレルのものが二百になると日ごろ体を動かしているリザでも流石に重たいようで、大きなランタンぐらいの弾薬入れに帯のようになった弾丸を入れたあと、マジンに助けを求めてきた。
といって、現役士官が自分の体重の半分くらいのものを扱えないはずもなく、マジンがエリスをあやすのを優先すると、リザはエリスを招き首飾りのようにした銃弾をひょいと取り上げ、銃弾の帯と合わせて箱のなかに片付けてしまった。
その流れはエリスには手品の一幕のように見えたらしく、しばし驚いた顔で拍手をしていた。
リザがエリスの相手をしているのでは仕方ないので、マジンが銃弾を納戸にしまうとエリスがやはり拍手していた。
マジンは拍手の礼にくるりとその場で一周り更に二回りして見せ、礼をするとエリスは拍手を強めた。
リザは子育てに悩んでいるようだったが、少なくともエリスはいい子に育っているようにマジンには感じられた。
彼女が内心にどういう葛藤を抱えているにせよ、立派な母親ぶりであることを示す断片は、どういうものであるにせよマジンには安心を与えた。
エリスごとリザを抱えて頭を撫でてやると彼女は身悶えをしたが逃げ出そうとはしなかった。
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