マジン二十才 2

 マジンが不在の間のローゼンヘン館のこの半月ほどの作業は概ね順調だった。

 日に百五十丁分ほどの部品が良品として完成し、リョウは朝と晩に一人で退屈しのぎに五十丁づつを組み立てられるようになっていた。

 そのくらい組立に慣れてくると手にとって見ただけで部品の不良がわかるようになるらしく、リョウはウェッソンよりもよほど素早く正確に不良を弾いてみせるようになっていた。

 製品の実数として留守の間に二千丁、百五十万発ほどが出来上がっていた。

 ひとまず日にちごとの製品ロットや状態を確かめつつ試射をしてみたが、判明した実績としてリョウの、バールマン少尉の機関小銃の組付け組立技能は一般論としての製造現場管理者として水準を遥かに超えていた。

 彼女が組み立てをおこなった機関小銃はある一定範囲に誤差が収まっていて、つまりは彼女自身が非常に優秀な工作計測機械としての機能を果たしていた。

 あまり大きく個人の資質に頼ることは当然危険でもあったが、全てが後手後手追っ付けのこの時期、使えるものは使わざるを得ない。

 後の事は後として、バールマン少尉の組付け組立技能と会話的な表現能力による所見に頼るしかなかった。

 この半月の内にリョウの好みに合わない部品は膨大に出ているわけだが、その対策は後に考えるとしてともかく今は信頼できる完動品が必要だった。

 バールマン少尉に感謝しつつ、リザがニヤニヤと笑う様子が想像できてマジンの内心は複雑でもあった。

 そう云うマジンの内心とは別に彼にはやるべきことが多かった。

 マジンは軍都から帰ってきた夜のうちに貨物車三両分の塗料の焼き付けを終えて、翌日デカートでの検事局や河川組合などのお役所巡りで幾つかの用事を済ませ、更に学志館で雇用求人票を出したり奨学生の状態の確認や新しい奨学口座を開設したりと、精力的に活動をしていた。

 特に人員雇用に関する行政お役所巡りの殆どは、マジンにとって正直どれも殆ど初めてのことで、事前にロゼッタに調べてもらって、手引書をまとめてもらわなくてはおぼつかないような内容も幾らかあった。

 こういうときにロゼッタとマジンの間に入っていたセントーラは今は遥か軍都で事務を執りおこなっている。

 更にロゼッタには行政庁の口入れ窓口と呼ばれる雇用斡旋所に似たような求人を頼んである。

 ローゼンヘン館に帰ってからは貨物機関車の組み立てだった。

 帰ってきた翌日には、昼過ぎまでに一両、更に夕食までに一両、翌朝までにまた更に一両と、マジンは一気に三両の貨物機関車の組み立てを完成させ、更に旅客機関車の整備を終えていた。

 マジンの仕事の速さを知っていた家人はウエッという顔をしただけだったが、客として来ていた女達は驚きを隠せない様子だった。

 その後、組み立て上がった貨物車にはヴィンゼの人々に梱包を運びこんでもらった。彼等は突然何処かから湧いて出てきた納屋のような荷車に驚いていたが、考えるよりは体を動かすほうが彼等の好みでもあった。

 ガーティルー・マキンズ・マイノラと運転適性があることがわかったファラリエラに三両の貨物車を任せて、マジンは三泊四日で軍都に向かった。一人しか余っていなかったがそれでも道中居眠りできる一人の存在は全体を楽にしていた。

 途中ファラリエラの軍人手帳で軍人会を利用して警備の手間なく車輌を預けられ、ひどく快適な旅で道中問題なく四日で軍都にたどり着き、ワージン将軍に一便目の荷物を届けた。

 マジンは軍都より先に途中軍学校に立ち寄りアルジェンとアウルムを訪ね、飴玉の瓶の他に洗濯用の石鹸とオキシドールの大きな瓶をスポイトとともに差し入れた。

 二人はマジンがなんでこんなものを持ってきたのかわからない様子だったが、持ってきた物自体にあまり意味はなくて、なんとなく思いついたということにすぐに思い至ったようだった。二人の顔だけ見れればマジンとしてはそれで良くて短い滞在で引き上げることになったが、二人が元気そうなことで気分は楽だった。

 なんとなく、親の勤めを果たした全く良い気分で、ワージン将軍の輜重に納品を済ませると、帰郷を一日待って欲しいとリザの言伝があった。

 どうせ休憩は必要でもあるし、連れてきた家人にキトゥス・ホテルに一泊することを告げ、四人に半金貨を二枚づつ配って軍都で朝まで羽根を伸ばさせることにすると、男どもは土地勘のない街だろうにスルリと消えてしまった。

 軍都に正規の配置がないファラリエラはとくにゆくところも思いつかないらしく、なんとなく離れについてきた。

 まだしばらく宿泊をすることに定めている離れに戻ってみると居間はセントーラの書斎になっていた。

「ただいま」

 なんとなくの雰囲気でマジンはそう告げてしまった。

「おかえりなさい」

 部屋のそこここから女の声の返事が聞こえるが、目の前のセントーラは目も上げないで返事をした。

「これはどういうことだい」

「その辺が棄却された特許申請と理由。その辺が棄却理由が理解解決可能なもの。その辺が棄却理由が理解解決不能なもの。その辺が直したものですね」

 パトラクシェとジローナそれと若いデナは今日は地味な作業に向いた格好で、書類の分類や付箋付けなどをおこない、デナはどういうわけかローゼンヘン館のメイドのお仕着せを来てお茶くみをしていた。

「三人共雇うことにしたのか」

「はい。お許しを頂いていたので」

 セントーラは書類と算盤から目も挙げずに答えた。

「ローゼンヘン館は近くないが大丈夫なのか」

「三人ともお仕えするのに場所は選ばないということでした。三人の荷物は入口の納戸に入るようなものですので車の屋根に積めるような量です」

 マジンが頷くと、三人はそれぞれ短く挨拶をして、作業に戻った。

 三人の身請けの金額を尋ねるとセントーラは膝下に分けてあった書類箱から画板に挟んだ書類を取り出しマジンに見せた。

 公証が押された書類に書かれた金額は、一人頭あの店の服飾三組四組といった金額で、安くはないが人の命を贖えるかという金額で世の不条理を思わないでもない、三人が十分使えるならまたあの店を使ってみるかと思わせる程度の数字だった。

 夜セントーラと楽しんでいるところにファラリエラが訪ねてきて、なんだか奇妙な成り行きで三人で途中からやり直しという事件があったりもしたが、寝床という意味では小さな部屋ほどもある寝台は三人どころか六人くらいで寝ても大丈夫な広さがある。



 翌日になってみれば二十名の軍人がリザとともにキトゥス・ホテルを訪れていた。

 出発の準備にロビーの脇のサロンで朝食をとっているとリザが食卓の脇に訪れた。

「食事中悪いけど、お願いがあるの。デカートまで二十人乗っけてってちょうだい」

 お願いと言ってはいるが、有無を言わさぬ様子でリザが言った。

「相変わらず突然だな」

 一日待てと云うからには夜の内に来ると思っていたが、そうできなかった理由を思えば様々に面倒臭げだった。

「合計十二両の機関車の引き取りに直接伺いたいの」

 リザはそう言った。

「残りの八人は何だ」

「三人は各師団の分隊長。もちろんもう二つの師団の分隊長もいる。五人はそれぞれの師団の最終便までそっちで働いてもらっていいってことだった。あと輜重が必ずしも軍都のそばにいないからその案内で必要なんだって」

「手を貸してやるからちゃんと働けというわけか」

 何となくリザの言い様が気に入らなくてマジンはクサクサした気分のまま言葉にする。

「そこまで皮肉な言い方しないでもいいじゃない。あなたにかっちり働いてもらわないと困るってのは本当だけどさ。ファラリエラだってあなたなんのかんの言って使えてるじゃないの」

 リザはファラリエラに手を上げて挨拶の代わりをして言った。

「そういう言い方が気に入らないって言ってるんだ」

「しょうがないじゃない。それに全員働き者なのは間違いないわよ」

 リザは気楽そうに請け負った。

「わかっているよ。お目付け役ってのは有能な働き者がやるものだよ」

「じゃぁ、将軍に突っ返すの」

 リザは突っかかるように言った。

「お前の言い様が気に入らないってだけだ。わかった。便乗してもらおう。道中の軍人会を使えるのは楽だ」

 マジンがそう言うと、リザが連れてゆく二十人を引き合わせた。

 当然に殆どが知らない顔ばかりだったが、一人だけ知っている顔があった。

「モワルーズ大尉。どうして」

「あ、よろしくお願いしまちゅふ」

 モワルーズ大尉が慌てたように噛んだ。

「もうお体よろしいんですか」

「色々ご心配おかけしました。無事復帰できました」

「師団の方はよろしいんですか」

「あ、まぁ私は師団が営業を始めるまではおミソみたいなものですから。病み上がりはあとから来いって将軍に言われまして」

 モワルーズ大尉はそう言って気まずそうに困ったように笑った。



 マジンとしては空荷であれば飛ばして帰るところだったが、荷台に客が乗っているところであれば、むやみに飛ばすわけにも行かず、五日をかけてローゼンヘン館に帰着した。

 連絡参謀でこわれものかつ派遣されてきた軍人の中の最上位者であるモワルーズ大尉は空いていた貨車の席に座ってもらい、残りは貨物室の中に毛布を敷いて寝そべるように乗ってもらった。

 道に対応して六輪の車輪はそれぞれ自由に動くはずだが、それはあくまで地面に合わせて車輪と軸にとってということで、必ずしも車体や荷台にとってではない。

 そのことは往路でわかっていたが、復路で荷が軽くなると却って跳ねたほうが楽なくらいで貨物室の中は薄闇の中で相当に大変なことになっていたはずだが、鍛えられた兵隊たちは幾度かの休憩で地形を確かめ貨物車の道行や速度を確認する余裕を見せていた。

 マジンは帰着すると早速部品の状態だった機関車を十五人の乗り出しで戻る士官たちに手伝ってもらい組み立て始めた。

 彼らは当然に不慣れで知識も不足していたが、相応に期待されて来ただけあって無能ではなく、それぞれに役に立たないことはなかった。

 マジン一人で作業したほうがもちろん早い状態だったが、彼等にはこの後、当然現場で壊れてしまうだろう機関車の構造の最低限を理解して貰う必要もある。

 あとの五人には小銃と機関銃の組立をおこなってもらう事になった。

 セラムとリョウは急展開に驚いていたが、幾人か顔なじみもいたようでそういう意味では面倒が少なかった。

 機関車の組立は順調だったが、彼らは後部のロールフレームに荷物をかけられるように横向きのフレームがほしいということで追加することになった。

 どうやって使うつもりなのかを尋ねると、彼らは背嚢を後部座席の左右に背嚢の肩帯を利用して器用にかけ、機関銃架を傾けるようにエンジンをまたがせ、車台後端の吊り上げ用の張り出しに引っ掛け足の一組を前方ロールバーにからげ固定し、後部座席で背もたれをまたぐように後ろ向きに立ち銃を操作したい。

 そのための足場に使いたいという。

 周到なことに彼らは後ろ向きに立つ不安定を考えて安全帯を作って持ってきていた。

 高速で走る軽量な機関車の不安定は彼らも承知しているらしく座席からそのまま立つことを困難にしているロールフレームの撤去や改造或いは走行中の射撃については彼らも求めていなかったが、それでも移動する機関銃架としての価値については希望していて、下車せずに発砲可能な体勢をつくれる改造を求めていた。

 少なくとも、彼等はリザよりも真面目に小さな機関車の戦闘兵器としての可能性について検討評価をしていた。

 ロールバーの増設は強度があるわけではないドライブシャフトのカバーに足をかけられるよりは遥かにマシで、現場の運用が見えるなら軽改造に不満があるわけもなくマジンは応じた。

 運転席の前方にはリザから言われていて十シリカの鋼板で運転手の下半身と前輪の機械機構を守り風防の支えになるボンネットを作っていたが、その上にタイヤ二本と簡単なラックを用意し左右のロールフレームの外側向きに幾つかのフックを付け足した。

 多少前は見難くなるが、後ろに機関銃を積むということであれば、釣り合いに荷物がないと操作が困難なくらいには軽機関車の重量は軽かった。

 荒野に放り出されてもコツさえ掴めばソラとユエでも一人で起こせる位に軽機関車は軽くバランスよく作られていた。

 だが、そのバランスは機関銃のような重たい荷物をフレームの外側に積むことは前提に作られていない。

 機関車の組立と小改造は二日で十二両が終わり、彼らは機関銃を合計で七丁、銃弾を二万五千発分、百十二万五千タレルを現金で、機関車十二両分三千六百万タレルを軍票で支払った。

 モワルーズ大尉もワージン将軍から追加注文をするように言われたらしく機関銃二丁と銃弾五千発を現金三十一万五千タレルで今回納入分の二口分を百二十万タレルを軍票で持ってきていた。

 とはいえ、軽量小型の機関車には二千発の機関銃弾をのせるのは無理で、運転の不慣れを考えれば二百発までにしておくのが良かろうと思ったが、彼らは装填二百発の他に更に二百発をよくばり、残りを各隊への荷物に足すように言って帰隊した。



 どの師団の分隊も最低三人いるから問題はないと思うが、運転に不慣れなうちは無理はしないようにとだけ伝えて、マジンは貨物車に車列を先導させた。

 車格に優れた貨物車のほうが前方の視界を確保しやすいということもあるし、運転になれたものが先行するほうが車列のペースを上げやすいということもある。

 砂埃を蹴立てる貨物車の慣らした道を背の低い二人乗りの軽機関車の群れがついて行く。

 巨獣が曳くソリのように見えないこともない。

 機関車の燃料にしている大豆油を一言に大豆油と言っても地域によって商店や時期によっても圧縮熱機関の運転に適したものとそうでないものがある。ほとんど運試しのようなところも否めず添加剤の多寡で乗り切れればいいのだが、そうでないと添加剤自体も丸損で極めて悩ましい。

 セレール商会の研究報告は全くありがたく、ひとまずの指針にはなるのだが、当然にすべての地域季節を網羅しているわけではない。

 マニグスの町で買った油は全くハズレで貨車一両分の油を捨てることになった。任せていたファラリエラが燃料の不足に気が付かなかった失敗だが、機関が回り圧力がかかっている時にしか燃料計が正確な値を示さないというのは設計上の一つの問題でもあった。

 狼虎庵やローゼンヘン館の面々も過去に似た失敗をしていたし、油が合わないというのは偶にあることなので仕方ないこととも言えた。ローゼンヘン館から持ってきた油とマニグスの油を少し足して、とりあえず機関が運転できることを確かめ、だましだまし次の街へ行くしかなかった。



 そういう面倒はあったものの台数がいれば手当があれば大した問題ではなく、二日目には百五十リーグを走り、多少の遅れを取り返しメイレスの軍人会の指定の宿に入れた。

「あと百七十ですが、無理すれば日没直後に軍都に到着できそうですね。大丈夫ですか」

 そう言うと露天の軽機関車で安全帽に大外套ひとつ眼鏡一つでは苦しいだろうに、年齢を平均すれば三十路に丸まる男女の軍人たちは、新しいオモチャを手に入れた子供のように元気よく笑ってみせた。

「ポルポッカ中尉。臨時連絡が転送されてきました。伝えます。師団は予定期日通り先行。分隊はマリカムを目指す経路上で本隊と合流せよ。以上。です。他の師団からは連絡は入っていません。あの、それでですね、ゲリエさん。その。私達を先行する輜重段列まで届けていただきたいのです。フェルト将軍宛の荷物はマリカムで一旦下ろすということで命令が伝わってきました」

 なぜモワルーズ大尉が一人付けられたのかの理由がわかった。各師団の分散進軍の展開をおこないつつ、確実に品物を受け取るための計画的な配置で、後方配置ではあったが当然に慰安や休息配置ではありえなかった。

「それで、行き先はどこですか」

 モワルーズ大尉に目を向けると居心地悪そうに目を泳がせるようにしてもじもじとした。

「……さぁ。詳しいところはよくわからないんですが、向こうから導術連絡を送ってくれるということで私がそれを辿ればご案内は出来ます」

 マジンの問いにモワルーズ大尉は曖昧に答えた。

「帰り道の案内がないとか、そういうことですか」

 マジンがそう尋ね返すと困ったようにモワルーズ大尉は黙りこんでしまった。

 輜重段列は大行李の群れで基本的には歩兵の行軍と同じかやや遅い。常識的な商隊よりはやや早く前線でも不穏地域でもないから、よほどの悪天候でも一日五リーグ未満ということはまずないが、往来が十分にわかっている街道沿いであっても常識的には一日六から八リーグ。動き始めて半月足らず、八日から十日とすれば軍都から百リーグ離れているとは考えにくい。

「――まぁいいですよ。急いでいることは承知しています」

 金も受けとってしまった手前少し考えてマジンは了承した。

 モワルーズ大尉はペコペコと軍人らしくなく何度も頭を下げて礼を述べた。その姿は奇妙に年若く見えた。



 機関車の段列とはパラパラと道が別れ、キンカイザの東四十リーグのマリカムを目指すフェルト将軍麾下の機関車二両を供にしてマリカムに到着した。

 マリカムの少し手前でフェルト将軍の師団が膨大な輜重段列を整理している光景があって、ポルポッカ中尉の分隊と共にマリカムに到着した。

 師団の補給のための輜重段列は、ときに戦闘単位としての師団に比して人員馬匹荷駄の規模で数倍に達することもあって、マリカム周辺はまさに移動中の師団を支えるために巨大なバザーのような雰囲気になっていた。

 到着したマリカムでフェルト師団宛ての荷物を下ろし、書類と代金の受け渡しが完了すると、ガーティルーの怒声が聞こえた。

 どうやら、兵士が貨物車を勝手に触り始めたらしい。ガーティルーが散らそうとしているが、取引相手であることは知っている上に空手では人数の数で押しとどめられない。

 そのうちガーティルーが一人殴ってしまった。手を出されたのはこちらが先のようだが、そう云う道理の出る間ではない。

 兵士の殺気がみなぎり小銃を持ち出すバカがいた。

 構えに動くその銃の中ほどをマジンが抜き撃った。

 着剣された小銃は兵士の手からスッポ抜けるように空に向かって銃声を響かせた。

 兵士がバカなんじゃない。

 本気だ。

 マスケットで暴発が起きるというのは既に戦闘態勢を兵がとっていたことを意味する。

 お互い反射的に視線が絡むのを先んじて、マジンはこちらに傾けられた銃口に次々銃弾を叩きこむ。殺すよりも確実に戦闘力を奪える。何よりマジンは自分の財産を守りたかった。

 拳銃弾が向けられたマスケットの銃口から銃身に飛び込み、既に装填されていた銃身の華が破裂音とともに兵の壁で咲き乱れ、銃列が崩れた。巻き金で作られた銃身は飛び込んだ銃弾を引っかからせ途中から裂け、火口を射手の右手に吹き飛ばし、射手もろともに味方の多くを傷つけていた。

 ほとんど無意識に銃口を探すように拳銃を向けた先に改めて気が付くとモワルーズ大尉が震える手で拳銃を両手で構えていた。

「ご、ごめんなさ、い。こ、この、この、このに、にぐ、るまを、ちょ、ちょ、ちょうはつします。だ、だだだだだいきんわおは、おはおおしはらいします」

 そう震える手でモワルーズ大尉は戦時徴用証明を右手で突き出すようにしていた。

 額面は一千万タレルと書かれていた。

 戦時徴用証明は、つまりは実力で持って行く文句は後に裁判で聞くという種類の軍用手形で、軍がおこなうギリギリの商取引行為であるが、持ち出しに部隊戦力を動かす根拠でもある。

 だが、モワルーズ大尉の手持ち戦力と呼べる部隊はここにはない。

「いくらなんでもそんな値段でこの車はお売りできませんよ」

 実力部隊の第一波の排除に成功した余裕で、マジンはモワルーズ大尉に答えた。

「え、えええぇ。ゴルデベルグ大尉はそれくらいで考えているはずだって」

 彼我の圧倒的な戦力を認識して狼狽えつつもモワルーズ大尉は、マジンに抗弁した。

「それは旅客用のやつの話でしょう。それに一両の話だ。コイツはどうあっても一両五千万タレルはする。それにこれをここでいま売ったら、あとの便の輸送ができなくなる」

「で、でも、ゴルデベルグ大尉はお屋敷にはまだ何両かあるはずだからって」

 モワルーズ大尉の言葉にマジンはため息をつく。

「そりゃ、ひとつきもあれば足りない部品も作れますけどね。小銃を作りながらの急ぎには間に合わないですよ」

 兵の動きが止まったのを見て、マジンは弾倉を交換し銃を腰に戻す。

「――銃はおろしていいですよ。どういう計画ですか」

 銃列の向こう側に見覚えのある角が見えた。

「なんだ。まさか誰か殺しちまったのかい。だから威嚇に小銃を使うのはやめろって言ったのに……。……ご無事ですか。少佐殿」

 人混みを掻き分けレゴット曹長が現れた。

「レゴット曹長。申し訳ないが、貴官らが受けた将軍の命令について説明いただきたい。ちなみにボクは諸君らの出迎えに対して、極めて激しく腹を立てている。銃兵諸君を皆殺しにしなかったのは、健気にもボクの人質として身を呈しているモワルーズ大尉に免じてだ。銃兵諸君の誰でもボクの用人に手を上げるべく動けば、モワルーズ大尉を殴ってその後に銃兵諸君を皆殺しにしてから、改めてモワルーズ大尉に事の顛末を伺うことにする。諸君らの戦争はそれで終わる。――マキンズ、ガーティルー、マイノラ、レンゾ。車の中に入って機関をまわせ。次銃声がなったら、構わず全速力で走れ。最後に屋敷に付けば方向はどっちでもいい。ボクのことは気にするな。この場の全員殺してでも帰る」

 揉み合いの姿勢のまま銃声に動きを止めていたガーティルーが兵士を突き飛ばすように道を開き、ファラリエラを先導するように運転席に乗った。三両の貨物車が機関音を響かせたところでレゴット曹長に目を向ける。

「わ、わたしが、本官がこの輜重警備隊をあずかる、スバラ・カシーノ少佐だ。本職の任務は貴様の……」

 マジンが新たに拳銃を腰から抜いて、カシーノ少佐の足元に一発放ってから空に向けた。

 引き金には指がかかっていることを示す。

「レゴット曹長。殺さないようには配慮したが、流石に怪我人は出たと思う。治療した方がいい。説明をしてくれないならボクは帰る。どうやらバカが将軍に勘違いをさせるようなことを言ったようだが、可能なら納品自体はしたい。確かキミらは民間人を脅しつけたり街場の喧嘩をする以外にやるべきことがあったはずだ」

 レゴット曹長はマジンに頷いてから、カシーノ少佐に敬礼をした。

「カシーノ少佐殿。私の手際悪く、搬出する物品の定数不確かなるものが多いようです。お手数ではございますが、ご指導いただければ幸いであります。数量多いので、分隊をつかったほうが良いと考えます。備蓄倉庫までお越し願えないでしょうか。私はこの場を始末してから参ります」

 カシーノ少佐はレゴット曹長に言われるとマジンの顔を憎々しげに見つめ、多くが負傷した兵を引き連れて去っていった。

「説明いただけるかな」

 レゴット曹長はマジンとの距離を少し詰めた。

「銃をおろしていただけると嬉しいですわ。ゲリエさん」

 言われてマジンは銃を腰に戻す。

「あ、あのわたつぃ、がしぇつめいひましょうか」

 ひどく緊張した声でモワルーズ大尉が言った。

 レゴット曹長は優しげに微笑んで手で制した。

「この機関車で前線まで物資を運ばせていただきたいのです」

「まさか、アタンズですか。ここからでもまだ二百リーグはあると聞いていますが」

「いえ、その手前に、ウモツという集落がありまして、百八十リーグほどです。そこまで油と荷物を運んで欲しいのです」

 前線まで二十リーグもあれば遠いと言えるが、本当に二十リーグもあるかは怪しい。そもそも共和国の地理は街道の整備は疎か地図も怪しい。百八十リーグが二百八十でもおかしくはない。

「それで今の騒ぎは」

「少佐殿はこの場の兵站本部の最上位者ですので、張り切って歓迎をしたかったのだと思います」

「それでレゴット曹長はなぜここに」

「新型小銃の整備長ですので、荷の引受に」

 どうも説明が違うように思う。

「モワルーズ大尉。一千万タレルでウモツまでの輸送引き受けよう。輜重段列の警備部隊がいるということは元来の予定は荷物はここまでのはずだったのだろう」

「ええ。まぁ」

 いつもの通り歯切れ悪くモワルーズ大尉が答えた。真意が却って読めない。

「貨物車が徴用されると後続の納品に響くことは今言ったとおりだ。だが、積める限りの物資と人員四人の輸送はおこなう。それで一千万タレルで良ければ引き受ける」

「えぁ。む。わかりました。それで。おねがいします」

 なにか惑うように、そして気がついたように頷いた。

「レゴット曹長。積載は一グレノル半。貨物室の長さは二十四キュビット幅と高さは五キュビットだ。他の二両は連れてゆく兵の装備くらいは乗るがそれ以上は期待するな。連れてゆく兵と荷物を選抜してくれ。――モワルーズ大尉。書面を修正しておいてくれ」

 そう言うとマジンは車内に入った者達に話がついたことを伝える。



 行李車の五倍から十倍ほどの荷物が積み込まれてゆく。

 レゴット曹長の体格と膂力は抜きん出いて、貨物室内の細かな整理をしながら荷物を効率よく詰め込んでいった。

 天井や側面の僅かな隙間には藁束を押しこむほどの念の入れようだった。それに比べれば他の二両は隙間だらけも同然だった。

 貨物車の運転席の広さにはレゴット曹長も満足していた。ただ子供たちがあぐらを組め、リザが片膝を立てて座ったり眠ったりできるくらいには広いはずの座席も、レゴット曹長にはやや狭いらしく窪みに当て物をしてならして座ることになった。それでもレゴット曹長はたくましい尻尾を椅子の背にすることに慣れているらしく、軍の荷馬車に比べれば遥かに上等であると言った。

「それにこのベルト。急なよろけを支えてくれるのはとても楽です」

 途中ミシナという町で機関車の燃料を補給した翌日の昼頃に、モワルーズ大尉の誘導で緩やかな長い坂の上のウモツの拠点についた。

 まる二日がかりでたどり着いたウモツは荒れ野というのとはまた少し違う雰囲気のイズール山地の一角を占める山岳丘陵で北東側の川沿いの平野を臨む見晴らしの良い土地だった。北西側にはイズール山地を背負い、東にはアタンズ・そして見えるはずはないペイテルを遥かに睨めるはずの位置にある。ペイテル・アタンズ・そしてギゼンヌを抜けた軍勢が水源豊かなリザール川水系を西進するとして一望できる位置にウモツの陣地は築かれつつあった。

 陣地というべきなのか、野営地というべきなのか、今のところは全く微妙なところであったが、城割が組まれた塹壕が縄張りをはっきりと示しはじめていた。

 マジンが機関小銃を届けた一便目を受け取るや進発したワージン将軍の直轄大隊は大本営で調達した機関車と輜重段列を組み込んでウモツの地に先行し、マジンの運ぶ第二便を直接ウモツにモワルーズ大尉の誘導でし、途中で連絡に問題が発生していた補給物資を合流させ、合わせて運ばせた。

 マジンは行儀よく表情を変えず舌打ちをしながら、状況を推測してみた。

 昼の日に彼方を見ればこの辺りでは豊かな土地と枯れた土地とが入り組んでおり豊かな土地に人の営みらしきものが見えた。二十リーグも離れているようには見えない。ことによると十リーグを越えるくらいなのかもしれない。

 どうやらここを中継拠点として整備するつもりであるらしい。

 機関車を誘導する兵の案内にキオール中佐が出迎えた。

「到着いたしました。中佐殿」

「モワルーズ大尉。ご苦労」

「徴用は実力で断固拒絶されましたが、代わりに輸送のご協力を得られました」

 モワルーズ大尉の頼りなげな報告の言葉にキオール中佐が頷いた。

「レゴット曹長。機関車はどうだったか」

「ただただ助かりました。徴用なんてことにならないでよかったと思っています」

「全くだ。荷物を任せる。急げ」

 キオール中佐が頷き、レゴット曹長に命じた。貨物室の扉が開くと兵たちがとりかかり荷降ろしが始まった。燃料油と思しき樽が次々と運ばれてゆく。子供の笑顔が書かれたビスケットの箱もある。

「キオール中佐。納得のゆく説明がいただけるものと思ってここまで来ましたが、ご説明いただけますか」

 不満げに答え合わせを求めるマジンに、キオール中佐が頷いた。

「見ての通り。先行可能な人員でこちらに拠点を築いているところだ」

 既に五十人ほどの兵士が作業をおこなっており、辺りを見れば現場で作ったと思しき小さな荷車や枝や丸太を積んだ橇を引いている機関車もいた。

「――ただ、我々の手が足りず、共和国軍も一枚岩ではないということだ。帰りはできれば同じ町には寄らないほうがよろしいかと思う。面倒が起こりえる。少なくともキンカイザまでは。あと申し訳ないが、モワルーズ大尉のお渡しした戦時徴用証明。できれば提出は冬まで待っていただきたい」

 キオール中佐の言葉にマジンは疑念を感じた。

「予算上の問題ですか」

 皮肉げな顔でマジンは尋ねたがキオール中佐の表情は変わらなかった。

「いや、むしろ書類上の、書面上の命令責任の問題だ。先も言ったとおり我々は一枚岩になれていない。少なくとも我々の試みの成否が出る前に瓦解することは避けたい」

 静かな表情のキオール中佐の言葉は政治的な混乱が共和国軍にあることをはっきりと示唆していた。

 そう言われてしまえば腹を立てていたマジンも言葉を飲み込まざるを得なかった。

「リザがどこかで余計なことを言いふらしているということでしょうか」

 マジンは腹の虫のやり場を探すように尋ねた。

「それ自体は必ずしも悪い効果ばかりでもない。未曾有の大敗北といって良いリザール湿地帯の損害と、政治的な汚点ともいえる装備転換に始まった銃弾の生産備蓄計画の失敗という二つの危機に、怪しげでかすかではあっても回天の可能性がある、という希望への渇望は先日の試射でも感じたと思う。あの中の数人はどうあっても自分の知恵と腕しか頼らない、いささか頑迷とも評される人物だった。そういう旧来の出来で佳しという人物でさえ、現場の現状としては新たな可能性を探る必要を感じている」

「すると問題は、地方州政府ということですか」

「彼らの存在が共和国を支えている。問題とは言いたくない。いずれにせよ我々の専門は外との戦いだ。守るべき内側に問題を探すのは避けたいし、おこなってはならないことだ。だが外敵との戦いに影響が出るような行動は避けたい。そういうわけで今回のような手配りになった。申し訳ないが徴用証明の提出は冬まで待っていただきたい」

 そう言ってキオール中佐は頭を下げた。

「スバラ・カシーノ少佐の所属について伺ってもよろしいですか」

「中央総軍兵站本部輜重監査室。だったかな。詳細は知らない。兵站本部の中は頻繁に部署の差し替えが起こっている。麻袋の中の麦粒の数で出世頭が変わるようなところだ。外からではわからん」

 興味もなさ気にキオール中佐はそう評した。

 その顔はあくまで記憶の中の事実を告げた以上の興味のない顔だった。

 だが、興味がない他部署の人物の名前が記憶にあるはずもなく、そのくらいにはカシーノ少佐は有名人である様子だった。

 四十万発の弾薬が降ろされ、千発入りの箱のなかから一発づつ集められ四百四の銃弾が集められ、二十丁が試射に供された。

「通例一分と聞いていましたが」

「ここは前線だ。一発も無駄にしたくない状況でもある。四千発もあれば塹壕の一辺の安否になりかねない。それに紙巻の普及からこちら軍も多少態度を改めた」

 試射は塹壕でおこなっているらしく、銃声は聞こえるが空に陰々と響くようでもない。キオール中佐は物資の移動とともに陣地を少し巡った。

「もしボクが徴用に応じず、荷をマリカムで下ろしていたらどうなったのでしょう」

 マジンは自ら少し未練がましく思いながら、キオール中佐に尋ねてみた。

 キオール中佐はマジンの顔を見て、少し口を開き閉じ一瞬曖昧な表情を浮かべた。

「仮定の話では想像までしかできないが。……私の想像では小銃と銃弾とは我々の作戦開始には間に合わず、そのまま行方不明になっていただろうと思っている」

 キオール中佐は少しの沈黙の後に、静かにはっきりと考えを述べた。

「マリカムまでは近くはありませんが、ひとつきはかからない距離では」

 マジンの問にキオール中佐は力強く頷いた。

「我々はマリカムからの物資を待って作戦開始をすることになっている。ただアタンズを救うためだけの戦いのつもりはない。だからこそのこの位置だ。が、……すまない。話しすぎた。ただの想像だ。笑ってもいいが恥ずかしいので絶対に他所では口にしないでくれたまえ」

 キオール中佐は本当に恥ずかしそうにそう言った。

 やがて一人の士官が現れた。

「報告します。試射終了しました。機関小銃二十丁、弾丸四百四発。正発四百四。機関小銃弾丸ともに全て正常に動作しました。機関銃二丁、弾丸五十発。正発五十。機関銃弾丸ともに全て正常に動作しました。報告終了。以上」

 キオール中佐は頷いて、納品受領書に署名をしてマジンに渡した。

「不愉快な茶番に巻き込むことになってしまったのは申し訳なく思っている。不本意ではあるが我らの非力不手際お詫びする。しかしキミが運んでくれたこれらで我々は夏までに一合戦ができる。欲を言えば勝ちきりたいところだが敵の規模を考えればそこまでは無理だろう。だが、ともかくもひとくじきができる公算が立ったことにゲリエさんには感謝している。誠にありがとうございます」

 そう言ってキオール中佐は敬礼をした。



 キオール中佐は帰りはヌモゥズ経由で帰ることを薦めた。

 ヌモゥズは規模の大きな町ではなく城壁城塞と呼べるものはないが、物見櫓のある防塁はいくつかあって戦争が本格化をするまではアタンズなどのリザール湿地帯後方に木材を切り出す産業基地だった。

 街道という意味では遠回りだが、リザール川の支流が流れていることから、各地からの資材の馬安めの流通拠点として成り立っている。

 周辺の小さな集落を支えていることもあり、全体に豊かに余裕がある印象の街だ。

 ファラリエラはヌモゥズに家族と旅行をしたことがあったという。

 旅行の成り行きは覚えていないが、ともかく小さくとも様々ある町で楽しかったとヌモゥズの印象は覚えていた。

 ついてみるとなるほど見れば小さい割には景気のよさ気な、町中は小さく感じない雰囲気の街であった。

 大豆油も順当に手に入り、久しぶりに予備まで満タンに出来た。

 油屋は奇妙に頻繁に兵隊が大豆油を買ってゆくことを不思議がっていたがようやくに合点がいったようだった。

 どこの衛星配下ということもなく独立した町であるらしい。

 幾つか砦と関があったが、山林の伐採のための林道と街道を案内するような意味合いで設けられている様子で雰囲気は安定していた。

 帝国の侵攻には怯えていても、砦の一つが帝国軍の小集団を撃退したことで意気は上がっていた。だが、万を越える帝国軍に抗えるだけの備えがあるようには見えなかった。

 キンカイザまでは百七十リーグほどで上り下りの分、遠く感じ実際も多少遠かったが、距離そのものは概ね同じようなものである。

 途中、キャソウズやスゼンズという古く小さな街もあったが、ヌモゥズほどに目を引くものがあるわけではない。

 軍人会もなかった。

 ただ古い街だけあって食べるに困ることはなさそうではあった。それぞれで油を三樽頼むと驚かれたが、物自体はそこそこに豊かで在庫もあった。

 二日も経つと事件も多少はマシな気分になるようで、マリカムでの立ち回りの話がガーティルーから出た。

「この後、旦那また忙しいでしょ。今回はたまたま旦那いたから良かったけどさ。旦那いなかったら間違いなく死人出てましたよ。あの騒ぎ」

 マキンズがそう言った。

「あと、あれ逃げろって言われたけど、バラバラに逃げたら迷子になっちゃいますよ」

 ファラリエラが奇妙に明るく聞こえる声で深刻な可能性を指摘した。

「無線電話って積めないんすか。船に積んでる奴」

 ガーティルーが困ったように提案した。

 あとはどうあっても一両に二人できれば三人必要だろうと落ち着いた。

 今日はこの後、大事な用事もあった。

 軍都まで遠回りをしてマジンは軍学校の入校式典に参加することだ。

 元来は途中軍都でマジンだけおろしてもらって、次の便で載せてもらって帰るつもりだったのだが、思わぬ遠回りの用事のせいで間に合わなくなるかもしれないところだった。

 戦争と子供とどっちが大事かと言われれば、当然子供だが両方取れるかもしれないなら、両方手を伸ばすのが人情だ。

 他を圧するような巨大な六輪車三両で乗り付けたことはあまりに悪目立ちと思ったが、それも仕方なかった。見ればセントーラも機関車で乗り付けていた。

 一万人の生徒と五千人の教官とそれを見守る何千人かの群衆というのは軍都にこれほどにヒトがいたのかと思えるような光景だった。

 式典の最初の方はみられず、案内に空いているところを案内してもらっての席だったが、ともかくも臨席は出来た。

 軍装をつけていても生徒の列が崩れ始めれば、アルジェンとアウルムを見つけるのは容易かった。

 隣でマキンズとガーティルーが周りの群衆と同じように叫んで手を振っているのに混ざる気はなかったが、敬礼をしながら行進するふたりと目があったような気がした。



 式典が終わり二人を探すと既にリザとセントーラがいた。リザはエリスをセントーラは新しく雇った三人を連れていた。

 マジンはリザを見つけると思わずぶん殴りたい衝動に駆られたが、あまりに場に相応しくない行動で唇を噛むようにしてこらえた。

 いまさら入校のお祝いというのも奇妙であるのだけれど、マジンは自転車を二台と工具を一式持ってきていたから、両手がふさがってもいた。

「間に合ったのね。良かった」

 リザがエリスに手を振らせながら言った。

「おかげさまでな。お前が余計なことをやったから間に合わないかと思った」

「式典に来るためにあなたが乗ってると思ったから提案してみたけど、その様子だとうまくいったみたいね。ワージン将軍も困ってらしたけど、これでなんとか予定通り始められそう」

 ホッとしたような笑みを浮かべるリザを早くも何度か心のなかでぶん殴り、マジンはため息を付いた。

「お前の仕込みか」

「私のじゃないわ。ワージン将軍から横槍を防ぐ手はないかと相談されたから、ウチの人ならカネで手を打ってくれると思いますってそれだけ」

 睨みつけるようにして質すマジンにリザは肩をすくめ言った。

「他に隠し事は。カシーノ少佐は」

「だれ、それ。でも誰もかれも暇ってわけじゃないから、もう大丈夫だと思う。司令部が移動中で師団付きの輜重に余裕が無いと偶にあるのよ。兵站輜重でのいざこざ。ワージン将軍の直下ってわけじゃないし、人馬も行李も余裕があるわけじゃないから。気の毒だったけど、損はしないように手を打つように言っておいたけど、どうだった」

 ムスッとした顔でマジンが応えるのにリザは罪なさ気な明るい顔で言った。

「カネにはなった。危うく死人が出るところだったけどな」

「さすが。――ファラ、すごかったでしょ。うちのひと。こう見えて荒事は得意なのよ。あんまり好きじゃないみたいだけど」

 リザはファラリエラに目をやって得意気に言った。

 マジンは、この場の主役を放っておいて自分の感情を先にしたことの恥ずかしさを感じるばかりの空回りを感じた。

「元気か」

 二人の娘は黙って頷いた。尻尾の先まで固くなっているふたりをまとめて抱きしめると、しばらく石のように固く抵抗していたが、尻尾や耳がようやく反応し始めた。

「――なかなか頑張っているようだな」

「父様に余計な仕事頼んだから来れなくなったかもってリザ様に聞いてた」

 アルジェンがもそもそと恥ずかしげにマジンに抱きつきながら言った。

「大事な仕事だって、上手くいかないと大変なことになる仕事だって」

 アウルムのほうが少し素直に抱きつく。

「まぁ、ちょっと遠くまで大事な荷物を運ぶ用事だったからな。あっちもこっちもどっちも間に合ってよかった。それと、こっちも間に合ったぞ」

 そう言ってマキンズの持っていた、複雑に折りたたまれた自転車を広げてみせる。

「カーボンスチールコンポジットだ。多少のことには割れないし、割れてもしばらくは漕ぎきれると思う。金属トラス断面増やしてみた。見かけ鉄だけど、だいぶ軽いぞ。ブレーキは油圧だから握りきってもちぎれることはないはずだ」

「そんな力いっぱい漕ぐのは父様ぐらいだよ」

 得意気にいうマジンにアウルムはそう言って娘二人は困った顔をする。



 幾人かの友人をアルジェンとアウルムはマジンに紹介してくれた。

 ファロンとワゼルは孤児ということではない様子だが、軍学校の入学式と云って縁者がホイホイと訪れるほどに余裕がある家というわけでもないらしく、宙ぶらりんの様子でいたところをアルジェンとアウルムが引っ張ってきた。

 あたりを見れば奇妙に大家族で来ていたり少人数だったり、亜人種だったりタダビトだったりそれぞれに様々な人達が自分の子供達の入校を祝いに来ていた。

 もちろんそう云う家族の縁というものに恵まれたものたちも多いが、そういったものに恵まれない子供たちも多い入学式の中では、大雑把な空気の色というものが見える様子で、タダビトはある意味で数が多いので見分けがつきにくいが、亜人は外見が異なることであたかも一角の空気に色がつくかのように目立つ。

 ひとまず学習意欲を認められた者たちがひとつきも集団で生活をしていれば、それなりに人間関係が構築されるもので、完全な形で孤立しているものはいない様子だが、誰もが馴染めるというわけでもない。

 アルジェンとアウルムが人間関係の嵐に投げ出されないことを祈るのみだった。

 セントーラの連れてきた三人も挨拶を済ませたことを確認すると、皆で光画を何枚か撮り、マジンは帰路についた。

 マジンはアルジェンとアウルムの入学式に列席してから帰るつもりだったから、本来は次の便で帰るつもりだったが、とりあえずセントーラの作業が順調であることから、貨物便で真っ直ぐ帰ることにした。



 丸半月になった行程に師団からローゼンヘン館に派遣されていた士官下士官はかなり心配していた。

 彼らはマリカムでの事件を聞き、兵站本部の将校が関わっていると知って、ありそうなことだ、と口々に兵站本部への疑念を口にした。

 広大な国土を戦う共和国軍にとって、国内とはいっても装備品の兵站業務は困難事で、兵站本部の権限は兵站の維持の一事に尽きる。

 だが、それでも各師団の幕僚規模では管理しきれないほどの業務範囲の広さと連絡規模の大きさで兵站本部で務まるなら大店の番頭くらいは楽に務まるという巨大流通組織であった。

 結果として表向きの権限とは違う規模の権限が兵站本部を伏魔殿としていた。

 普段は単なる意趣返しやじゃれあいのような手抜きや迂遠な嫌がらせが、大損害の後や大作戦の直前には致命的な混乱に繋がる。

 そういうことだった。

 師団付きでない兵站本部麾下の輜重に師団への補給を頼むと没収されることがあるのか、というマジンの質問には、当然にあるでしょうな、という応えがほぼ全員から返ってきた。

「とくに兵站本部の士官がいる場合は間違いないところでしょう。連中にしてみれば余った資材を不足するところに回すのが仕事みたいなもんですから、今回みたいな師団が自前で何処かから手に入れた正規員数外のものを収用するのなんか屁とも思いませんよ」

 イモノエ将軍の麾下のシブラグ軍曹が言った。

 結局それぞれの師団の軍人がついて行かないと、本当に部隊のに届くのかは区別がつかないということであるらしい。

 マジンは二日がかりで無線電話を貨物車に組み込むと、軍人二名とガーティルー、マキンズ、マイノラ、ファラリエラに荷物を託した。

 マジンはマジンでやるべきことがたくさんあった。

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