シェッツン 共和国協定千四百三十八年寒蝉鳴

 シェッツンまでは十五リーグのなだらかな道のりで途中、遥か西ロイターへ通じるマリンカーへの街道の分かれ道があったが、誰かが管理しているのか綺麗にわかりやすい看板が出ていて、道に迷うようなこともなく、日が登り切る前に登り窯の煙がみえた。シェッツンは質は良くないものの、露天掘りの褐炭鉱脈があり、少し町を外れたところで硅石の取れる石切り場があり、バイゼロンの山向こうに鏡野盆地があり、と薄く硬い磁器を焼くのに十分な物が揃った町で、焼絵磁器の産地として知られている。

 着いてみれば多少窮屈に感じるものの長閑な町並みで、原料を巡っての殺し合いがあるようには感じられなかった。だがこういう職人町にありがちなことで、錬金術士なる者共がいるとかいないとか、そう云う話題が昼の酒の肴になるような土地だった。

 街の産業としては陶芸と染物の町で、不安定ながら不定期に大きな貨幣が農作物とは別に動くことで、あまり大きな町ではなかったが、商店の数も市の行商の数もそこそこに多い。西に南に街道を抜ける人々の往来も滞ることなく、啓けた様子である。

「どこか工房、行ってみる?」

 と、リザはさも当然のようにけしかけたが、マジンも流石に用事を思いつかなかった。

 代わりに土地の購入の可能性を探るために町役場を訪れた。

 五十絡みのシェッツン町長マサイラゥは左腕が不自由な様子だったが、しっかりした体躯の人物だった。

 女少佐が技師と二人連れで測量にきた、ということでとても驚いていたが、デカートからヴィンゼを経由する経路の測量を行っている、という説明は興味深く惹かれた様子だった。

 驚くことに町が売れる土地は今ない、ということだった。

 少し詳しく事情を尋ねると、二百五十年ほど前に陶芸家や錬金術士たちの間で少々大掛かりな抗争があり、町が土地の売却を停止して以来、今に至るという。その後、入植者の土地の取得を制限して、代わりに土地の貸与をおこなうことで適切な土地を街の管理のまま預け、無法な利用には退去を求めるということになった。

 面倒もあるが、定期的に町の役場の目が入ることで、日々の暮らしの細々とした問題が早く公に晒され結果として大事にならないですむことも多いと云う。

 かつてどれほどのことが起こったかと言えば、毒殺呪殺爆破などの魔術師錬金術士の争いにふさわしいもので、ちょっとした戦争のような情景が日常的に繰り広げられ、家畑が焼かれない日はないという有様だったという。

 錬金術士同士の派閥争いが原因だとされるその争いは、アペルディラに一部が移り落ち着いた。

 とされているが、未だに家々の確執などもあり、陶芸家は町に現金収入をもたらす一方で、厄介な騒ぎの元をもたらす一派になっているという。

 鏡野盆地でたまに起こる無法事件について尋ねると、その話をどこから聞いた、とマサイラゥ町長は言いたげだったが、事件そのものは否定しなかった。闇のような黒と輝くような白を求めて今は大騒ぎをしているらしい。

「良かったわね。椿の赤と水仙の軸の黄色は関係なさそうよ」

 リザが表に停めてある機関車の色を引き合いにして言った。

「土地が買えないというのは、ちょっと困りものだな」

「土地をお求めになるつもりだったのですか。売らないと言っても使っていない土地はかなりの広さがあります。土地利用についても、二十年切り替えの百年貸与という長期契約で割り当てています。土地を使う者たちがいないままに所有者がいなくなることが多かったので、その対策です。軍人の方が測量をおこなうということは、何かの基地とされるおつもりですか。この辺ですと冬に向けた泥炭の集積とかでしょうかね」

 マサイラゥは勘違いのままに町の全域地図を取り出し示した。

「いえ、今回は軍の計画は関係ありません。新しく鉄道という道普請をおこなおう、と云う事業の下見に来たところです」

 リザの言葉に少し不思議そうに、しかし何かを感じたように町長は態度を改めた。

「道普請。それはまた事業と言うには剛毅な内容ですが、どことどこを結ぼうと云うのでしょう」

 話半分、というより何故道普請が事業になるのか、皆目検討もつかずにマサイラゥは言葉を継ぐように尋ねた。

 リザが無言でマジンに目をやる。

「ヴィンゼとアペルディラを結ぼうと考えています。バイゼロンでは今のところ好感触を得たところでこちらでもご協力いただければと考え、町の土地利用がどういう状況かの概要を伺えればと思っています」

 マサイラゥが話を理解していないだろうことはわかった上でマジンは話を続けた。

「はぁ。それはまた、ご苦労さまですが。まぁ土地そのものの利用は先も触れましたとおり、この二百年ばかりで割と緩やかになりまして、農地の拡張も新しい家族の入植も少ないですが、却って手入れが行き届いて、農作物の出来自体は今もどんどんと増えています。やる気のない連中ややる気しかない連中はなかなか土地に定着するのは難しいので、無理に土地を買ってしがみついてもらうよりは、多少気楽に構えてもらって町ぐるみでじっくりやってもらう方法がこの辺りの気候では向いているようです。農民は財産が少なく始められるように感じるようですが、なかなかそうでもないものでして。商売ごとも町では割と繁盛していることですし、そちらに移って成功される方も多くいます。――陶芸窯に関しては農地が水源にしている川や井戸からは離れたところでやってもらっています。少し前の騒ぎで彼らが鉱毒を色付に使っているのはわかっていますから。そういうわけで陶芸家たちはここの炭田の西側に集まってもらっています。住まいは別にしている人々もいますが、工房はともかく分けています」

「それで道普請にあたって帯状に道を利用したいのですが可能ですか」

「可能ですが、どういう風にでしょう」

「バイゼロンからアペルディラに至る経路を幅千キュビットほど」

「なんですって?幅千キュビットですか」

「他にその経路で四分の一リーグ四方ほどの土地」

「いったいどれほどの巨人が歩く道になるんですか」

「最終的に日に数百グレノルの精錬済みの材料がやり取りされ、数万の食器が出荷され、数万人が一日にこの町を通ることになるはずです。食料や泥炭などの需要品も相応量で」

「なんですって」

 マサイラゥにとって正気を疑うような桁が並べられた。

 マサイラゥは目の前の若者が商談になりそうなことを口にしていたようだったが、最前からなにを言っているのか、全くわからなかったので、どういう風に尋ね返すべきか、少し迷っている間に乱暴な足音がして突然に扉が開かれた。

「おもてのソリみたいな荷車はいったいどこの誰の作だ! 」

 老人が、足音どおりの傍若無人さで押し入るように、役場の奥の町長室にまで踏み入ってきた。

「ヴェジヴォッドさん、勘弁して下さい。入るときにはノックをするようにお願いしていたでしょう。今大事な来客中です」

「お前の用事など儂の用事に比べれば大事なことなぞないわ。おもての乳母車か鳥かごみたいな荷車はこの客のものか。何やら白粉くさげな女郎の唇のような艶のある紅の色といい、花か小鳥遊びの好きそうな乳臭い小娘のような黄色といい、そんなものをあんなに平たく広く斑なく塗るってのは、どういう了見の手際だ! 」

 怒鳴りこんできた老人は無体な形容で乗ってきた機関車について色合いについて評すると、大声で尋ねた。

「こちらのご老公はどなたですか」

 マジンも流石に面食らって、町長に尋ねた。

「ああ、ヴェジヴォッド氏はこの辺りでも大手の工房主です」

「なにを言っておるか、家格生産規模人員数、全てにおいて筆頭。シェッツンの陶磁器産業を支えているのが、儂チノイス・ヴェジヴォッドじゃ。それであの表の阿呆のように派手な色に焼き付けた荷車だかはお前らの持ち物か」

 軍務というわけでもなく、冒険旅行にあたって霧や暗闇の中でも目立つように天然自然では少ない色としてローゼンヘン館の軽機関車は赤青黄の三色を基本に真珠色の艶材を琺瑯状に焼き固めている。

 どういうわけか、老人はその色艶の派手さが気に入らないらしい。

「ボクの持ち物ですが、なにかお気に障りましたか。明るさに目を傷められるようなお年にも見えませんが」

「お気に障ったかだと。おおさ、大いに気に障ったね。何じゃアレは、どこの作だ」

 理由もわからず尋ねると老人は勢いに乗ったように問い詰めるように言った。

「私の作ですが。どういうご用件で怒鳴り込んでいらっしゃったのでしょうか。何かの被害というのであれば、司法の場で決着付けてもよろしいですが。或いはそんなことでは生ぬるいということであれば、決闘の立会がお望みでしょうか」

 ぞろりと目ねつけると老人はしばし口を開いたまま固まるように黙った。

「被害、被害じゃと。そんなことは言っとらんわ。あの冬の水面の氷のような肌理はどういう仕掛けじゃと聞いておるんじゃ。あの糞でかい玻璃の窓とか何様のつもりだ」

「焼き付けを滑らかにするのに仕掛けもあるか。そんなもの、塗材を髪の毛の上に針のように立つくらい細かく揃えて挽いて、埃も湿気も脂も付けないように部屋と材料を綺麗にして、垂れないように膜を引いて、ゆっくりじっくり温度を揃えて焼けば簡単だ。琺瑯を綺麗になめらかに焼き付けるのに他にコツはあるまい。いい年してそんな基本も他人に聞くほど困っているのか。ましてや絵付けもない単色に真珠色を散らしただけの色板だぞ」

 老人のあまりの喧嘩腰にマジンも付き合うように乱暴に答えた。

「クソガキが何様の分際だ。そんな当たり前のこたぁわかっている。それをどうやってやっているんだと聞いているんだ」

「そんなもん、自分の手際で手に入るもので何とかするしかあるまいよ。部屋に虫一匹入らないように、フケ一粒落とさないように、壁の砂一粒落ちないように掃除をして、材料に息がかからないように、汗が落ちないように、手脂がつかないように、同じ温度で始めて同じ時間に決めた温度を通るように焼き窯を揃えるように工夫をするんだよ。お宅の工房でどうやっているか、なんか興味が無いが、ウチじゃ大事なことをやらせる前には、当たり前に徒弟共も仕事の前と後には風呂に入らせている。風呂に入らない奴は職人としちゃ病人怪我人も同然だからな。自分の体から臭っているのが、昨日の匂いなのか、今さっきの匂いなのか区別がつかないようじゃ、塗料の調合も怪しいぜ」

 マジンの言葉に一瞬老人は言葉を失う。

「儂が臭いって言っとるのか」

「うちの仕事ぶりを教えろって言うから、教えてやっているんだ。難しいことは何もない。知りたいことが終わったら、さっさと出てゆけ。こっちはまだ話が終わっていないんだ」

 手で払うような仕草をすると老人は唸った。

「小僧、名前は」

「ゲリエマキシマジン」

「覚えたぞ」

「仕事のやり方を教えてほしい、ってなら連絡をよこせ。相談には乗ってやる。住まいはヴィンゼだ」

 鼻を鳴らして憎々しげな表情で老人は来たとき同様荒々しく出て行った。

「良かったの。家まで教えちゃって」

 多少心配そうにリザは尋ねた。

「アレだけみっともないイチャモンつけたじいさんが、どんな素晴らしい作品を作っているのかは知らないが、ウチの仕事ぶりが見たい、ってなら隠すほどのことじゃない。真似ができるかは知らないけどね。それに本当に金属焼付はただひたすらに身奇麗にするしかコツはないんだ」

 そうリザに説明したマジンを、マサイラゥ町長は困ったように見つめていた。

 町長には話の唐突さ乱暴さから流れは全くわからなかったが、老人の身なりの汚さから仕事場の汚さを傘にきた単なる悪口というわけではないらしいことは想像がついた。無礼な割り込みに乱暴に対応してみせた自分の子供よりも若い男が一角の人物であることは想像がついたし、そういう怖いもの知らずの相手が簡単とも思えなかった。

 その後は全く淡々と地図上の検討が進み、その頃にはようやくマサイラゥ町長にも目の前の年若い測量技師の言葉が、冗談や妄想だけではないらしいということが伝わってきた。

 錬金術士の子孫共に、現実との折り合いの付け方を教え諭すのが、シェッツンの町長の歴代の一大事業で、積極的消極的肯定的否定的な様々な施策で、狂気と天才の間に生きる人々を、如何に市井の利益と結びつけ町を発展させるかが、町の懊悩であり課題であったから、町長にもわからないなりにも、見極めの努力は必要だった。

 とは云え、鉄道という計画も妄想と紙一重の事業の話だった。

 採算は大いに疑問だが、単なる法螺とも思えない、という町のキチガイ連中が持ってくる儲け話の中では、最上等の部類の見極めの難しく怪しい話に思えた。

 ともかく計画の是否については保留したままで、マサイラゥは用地の可能性について街を南北に貫く幾つかの経路の可能性があることを確認した。

 マジンは交渉継続の公証にと手付を払おうとしたが、町長はまずはアペルディラの意向様子を確認すべきだろうと促した。

 アペルディラの政局は外からはわからない状態になっていて、こういう大きな事業が他所者にまともにおこなえるかは、かなり怪しいという。

 特に元老院はかなり伝統重視であると口にした。

 バイゼロンのボウゼル町長に比べるとかなり穏健な様子で表現をしていたが、二人の町長の意見ではアペルディラは政治的に少々ばかり厄介な土地であるらしい。

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