共和国軍大本営 共和国協定千四百三十九年白露

 兵站本部会計課でのマジンの扱いは顔なじみの配達のような気楽なものだった。

 結局、大議会で決算された機関小銃の注文は前期四年六十万銃弾十五億発というひどく急かす割に半端なものに終わり、代わりに兵員貨物輸送車と機関銃の整備を優先しておこなうという新たな計画が立ち上がっていた。

 とは云え、共和国軍大本営主導による機関小銃の制式充足は、今後の共和国軍の再編を考えても実際上は、既に統帥権による師団装備の機関小銃を追い出し置き換え充足配備をし、さらに地方聯隊を勘定に入れた上でひとまず実戦部隊には配備できる量で、滞りがなければ幾らかは前線軍需品倉庫補充分も充当した数ということができる。

 戦争の結果として実働兵員の規模は拡張傾向にあるが、兵站実力を加味して組織が破綻しない速度で共和国軍の官僚は動いていたし、そもそも破裂するほどの膨張ができるような国情でもない。

 ある意味でこの戦争の前に誰もが口にしていた共和国軍五十万という大雑把な数が、事ようやく実働兵員の数として実体を持つということである。

 計画そのものはほぼ半数に縮小されたが、むしろ共和国軍の実態からすれば全く妥当な判断であるといえる。

 しかしローゼンヘン工業が予定していた年産十万丁という規模を大きく超えた予算計画は、様々に無理もある。

 特に資源製品輸送計画の上で現状既に上限を叩き始めている中で、軍輜重による運行計画の支援があっても輸送組織上の限界が見えていた。

 機関小銃の生産そのものと輸送はある程度の帳尻合わせが可能だったが、銃弾の方の帳尻は三十シリカ小銃弾の生産切り上げが必要だった。

 兵站本部としてもそれは承知していて、年次調達の計画縮小と遅延を目論見に含んでいた。

 それよりも兵員貨物輸送車の価格圧縮は本当に不可能なのか、という点の追求が窓口レベルでおこなわれていた。

 既に圧倒的な威力を示した輸送機械、自動車の組織的運用とその可能性に共和国軍の興味は移っていた。

 可能不可能で言うと、鉄道計画の進展とともに可能になるという目論見はあったが、既に五千を超えた人員を即日更に増やすことは、人員管理上次第に困難になってきているという実情を報告すると、兵站本部の一員として徴用した人員の配置についての面倒を知っている人々は火勢を弱めた。

 電話機を含めた通信連絡機械は人員配置の物理位置や距離の自由を大いに高めていたが、それは専門的定型的な部門に限った話で、様々に共有している自動車製造と鉄道資材の製造は常に資材と設備の調整が必要な部門であった。

 元来、自動車専門にと作った工房だったが、鉄道機関車やその他の軽車輌の或いは部分的に小銃部品の製造にと一旦供してしまえば容易に引き抜くことは難しくなっていた。

 人員を拡大することもまだ暫くは可能だが、現状の体制では一万あたりで頭打ちになるだろうことは、つねづね言われていて、支社を二つ切り離したが、切り離して体制を刷新したと言っても組織で致命的な不祥事や不調事故が起きたとして、一気に倒れるのが支社だけですむ、という以上の意味はなかった。

 帳簿を管理監督できる人員の急速な拡大が必要だが、同時に社内業務を展望できる人物である必要があって、急激に拡大するローゼンヘン工業において両立した人材の育成が追いついていないということだった。

「一昨年は二十人で回していた工房が今は五千七百ですよ」

 というマジンの状況確認は兵站本部での絶句であった。

「少し兵站業務に慣れた人材が必要なので退役軍人を紹介してください」

 と冗談めかして兵站本部のあちこちで世間話をしてマジンが口にすると、会計課の課長は「就職課へ行ってみるといい」と冗談と受け取らず助言をくれた。



 軍人の再就職は共和国軍の中では割と真剣深刻な問題でもあって、四肢切断や視覚聴覚に傷害がなくても、なかなかシャバで馴染めない人々も多い。

 開拓農民や小作として鍬を奮って自活できるほどの才覚があれば良いが、自営に失敗して路頭に迷うものも多く、後備待命の年金だけでは生活も苦しむこともある。

 自然下士官以下の兵隊の多くは用心棒や私兵に収まるわけで、それはそれで成り行きだが、軍としてはできれば穏当な雇用先を求めているということだった。

 デカート州政庁でも当然に再雇用は応じているが、なんというべきか、デカート州政庁の人材募集は体よく言っても浮世離れした内容で、共和国軍の退役軍人の実情に合っていないし、無理やり押し込んでも拒否されるので、就職課としては特に薦めていなかった。

 デカート州政庁の求人票を見せてもらうと、家族構成や資産所有などどこかのお家の跡取りかご主人でないと難しそうな条件が連なっていた。

 資産信用という意味で意図そのものは分かりやすいが、就職口を求める軍人の状況にそぐうものではない。

 マジンは合計千人ほどの人材の募集をおこなってみることにした。

 単純に事実上の私兵と云うべき警備業務というものでも幅広く幹部の拡充が必要だったし、地理測量に際して野外独立した行動を直接間接におこなえる人材が必要だった。

 工事の幹部に関しても直接手を掛けることで形になっている第一路線整備課はともかく今後捕虜の利用の拡大を考えれば、現場幹部に軍隊経験者がいるほうが程度問題を現場で図りやすくもあった。

 貨物輸送に関しても各地の実情に明るいほうが当然に有利で、輜重や兵站などで各地の伝手がある人材は当然に価値があった。

 退役軍人に求められそうな業務内容をぼんやりと指を折るように数えてゆくと思わず笑ってしまうほどに、ローゼンヘン工業の業務はその場の力ずくでおこなっていることが多いことに気がつく。

 大量の人材募集の話で直接資料を見せながら説明する就職課長が驚く勢いで募集要項を書き上げていった。

 就職課長はローゼンヘン工業の初年度賃金が少ないことについて不安と不満を持っている様子だったが、必ずしも底値というわけではなく、兵隊上がりという者を使ったことのない雇用者としては珍しい反応ではない、という趣旨の嫌味とも忠告とも付かない言葉を投げただけだった。

 信用の底値は給与で決まるという一般論としては就職課長の言葉は限りなく正しかったが、期待を示すものが結局給与や賃金の上昇でしか示せない以上、初年度に大きく給与を示すことはなかなかに難しいとマジンは考えていた。

 最終的な資金根拠がマジン個人の資産に帰するローゼンヘン工業は給与も含め、今のところ組織の資金運用についての根拠が整理されていなかったし、共和国軍を含めた共和国一般で賃金についても十分な根拠の研究がなされているというわけでもなかった。

 師団裁量が大きな共和国軍師団は、予備として指定され編制されている騎兵と砲兵のそれぞれの本部大隊を除けば編成は師団毎にかなり幅があり、聯隊規模で隷下兵科を揃えている師団や中隊単位で混成している散兵を重視した編成の師団まで様々にあった。

 それぞれの将軍や幕僚の管理能力や戦術地勢的な判断に委ねられるところが多く、現場将兵の給与問題は統帥権の問題に食い込んだところでもあった。

 共和国軍内部でも大本営を含む後方と師団との間で大きな溝があるが、軍は統帥権という現場の出来事としてフタをすることで満足していた。

 つまるところ、共和国は食料などの生活必需品の物品現物と貨幣通貨による二重経済によって成り立っている流通信用の貧弱な経済体系で、比較的先進的な流通体制を持っている共和国軍とその他各地方の間に価値判断の大きな溝があった。

 機関小銃や銃身清掃具という方便での後装銃弾の調達が師団における独自裁量として成立したことも統帥権の問題であった。

 実態として前線においての流通つまり兵站の維持が不安定な状況で後方の規則を押し付けることは様々に混乱が生じ、そもそもの後方組織の存在理由である前線を支援するために前線を混乱に陥れるという矛盾を考えれば、前線が本来目的である地域制圧に機能邁進する以外のことを、統帥権という謂わば痰壺の蓋で覆い隠すこと自体はそれほど不自然なことではない。

 共和国における統帥権というものは師団あるいはそれ以上の各級組織の管区内の兵站経営権以上の戦争判断を許さないものだった。

 下された軍令にそって現地軍を動かすための実際的な方法の裁量権として、兵站指導の現地責任権として、統帥権は定義され認められていた。

 共和国軍の統帥権とは、後方から部隊に接続するであろう兵站連絡を前線から迎えにゆくための裁量であり、軍令の求める戦区地域の制圧維持のための兵站に関わる裁量権であった。

 極論を言えば、指定管区における軍票発行や収奪を含む隷下戦力の地域における流通活動――泥棒強盗や飲み屋女郎屋の設置や兵の飲み代の踏み倒しまで――の全ての責任が統帥権である。

 ひどく曖昧に定義された部分も多く、それは戦時の不透明さを反映したものであったので、ときに師団幕僚同士の殴り合いや果し合いにまでなることなったこともあるが、ともかく共和国軍においては統帥権の曖昧さと強力さは必要なものと認められてもいた。

 究極的には軍の最高司令官である大元帥が共和国軍軍区全域と共和国外世界全域の兵站指導最高権力者であるということだったが、大本営から各軍区に至る兵站責任は兵站本部にあった。

 空の果て星々の向こうまでが共和国大元帥の兵站指導の責任領域である。

 一方で管区の割当を含めた管区を超えた領域の戦争判断については軍令本部に一任されていた。

 実際として管区の移動期間における師団の、主に糧秣等の不足や補給の不手際を原因とした不穏や暴走――つまり正規師団による共和国国民に対する無法な略奪――の例がなかったわけではないが、多くは兵站本部の責任範疇或いは統帥権の喪失不履行として処断されている。

 統帥権という形で各地師団軍団の運営詳細を現地に任せる必要があるほどに各地域の情勢は差異があり、広大な領域に比して物資輸送や人員配置が間に合わず、共和国軍の立場は様々に微妙である。

 有り体に大本営とそこから切り離された形になっている中央銀行の機能は、現地で統制が効くはずもない師団の活動の尻拭いを口元を覆いながらおこなうために存在すると言っても過言ではない。

 時間もわからない地理もわからない相手の様子もわからない大本営が、戦争の現場のことにあれこれ言えるはずもなかったし、既に広大無辺の共和国において現場が他所の現場のことを分かるはずもない。

 軍都大本営は謂わばそう云う各地の混乱し複雑化してしまう各地の様相をひとところに持ち寄って、国家として大計画が建てられるような形にするための巨大な本営、幕僚会議場であった。

 そして参謀本部は、ひとところに集められた雑多な情報や作戦意図などを計画的に整理するために作られた組織である。

 大本営或いは軍都における各官庁に協力することはあっても、作戦に直接関わることでなく、過程結果として現場師団に協力或いは出向することになっても、組織上全く無力な無任所と変わらない扱いであった。



 もともと参謀本部は軍事戦術研究を中心にした戦史編纂と、大議会における報告を目的とした組織だったのだが、大議会における報告機能を拡充するにあたって様々な統計や周辺地域諸国の調査などを含む組織に変貌していった。

 共和国国内の地形図の編纂をおこなっているのも参謀本部であった。

 参謀本部への出入りは学志館や図書館資料館のような奇妙な気楽さがあった。

 間口は広いもののある程度で人を寄せ付けない兵站本部や、どうなっているのかわからない軍令本部、そもそも人を寄せ付けない憲兵本部と異なって、軍服を着ている者達もどこか学志館の学者じみた頭のなかの何かと会話しているような雰囲気の者たちが多かった。

 マジンはここに地図を求めてきた。

 販売購入ではない。

 閲覧のみが許されている。

 汚損を恐れて筆記具の持ち込みも制限されているが、写真機については特に制限がなかった。

 写真箱で測定して寸法を覚えやすくするんです、という言い訳は窓についている水準目盛りでそれらしく聞こえたらしい。

 実際に写真箱を使って地図を書き写している参謀も多い。

 多くの兵隊が通っている街道はそこそこ以上の測量が進んでいるらしく、地図らしく複雑に入り組み刻まれていた。

 反面、測量未踏の地域は文字による書き込みや空白の中の頂の位置だけが記され、点線で心細げに踏破した経路が刻まれていた。

 共和国軍の地図は基本的に国内の物流拠点、軍需倉庫の存在する地域を中心に設定測量されていた。

 山間部のような軍需倉庫の物資の流動の少ない場所では測量の程度は小さく、全体に南街道と沿岸部を中心にした地図になっていて北街道の情報は貧弱だった。

 軍需物資の移動は経路全体の長さよりも拠点間の長さを重視しておこなわれていて、主要な流れは北街道ではなく南街道でおこなわれていた。

 予想されていたことではあるが、山岳部の多くは未踏で北街道を成すミョルナの山間の集落も測量未踏ということになっていた。

 未完成とはいえ地形の概要、幾つかの拠点の名前や位置関係がわかることだけで鉄道工事の様々に大きな助けになる。

 これまでは往くべき道が予め定まっていた工事だったが、この先は文字通り未踏の領域をも考慮に入れた経路の選定が必要になってくる。

 単純に目的地を目指し線を引くような建設はできなくなり始める領域だった。

 幸運にしてセウジエムルへの案内がついたことで経費を無駄にしない時間稼ぎができるようになった。

 セウジエムルへの道はわざとセウジエムル中心部に終点駅を設けて南下を面倒くさくしてしまう計画をたてていた。

 だが結局どういう経路をたどるにせよ南へ東へ道を伸ばす必要があり、多少険しくとも短い道のほうが完成後の往復を考えれば迅速且つ便利だった。



 予定通りの空振りのような成果を得て二日ばかりの時間調整にロータル鉄工の様子を見にアミザムを訪れた。

 ロータル鉄工は配下企業も含め奴隷を一掃し、代わりに機械を導入したことでスッキリした広さを持った工房に生まれ変わっていた。

 貨物輸送車四両にまとめて載せられるだけの機械工具数基と発電機を持ち込んだことで軍の武器修理調整を極めて迅速に精度よくおこなう工房として再生していた。

 機械旋盤や平面研削盤などの基礎的な機械工具と、それを使えるだけの発電機の導入ではあったが、高精度の金属加工を手早くおこなえる工房としてロータル鉄工はアミザムにおいて新たな立場を確保していた。

 重くガタがなく材料に引き負けずネジを軽く巻ける旋盤は、一体何に苦労していたのかという程の軽さで銃身の旋条をつけるブリーチ刃物を引けた。

 つまりは機械動力というよりは加工機械の質とそれを支える部品や材料の質が決定的に不足していただけ、という話題だったが、ともかくは済んだことだった。

 今ロータル鉄工は様々な加工機械を使って、銃器の修理工房として或いは行李の車軸の生産や使用済み薬莢の再装填、大砲の重整備などの軍指定の工房として経営の再整備を終えていた。

 また前装小銃用のパトローネの梱包機と脱穀機の製造をおこなわせていることで製造業もそれなりの収益を上げるようになっていた。

 脱穀機は穀き屋殺しとしてあちこちで悪評も高かったが、一方で東の戦地に近い農場では子供でも使えることで人気を博していた。

 軍用としては流通が軌道に乗ったものの備蓄が優先になっている後装小銃をあたかもマスケットのように使うための器具、一種の盲栓に拳銃用の雷管をとりつける火管をつけたものが売られ始め、それを跡追いするようにより強度や精度を安定させたものを販売したりもした。

 最後のものはマジンの本音を言えば本末転倒ぶりに呆れ返る有様だったが、ともかくロータル鉄工は自社設計の三十口径後装小銃の事業から一旦距離を置くことで機械修理製造業として再生を果たしていた。



 大本営はもちろん巨大な官僚組織であるのだが、様々な理由で現場に配置されていない無任所の者達をひとところに集めた巨大な予備集団でもある。

 予備集団がそうであるように様々な理由で本部の脇に留め置かれたものたちの中には、傷病の回復を待つ者や回復の期待がなくとも動かすことも出来ない者たちも含まれている。

 戦地から後方の大本営には軍を離れることを希望する者たちも相応に多くいる。

 マジンは就職課で三日ばかり後に面談が可能であろう幾名かの軍都在住者との仲介の推薦を取り付け、兵站本部での定例的な挨拶と決裁に際した様々な確認をおこなうと参謀本部に足を向けた。

 共和国軍参謀本部は軍令本部とは異なって実際には作戦には関与していない。

 参謀本部の目的は作戦事例や将来予測などの研究とその公開を含めた利用にあって、本質的には研究調査機関であった。

 ラジルアジフアガルは典型的な傷病兵士官、そして典型的な参謀本部勤務の参謀だった。

 褐色の肌にゆるく巻いた巻き毛のラジルは、両足の不自由を除けば全く健康的且つ陽気な男で、学者というよりは伊達男という風貌だった。

 先に資料を読み込む都合秘書二人と就職課長とともに面接担当者が待ち構えていた部屋に入ってきた瞬間から、手にした杖も義足のきしみも女を口説く道具にするような陽気な爽やかな雰囲気のスカした男だった。

 彼は資料によれば師団幕僚の経験はなかったが、中隊長として標準的な兵站構造を把握した上で現場で起こっていることを論文として説明できる人物だった。

 武勇優れる果断な人物ではないが、前線を支える幹部としては信頼の置ける人柄の良さと過激なところの少ない手堅い判断で同僚からも評価されていた。

 少し大げさに言えば、無駄な面倒をかけずに戦線側面を黙って守ってくれる劣勢の軍隊では得難い戦友であり指揮官だった。

 一々気取った役者のような動きをすることを無意識にやっているのかそうでないのか全くわからない人物だったが、口調そのものは冷静真面目な軍人だった。

 彼は席につきゲリエマキシマジンの名前を聞くや、口の中で二三度唱えるように繰り返し、思い至ったように驚くや、面接の幸運を祖先とマジンに感謝した。

 ラジルは両足を塹壕足での壊疽で失ったものの辛うじて死を免れた歩兵大尉だったが、とうとう三十八で退役が決まった。

 両足を失ってから二年ほど様々に退役後の職を探しながら参謀本部で人員輸送を中心にした経路の研究にあたっていた。

 彼の研究の中心は海路利用が主体であったが、当然に北街道南街道或いは河川運行を含めたもので、結論として海路を軸にした兵員輸送の期日と労働経費の優秀さについての論文を主に沿海の州向けに執筆していた。

 基本的に参謀本部の研究は大議会や各州本国での政治的煽動の意図を持った資料として扱われることが多く、ラジルの論文も謂わばそういう広告的煽動的な意図を求めて結論ありきで相応の穏当さを装って書かれたものだった。

 しかし論文の記述の経緯やその資料としての意図はともかく、実態として海路の輸送経費の殆どは初期経費に集中していて投資に対する運用効率は陸路に比べて極めて優秀であることは間違いなかった。

 また近年運用経費そのものはこれまでのものに比べて高価ながら登場した機関船は全く新たな局面へと海運水軍の姿を変えるもので、将来構想の舞台としての海洋は極めて明るい展望が期待できると言えた。

 だが研究対象や執筆内容とは裏腹に、足を失った傷病兵である彼自身に明るい展望はあまり期待できなかった。妻がいて娘が一人いるが、田舎で畑をするというのも難しく、学者として収まりをつけるには伝手もなかった。

 ラジルは輸送経路の研究をおこなっている関係で最近デカート周辺で起こっている様々についてや、ギゼンヌで起った自動車を組織的に使った作戦や戦術についてかなり精緻に把握していた。

 彼自身追い出されるように後送されるまでアタンズにいたので、概要についてはかなりの興味を持って追跡していた。

 何か表で起こっている衝撃的な戦況の変化を察して養生院の中が騒がしくなったことをラジルは風景を思い出すように語った。

 鉄道について或いはその機能についてはラジルは知らなかったが、二年前に師団参謀が将来研究として発表した、共和国内州間における機械化輸送網の設定建設の論文については記憶していた。

 ラジルは、たしかそれは貨物車に適した道路整備と運用効果についての内容だったはずだが、と前置きした上でデカートから軍都を目指すのであれば、初期においては北街道の再整備計画ということになるのか、と鉄道計画の将来予定について状況を推定してみせると、全体に整備が遅れ貧弱な北街道の拡充の意義の大きさや、自分の可能な役割として輸送計画の経済性の検討や資料編纂或いは地域産業の路線接続を通した優勢商品の相場予想などの経済分析が可能だろうと語った。

 貨物運行計画を経済面からそこそこの精度で検討可能だと自信を見せていた。

 マジンは内心単に煽動的な広告が得意なだけなのではないだろうか、と疑ったがマジン自身の欠点として、そういう扇動や広告による心理誘導を軽視する傾向を先頃元老たちに叱られたところでもあったので、ラジルの人材としての意味は重要であろうとも直感した。

 彼は沿岸部での先物取引の実績ある研究者のひとりで順風満帆とはいえないものの賭博師としては多少の勝ち組であった。

 相場師と言うには少々手堅く金額も小さいが大尉の給料で農場を買えるくらいの蓄えを作り、子供に楽器の習い事をさせるくらいの金額をひねり出す才覚はあった。

 博才を密かな自信としている様子なのに軍務への態度とが裏腹な印象であったのでその点について尋ねてみると、

「負け戦で耐えているうちに怪我して戦場に立てなくなった途端、漸くに勝ち戦になったことに甚く残念に思っているのです。ローゼンヘン工業で勝ち戦を楽しませていただけるならこれほど光栄な事はありません」

 とラジルは爽やかな笑顔とともに応えた。

 職場はデカートの鉄道部になることを告げると、妻子を連れてゆくことに異論はないと本人の口から告げられた。

 退役期日について尋ねると、傷病兵の退役については当人の希望があれば翌日執行明後日に除隊となるということで、早ければ明後日の夕刻には身分が自由になるという説明が就職課の面接官から説明があった。

 質問や希望としては社宅があるというその設備についての質問に終止した。

 社宅の内容については待遇について有無だけの説明であったのでその充実ぶりに就職課長は驚いていた。

 鉄道部の社宅は鉄道部の敷地に隣接した位置にあって評価は真っ二つに分かれていた。

 設備そのものというよりも立地の問題で買い物が難しく、いちいち町中に出ないとならないという不便がある反面、カボチャとジャガイモで毎日を過ごすことに苦痛を感じないなら、最低限缶詰肉と牛乳で補填されたおおまかに栄養の足りた食生活がおくれるという利点もあった。

 カボチャとジャガイモはヴィンゼでも現場でも同じだったが、デカートにはカボチャの加工工場があって廃物である種を使ったナッツ状のつまみもある。

 そういう職場と隣接しすぎた生活や画一的な給食に嫌気をさす人々は、町中の下宿や家を買ったり借りたりすることになるし、もともとのデカートの住民であれば自宅から自転車などで通勤するということになる。

 去年一昨年はまともな料理人というものがいなかったから、殆ど自動的にマッシュパンプキンポテトとコーンビーフということになっていたが、今年は多少マシな様子になってきてはいた。

 前線で食べさせられる落ち葉とゲジゲジ入りの塩スープよりはマシだろうとラジルは楽しげに笑った。

 それでいつ合否はもらえるのか、と改めて尋ねるラジルの問いにマジンはその場で採用を伝え、半月後に軍都に到着する予定の、ローゼンヘン工業の貨物便に便乗することができるように手配をすると伝え、その仲介を就職課長に頼んだ。

 ラジルは再び祖先とマジンに感謝の言葉を唱えた。

 その日他に四人。警備の現場で使えそうな下士官二人と山岳地での活動の経験者と師団砲兵指揮官として経験があり野外での測量に有望そうな人物を採用することにした。

 現役任期がまだ残っている彼らは大本営での任務についていたが、年内には退役でそれぞれに現役として再配置は不可能な年齢の者達だった。

 つまりは軍人としてめいっぱいの経歴を送った者達ということで、皆相応に国に尽くした勇者と呼んで良い人々であった。

 就職課長としてはそれぞれに選りすぐった人材らしく、相応に自信があったようだった。特に傷病兵であるラジルに比較的好印象の様子だったことから、聡明快活であることをだけでそこそこいけるという印象を抱いたようだった。

 急速に拡張している成長企業で且つ新興で事業の専門性を満足できる人材がいない、という前提であるローゼンヘン工業にとっては、体力的な問題がなければよほどの人材でも使い途はあった。

 しかし、六人目は就職課長は少し自信がない様だった。

 四千七百五十タレルだった。

 犯罪者で収監されていたが懲役期間の減免に軍に志願した志願兵で八年の軍務を経て特務少尉として期間満了。今年退役したものの就職先がなく、斡旋希望に昨日再度訪れ、ローゼンヘン工業の募集要項を見て就職希望者の面談に飛びつく。

「元気だったか。四千七百五十タレル」

「左手の薬指がちょっとちびた以外は問題ありませんぜ。ぼっちゃん。お噂はかねがね。つうか、昨日募集の紙を見て色々思い出して一片につながったんで、是非にも雇っていただこうかと」

 並びが欠けた左手を見せて笑う、メサシェーンケヴェビッチは記憶の中よりも多少太ってシワが増えた以外は印象の変わらない悪党面を笑いに歪めていた。

「少しは兵隊が使えるのか」

「そういう仕事であれば、八年やってたんで穴掘りや畑仕事よりはマシです」

「退役後は何していた」

「まぁなんといいますか、酒場を巡って小銭を稼いだり、伝手を探ったりってところですかね」

 ケヴェビッチは言いにくそうに薄笑いを浮かべながら言った。

「ウチが何する会社かは知っているか」

「鉄砲作ったり、えらくデカい荷車作ってるって話は聞いてます」

「ウチ来て何やってくれるつもりだ。皿洗いか。便所掃除か。窓磨きか」

 言われてケヴェビッチは目を泳がせた。

「用心棒っすかね」

「酒場の隅で腕組んでいられるような仕事じゃないぞ」

 マジンが言うのにケヴェビッチは目を走らせた。

「そちらの綺麗な若い衆二人は何するんです。犬の世話ですか。裸踊りですか」

 言われてボーリトンがピクリと反応した。

「こいつらはボクの運転手だ。ヴィンゼは遠いからな。二人で車を運転させている。ま、馭者だ。そんで結局オマエはうちに来て何がしたいんだい」

「まぁ、ナンデモってんじゃダメなんすかね。そのまぁアレですが」

「つまらんが、まぁいいや。別れ際にボクが何者なのかとか言ってた奴の答えとしちゃつまらなさすぎるが、何でもしてくれるってなら、それはそれで嬉しい」

 マジンが不穏な笑顔で云うのにケヴェビッチは困った顔をした。

「そのまぁ、死ね、とかはなしですよ」

「それは困る。ウチはお前一人の命じゃ割に合わないほどのものを扱ってるんだ。しくじったら死んでもらうよ。そこの若い衆二人も悪けりゃ死んでもらう。……どうなんだい。お前ら」

 マジンが並ぶ二人に水を向けると二人は困ったような顔をした。

「まぁ、そう……でしょうね。死ぬ、で、任せていいなら安いものですし」

「私は、最初から、だいたいそのつもりでお世話になっています」

 ボーリトンは多少目を泳がせていたが、デナは比較的あっさりと言葉にした。

「今ウチがしくじるとデカートがまるごと一つ全滅する。そういう事業をやっている。三十万だか何十万だから知らないがほぼ全員が家を失って十万かそこらは間違いなく死ぬ。ついでにザブバル川の全域もペンペン草も生えないような状態になる。冗談を言っているように聞こえるかもしれないが、そういうことをやっている。興味があるなら、デカートの元老院の議事録を探したまえ」

「それは、何を」

 急の話の成り行きに就職課長が怯えたように尋ねた。

「信じられないことかもしれませんが、冗談ではないのです。私共はデカートの危機を救うための事業を計画していて、失敗するとデカート州全域ザブバル川流域全域が壊滅的な被害をうけることになります。ナンデモ働いてくれるというケヴェビッチ氏の申し出は非常に心強いのですが、次第によっては彼の死はもちろん、思いつく限りの方法で死んだ後にもなお許されないことになります。ウチで職を定めず働いてくれるということはそういうことなのです。仮に彼の用心棒と云う言葉の真意がボクの警護をしてくれるということでも結局は同じ結果になります。失敗すれば、死です」

「つまり、若様はなんかとんでもなく大事な仕事をやっていて、若様が死んでも俺らがなんかしくじってもデカート州がまるごと一個死ぬとそういうことですかね」

 おずおずと確かめるようにケヴェビッチが口を開いた。

「そうだ」

「ちなみに若様が志半ばで死ぬとどうなるんですか」

「およそ四半世紀でほぼ確実に事件が起きる。ボクが死んでも大丈夫な手当は色々しているが、まぁ当分ダメだろう」

「現場でしくじりが起きたら、どうなるんで」

「事件の程度によるが、割とあっさり結果が出るだろう。悪けりゃ二日三日でデカートはおしまいだ」

「わざとしくじらせるような奴が出る可能性は」

「あるな」

「その対策は」

「今のところ手は打てていない」

「やりましょう。どうせ死ぬんでも殺されるんでも一緒なら兵隊臭いところで働くのもいいでしょう。毎日銃弾が飛んでこないところってなら兵隊稼業も悪くない」

 少し余裕を取り戻した様子でケヴェビッチがニヤリとしながら言った。

「失敗したら殺すぞ」

 マジンの言葉を聞いてケヴェビッチが鼻で笑った。

「どのみち死ぬなら気にしませんよ。三十万の人々を救おうとしたが力及ばず殺された、とか墓に刻んでくれるとかっこいいですな」

 ケヴェビッチは既に退役していて、事実上の住所不定の浮浪者寸前の身分であったことで、そのままローゼンヘン館に引き取ることになった。

 旅程ではデナとボーリトンに面談の時のことについてしつこく絡んでいたが、二人が説明する第四堰堤の計画の途方もなさを聞いてその冗談のできの良さに笑い、面談の成り行きがあれば相手に見せようと思っていた資料を見せられて、ケヴェビッチは改めて絶句した。

 少なくともケヴェビッチは何が起こっているか、ということを推測できるくらいには文字が読めるらしいことに、マジンは改めてホッとした。

 そういう成り行きでケヴェビッチは第四路線整備課警備班に加わった。

 第四路線整備課の警備兵はいずれ組織が膨れれば飲み込むことになるし、使える者がいるなら引き込むつもりでもあった。

 警備班長は退役軍人であるケヴェビッチが露骨にお目付けとして押し込まれたことを察し、その経歴に胡散臭さも十分に感じていたようだったが、人手が増えることを拒否できる兵隊はいなかったし、ケヴェビッチは軍でもするすると特務士官に食い込み小隊を任されるくらいには道理も目端も効いていて、胡乱なというより自分の仕事の意味がわかっていない連中が多い形ばかりの警備兵の中ですぐに警備班長に頼られるようになった。

 半月ほどして現場の視察に訪れたマジンの顔をケヴェビッチは嫌な顔を作りながらホッとしたようにして迎えた。

 ケヴェビッチは警備班の兵隊としての質の低さに呆れ、そのくせ機関小銃なんて云うものをもたせていることにキチガイに刃物だと評していたが、実際にそのことに恐怖を感じていたマジンは機関小銃には木クズを蝋で固めた弾丸を詰めていることを明かした。

 車載の機関銃のほうには流石に適当な方法が思いつかなかったが、ともかく下っ端の兵隊がいきなり気分に飽かせて殺すことはできない。

 軍で見かけた機関小銃の弾丸と色と形が違ったことで何かの違いがあることはケヴェビッチは理解していたが、つまるところそこまで使えない、と云う判断をマジンがしている上でそれでも使っていることに驚き呆れていた。

「千人鍛えろって言われたら寝言ですかってなりますが、半年で百人くらいづつだったら兵隊として使えるように鍛える事もできますぜ。でも、相応に権限と時間が必要です」

 ケヴェビッチは状況を理解したように言った。

「さすが、ナンデモやってくれるつもりであるだけのことはある」

 マジンがそう言うとケヴェビッチは笑いのない嫌な顔をした。

「自分のしくじりで殺されるのは、仕方ないですが、ボンクラ共に付き合わされて死ぬんじゃ割があわなさすぎます。向こうで働いてる連中のほうがまだよほど兵隊みたいだ」

 既に自分がなにを見張っているか理解しているケヴェビッチは、ようやく多少適当に余計な距離を開けて見張りに立つようになった部下たちに目を向けながら言った。

 未だに人足の動きが悪いからといちいち不用意に近づく連中が多くて気が抜けないという。

「一応暴れださなさそうな連中だけをここには回しているがね」

「連中が本気になったらオモチャの銃で武装してたってダメでしょうな」

 マジンの言葉を信用していないことを露骨に示すようにケヴェビッチは言った。

「多少は待遇もマシにしているが、今日明日で仲良くできるなら戦争にもなるまいしな」

 ケヴェビッチは同意するように鼻を鳴らした。

「仲良くできる前に連中が暴れださなければいいんですがね」

「仲良くしたいんだけどな。ボクは」

 マジンの言葉にケヴェビッチは笑った。

「友達作りばかりはその場の流れですからな」

「お前にはボンクラ共をうまく堰き止める役を期待している」

「新兵を押し付けられるのは軍隊で慣れとりますが、今回のはその中でも特に手酷いですな」

 ケヴェビッチが状況を理解している事は確認したが、捕虜の受け入れはこうしている間にも拡大していて、元老院では第四堰堤の工事計画を当て込んでローゼンヘン工業に丸投げの状態になっていた。

 一方で共和国軍のデカート駐屯聯隊の配備は遅々として進まず、ようやく名目上の大隊が二つ立ち上がったものの、中身は合計二百名ほどの本部人員と伝令だけで輜重基地の連中のほうがよほどに兵隊らしい有様だった。

 シャバで食うに困って犯罪を犯すのも割が合わないという連中が再就職として肩慣らしに編成されているにしてはぼんやりした印象だったが、デカートの義勇兵を編制するにあたってやる気のある連中は先にそちらにほとんど回っているとあれば、立ち上がりが遅く雰囲気がだらしないのも仕方がなかった。

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