共和国軍大元帥ゲオルギウス・ヴァージェンチウム 共和国協定千四百三十七年秋分

 建前を抜きにリザール湿地帯を巡る帝国との戦争の状況を眺めてみれば、到底勝てるはずのない前線の状況で、どのようにペイテル・アタンズを見捨てるか、という決断だけが共和国を救うように共和国軍大元帥ゲオルギウス・ヴァージェンチウムには感じられていた。

 五万の兵が掻き消されるように短期間に失われる状況は誰もが考えてはいなかったし、後方から予備を送り込むと云って、その予備をかき集めて送り出しただけでは支えられないほど、既に前線は線の形を呈していなかった。

 その状況に変化があったのはこの春。

 様々に規則の遵守をおこなわない現役将軍であるジオルグ・ワージン将軍が、怪しげな取引をおこない始めた辺りから感じられた。

 共和国軍では共和国協定に反しない限りにおいて、将官は統帥権によって自治法や大部分の軍法に掣肘されることは免れる。

 だが、一方で自治法或いは軍法に則った告発があった場合、高等査問聴聞会が開かれることになる。

 高等査問聴聞会はいわゆる軍法裁判とは異なるが、高等査問聴聞会の会期が設定できる最大二年の職務停止の間、将軍の権限のほとんど全てである統帥権が停止することになっているから、聴聞会の結果の有為無為有罪無罪に関わらず、組織人としては懲役刑と変わらないことになる。

 大元帥の手元に来た報告の幾つかによって、数名の将軍たちが既に軍法を犯していることを示唆する報告が上がっていた。

 戦争の推移を気にしない幾つかの部署は、組織の政治力学に則って動き始めていて、国際政治を気にする幾つかの部署では懸念を発していた。軍政の面からすれば、最悪の展開を危惧出来る。

 大元帥は幾つかの調整の検討指示をおこなった。

 前線の将兵たちがあたかも子供の駄々のように規則を破ったとして、帝国軍のあまりの力に敗北が押し寄せ勝利がおぼつかないとしても、戦争の敗北の理由の言い訳として身内からの告発が理由に上がるようでは利敵行為もいいところだ、と組織の責任を一歩引いた位置から査閲する立場である大元帥は考えていた。

 将軍たちの逸脱行為が、戦況の好転と関連があるように思えるとあればなおさらだった。

 もちろん各種の法規は、組織運営において様々な状況の整理のために定められたもので、共和国軍の本懐は、国軍として共和国の国体を護持することにあるから、存亡に関わるような帝国との戦いにおいてその敗北を払いのけるためとあらば、法規がその障害になるとあらば払いのける決断は統帥権の範囲でもある。

 ときに統帥権によって共和国協定以外の全ての法規を無視することを、軍法は許していた。

 そのために将軍たちには軍法会議ではなく、高等査問聴聞会、という現行法規に対する意見聴聞という形でその行動の審議がおこなわれる。

 大元帥の見たところ、ワージン将軍は軍法上、全く粗雑な行動を取っているようにみえた。

 いくら勝利のために必要な物資の調達であるにせよ、もう少し慎重な行動を取ってもらわなくては大議会でも、また大本営内部でも退屈しのぎに羽をむしったりタールを塗りつけたがる連中が出ることは避けられない。

 大元帥の判断を軍令本部が内々に打診してきたのは、もちろんワージン将軍の作戦能力を評価してのことだが、政治的な無能や傲慢な甘えに手を焼いてのことでもある。

 ワージン将軍は新型小銃を巡る取引をおこなっていた。

 また更に幾らかの新兵器を現金で調達していた。その金額がどこから出たか、というところが疑わしいとされている。

 その前年の秋にギゼンヌから帰還した幾人かの女性士官に勲章を与えた記憶はあるが、その一人としきりに接触を繰り返し、なにやらを購入した辺りから事態が変化した。

 新型小銃と云えば様々に革新的な試みに期待が持たれた後装小銃にも大きな転機が訪れていたことを、大元帥は当然に気にかけていた。

 大元帥とロータル鉄工の間には慎ましやかながら付き合いもあった。

 四期前、大元帥選挙の折に新兵器導入を約束して以降、常に大きな政治資金を寄付してくれていたロータル鉄工がこの春あっさりと経営買収されてしまった。

 今は経営方針の見直しと資産整理を実施中ということで、事実上軍需企業としての活動は停止している。

 軍需産業がどうして何故にこうもあっさりと買収されるような事態になるまで放置されていたのか、当然に様々に確認をとったが、成り行きそのものはともかく憲兵隊が大きく動いていることがはっきりしたことで、大元帥は静かに手を引くことにした。

 一般情報として買収し経営継承した企業からの説明によれば、従来弾丸には欠陥があり、それを改善した新型装薬を使って銃身の清掃と矯正をおこなうように、という指示希望を出していた。

 既に二十万丁ほども共和国軍に納入されていた小銃に対して、年間二百五十万発ほどの弾薬をようやく流通させるような状態では、軍需を満たすとは到底言えないもので、前線からはむしろ旧式マスケットを倉庫から出してよこせ、と云われる始末だった小銃がようやく期待通りの性能を発揮し始めたらしいとも聞いた。

 いまロータル鉄工は、いくつかの疑獄事件に関わっていた疑いも持たれている。


 今から十五年前。

 ロータル鉄工が画期的な新兵器として新型後装小銃を開発し、その年のうちに八千丁を軍に納入した。昨年の共和国軍納入数は各地の工房で合わせて三万丁弱を数えている。

 それまでの後装銃は前装銃に比べて銃の状態を保ちやすい反面、手元の開放部が大きくなりがちで構造的に閉鎖部を持たないものもあり、マッチロック式よりもさらに危険なものも多かった。

 先んじて後装化の動きを見せていた軍船向けの大砲が威力不足と頻発する事故の多さから再び前装砲に切り替わったのと同じような問題が後装小銃には長年付きまとっていた。

 その問題の尽くに応えてみせたのがロータル鉄工の開発した新型小銃である。

 ロータル鉄工の新型小銃は基本的な技術の多くはパーカッションロック式の延長ではあったし、共和国軍の一部聯隊ですでに先行して部隊配備されていた紙巻パトローネを使うパーカッションロックの最新小銃に似た構造も多かったが、金属薬莢を使う新しい閉鎖機構部はそれまでの紙巻き薬莢を使った後装銃やマスケット銃とは決定的に異なっていた。特に贅沢に金属の薄板を使い捨てのガスケットとする思い切りの良さが安全を担保する画期的な製品だった。

 銃床そのものを蝶番式閉鎖器とする機構は後装式の大砲と大差ない構造でありながら、爆粉を底に詰めた鍋型の金属容器の外からバネ仕掛けのハンマーを落とす回転式拳銃の機構を取り込んだ構造と組み合わさり、金属薬莢が火薬の圧力で適切に隙間を埋めれば、理想的には開放部がなくなり火薬の圧力のすべては前方に向かう。安全なうえに威力が上がる。誰もがそう期待した。

 行軍演習のひと月の間の携行弾薬の状態を保ち、訓練中の不発の低さや清掃作業の簡便さなどの良好な評価を得ていた。演習の間一日二十発ほどの標的射撃を繰り返し、新時代を感じさせる兵器として共和国軍に採用された。

 そして、軍需倉庫への備蓄をおこなうために定期的な納入が求められ開始された。

 相応量の雷汞を準備することは困難とされていたが、雷汞は希少品ではあるものの各地の鉱山での発破に使われる工業品で、そこから融通ができないほどに決定的な問題とはされなかった。

 問題は画期的な構造を支える金属薬莢の方だった。

 真鍮の薄板を複雑な形に加工する金属薬莢を安定して生産するには、相応に高度な熟練工が多数必要だった。

 そのため、ロータル鉄工と共和国軍の間で奴隷競売に関する協定が結ばれた。共和国軍は共和国公益奴隷競売にかけられる一定の技能や軍歴を持った犯罪者や破産人を優先して一定値の奴隷として競り落としていたが、ロータル鉄工が希望する奴隷に関して共和国軍は競売に参加しないという協定である。大元帥は協定書すべてを閲覧する義務があるし、必要とあれば承認もおこなう。

 ロータル鉄工との協定交渉には幾度か立ち会いもした。

 とは云え大元帥がロータル鉄工に纏わる不正に、直接に関与したという実際事実はない。

 大元帥としてヴァージェンチウムにできたことは、せいぜいロータル鉄工の設備投資に必要な奴隷調達の件についてリスクを管理するように、いくつかの行政司法組織とロータル鉄工の間をとりもつような穏便な会談の機会を複数回設けるくらいだった。

 大元帥が現場に直接何かを求めることが出来るほどに、共和国軍は小さな組織ではない。

 彼らがどういう風にそれぞれ動いたかはわからないが、最終的にそれなりに穏便な結果になったようで、生産量の行き詰っていたロータル鉄工は兵站を満足させる程ではなかったが、ともかく段階的に前向きな成果を上げてはいた。

 いずれにせよ、銃後の備えの切り替えに時間と手間がかかることは誰しも承知していたから、更に十分な体制が整えば備蓄も満足できるだろうという前向きな期待が持て始めた。


 その最中での帝国軍の侵攻だった。

 極めて奇襲的な帝国軍の侵攻は文字通りに破天荒なもので、旧来十分と思われ予備まで手抜かりなく準備をしていたはずのリザール湿地帯を突破し、一気にギゼンヌを突いた。

 結果として何やらの偶然天恵が共和国軍を支え年が過ぎたが、その程度ではあまりの急展開に兵力の移動が間に合うはずもなかった。

 はっきり言えばあまりに絶望的な状況だったので、戦力の各個撃破をされるよりは、国家崩壊の危機的状況に陥るとしても、ギリギリまで戦力を蓄えてから挑むべきだという、絶望と放心と冷静の間の意見――往々にして絶望と放心に落ちやすい判断を共和国軍総軍司令部は下していた。

 ワージン将軍はそれでも敢えて戦う、止めるつもりなら捕縛をしてみろ、という意気込みで大本営に乗り込んで現れた。

 実態として既に戦地と云うべき遠隔地にあるワージン師団の戦力については、大本営軍令本部作戦課を中心とした総軍司令部では、反撃戦力としては計算されていなかった。

 また帝国軍の奇襲からこっち積極的な行動をしないままでいるということも様々に悪影響があり、大議会では軍が既に戦いを諦めているのかという質疑にもなっていた。

 冬までにアタンズに到れる位置にいる師団長とワージン将軍は善後策を協議していたが、実際にはひどく怪しげな成算であることは将軍たち自身が認識していた。

 だが僅かな新兵器を調達したワージン将軍は師団本隊と合流するや、帝国軍に執拗に挑みかけ、ついにはアタンズを解放した。

 様々な経路から確認するに、大元帥のもとに様々な規則を突破してもたらされた情報はひどくゆっくりで、経過そのものが曖昧で既に手遅れであるものが多かった。

 最終的に大元帥は新兵器の導入と奇妙な名称に切り替わった銃弾の代用品の供給先との取引を承認した記録にたどり着いた。

 大元帥はしばしば細かな雑事から切り離されて軍の行動に関する政治的な状況を整備することを求められるが、今回もまさにそういった事柄のひとつであったといえる。

 自身を軍事作戦上必要とせず、戦争の勝利に貢献しそうな要因から切り離されていることについて、大元帥は当然に寂しくも思っていた。

 しかし結果として周りと同じように驚いてみせることで、戦争の転機が訪れたことを周辺に示す意味について瞬間的に悟り、実際にそうしてみせ、大議会における戦争の抗戦の意義、勝機、正義について疑う余地が無いことを大議会に出席した議員官僚などの聴衆たちに訴えた。

 それはあまりの演説の熱の入りように大元帥自身がむせりかえるほどの雄弁で、個人としても州の立場としても厄介面倒くさい人物であることにおいては、共和国でも一二を争うデカート州大議員チルソニア・デンジュウルをも動かした。

 後に知るところでは彼は大元帥よりは先に抗戦を決意していた風もあったのだが、この人物は全く度し難く面倒くさいことに、戦争について誰がどういう論を振っても、これまで議会では土塊のように冷たくあしらうばかりだった。

 それが大元帥が勝利に向けた演説を受けるように、デカート州で既に義勇兵一個旅団を準備し、実戦向けの新型小銃を新兵器として装備し、共和国軍と協力してギゼンヌからアタンズまでを支えるつもりだと言い出した。

 あまりに衝撃的な内容で、聴衆として臨席していた各地の連絡職員が様々にデカート州大議員の発言を持ち帰るために走り始めた。

 今更軍都から本邦に走ったとして、デカートがすでに動き出したとすれば四半年か半年かは遅れるわけで、これから戦況と展望を長々と大元帥に問い詰めるつもりだった大議員たちの、出し抜かれたという思いを張り付けたような狼狽え顔を満足そうに眺めたデンジュウル議員を、人々は憎々しげに睨みつけるしかなく、それがまた意を得て嬉しいらしくデンジュウル大議員は莞爾と笑った。

 デカート州デンジュウル大議員といえば、軍の装備計画に大きな疑問を投げかけ、軍の方針や体制配置の尽くに疑問を持っている反軍派或いは反戦派という印象を周囲のだれもが持っていた。

 だが、ここにきて共和国軍に対して全面的な協力を約した。

 今となっては、反軍派反戦派という単純な線引をおこなうには奇妙に軍の内情に詳しく、実は憂国の士であったか、と思わないでもないが、嫌がらせの相手のことをきちんと調べるのは嫌がらせの第一歩だ、という彼の言葉を知る者にはやはり単に面倒くさい人物であるようにも考えられた。

 ともかくそれがなにを意味しているのかということは明白で、デカートは戦線から遥かに後方にあって、しかし戦争から利益を得られると判断した。ということに他ならない。

 そして、敢えて共和国軍の足を引っ張らずとも利益が得られる方法を見つけた。

 そういうことだった。

 大元帥はデカート州の利益について新型小銃とその銃弾以外に徴候を発見することに成功した。機関車の製造販売という物もあったが、そういうもの以上のものを軍のワージン師団の兵站参謀が残していた。

 共和国内州間における機械化輸送網の設定建設、という論文だった。

 機関車運行に適した道路整備をおこなうことで、輜重輸送の効率と速度を飛躍的に上げる、という直近の戦争の先、やや遠い未来を見据えた論文は、しかし実際に軍で試験的に導入した機関車が一日あたりの移動距離で騎馬の約十五倍、単純速度でも五倍程度を記録したことを記していた。

 現状では細かな問題も多く、牛馬の代わりになる輸送機械を生産している工房が実際にはひとつしかないことが致命的である、と述べていたが、機関船は既にストーン商会が試作を終え運用を始め、更に必要を訴え生産を拡大することで問題の一部は解決できるとしていた。

 この先、河川の運行が大容量高速化するとすれば、兵站経路としての水路の価値が大幅に上がり、拠点の連接はより密接になる。それは広く薄く散らばっていることが様々に問題を起こしている共和国にとって、大きな助けとなる光明のような話題だった。

 論文の意味するところは、かつて大元帥が政治的に争った相手であるベリル・マイゼンの主張を思い起こさせる。

 ベリルは、極めて優秀な軍人であり研究者であったが、政治家ではなかった。

 彼は魔導の連絡運用の大方針を定めた今の共和国軍の中核を築いた人物だった。

 魔導にのめり込み過ぎ、人倫を失ったところが、彼の政治生命に止めを刺したわけだが、彼の主張の概要そのものは今も大きく共和国軍に影響を与えている。

 敵の判断に対し優越せしめる我が方の判断を支えるのは、味方前線との優速かつ緊密なる連絡と自由度の高い運動にほかならない。

 そのために多くの将は多くの斥候伝令を求めるが、それこそが陥穽である。実態として将帥の作戦指揮において必要な情報は、味方の悲鳴が適切な位置で適切な強さ種類時間で上がっているか、という認識と検証だけだ。という内容だった。

 翻って共和国軍では、命令は適切なタイミングで届けば良いから、伝令は騎馬で或いは人員をつかい、不意の接敵や後退を要する被害等の部隊からの報告は人員には頼っていられないから魔導を使え、伏せていないなら互いにラッパを使うのも有用、という軍務教令における指揮報告連絡要則の基本になっている。

 今次戦争劈頭の大損害と、その後の遅滞戦術の推移と、更には今まさにギゼンヌを拠点に戦われている反攻作戦の報告を参謀本部の研究と合わせて読み解くに、事前の想定とは全く異なる戦争の様相を示していた。

 参謀本部は別段戦場の勇者ではなかったし万能の神の祭祀でもなかったが、現実の組み合わせと読み解きでいくつかの事象について注目し、事前の想定と異なる推移をしている戦場についていくつかの指摘をおこなっていた。

 緊急連絡における魔導士のようなものが輸送において発生し始めた、ということであるらしいことを大元帥は理解した。

 共和国の未来は明るそうだった。

 もちろん、明るい未来も共和国が帝国に屈するようなことがあれば、大きく損なわれ或いは完全に失われる。

 大元帥の立場としてそれだけは許せるものではなかった。

 つまりはそれ以外の凡そ全てを看過する覚悟をヴァージェンチウム大元帥はその立場として定めることに決した。傲慢乱暴な余所者よりも、物知らずな同胞のほうが遥かにマシだ、という単純な理屈で国軍は動く。

 帝国との戦争は帰趨はともかく、長期戦になることが明らかになった。

 大元帥は各部署からの数ヶ月遅れの詳報をまとめて眺め、明るい未来のために元気の良い愚か者の犯した失態についてのあと掃除をおこなうことにした。

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