デカート州検事局 共和国協定千四百三十七年啓蟄
翌日一旦帰宅のついでに顔を見に寄った軍学校ではアルジェンもアウルムも元気そうだった。
とくにまだ授業も訓練も本番ではなく掃除やら洗濯やらという家でもやっていた雑務に追われているらしい。
キャンディーを一瓶差し入れしてマジンは帰路についた。
半月の間にあちこち雪が消え始めた街道を同乗者のいない気楽さで跳ね跳ぶような運転を続け、二泊三日でローゼンヘン館にたどり着いたマジンは、デカートに取って返してメラス検事長の執務室を尋ねた。
とくに約束をしていたわけではなかったが、メラス検事長は機嫌よくマジンを出迎えてくれた。
流石に最初にあったときに比べると様々に年齢を感じされる風貌になってきていたが、まだ老いというには少し早いメラス氏は今年の舟遊びの計画について楽しげに語っていた。
司法参事として司法局に残るという噂について尋ねるとメラス氏は実権のない引退前の腰掛けのようなものだと笑って答えた。
「ところで、今日来たのはそういう要件なのかね」
秘書に出させたお茶とお菓子をひとくさり自慢して見せて、メラス検事長はマジンの来訪の意図に水を向けた。
「戦争が夏秋ごろには本格化しそうですね」
メラス検事長は鼻息でカップの湯気を散らすようにしてため息を付いた。
「そっちの話か。聞いている。奇襲を受けたまま立て直せずに、かなり押し込まれているようだ」
「実は今、各地の師団から小銃の取引の引き合いが来ています」
そう言ったマジンを少し怪訝そうにメラス氏は見つめた。
「キミが自宅の工房で拳銃を自作したり修理改造をするという話は聞いていたが、軍が使えるほどの数をまとめて作れるのかね」
「今、実験をしているところですが、月に数千はゆきそうです」
「それで」
月に数千丁という言葉の意味を無視してメラス氏は先を促した。
「デカートの武装検事団にも納入したいと思いまして」
「武装検事……。六課は私の管理じゃない。話をするくらいはしてもいいが、あそこは検事局には違いないが、少し毛色が違う」
メラス検事長は少し姿勢を改めるようにカップを机の皿に戻した。
「軍隊のようなものだと聞いていますが」
「まぁそうだな。行政の警務庁のほうが見た目は軍隊らしいとは思うが、むこうも軍隊と言うには少し違うか。今更、槍盾と刺叉で戦場に出るわけにもゆくまいしな」
ああと、思い出せば警務庁は確かに物取りを取り押さえるのに背丈を少し越えるほどの長竿を使っていたのを思い出す。
「武装検事団は軽野砲を多数準備しているとか」
「うん。ああ、そんなものもあったな」
「試射可能な小銃の見本をお持ちしたので、どなたかにお見せできればと思うのですが」
そう言ってマジンはかたわらの鞄を机の上で開いてみせた。
お茶とお菓子に並んで置かれた無骨な銃器の入ったトランクをメラス検事長は敢えて咎めようとはしなかった。
メラス検事長はその機関小銃の姿に驚いたような顔をした。
性能はわからなくとも素性になにかを感じたらしく、ため息を付いただけで無言のまま頷いた。
「お菓子に興味がないのなら、ついて来給え」
メラスの案内で別棟の六課を訪れた。そこは厩舎の上を拠点とした部局で検事局の中でもちょっと離れた位置にあった。
なんというべきか言葉に困るのだが、あまり扱いが良さそうではない、という表現が的確なようにマジンには感じられた。
「アーディン。珍しいじゃないか。あなたが六課に足を運ぶなんて」
肩幅の広い厳つい人物が涼やかな清水を湧かせる巌のようにさわやかな笑顔でにこやかに声をかけてきた。
「レイ。私の知人がキミのところに興味があるらしい」
メラスがそう言うと検事局六課の長は首を巡らすようにして、マジンの姿を眺めた。
「誰だい。そちらの若い人は。就職希望者かい」
マジンはだいぶ背も伸び肉もついてきたが、目の前の六課課長に比べれば、まだまだ子供と侮られる体型だった。
「いや。彼はゲリエマキシマジンくん。キミのところの噂を聞いて銃の売り込みに来たそうだ。こちらはレイトマキリス。検事局六課課長だ」
メラスがそう説明するとキリス課長はマジンの両手に下げている箱とマジン自身を上から下まで露骨に観察した。
「ウチが突入する前にローゼンヘン館を片付けた子供か。子供と思っていたがもう立派な若者ぶりじゃないか」
皮肉というには初夏の爽やかさでサラリとキリス課長は口にした。
マジンは相手が自分を知っていると知って会釈した。
「こんにちは」
「売り込みってのはぶら下げている荷物かね。検事長は中身は見たかね。どうだった」
「見た。が私には凄そうだというところまでしかわからない」
「それで、見てくれ、ということか。カチコミに使えるならそりゃいいね」
キリス課長はクマのように笑った。
「それじゃ、私は戻る」
メラス検事長がそう言うのにキリス課長は驚いた顔をする。
「見ていかないのか」
「私は見てもわからん。やることも多い。片付けも少なくないしな」
そう言うと、礼を言うマジンに軽く手を振ってメラス検事長は出て行った。
「小銃ということであれば、射場にゆくのがいいのかな」
「お願いできれば」
キリス課長は頷いて近くにいた二人に声をかけて、射撃場に向かった。
デカートの天蓋の西の柱のたもとに射撃場はあった。元はどこかへつなぐはずだった水路か何かが設計のミスか予算不足かで放棄された真っ直ぐな六キュビットばかりの幅の溝に五十キュビットと二百キュビットの位置に的が互い違いに四枚立っている。
拳銃用と小銃用ということらしい。
二百キュビットなぞ軍の小銃ではよほどの腕自慢しか当たらないが、つまりはそれほどに腕利きが揃っているということらしい。
キリス課長は蓋を開けて機関小銃をみた瞬間になにか言いたげな顔をした。
六課の三人は黙ったままマジンの機関小銃の説明を聞いていた。
試射を始め空薬莢が撒き散らされる速度が上がるたびに、彼らの表情は二転三転した。
その後、銃を解体組立して説明を終え、三人に順に試射をしてもらった。
「これを、売るってのか」
出会って紹介を受けた時とは印象の違う剣呑な表情でキリス課長が言った。
「共和国軍とは小規模ながら既に納入の約束をしています。最終的には十年内に全軍に行き渡らせたいと考えています」
「他には」
「今のところは、こちらのみです」
キリス課長が二人の部下の顔をみた。
「いくらだ」
「百丁六十万タレル。弾薬十万発三万タレル」
キリス課長は表情を変えなかったが、二人の部下は鼻で笑った様子だった。
「どれだけ作るつもりだ」
「年に十万丁、一億発。心づもりでは百万丁を目指しています」
立会に参加していたキリスの部下が驚きの声を上げる。
「本気で共和国軍兵士全員に装備させるつもりか」
「そのつもりでいます」
キリスの部下が上司と客の気分に押されたのか、少し静かになった。
「どこで作ってるんだ」
「うちの工房で。ローゼンヘン館です」
「戦争に間に合わせるつもりか」
キリス課長が既に銃弾を撃ち尽くした銃をガシャリと操作した。
「そうできればいいと思っています」
「ウチラに見せた理由は」
「デカートで一番戦闘力の高い治安組織だと聞いています。共和国軍も舌を巻くほどの。ボクが売ろうが売るまいが、戦争がどっちに転んでも、軍に納入した銃が市井に流れるのはいずれ止められないでしょう。治安実力組織には先んじて必要だと思いました」
「いい子ちゃんだな」
キリス課長がこれは笑いもせずに皮肉げにそう言ったのをマジンは無表情で流す。
「この一丁と残りの銃弾を十日ほどこちらに預けます。後日引き取りに来るときにお返事をいただければと思います」
「ローゼンヘン館では他にも武器を作っているのか」
「幾らかは」
そう言ってマジンは小銃の貸借の書類を書き、射場から辞するのにキリス課長は見送りの部下をつけなかった。
治安安定した平和なデカートでは需要はもともと疑わしく、雰囲気の手応えは微妙な感じでもあった。
河川事務所で募集していた船員の集まり具合を尋ねた。グレカーレもプリマベラもデカートでは有名であるらしく三十人以上が応募していた。
春風荘にその足でよると、ソラとユエの歓迎を受けた。リザの様子やアルジェンとアウルムの様子など色々な風にたくさん尋ねられたのだが、マジンは殆ど言葉にならず、あーとかうーとか言って、また会ってくるというような妙な応え方をしてしまった。
逃げるように船小屋を覗くとプリマベラが停まっている。
ミリズとミソニアンに当座を半本預けて、河川事務所で部下を四人を採用するように言って次を急ぐ。
更に学志館の学生課に足を向けた。初等部と高等部でそれぞれ五十名づつの採用枠を募集する書類を作って卒業生向けに募集を依頼するためだった。他に奨学金の学生についての確認をいくらかしてデカートを発った。
短期間の内に人に会ってやることを決める用事が多すぎて、正直マジンは混乱しないでいるかどうか自分を疑いだしていた。
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