アッシュ 共和国協定千四百三十八年鷹乃祭鳥

 アッシュは大きな町ではない。

 集落ができてからは二百年近い年月が経っているが、正しく町としての体をなしたのは比較的最近、ほんの五十年ほどの事だった。

 河川運行の便を目指して、ザブバル川の拡幅と浚渫或いは運河の設定を目的とした故人アッシュミズレー氏の、かつての私有地であった土地で、管理上は長らくデカート州の領分ということになっていた。

 二百年ほど前、ミズレー氏が河川運輸の容量拡大を謳って、ヨタ渓谷を迂回する経路の設定を主張した。

 当初はヨタ渓谷の両岸を爆破して、ザブバル川の流れを広げるというものであったが、次にチョロス川を経由して、ヨタ渓谷を迂回して運河を繋ぐという計画になった。

 当初案が破棄され、運河案に移行するなど、かなり場当たり的な杜撰さのあった計画だったが、疑いに反せず、結局四十年の工期を経ても十分な成果に結びつかず、工事区間に灌漑用水路にしては立派な太さの水路が出来上がったものの、運河と云うには全く不足のそもそも上下流を繋ぐことが出来ない滝を遺構としてアッシュに残して計画は頓挫した。

 ミズレー水濠と名の付いた、運河の残骸の用水はチョロス川の流れにザブバル川から流れ込む大きな滝を作っている。

 ミズレー氏は破産し、累を恐れた一族は元老の席も放棄した。

 結局そのまま放棄された土地に集められた工事人足たちが給与代わりに土地を手に入れたというのが、アッシュの町の起りだった。

 距離が近いので上アッシュ下アッシュと名がついてそれぞれ街道もあるのだが、標高差のあるミズレー水濠の岸を挟んでのことで、互いに街中で直接道がつながっているというわけではなく、ケイチと街道でつながる上アッシュが工事の主宰だった人物の名を分けて冠しミズレーと呼ばれることも多い。

 その土地に養蚕業が産業として根付いたのは、全く別の理由だった。

 近辺に古くから居を据えたある一族が養蚕と絹の製糸のために啓いた農場を営んでいた。

 質の良い桑に適した土地と蚕の生育に適した気候風土を求めての結果で、やる気と実力の咬み合わない共和国各州の行政の目を逃れて、百人ほどの山間の農村で暮らしていたのだが、ミズレー氏の破産で調停のため地権の調査に訪れた行政によって発見されたことで、ゥヨーパウ家は行政区分に組み込まれた。

 共和国は原則として登記上の衝突がない限り、現地実証主義を貫く。

 偶々家長が亜人種ではなかったために、デカートの市民登録を経てそのまま居住が認められることになった。

 大きな所得層の居ないアッシュは銀行・駅馬車・裁判所出張所といった司法行政サービスの三大神器を維持するに値しないとされているし、実際にそれほど豊かな何かがある土地ではない。

 だが流石にそれでは町として立ち行かないことも多く、デカートからテコ入れの形で保安官や町長が派遣され銀行・駅馬車・簡易裁判所が設置されるとデカートの商会がゥヨーパウ家の絹糸を求めて訪れた。

 実のところ一族の扱う蚕の量は研究施設としてはなかなかの量だったが、商用としては十分に需要を満たすものではなかった。

 それでも共和国全体で絹糸を扱う商会土地は少なかったので、アッシュはデカートの商会にとっては一つの大きな希望になった。

 イルム商会やエイザルー商会といった以前から服飾や織布繊維品目の扱いのあった商会のみならず、セレール商会やストーン商会のような他業種であっても融資の申し出をおこなっていた。

 とは云え、カネだけあっても早速に生産量が増えるというほどにはなかなかゆかないものでもあった。それでもなんとか、この五十年で扱い量はジリジリと増えてきていた。

 そこに様々な欠点はあるものの見た目は良く一際安いローゼンヘン工業製の人絹が登場したことで市場は大きく動揺していた。

 水濡れに脆いレーヨンは絹の光沢を持っていたが、日用としては木綿や麻の支えを必要とする弱さもあり、完全な形で絹を追い出すものではなかった。だが、染めやすさと値段は欠点を無視したくなるほどのもので、登場から二年ほどでデカートでは定番の商品に収まっていた。

 今のところローゼンヘン工業の戦争努力と鉄道投資を軍需の必要が上回っていて繊維産業は後回しになっているものの、いずれ扱いを拡大するかもしれない。

 セレール商会やストーン商会は新しい商材を掴んで市場に乗り込むためにマジンに様々な形で接触をしていた。

 イルム商会やエイザルー商会はローゼンヘン工業の求める主要な品目――石炭と鉱石それと食料――では強みがなく、宝飾品や美術品あるいは家具服飾といったものにマジンが興味を示さないことで、交渉の決め手にかけていた。

 一方でアッシュは鉄道計画にとっても、運河が完成すれば機関船を使った河川運輸についても同様に重要な拠点になることは期待されていた。

 イルム家やエイザルー家の内では手緩いとか入れ込み過ぎとか無論に様々異論あったが、ゲリエ卿の威力を考えれば、元老として年次の挨拶を家々で直接する程度は当然、という程度には関係が良好であった。

 特に運河の開通は両商会にとってどういう経路を経るにしても進めたい事柄だった。

 域内である程度の利益が確保できるストーン商会やセレール商会と異なり、イルム商会やエイザルー商会は域外との幅広い交流と商材が命であったから、両商会としてはローゼンヘン工業の計画している鉄道や運河の計画には期待するところも多く、その前哨となるだろうデカート内の河川港の工事事業やカノピック大橋の改築などではほぼ常に協力に回っていた。

 義勇兵や戦争協力の計画については足並みがバラけていたが、全体に遠回しの利害の一致によって良好な関係とも言える。

 海に出ることは貨物輸送の限界を破ることである、という意識がマジンの中にはあったし、鉄道を海まで伸ばすことよりは川幅を広げ、多少の整備を施し運河を通すほうが多少とも簡単なように感じられていた。

 故ミズレー卿の運河計画もそういった観点で進められていたが、地図平面上の最短を狙った既存の工事区間は高さで二百キュビットあまりの高低差を、故ミズレー卿の情熱だけではどうすることも出来ないままに滝にしてしまっていた。

 運河としてザブバル川とチョロス川を繋げるはずだったミズレー水濠は、様々な計画案があったが階段のような急流流しのようなスケッチが残るくらいの広さがあった。上りは水を入れた樽の重さで船を引き上げるくらいのアイディアは残されている。

 そのアイディアを実現するためには様々に要素や計算が足りていなかったし、結果として投資が行き詰まるほどの失敗を繰り広げていたわけだが、すべてが無に帰したというわけでもない。

 チョロス川の本流からはちょっとした距離と広さ深さと奥行きとを持った寸詰まりの支流で、そういうものを開削するためにアッシュには集落ができていた。

「なんか大きな滝だけど、ここを船を通す手はあるの」

 マジンが測量機器を覗いたまま読み上げる数値を書き込みながら、轟々と音を立て白くけぶる滝を気にするようにリザが尋ねた。

 如何にも腹立たしい杜撰な乱暴さだったが、現地を見れば手が打てないわけではなかった。

 そして杜撰な計画とは云え、遺構以外の今につながる成果が皆無というわけでもなかった。

 ミズレー卿の工事も計画も杜撰そのものではあったが、一方で土木工事に備えたチョロス川の渡しの整備は立地を万全に選んでいて、距離がある上アッシュと下アッシュの往来を支えるだけの街道は整備されていた。

 今、アッシュからチョロス川河口のチョロスまでも少なくない数の船が行き来していて、悪く云えば偏屈とも評せるアペルディラ州の気風を支えるだけの経済動脈として機能していた。

 チョロスはスカローと並ぶ泥海に面した巨大な港街である。商業規模もデカート域内とは比べ物にならない。

 アッシュの商業的な繁栄はデカートにとっては故ミズレー卿の先見の明とやはり無謀な傷跡として認識されていた。

 アペルディラの気風を反映してアペルディラ州域内のチョロス川の開削工事はあまり取り沙汰されていない様子だが、そのおかげでアッシュでは海から上がってきた大きな船が小さな船に乗り換える風景が多く見られ、ロタ渓谷を超える必要のない船は多少余裕のある作りの物が多い。

 今の川を行き交う船の風景を眺めれば、なぜミズレー卿が破産をしなければならなかったか、と首をひねるような風景だったが、後代のアッシュ卿の開拓の努力とそれを支えたデカート州元老院の権威やイルム商会やエイザリー商会等の経済的な支援と示唆そしてこの地に根付くことを決断した人々の意志を否定することはもちろんできない。

 運河を繋ぐ、という計画案を破棄して尚、アッシュが河川運行で商業的な基盤を確立するまでは大きな時間がかかった。そして土地そのものには商業的価値の薄いアッシュは船荷の積み替え基地、という不安定な流通産業以外には、養蚕絹織物という非常に専門性の高い業種があるのみで、産業規模そのものはそれほど大きくないために財政運営には神経を使う土地でもあった。

 そういう不安定なともすると対立を孕みがちな土地柄であったので、アッシュ卿はマジンの鉄道計画と運河計画にはそれぞれ大きく期待をしていた。

 運河建設については、機械動力を前提にした装置機構を準備することで対処することはできる。

 オゥロゥよりも大きな船を通さないつもりであれば、構造原理としてはそれほど難しいわけではない。

 水槽二つを使った巨大な回転シーソーを作って水路の上下を繋げばいいだけだった。

 ざっくり千グレノルの水を入れる水槽を二つ支える回転軸と直径二百五十キュビットの腕というものがなかなかに巨大なのは間違いないところであるけれども、構造的には水を使った分銅で中立を作れるので、各部の強度が確保できるなら動力的には面倒は少ない。工房の自動工程で様々に応用しているが、回転体による昇降機は適切なカウンターウェイトを準備できるなら、構造の上では主に軸の強度だけが問題になる、極めて効率のよいものの一つだった。

 本質的にはミズレー卿の構想したすべり台式運河と大差ない。

 階段構造なども考えられたが、階段部分全域が造成の必要があるということであれば、工期にも影響するし、経年管理そのものも問題になる。どのみち点検管理が必要ということであれば、点検部分は集まっている方が都合がいい。

 とは云え、階段式であろうと水槽昇降式であろうと水路の浚渫と拡幅は必要で、渓谷を広げ浚渫して曳航船を準備するのとどちらがいいかは悩ましいところだった。

 渓谷の水路ばかりは改めて船で来ないとわからないことが多すぎるが、ともかくアッシュからケイチを経てヴァルタに至り、遠目にデカートの天蓋を見てマジンとリザは無事デカートに帰ってきた。

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