西域転封貴族領 帝国暦十八万七千六百四十九年秋期概況

 一昨年の冬から去年の雪解けの辺りでは共和国は戦術的にやや優勢だった。

 帝国軍は慢性的に戦術作戦上の兵站維持の苦労を抱えていた。互いに複雑な陣地を噛みあわせた結果として戦術機動の余地が小さく帝国軍の部隊間の連絡を難しく、共和国の巧妙な縦深戦術は帝国軍の装備的な優越や河川を使った氾濫作戦をもいなし続けていた。

 局所的な戦力集中は共和国軍の得意とするところであった。

 帝国軍の生産拠点から遠いエノクサ城――共和国呼称リザール城塞――はヒトモノ共に常に不足を感じていて、直接戦力となる兵員以外の全ての不足がエノクサ城守備軍の悩みのタネだった。

 一昨年は積極的な共和国軍の攻勢などもあり、帝国軍の兵站の負担も無視できない規模になっているはずだった。

 昨年の夏、状況が一転したことで帝国軍はリザール湿地帯の共和国陣地を一気に打通した。

 帝国軍の攻勢は西方軍が軍制上自由に使える三十万の戦力と五十万の後備輜重を完全な形で使い、更に百二十の転地を命じられた貴族軍約三十万が領民開拓者三百万とともに第二陣で続くという巨大なものだった。

 これまでも帝国軍の軍制は名目上では同じものだったが、軍予算都合、と云うよりは西方軍の兵站実力からそれだけの兵力を西方の叛徒にむけることはできなかった。

 だが、帝国中原域で起きた様々な事件政変が政治的決断と軍事的素案とを兵站根拠として結びつけた。

 最終的に西戎征伐を決したのは、御稜威による転封の詔だった。

 中原領内の不遇の者たちを憐れまれた皇帝の大御心に数多くの貴族が新たな領地を与えられ、涙耐えられぬ随喜のままに新しい沃野に旅立った。

 これにて兵站の心配は西方軍の憂慮するところではなくなった。

 陛下の詔に応えるべく帝国貴族たちが一丸となり、西戎が跋扈する帝国西域への転封を約された貴族たちの門出を帝国全土を上げて祝い助けることになった。

 もちろん軍人一個人としては殿上人の小難しい生き様には関わりたくないと多くの者が考えたが、ともかくも西域征伐と貴族たちの転封を助けるべく帝国軍はエノクサ城を拠点に西進を始めた。

 大きく三つの段階でエルベ川まで軍勢を押し上げ、途中を征服するという作戦構造を持っていた。

 第一段階はギゼンヌ周辺の穀倉地帯を策源地として制圧する。

 既に転封を約束された先行する貴族たちがそれぞれの土地で開拓を始めている。今のところ、流れのつけ変わったリザール川の周辺までの土地の整理と開墾をおこなっているところで十分とは云えないが、自活が出来るようになり始めた村落もある。

 第二段階はリザール川の流れが変わったことで十分な広さを持つようになったモワール渓谷を抜けモワール城塞をリザール城塞南方に新たに建設した後にドーソンまで一気に進出する。とは云え距離が長いので、一部戦力は帝国に友好的な周辺国家であるヌライバ大公国に海路で兵を入れ経由する。

 リザール川中部流域はもともと狭隘山がちな地形で、耕作地としてはあまり人気はないが、それでも川の流れがつけ変わった影響で耕作地として有望な土地は増えた。

 更にリザール川の流れが落ち着いたところで河川流域を輸送経路として北上して有望な土地に開拓者を流し込む。

 さらに第三段階として難関で過去に敗退をするきっかけになったイズール山地を打通し、エルベ川流域まで進出するという計画だった。

 これは主にモワール城塞を進発した検索部隊によってイズール山地突破をおこない可能なれば共和国軍都直撃をおこなう足がかりとしたいという目論見がある。

 今のところモワール城塞は水が退いたばかりでようやく縄張りが終わったところに物資を集積し始めたばかりの砦の群れだったが、共和国軍はやはりそれどころではなくリザール川の流れのつけかえの意味するところをつかむに至っていない。

 完璧な戦略的奇襲である。

 膨大な数の開拓者を通すために徹底して整備された新街道と竜猪鉄道そして共和国軍を自称する叛徒の陣地を土石流で押し流すに足る水路と人造湖。

 およそ十年の歳月を重ねた西方軍の努力が中原の政変によって一気に加速することになった。

 さらに共和国の装備転換の失敗を織り込んだ上で、単純な侵攻計画ではなく征服計画として立案されていた。

 どれほど地形を利する優勢な作戦柔軟性を持っていようと歩兵火力で五分の一程度の部隊を過度に恐れる必要はない。

 更にアンドロ辺境伯爵領からモワール渓谷を経由した大規模な河川輸送をおこなって膨大な植民団を中心とした人員と物資を西域共和国領内に流し込んでいた。辺境伯は西方軍に組み込まれていなかったが、この度の転封を約した皇帝宣下によって領内の往来保証を約束していた。

 またリザール川の流れの付替えによって水位が下がるはずの広大なリザール湿地帯を干拓することで出来る、広大な農地を策源地として利用することで兵站上の負担を減らすことをもくろんでいた。

 これによって西方軍は圧倒的な兵站上の支援と長期的な根拠を確保していた。



 去年の春、共和国軍ミレノフ将軍が誘われるように引きこまれた罠は、作戦上の罠の可能性は認識していたはずで、しかし安易に迂闊であったとはいえない。縦深を深くすることは、戦術的な積み重ねが戦略的な安定につながる陣地戦の基本で、しばしば陣地の一辺数百キュビットが数千の兵の命で贖われていて、それを嫌っての共和国軍の縦深作戦であるが、取れる陣地を取ること自体は一般認識の上では誤りとはいえなかった。

 それに仮に共和国軍が帝国軍の罠を察知して進撃を中止していても大勢に影響はなかった。

 およそ四リーグの深さにわたって戦場を引き裂いた土石流のあとを押し渡るようにして翌日ゆうゆうと帝国軍が前進した。

 輜重どころか馬が渡るのも難しいような瓦礫の沼が出来上がっており進撃の速度は遅かったから、帝国軍の先鋒は兵站という意味では非常に脆いものだったが、状況が混乱していた共和国軍を粉砕するには十分なはずだった。

 帝国軍は共和国の装備転換の失敗について概要を把握していて、実際に様々な傍証から確信を得ていた。

 その確信が帝国軍の侵攻判断を最終的に後押しした。

 開戦時の共和国軍のうち、帝国軍水準の部隊戦力は八万程度、聯隊で十五から二十個程度とジューム藩王国からの情報で推定されていた。

 リザール湿地帯からギゼンヌ周辺の戦力は約八万。

 中でも最精鋭の四万は年中帝国軍との小競り合いを繰り返している部隊で総合的には帝国軍の標準をやや上回っていた。

 一年以内に移動が可能な師団は五から七個。兵力にして十万から十五万。

 合計で二十万をやや超える程度。ただし大多数は旧式の前装銃を装備しているか、備弾の不足から継戦能力が極端に低い。

 装備を含めた戦力の充実した警戒すべき聯隊は五六個がリザール湿地帯の陣地の破砕で撃滅されたと考えられていた。

 共和国の増援部隊については、伏撃を食らう場合を除けば、同数で当たれば戦力的な優勢は明らかであると考えられていた。

 ただし共和国軍は防御側で地の利があり、極めて巧妙に連携をするので数的不利を無視をすることは危険であると厳に戒められていた。

 帝国軍は開戦時にエノクサ城にいた部隊の粗方ほぼ六万まるごとをギゼンヌ方面ギゼンヌ・ペイテル・アタンズに進発させた。

 土石流に取り残されていた前線の僅かな共和国軍を捕虜を取ることなく一方的に撃破した帝国軍は川の対岸深くに当然いるはずの共和国軍の予備隊を次なる獲物とした。

 しかし共和国軍の適切果断にすぎる士官偵察と的確な遅滞戦術の結果として、およそ二日の遅れを喫し、その遅れを取り戻すことが出来ないまま、逆に想定以上に適切な反撃を受け、アタンズには約十日、ペイテルには半月、ギゼンヌに至ってはほぼひとつきの籠城防備の期間を与えることになってしまった。

 元来の帝国軍の作戦計画とは違い、共和国軍の戦術の基本である縦深への誘引と漸減作戦に帝国軍がまんまと付き合う形になった。

 しかしそれでも秋春の麦を調達することで帝国軍の兵站線そのものは期せずして起こった包囲戦に耐えるはずだった。

 帝国軍が計画の齟齬を意識し始めたのはギゼンヌ周辺での共和国軍の抵抗が激しく、収奪の成果が予定よりも薄いことだった。

 帝国軍は途中でギゼンヌの包囲を諦め、迂闊な出入りを伏せて狩ることに切り替えたが、共和国軍の守将であるラトイバル大佐は自分の積極戦術上の指導力に重大な疑念を自覚する種類の、手元の戦力と情報を重視する、良く言えば極めて慎重冷静な人物だった。

 積極果敢な野戦派の作戦参謀が大本営に戻ってからはなおさらだった。

 早期にギゼンヌを陥落させるという帝国軍の戦略構想は完全に粉砕された。



 そしてこの夏に至ってもペイテル・アタンズともに攻め切れていない。

 半月あまりの遅れのうちに、帝国軍の想定以上に共和国軍は頑健に防備を固めていた。

 輜重の往来の拡大に雪解けを待って、春に未だ落としきれていないアタンズを陥落させるために先鋒を笑ってやるくらいの軽い気持ちで現れた帝国軍を出迎えたのは、千々に粉砕されつつ、共和国軍の少なさと法外な優速のせいで辛うじて逃げ散り残った敗残のアタンズ包囲部隊だった。

 共和国軍のワージン将軍が味方の来援合流を待たずに攻勢に踏み切ったのは帝国軍の来援を知って、と云うよりはアタンズの内情が限界だったからということが大きいが、結果として帝国軍の合流を防ぎ、不完全ながら各個撃破をおこなうことに成功したといえる。

 湿地陣地がなくなり広くなった連絡線によって活発化した帝国軍の兵站は部隊の戦力を維持するに十分な弾薬糧秣を供給していたが、奇妙なことに装備で劣るはずの共和国軍を同数で揉み潰せない。

 それどころか異常なまでに優秀な敵散兵によって帝国軍はしばしば局地的に劣勢に追いやられ、軍勢をむしられるように下がらざるをえない局面を度々迎えていた。

 帝国軍はペイテルを攻囲中だった軍勢の一部を引き抜き、約三倍の戦力を活かして包囲を試みるも空騎兵を失って優速の敵を完全な形で捉えるのは難しく、それでもようやく補足したところで共和国軍の新手が現れ、側面を挟撃され却ってほぼ半数を失った。

 予想外に動きの良い敵を確認しようと追っていた空騎兵が更に一騎落とされ、帝国の動きは更に混乱する。

 帝国軍の兵站上の陥穽があったわけではない。

 単純な戦術上の油断慢心があったわけでもない。

 作戦上、戦力の優勢は帝国軍にあった。

 敢えて原因を求めれば、共和国軍の散兵の質が格段に異様なまでに上がっていた。

 魔法使いと呼ばれる者達を戦場に駆り出していることは帝国軍でも噂以上の話としては知られていたが、それは一種の虚仮威しのような、一回限りの罠のようなものだった。

 つまりはちょっとしたネズミの勇者の見事な勇戦というだけに過ぎないもので、一旦負けたとして痛手を与えた敵に、お見事、と言葉をかけ踏み砕けば良いようなものであった。

 しかし、ここしばらくの共和国軍散兵の質向上はそういう領域を遥かに超えていた。

 これまでの常識ではどう考えても部隊を伏せられるはずもない地形で横合いから突っかけるような濃密な射撃をくらい、撃った敵の撤退を確認できないほどの鮮やかさで騎兵中隊が竿立ちにされ、突撃をかけた的だったはずの歩兵銃列から追撃を受けるという事件が頻繁に起こっていた。

 このことは騎兵歩兵戦力の正面打撃力に自信を持っていた帝国軍部隊指揮官にとって深刻な事態だった。

 散兵戦術の効果は帝国軍でも知っていたが、せいぜい馬や指揮官を怯えさせ気を横にそらし、反対側の部隊と連携を容易にするための、つまりは猫に鈴をつけるネズミの勇者のようなものだったはずだった。

 罠の餌として糸としてなかなかに巧妙であることは帝国軍も理解していた。

 だが数にまさる猫が無様を晒さなければそれぞれの一撫でで粉砕できるような種類の踊りきれない綱渡りのようなもののはずでもあった。

 ところが、この春になって共和国の散兵は指揮官を脅かすどころか、部隊まるごとを撃ち倒す勢いで弾幕を張り去ってゆく。

 盲撃ちで応射をしても巧妙に隠れている。

 帝国軍にはなにが起こっているのか、全くわからないうちに夏が終わっていた。

 アタンズ正面は再び倍の戦力が揃った。

 だが、去年のような気楽さは帝国軍にはなくなっていた。

 空騎兵に輜重の魁をおこなわせるのも危険になっていた。



 異常に足の早い部隊が大砲と変わらない距離から空騎兵を目印に周辺の帝国軍に嫌がらせの銃撃をするようになっていたし、まぐれを狙った鉄砲撃ちが撃ちかけて、しかも既に城塞の空騎兵の半数以上が討ち果たされていた。

 飛ぶ以上は墜ちるとは空騎兵自身が常に戒めにする笑い話であるが、初年の次年の若者若鷹であればともかく、砦の天兵たちは歴戦の強者で、他人の言葉に笑って見せても飛んで墜ちることの運命を笑って無視するようなものはいない。

 戦場ではどれほど強い命令があろうと自分と鷹に危険がある風にも雲にも乗らない。

 空騎兵が墜ちるということは本人と上官の人品を疑われるまでの問題であったが、三騎が相次いで戦死するに至って共和国軍の鉄砲撃ちの仕業であるという噂がとうとうに出てきた。

 本国の近衛騎士であるまいし、対空戦闘に慣れたものがおるかという言葉もあった。

 共和国軍は紐付網付の葡萄弾や葡萄弾の間に銃弾や砂を詰めた砲弾などの様々な工夫努力をリザール城塞の空騎兵におこなっていて、稚拙ながら研究自体はおこなっていた。帝国軍も共和国軍の努力を認め、ここしばらくは空騎兵も油断なく戦死はなかったが、過去に戦死がなかったわけではなかった。

 とうとう共和国軍が新しい方法を見つけてきた、そういうことだろう、と空騎兵の口の端に上ることになった。

 二羽の竜鷹がエノクサ城には寄騎の騎士と共にまだ残っているが、もともと前線の便の悪い城塞ということで様々に空騎兵には評判の悪い任地で、三騎の空騎兵がわずか半年の間に次々に失われると、近衛騎士でもある空騎士の補充は遅くなることは間違いなかった。



 エノクサ城を預かるユイムラ・ゲンジョウ中将としては去年の冬の段階で攻勢の失敗を予感していたからリザール川の渡河点を抑える形で砦を築き、貴族軍を待ち陣地線を拡大することで長期的な圧力を掛けることにしたほうが良い、と消極策を二度ほど提案したが、兵站を預かる将校が慎重を訴える事は至極当然御役目ご苦労、と総司令官マリゥラ・ボウサイズ大将に司令部衆人立ち会いのもと流された。

 川沿いの土地は当然に開拓民に人気の土地で、そこを帝国軍が大きく抑えることは軍政面でも都合が悪い。植民した貴族領民の判断であればともかく軍が拠点と頼めるほどの永久陣地を築くことが好ましい土地ではない。

 それに共和国軍も数が少ないと見えてあまり深々とは圧してこない。

 当初計画の失敗はボウサイズ大将も認識していて、様々に検討もなされていたが、敵が想定を上回って勇戦することは儘あることで、苛烈果敢な敵の存在を油断するな、という訓示で終わった。

 そもそもボウサイズ大将は共和国軍の作戦能力を侮ったことはなかった。

 たしかに共和国軍は小銃を始めとした正面装備で帝国軍に完全に劣位にあったが、小規模部隊といえど連携が徹底していて、局所的な戦力集中を作戦域に連携させるだけの戦力運用の巧妙さがあったし、ミレノフ将軍のようなときに大を活かすために小を殺す判断を自ら立てる優秀な指揮官も各層に多い。



 思えば帝国軍のつまづきはミレノフ将軍が我が身の手遅れを知ってなお発した幾つかの策に発していた。

 常識的な判断からすれば味方の救出に尽力したいはずの状況で、敢えて全てを防戦に向けた判断は非情ではあるが、ミレノフ将軍らしい判断とも云え、実際にゴルデベルグ中尉という参謀が数次にわたってミレノフ将軍の命令を伝えていたことを帝国軍は追撃戦のさなかで把握していた。

 ミレノフ将軍が類稀な勇将で虚実織り交ぜた防衛戦の名将であることは帝国軍も認識していたが、ミレノフ将軍と彼の幕僚の多くが作戦劈頭に戦死したことは帝国軍自身が兵站路確保の際の道普請の工事ですでに確認していた。

 一方でその過程でミレノフ将軍が全軍に陣地線の放棄と各拠点都市での防戦を指示していたことを、帝国軍は掴んでいる。

 当然、共和国軍の基本方針からは大きく逸脱した命令であったから大きな混乱もあったが、結果として帝国軍の追撃によって撃滅されるはずの共和国軍の多くはその顎を辛くも逃れた。

 実のところ、後退戦におけるミレノフ将軍の命令書箋と符牒帯はミレノフ将軍の司令部からリザがドサクサに紛れて奪うようにして手に入れた命令書箋と符牒帯で、共和国軍でもミレノフ将軍の生死について混乱を引き起こしていた。

 事実が発覚すれば理由の如何を問わず、軍籍剥奪極刑ということになる。

 ゴルデベルグ大尉の越権専横は戦場の混乱に紛れていた。

 共和国軍も帝国軍の戦略的な奇襲から半年間なにも努力をしていなかったわけではない。

 ただ数的に帝国軍よりもやや優勢である八万のミレノフ軍団が僅かな期間に粉砕され、ふたつき足らずでギゼンヌ周辺を制圧されるとは考えていなかった。

 エノクサ城は巨城ではあるが生産拠点ではなく、本国への間道は複数あるが兵站という意味ではほぼ一本道の辺境の城塞にすぎない。

 リザール川を使った河川運行なぞ両国とも許すはずもなかった。

 そこに常時四万を詰めさせている帝国軍の努力については共和国軍でも感心しきりで、それが故に小規模な後方浸透で頻繁に状況を確認していた。

 それが一昨年約二万人の兵力を増員してきた。

 それまでも不定期に装備の転換などに合わせて戦力の入れ替えを行ってきた帝国軍がまたしても新兵器を持ち込んできたか、という不安にかられた共和国軍ミレノフ将軍は小規模な予備攻撃をおこないこれに成功する。

 ミレノフ将軍は部隊の入れ替えではなく増員の可能性を後方に連絡し、軍都に石炭弾薬の供給量を増やすように求めた。

 戦域に応じ規模こそ大きいがミレノフ軍団は、見込みのある新兵が三年過ごす任地として知られていた。

 しばしの政治的な駆け引きがあり、ミレノフ将軍とは様々に折り合いの悪いワージン将軍の師団がリザール川の下流域の防備を増すという名目で派遣された。

 ミレノフ将軍の直下の戦力には定例定期的な補充交代配置しかおこなわれなかった。

 それでも数に劣る側が短期に陣地を突破することは難しく、ましてやリザール湿地帯の共和国軍陣地は単に石組みの城郭がないというだけで事実上の城塞だった。

 それを山津波でリザール川もろともに引き裂き、共和国軍陣地を粉砕し突破してきた。

 ミレノフ軍団の全戦力が陣地線に張り付いていたわけではないが、陣地を失い状況がつかめないまま孤立した部隊が、火力優勢な帝国軍による奇襲に耐えられるわけがない。

 帝国軍の六万の兵が瞬く間にギゼンヌに殺到し、そのまま一帯を無血占領する。



 これが帝国軍の西域征伐の第一段階のはずだった。

 だがそれを阻止したのがゴルデベルグ中尉の戦場管制能力だった。

 帝国軍の侵攻に対応すべく共和国各州自治体の協力を経て段階的に師団の充実と移動が可能になった。

 帝国軍も無血占領に失敗したのならば諦めて帰ればいいものを、政治的判断が絡めばそうはゆかない。

 帝国軍は雪解けとともにエノクサ城に五万を送り込み、夏にさらに十六万を三つに分けて送り込んできた。

 冬から春にかけてヌライバ大公国での奇妙な動きは共和国軍でも察知していた。

 どういう動きでか南方を抜けるつもりであるだろうと考えていた。

 自称開放的な人達による独立国であるヌライバ大公国は奇妙な釣り合いで成り立っている国だったが、何やらの取引の結果として五万の兵の通過を許していた。

 その一方で共和国には非公式にドーソンに規模や大まかな時期なども知らせてきた。これにはマルミス師団アリオン師団ミノア師団の三師団が応援に向かっている。

 モワール渓谷に新たに建設されたモワール城塞からは約五万がイズール山地を山地を突破して軍都を突ける道を探していたが、結局、北西へ進み、ヌモゥズへ至った。

 これは純粋な移動経路上の都合に従ったまでで作戦的奇襲意図は全く無かったが、結果として帝国軍としても共和国軍としても全く不本意な展開になった。

 共和国軍にとってはギゼンヌ周辺への物流拠点であるウモツが丸裸になった。

 相応に拠点化陣地化の努力はしていた。

 しかし輜重が運んできた物資については必ずしも十分に防御をなしていたとはいえなかった。

 そもそも運行されている輜重に対する十分な防備があるわけでもないし、物流に比して人員に余裕が有るわけでもない。

 もともと帝国軍の戦争意図も規模もきちんと把握していなかった共和国軍にとっては、突然降って湧いた軍勢でどれだけが抜けたのか抜けていないのかわからないままにイズール山地という巨大な領域に目を向ける必要が起こり、後方から気楽に輜重を山地を越えさせるなどということはできなくなっていた。 

 偶々興味を抑えきれずに不用意に動いた空騎兵を落としたことで、多少戦況としては有利である印象もある。

 だが、元来ギゼンヌ後方の兵站基地という意味合いで各師団が順繰りに入っていたが、帝国軍がここまでも腕の伸ばしているのであれば、部隊が動けなくなってしまった。

 しかもぶつかった帝国軍の規模がかなり大きいと云うところまでわかったところで、共和国軍は後方の部隊の安易な移動が難しくなった。

 一方で帝国軍としては隠密理にイズール山地を突破するという戦略的意味を失っていた。

 しかもこのとき先鋒部隊は地形によって運動を阻害され、共和国軍に対して数的有利を活かすことが出来ない地形に嵌り込んでしまった。

 下がるべきかウモツを抑えるべきか散るべきかで、下がりつつ抑え散るという戦術的には損害を増やす選択を帝国軍がおこなったことで、しかし共和国軍は判断に悩むことになった。

 全くその場紛れの保身策で味方の半数を切り捨てることで後退したようなものだったが、結果として数に劣る共和国軍は全く見事に帝国軍の本隊の規模と意図を見失った。

 この瞬間に帝国軍の軍都直撃を狙った中部軍団の意義は十分に果たせたとも云える。

 軍隊というものが命令によって、ときにあっさりと無茶と無謀を平然と成し遂げることは共和国軍でも誰もが理解していたし、実績としてワージン将軍の部隊の一部は配置転換のおりにイズール山地を突破していたから、不明な情報を元に戦力の推定をすることはできなかった。

 推定三万から五万の軍勢がイズール山地に於いて活動しているという推測は共和国軍にとって到底無視できるものではなかった。

 そして五万ほどの軍勢がリザール川のヌモゥズ一帯の支流域を睨む位置に陣地を構えてしまった。

 とは云え、帝国軍に統合的な戦略的意図があったわけではない。



 二十七歳という若さで中部軍団先軍司令官を任じられたアンドロ・ウメルダ中将はあっさりと本営五千とともに引き上げた。

 彼は混乱のうちに配下の師団がひとつ崩壊するのを知るや、掌握の困難な師団をあっさりと切り捨て、健全な師団にイズール山地東部リザール川支流域と川向うの敵城塞周辺を睨む形で縄張りを切り陣を築かせ、自身は本営とともに後退した。

 ウメルダス城と名付けられたそれは、後続していた輜重二万によって簡素にしかし無視できない陣容を短期に整えてしまった。

 それは手持ちの大小行李を材木として使い、三日ほどで防塁の基礎としたもので、軍団輜重の半分ほども潰したに等しいが、もはや大機動をおこなう気のない軍団にとってはさした問題でもなかった。

 もともと十万の軍勢をひとつきにわたって歩き回らせるつもりであった物資は五万で山の中で動かないとあれば四半年は立て篭もれる量だったし、新天地を目指し我先に飛び出すように旅だった貴族が派遣した開拓者たちはウメルダス城のすぐ背後にいるはずだった。

 既に五十万近い植民者たちを川沿いに送り出していたモワール城塞は、この時期、城塞というよりは沼地に点在する登楼を束ねた野営陣地と大差ない姿だった。

 モワール城塞は築城に相応の努力をなされたといっても期間も短く、何よりも収容員数と備蓄量を増やすことだけに尽力されたために様々にアンドロ中将には不満もあった。

 派遣された空騎兵の質も怪しい。功名に逸った者があっさりと落とされてしまった。そのためにイズール山地の検索がいよいよ面倒になってきた。

 とは言え、その統制を執る者がこれまでいなかった。

 帝国軍の命令系統上の問題は根深かったが、ともかくアンドロ中将が戻ってきたことによって、イズール山地の検索が多少組織的におこなえるようになった。

 配下空騎兵に味方の兵を探すことを命じ、自身は西部軍本営にイズール山地の踏破路の検索が難航していて共和国軍の動きが鈍かった分重厚である所感とほかに共和国軍が組織的に新兵器を投入していることを戦況報告すると、自領から従兵三千を呼び寄せてモワール城塞の整備築城をおこない始めた。

 帝国軍の事前の計画では鎧袖一触で馬の上で居眠りしているうちに共和国軍に包囲されたジューム藩王国までたどり着ける。という話だったが、そんな容易いことでないことは、この夏までの流れでアンドロ伯爵中将には明らかになったように思えた。

 勝利を確信した政治的な色合いをこの一年で強めていた西部軍本営の反応は極めて混沌としたもので戦争の転換について素直に受け入れられていない様子であったが、前方に進出していた貴族軍からの不安げな声もあり、前線から引き上げてきたアンドロ中将が必ずしも戦務を投げ出したという印象があったわけではない。

 ウメルダス城を預かったゴッヘル少将は歴戦の勇将でアンドロ中将の編制の妙には唸るところもあったが、野戦指揮官としては二段落ちると日頃ぶちまけていた。

 実際にアンドロ中将は暗いと落ち着いて用も足せないような小心を気にするような人物であったから、手配り細心のアンドロ中将を歴戦勇猛なゴッヘル少将が支えるというのは、家格で劣るものの戦功でも年齢でも上のゴッヘル少将にとっては胸の内をくすぐるものであったし、それをそのままいい気にさせて働きに変えるくらいにはアンドロ中将の人となりは穏やかだった。

 共和国軍の動きが思いのほか活発であることは、アンドロ伯爵中将がモワール城塞の整備をおこなう必要を強調してもいた。

 モワール城塞は植民者がリザール川流域に入植するにあたって重要な経路にあたる要衝でもあった。

 リザール川の流れが変わり一年で十キュビットほども水の深さが変わったモワール渓谷とアンドロア湖はその流れが共和国に向いており、所領としていたアンドロ伯爵家にとっては景観の大きさ優美さを誇るだけの夏のための避暑地に過ぎず、林業や農業を財となすにもなかなかに難しい土地だった。

 帝国側では広い森林を使った林業をおこなっているが、もともと辺鄙な土地であるためにこれまであまり積極的に木材の搬出はおこなえなかった。

 貴族の下賜された龍猪を土で塗れさせるなぞ、と笑われるほどにつかい痩せさせていたが、道のりはそれでも足りぬほどに険しい土地だった。

 北部をリザール山地、南部をモワール高地という峻険な地形に囲まれリザール川に繋がる流れは、かつてはリザール城周辺に木材を大量に搬出する出口だったこともあるが、度重なるリザール川を使った氾濫作戦の結果としてリザール湿地帯周辺の川の流れは物を運ぶのに全く適さない状態になっていた。

 また両軍ともそれを改めるつもりもなくなっていた。

 リザール川の流れがなくなり、アンドロア湖の水面が大きく下がることは予め帝国も把握していた。ただしそれがどれほどの規模であるのか速さであるのかは全く予断を許さなかった。

 そのために幾つかの案が存在したが、一年ほどの結果としてリザール川本流の流れが一気に十数リーグ西にずれたことで、モワール渓谷の数十キュビット場所によっては百キュビットほども幅のあった流れはほとんど枯れたと言って良い程度に細っていた。

 とは云え、その程度のこれまでに比べれば小川と云って良い流れでも山越えに馬車を走らせるよりはよほど手早く植民者たちを送り出す水路には使えていた。

 流域利用の阻止策として過去にもおこなった流木作戦を今回は資材搬送用の手段として、また流れのつけ変わったリザール川上流域への往来経路として、モワール城塞は短期間で素早く兵員と馬匹を休ませるのに十分な拠点として変貌した。

 戦略拠点としての意味が成立したモワール城塞を維持するためにアンドロ伯爵領の帝国側を数万の軍勢とそれに数倍する輜重を進ませることができる街道に整備され、長年の領民の悲願であった街道の整備がなった。

 さらに干上がったアンドロア湖の干拓が当面の実りを約束してくれた。

 戦争計画を聞いた時には無謀かつ愚かしい所業と思ったが、国境を預かる者の当然の慎重論としてアンドロ伯爵は最初に貴族会議で二度の攻勢反対を投じた後はなだめすかされるように、棄権あるいは賛成に投じていた。

 戦争計画の杜撰には多くの疑問もあるが、それは大規模計画にはつきものだったし、領民に利益があり飢える者がなく蓄えを増やしている限り、ある意味アンドロ伯爵としてはどうでも良かった。

 兵站基地としての伯爵領は当初ひどくやせ細ったものだった。

 だが街道が太くなって往来が増えたことで、荷駄の数を維持できるかぎりは周辺領国との金の問題でケリが付いたし、辺境の土地を治めている伯爵としては物資はともかくその程度の額面の蓄えはあった。

 そしてこの先しばらくは干拓によって父祖の地に張り付いて頑張ってくれていた農民に多少いい思いをさせてやれそうだった。

 なによりも良い所は戦力の大部分を供出する貴族軍に対しての義務は片道の通過免状だけで良いという点だった。

 彼らには兵糧を準備してやる義務はなかった。

 とはいえ、そういった建前はしばしば破られるものであったが、安く買って高く売る、というのは商売の鉄則で、辺境の地ではつまらないものでも高くなるものだった。

 切り取った領地については各貴族のものとなるという合意であったから豊かであることが明白な北方に進出したがる貴族が多かったが、一方で水源自体は豊かであることがわかっているリザール川下流域を狙う貴族もいた。

 自領を確定した後は交換でも売却でもいいだろうと多くは考えていた。

 帝国はそれなりに豊かな土地が多かったから、土地の価値を多くの貴族は甘く見積もっていたが、辺境伯であるアンドロ伯爵はそれほどに楽観はしていなかった。

 豊かであろう土地は現リザール川流域と流れが付け変わった後の新流域くらいであろうと見積もっていた。

 共和国がなぜこれほどに人口が少なく、しかし帝国軍に抗し得ているかといえば、共和国の土地の貧しさに由来するに他ならない。

 それは人の個の強さ群れの強さに関わるものではなく、単に考え方の問題だと言えた。

 初撃での快勝を逃したこの後、この戦争で利益を得るのはもはや難しい。

 目の前を元気よく或いは諦念混じりに過ぎゆく月に数万の転封貴族と植民者の群れを眺めながら、アンドロ伯爵はそう疑っていた。

 アンドロ伯爵は中部軍団司令官として年明けまでにイズール山地の突破報告がない場合、ウメルダス城を放棄撤収せよ、とゴッヘル少将に命令書を送った。

 おそらくは年長のゴッヘル少将は軍場の空気を楽しめない若造の言葉に怒り嘲笑うだろう。

 だが、ゴッヘル少将のそういう歯に衣着せぬところをアンドロ伯爵は好んでいたし、もし仮に伯爵の中将としての戦争の収益感覚が正しいなら、ゴッヘル少将の助けなしに自分一人でモワール城塞を守ること、ひいては所領を守ることは難しいだろうと考えていた。

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