ローゼンヘン館 共和国協定千四百四十五年処暑

 学志館での論文講演の後の考査理事会を終えて、ひとつきほどしてジェンナの手術がひとまず終わり、今度は誰だと四人がジャンケンをし、その間に三十人ほどが手と尻の皮をはいで火傷の痕を消す手術をおこない、としていた。

 手や尻の美容整形なぞ手術としてはもはや簡単な方ではあるのだけど、魚の鱗剥ぎほど雑におこなって良いものでもなし、結局小さい手術でも準備には手間がかかる。

 施術そのものは数分というところで並べて一気におこなえば二十人くらいまではなんとかなるが、流石にそこまでは準備と設備が追いつかない。

 とは言いながら更に三日で四十人ほどの手と尻の皮を剥いでいた。

 手の甲の烙印は幾人かの女の左の指の自由を奪っていて、それを直せないかという話にもなっていたが、太い筋肉ではなく細い腱と骨の滑らせあいで動いている指はなかなか難しい。

 そして人の手ほどの複雑さを持つ家畜はいない。

 機械手袋で幾らかの動作の理屈はつかめているが、それをいきなり生身のヒトに援用できるかは、かなり疑わしい。

 死体を検分して幾らか研究をすることはできるが、もちろんそこまで状態の良い死体が豊富というわけでもない。

 会社の労務者はときたま死んだり或いは重篤な治療が必要な状態で救われたりしていて、治療の知見はそのような立会でも当然にたまるのだが、年二千件ほどの重大事件事故の殆どは次第にヴィンゼから遠のきつつある。

 結局この手の作業は田舎では習得の難しい物のひとつだ。最低限デカートの規模或いはその外の規模が必要になる。

 またしかし一方で鉄道のおかげで今日明日の命の者をなんとかという金持ちもいないわけではない。四六や三七という賭けの領域を超えた一毛一毫という可能性を求めている者が、よもやもしやと各地の名医と呼ばれる者を訪ねて家人に旅をさせることは実は多い。

 ゲリエ村やデカートあるいはヴィンぜの歯医者や接骨医或いは眼鏡屋などが奇妙に賑わっているのは、そういう金のある者たちがどういう風聞かで訪れることが増えたからでもある。

 この世の治療は、清潔にして栄養を与え十分な休養と適度の運動を繰り返すことで、およそ七割がたが回復する。

 薬と称するものの殆ども薬効そのものより毎日の規則を作って休養を取るための儀式のようなもので、およそ病人怪我人が食べられるものであればそれほどに意味を求める必要はない。

 というところがローゼンヘン工業医療部のおよその知見で、残りの半分はズレたり切れたりしているところを繋いだり戻したり支えたりという外科的処置で対処して、残りの半分は実のところ見放している。

 ローゼンヘン工業医療部は最低限同じ所で作られた機材と一応同じような基礎知識を持った最低限の話の流れが見える者同士だったので、見捨てていた一割五分ほどの患者たちがそれでもと頼むのに応じとりあえずやってみたその成果はおよそ九割九分はやはり虚しく空振りに終わり、しかし極稀になんで上手くいったのかわからない患者が治り、上手くいったことがあるらしい方法を繰り返して試みて上手くいったりダメだったりということを繰り返していた。

 自律的な回復が見込めない病状負傷というものは割合としては少ないが、一方で相応に数としては結果として多く目立ち、理由も状態も様々に過ぎて、基礎知識も資材も方針もバラバラの医者同士は互いの知見の交換がほとんどおこなえず、互いにやっていることが無謀な魔術か錬金術と紙一重のことも多い。

 そして更に面倒くさいのは人間というものがだいたいおおまかなところで九分九厘同じで怪しげなその一厘さえもほとんど同じはずなのだが、どこかがどう更に僅かに違うことで起こる事故も多い。

 ローゼンヘン館の女の手の治療の場合、端的に言えば人間の手がどれだけ違うかは患者本人の手を開いてみるまで全くわからないというところが面倒くさい。そして複雑で細かなところを長いこと何度も開いて閉じてというわけにもゆかない。

 そんなことを理由に少し待てと言っていると、いつのまにやら十人ばかりが揃いの図柄の墨を刺していたことがわかった。日輪と三日月の左右に虎と狼が立っている紋章の周りに星が散っている狼虎庵のというか今やゲリエ卿の家紋だったり、ローゼンヘン工業の社章だったりするそういうものを肋の腕に隠れるところや太ももに入れたりしていた。

 賞金稼ぎとしてそういう目立つものを目印にしているマジンとしては、家人がそういうわかりやすい目印を体に刻むことはあまり薦めないというか、正直にはっきり云えば困惑するところなのだが、社員や労務者の間でも刺青に社章を刺している連中がいて、脱柵や解雇されたらどうするつもりだと尋ねると、本人たちは至って本気で一生の忠節を雄弁したりする。

 会社が左うちわの間はそれでもいいが、どうあっても人員の解雇は会社の勝手でおこなわれることだということを考えれば、マジンには気の毒にすら感じる。

 マジンは基本的に、明日を信じないたちであったから、そういう熱狂にはどう振る舞うべきか迷うことがあって、せっかく焼かれた皮を剥いだり目立たない歯を入れたりして人別の痕跡を消したのにな、と思わないでもなかった。

 だが、そういう熱狂的な女たちがまた見事に屋敷で働いてくれることもありがたく誇らしくはあったので、せいぜいが悪さをしたら尻や手の傷を直したように消してやろうか、というくらいに留めた。

 そういう女たちの敢えて尋ねて強いて求めるところは、側室にしろ妾でも置いてくれれば幸い甚だしく、というところで刺青なんぞ入れても入れなくても会社がうまく周り家に稼ぎが入るうちは慌てて蹴りだすつもりもないのだが、彼女らにも身の証がほしいという気分はわからないでもない。

 それとは別に行きたい所があれば出てゆけとか、仕事が欲しければ割り当ててやるということは前から言っていて、体も回復した女たちの百人ばかりは会社で働かせてもいる。今は座っているだけでも人が必要で駅によっては犬猫の類を受付の番に寝かせていることもある。

 そういうわけで稼ぎ口も身のたてようもいくらでもあるわけだが、彼女らがローゼンヘン館に逗留している経緯は犯罪行為の口封じであったから、殺すのでなければ甘やかすくらいの覚悟はマジンにはとうにできていたし、外に出すならそれなりに準備と話の筋もあった。

 そういう態度がだらしない、と気張る女もいて、兵隊に征ってくるから帰ってきたら子供を生ませて親戚になって家をくれ、というのが八人ばかり書斎で書類仕事の執務中のマジンの元を訪れてきた。

 マジンには国家への忠誠という感覚は薄く、せいぜいが土着の郷士や企業経営者が漠然と抱いている健全さ、愛国心といって一日一善的な感覚でしかなかったから、家人をわざわざに兵隊に出すことの意味を理解もできていなかった。

 兵でも士官でも自身の実業として必要だからそこに立つ、というのがマジンの考える健全さの範囲であったから、そんなことをボクに云うな、というのがマジンの感想だった。

 そんなことをしないでも子供がほしいならタネはやるし何ならここでケツをむいて並べ、と書類の流れを切られた面倒で流して言うとすさまじい剣幕で女たちに怒鳴られて「忠義の何たるかを理解していない。求めるところが人それぞれは違うとして、当主社主として人を導き人の力を束ねる要の者の覚悟態度が浮薄では、お家の存続ひいては会社事業の意義にも関わります」などと激しく説教を食らった。

 そこまで言われれば、兵隊に征ってくる、などという言葉を、命を札に明日を占う、と置き換えるということをすれば渡世人としてはある意味上等のクチだ、というのはマジンにあって了承をすると更に五十人ばかりもふえて、六十四人が共和国軍に志願するつもりになっていた。

 彼女らが自分の未来を図るために兵隊として自らの力と運を量る、というのはわかりやすく、そのための将来図として子供と家、というのはマジンにもあらすじと理解はできたのだが、そういう風に理詰めで理解できる範囲にしてもなにやら勘違いがあるような気がしていた。

 まして共和国がただ今戦っている相手は彼女たちの祖国でもある。もちろん、祖国といって身分を失っているだろう彼女たちが戦争が終わった後ももう一度受け入れられることは難しいわけだが、わざわざに出てゆかずともウチで働けばよろしかろうに、と実は多くのお店の主が店子の突然の一念発起の目覚めに驚いたような反応をマジンもした。

 妙に気合の入った女たちに困惑したマジンはローゼンヘン館に二カ所ある四百ばかりが入る階段講堂のひとつで、そもそもの事の起こりであるところの、これまでの自身の経緯を説明した。

 自分が流れてこの地に至ったこと。

 ここを占拠していた賊徒を打ち払った後にリザが現れたこと。

 彼女に求婚をする経緯で新型小銃を百万丁を軍に納入することになった話。

 流れてきて事業を手伝っていたセントーラが去ったおりに持ちだした船が南の海で暴れていることを知り出向いたこと。

 セントーラを助けるついでに女たちを口封じに連れてきたことを説明した。

 家にいる者のだいたいが流れ者でたどれば、互いに出自に縁もないということで、拐ってきた女たちも同様であることを告げた。

 別段この広い地所であるから節度の範囲、付き合える範囲で好きにして構わない。

 と云って説明をすると女たちはケラケラと笑った。

 幾人かが離れに戻り女たちが増えて、もう一度同じようなことを説明すると、百万丁につきあえるなら戦争終わるまで兵隊に行って帰ってきた女に子供と家をくれるくらいはわけないだろう、と二百二十人が軍に志願することになった。

 家はともかく子供を全員には流石に無理だろう、とマジンが言うと、全員が戦場から無事に帰ってくるつもりでいるらしいことの主家の暢気な頼もしさに女たちはまた笑った。

「若様やら姫さまやらを見ていれば、御手様のあたりを顧みない危なっかしい真っ直ぐさはわかるけどね。人にはそれぞれ意気地ってのがあって、それに頼りたいときってのもあるのよ。お分かりいただけて」

 最初に兵隊に志願すると言い出したナオロミが演題から降りてきたマジンの腰に腕を回し頬にくちづけをした。

 そういう流れで女たちが兵隊になりたいと言い出しているのだが、とリザに連絡をすると翌日リザはやってきた。

 リザは女たちをマジンに抱かれた回数と感想を求め、女たちを回数分ひっぱたくと、手付かずの女八十二名を毎日二人づつきっちり手を抜かずに消化するようにマジンに命じた。

「全く意外とだらしないわね。こんなに味見もしていないなんて。おっぱいやお尻揉んだりくらいはしたんでしょうね」

 女の頬を腫らしたり口の中を切るほど容赦なく、延べで千をゆうに超えるビンタは手袋をしていてもさすがに手に堪えた様子だったが、リザは表情には出さないままに嘲笑うように言った。

「しないよ。別段そういうつもりで連れてきた女たちじゃない」

 千人ほども拐ってきた女の過半は特に肌を合わせるようなこともなかった。

 というよりも、うちの百人くらいは幾度か閨に押しかけてくることもあったが、そういう数であれば一日に二三人或いは多くて四五人かもっとといっても一周りするには三年足らずでは忙しい。女たちもあらかたは子供を既に腹に詰めていて、その後もその世話で玉竿磨きを楽しむという暇も多いわけではないし、そもそも彼女らのいくらかは男に媚び付き合うことに飽きてもいた。

 千人女を連れてきたからといって、女が欲しかったわけではない。

 百回などと臆面もなく言い放った女たちをそれほど見境なく抱いた覚えもない。

 改めて見てみれば別に体が面相が気に入らないという風でもない、町中や酒場の女中によくいる男好きする体型の美形というやつだが、忙しい日々の中で特にそういう風ななりゆきもなくというだけの事だった。

 なので「百回、大変よくしていただきました」などとデミがいった時はそんな時間あるわけ無いだろうと思うまもなく、リザは百回承ったと叩き始め本当に百回叩き切り、そういうのが八人並んでいて、一種の士官いびりなわけだが、リザは表情も変えずに申告のままに叩いてみせた。百もびんたを食らうとわかっていても普通に立つのも苦しいはずだが、帝国からさらわれてきた女たちは顔を腫らしながらも気丈に耐えてみせた。

 言い訳だけで事情を説明する様子のないマジンを鼻で笑うとリザは女たちに向き直った。

「遅ればせながら、我が家へようこそ皆さん。こんなに頼もしい姉妹たちがいることを私は嬉しく思います。共和国軍将校としても、もちろんあなた方の志願を歓迎します。とくに、三十回を超えている方々は私の部隊で面倒をみさせていただきます。私の部隊は新設ですが最精鋭です。死ぬほど泥飲んで私の嫉妬深さを思い知るといいわ。もちろん生きて帰れたら戦友同士姉妹同士、仲良くしましょう」

「あの、日に二人って一月半もかかるんですが」

 リザにひっぱたかれなかった女のひとりがおずおずと質問した。

「良い質問ね。どのみち新兵で兵隊の経験のないあなた達は四半年から一年弱は訓練をすることになる。そのくらい慌ててもしょうがないし、どうしてもって云うならこの家の周りの森の小道短い方を毎日朝晩走っていてください。新兵の訓練は基本的にいろいろな荷物を持って走ることです。もうちょっと上等な兵隊は穴を掘ります。時間があって訓練したいというなら、自主的にそうしてください。ウチのヒトにこの館に連れられて体を許していないということは、あなたたちにはいろいろ考えるところがあるはずです。それがなになのか詮索するつもりもありませんが、そういう慎重さは貴重なものだとも思います。その上でこの人に抱かれたくないというなら志願は却下します。もちろん抱かれた上で気が変わってもかまいません。そういうことです。――そういうことだから、これからは彼女たちを私の代わりだと思って、孕ませるつもりで抱いてあげてね」

 リザはそう言うと残りの百三十八人に共和国軍志願の宣誓書に署名をさせた。

 男がやれば暴力そのものであることも女であればかろうじて免れるすれすれの暴言はこの家の女主人というものの貫禄で兵役に志願するような女たちからは突風とその後の空の爽やかさに迎えられた。

 リザに感化されたマリサナスという女は回数足りない分を足すからとリザの部隊でしごいてくれと申し出て拳でぶん殴られていた。

 そういうわけで、小銃百万丁の君であるところのリザに命じられて四十一日間の閨の日程が定まった。

 何やら本当に出征することになった女たちに刺青よりはもうちょっと気の利いた揃いものを保たせてやるつもりで金と白金で透かし彫りのメダルを作ってやった。と云ってそれほど大きなものではなく銀貨とそう変わらない大きさのものに家紋をほり込んで心臓を削りだした破片を獣の目と口にくわえたバラに刻んだものだった。小さな光物だが、まぁ些細なものが生命を左右することはあって、こういうものが命を救うかもしれない。

 アルジェンやアウルムに渡したスミレの花ほどに確かな効果があるかどうかは分からないが、気に入ってくれればいい。

 思いの外そういうものに飢えていたのか、女たちの間では大はしゃぎで見せびらかすものもいた。兵舎に赴くまでの三日で作れる数は二百というと頑張り過ぎだが、一旦手を止めればできない数ではない。贈り物というものがどういう扱いで作られているかはともかく、贈る側の心がけとしてはそれなりの心がけがあって、騒がしい中では慌ただしくもあったが、物としてはそれなりにできの良い物になったと思ってもいた。

 女たちの幾人かが云うように指輪にしても良かったが、兵隊にとってはそういう日常目立つものよりは胸にしまったり首にかけたりしやすいほうがよろしかろうということでそうなった。

 欲しけりゃその程度のものは兵隊から帰ってきた後にいくらでも縁日で売れるほどに作ってやる。というと女たちは、百万個ほどもお願いする、と言って笑った。

 志願者たちを案内に来たリザにも話をしているとそんなお守り程度のものと違うものを、リザは要求した。

 彼女は新部隊用に二輪自動車用の安全帽と安全服を人数分よこせ、と言い出した。

「二輪車のるときにアタシらに着せるアレ、マスケットの弾丸ぐらいならなんとかなるんでしょ。アレ用意してとりあえず運転しない兵隊分、七千」

「おまえ。なに言っているかわかっているのか」

「わかっているわよ。部下の被服の手当は上官の裁量権限よ」

「アレいくらすると思っているんだ」

「四五千タレルってところでしょ。戦車一両分をそっちに回して、舞踏会に出られる他所行きのドレスぐらい部下に支給してあげたいんだけど」

「それは材料費だけな。オーダーメイドの服ってのは計測して縫製するところにカネがかかるんだ。戦車に踏まれたらアレじゃどうにもならないぞ」

「戦車に踏まれるってのもそうなんだけどさ。演習みていると割と出会い頭の一発で失敗しているケースが多いのよね。狙撃とかじゃなくて車から降りる瞬間にね」

「着てるから知っているだろうけどアレは頭肩から腰までの背中と膝から下それに肘の外側から手の甲だけだぞ。それでおよそ十五パウンある。全身用となるとお前の体型でも四十パウンは超える。走るってのは普通無理だぞ。それにそれだけやっても全身隙なくってことはできない。甲冑みたいなことにしたら百パウンを目指すことになる」

「わかっているわよ。そんなの。頭も顔の透明なところはマスケットならなんとかなるけど小銃弾は抜けちゃうし、頭の多分一番硬いところも角度次第ね。事故と銃だと勝手が違うってこともわかっているわ。尤も事故の場合でも大穴が空いて削れていく時間で速度がなくなるっていうのもわかっていたからそれほど期待はしていなかったけどさ」

「まさか、撃ったのか」

「一応言っとくけど、言い出したのはファラ。実験を演習名目でおこなったのもファラ。あの子の二輪車用のが一番新しいんでしょ。そういうわけであの服の使えるところと使えないところはあらかた見当がついてもいるの。その上での結論としてあの服がほしい。できれば改良もして欲しい。全身用ってのが四十パウンとかでできるって云うならそれでいい。数字が出てるってことは試作はしてみたんでしょ」

「四十パウンは超えるんだよ。お前に着せてない試作で四十三パウンだ。ヘルメットもタダビト用ならある程度なんとかなるけど、アルジェンとアウルムくらい耳が大きいとダメだろ」

「あら。あの子たちはアタシの被れたわよ。大きいのに小顔なのねってみんなで笑ってた。耳はまあなんか被った後しばらく中で落ち着かなかったみたいだけど。痛いってことはないみたいだったわよ」

「まぁヘッドブラジャーの効果があったか」

「ともかくちょうだい。全員分なくてもいいわ。ただ、いまのままじゃ戦車はともかく、それについて行く兵隊が巻き添えの流れ弾で死ぬ」

「戦車が増えたのにか」

「戦車が増えたからよ。いちいち戦車が敵陣地をくまなく踏まないで良くなったんで、速度が上がるんだけど、敵の対応は戦車に追いつけないから戦車のいたところを攻撃するようになるの。だから直接狙ったわけじゃない流れ弾が後続の兵隊に飛んでゆくようになったの。別にこれまでのに比べればどうってこと無いじゃんって思うんだけど、自動車から降りるってことは兵隊が更地にぎゅう詰めになっているからまとめてやられることになるのよ。それを嫌った散兵戦術だったんだけど、どうしても自動車から降りるときは密集しちゃうのね。風景を見失った状態で外に出ると出足が鈍るし。

 特に歩兵戦車は直接塹壕に乗り込むから出会い頭の戦闘が増えるの。歩兵戦車の防御力は信用しているけど、陣地制圧の主力である歩兵は白兵戦が主体になるから、流れ弾も増える。その程度の流れ弾ならあなたのアレはそこそこ役に立つわ。そのあなたがくれようと思ったお守りよりは多少わかりやすく役に立つ。

 それに自動車部隊の兵は長距離の行軍はしないでいいから多少の重量は気にしないわ。背嚢も戦闘時にはないことになっているから武器弾薬と被服以外は気にしない」

「物を幾らか作ることはできなくはないが、半年で装具を揃えてそれに合わせた訓練とか無理だろう」

「バカね。半年だろうが一年だろうがそんなのはこっちの考える事よ。半年で足りないならもう四半年訓練するだけよ。でも、あなたが三ヶ月で歩兵戦車の兵隊分だけでも仕上げてくれれば随分違う。そのうち数で押しきれるような戦い方ができればまた話も変わるけど、今は兵隊を大事にしたい」

「基本的にマスケット銃に対する防御だけでいいんだな」

「帝国の使っている小銃の見本持ってくるわ。そっちにして。連中の小銃も新しい物が出てきたみたいだけど、そっちはまだもらえるほど余っていない」

 歩兵戦車の追加分の組み立ても始まっていない状態でよくもまぁとおもうが、基本的に試験車でも量産車でもレイアウトは変わらないから、戦術の考察は可能で四両とも見かけは違うが最大二十人乗れるようになっている。

 ワイルからの車両もそろそろ届く。一旦ローゼンヘン館から離れたものの動きは会社の都合に合わせて多少鈍い。

「歩兵戦車にのせる三百人だかは決まっているのか」

「二百ぐらいはね。そっちで見本ができたら採寸に回すわ」

「一着はとりあえずある。持って行って試してみろ」

「あなたの分もあるんでしょ。それも頂戴」

「あちこち硬いからよほどちゃんと合わないと動きにくいぞ」

「多少のことはいいのよ。撃ってみるんだから」

 流石にマジンが嫌な顔をしている脇でリザは気にせず着替えの方法を尋ね始めた。

 リザの防具は骨に沿った防具と鱗板を重ねた、蛇腹のある半纏とニッカポッカのような物の組み合わせで、外殻の裏張りと鱗板を吊っている防弾繊維が弾丸を絡めとることで、肌着状の防刃繊維を破らないことを期待した構造になっている。完全な形では機関小銃弾も機関銃弾も阻止は難しいが、角度と運が良ければ初弾だけは堪えられる構造をしている。

 ミトン状に大きく伸びた手甲や胴など、基本的には甲冑というよりは大鎧の構造を参考にしていて全体を守るというよりは動きの中で反射的に守りにくいところを重点的に守っている。

 そのため股間鼠径会陰など体の下側からや腕に内側、脇の下膝の裏など全く守れない部分も多く、結局のところそれなりに防備があるところは頭と胸と背中肩と腰の垂れで隠れる範囲ということになる。

 一方で胸や腹は腕の動きや身をかがめることを前提にどこでも万全というほどに防備はない。

 せいぜいが胸あてと肋にそって蛇腹が申し訳に腹を覆う程度で肩や背中ほどの厚みはなかった。

 足についても、よくできた長靴だとは思いますが、と後に兵隊が控えめに表現したとおりでちょっとしたかんじきをつけることで泥を歩けるようにはしているが、重さと硬さのある靴は走りやすいものではない。

 しかし一方で肩や背中など正面以外の部分では機関小銃の弾丸にも一応は耐えられる構造をしていて、乱戦白兵戦のときに面倒が多い正面以外からの攻撃には比較的使えそうでもあった。

 重量ばかりはどうにもならなかったが、動きを制限しないまま最低限マスケットの銃弾くらいであればどこから撃たれても堪えられるし、帝国軍がいまだに主力に使っている硬鉛弾は問題にならない。

 問題は帝国軍が一定数手に入れている機関小銃と大砲、特に帝国軍の新兵器で陣地でしばしば見られる騎兵砲様の大型小銃或いは小型の大砲だった。

 機関小銃も機関銃も登場から既に八年が経っていて、いずれ帝国軍も同様のものを出してくるだろうと噂されていたが、彼らは先に対自動車用の小銃を持ち出していて、荷客室はもちろん機関室を貫いて運転席にまで貫通する威力を持つ。

 そして一式身につけたところでリザは受け身を取り始め、とりあえず動きに支障がないことを確かめると手をつきだした。

「なに」

「くれるんでしょ。メダル。首からかけてお守りにするから頂戴」

 そう言うとリザは準備していた革紐を通して首からかけて胸元の落ち着きを確かめて嬉しそうにした。

 その後でポケットに手を回し中を探った後でリザは改めて手をつきだした。

「なに」

「なにってことないでしょ。アルジェンとアウルムとセラムとファラの分。あと前線出るならリョウも会うはずだから渡しといてあげる。どうせあなたは出向かないでしょ」

「人伝に渡すものじゃないだろ。こういうのは」

「バカねぇ。よろしくって挨拶だけでも人は喜ぶこともあるのよ。戦場にいたらなおさらよ。あの子、絶対あなたの事好きだもの。そうでなきゃわざわざ私に報告なんかしないわ。だから渡しといてあげるわ」

 黒い鱗板に赤と黄色の裏地が覗く如何にも戦装束という鎧姿で現れたリザに流石に時代がかったものを感じたのか募兵に志願した女たちは少しざわついた。

 志願書を出して首飾りをかけてもらいという女たちの列がそれぞれに挨拶をするさまをリザは複雑そうな表情で眺めていたが、そんなリザを不満そうに見上げる若い娘がリザに志願書をつきだした。

「私、ちゃんと百回抱いていただきました」

 リザは女性としては小柄とはいえず、今はまして鎧のようなものを着ているので一回りは膨れている。が、アルジェンやアウルムのような長身というわけではもちろんない。

 目の前のショアトアはそういうリザに比べても肩の高さまでも背がない。

 ソラやユエより背は低かった。

「私こんな可愛い妹ができたのね。いくつ」

「じゅ……二十歳です」

「体重は」

「七……百パウンです」

「体重はいいけど、身長は三キュビットないと後備も三種かしらね」

「三種ってなんですか。兵隊に出られないってことですか」

 ショアトアはむくれたように尋ねた。

「あなた、この子の具合どうだった」

 大勢の女たちがいる前でリザが尋ねた。

「む」

「答えなさいよ。二回やったんでしょ」

「最初はまぁきついってかひどく怖がられてたよ。休憩の後はまぁ、少しマシだったかな。なんて答えりゃいいんだ」

「自分の娘より小さい子の股の穴に子種を注いだ気分はどうでしたか」

「お前が無茶を言わなければとりあいもしなかったよ。大体ボクは痛がられたり嫌がられてると萎えるんだ」

「私は最初とても怖がってとても嫌がってとても痛がりました」

「あれは」

「いいわ。やることはやったのね」

「まあね」

「あなた、ああ、ショアトア。年はぁええと、帝国暦は十二年ずれてるんだっけ、かああってえと、ええ、十三才。むう。ホントはこういうのは軍学校に押し込んだほうがいいんだけどなぁ。大体なんでこういう子は学志館に押し込んでないのよ。セントーラの姪っ子も押し込んだんでしょ」

「そりゃそうなんだが、色々あるんだよ」

 ショアトアは子供を産んだ自分を子供扱いするのかと強情に抵抗し、代数幾何の問題集や文法や修辞の初等教科書の内容をこなせることを証明してみせるくらいには学があることを示した。どうしてこういう子供が豚小屋に落とされたのかが全くわからないのだが、税の代わりに売られた、ということらしい。売られたまではわかるが豚小屋に落とされていたのはおそらく聡すぎる賢さとその気性のせいだろう。

「いいわ。色々あるのはこっちも同じよ」

 リザが肩をすくめた。

 ショアトアはしばらく我慢していたようだったがついに爆発した。

「にゃっかい、だいてもらいまいた」

 言葉を噛むほどの大声でショアトアが叫んだ。

「背が足りないってのはかなり問題なのよね。でもまぁ、前例としてはよくあることなのよ。とりあえずそれに習いましょう」

 そう言うとリザはかぶっていたヘルメットを脱いで、ショアトアの頭を押しこむようにかぶせた。

「――まだ少し足りないわね。これ履いて」

 リザはオーバーブーツを脱いでショアトアに押し付けるように履かせた。

「――はい、立って。ま、一応こんな感じで足りているわね。だいたい」

 ショアトアは膝を超えたブーツと肩まで落ちたヘルメットをグラグラさせてフラフラと立っていた。

「――はい、合格」

「百かい……」

「分かったわかった。うちの部隊で預かったげるわよ。あご紐締めたわね。歯を食いしばれ」

 ショアトアが素直にあご紐を改めて締め目をつぶり歯を食いしばったのを確認して、リザは拳を横殴りに兜の頬当て上から殴りつけた。

 リザは軸足の膝を入れ引き足を浮かせるほどの大人気のなさで一撃を見舞った。

 硬く大きさの合っていない靴底は踏ん張りを許さず、大の大人でも油断をしていれば昏倒しかねないリザの一撃をくらって、ショアトアの小さな体は文字通り吹き飛んだ。

「兜被ってるところにビンタなんか百も張れるもんですか。子供が戦争している軍人を舐めるな。全く。……あら、これよく出来ているわね」

 肘から伸びている手甲に助けられ、頬当ての塗装に皺が寄るほどに殴りつけたにも関わらず指の骨に異常がないことを確かめてリザが驚いたように手を開きとじとしている。

「おい」

 ショアトアは気絶しているだけの様子であったが、寸法の合わない防具では殺しかねない一撃だった。

「わかってるわよ。やり過ぎたわ。いくら子供の無邪気にいらついたからって、自分の妹を殺しそうになるのはやり過ぎでした。もうしません」

「それもそうだが、そんな子供をお前の部隊で預かってどうするつもりだ」

「兵隊だって色々あるのよ。聯隊本部ぐらいになると拠点司令部ほどじゃなくても戦争以外の仕事も増えるわ。炊事洗濯もそういうののひとつだし、物資とか輜重の手配とか事務仕事も多い。使える使えないは別にして兵隊兵卒の仕事はそういうのの下働きが基本よ。噂に名高い上官の靴磨きもアイロンがけもその一環。騎兵聯隊なんか馬に乗っているかっこいいのはあらかた三分の一くらいの人で、残りはヒイヒイ言いながらお殿様たちの糧秣をもって追いかけているか、根拠地で仔馬の世話してお留守番よ」

 そういって説明をしたリザの前に女が立った。

「――なに」

「私は四回ですが、その手甲で殴られるのは耐えられそうもありません」

 手袋だけでは手甲は外せず身につけた時のつなぎ方を忘れていたリザは胸甲をおろして上半身を脱いで半裸を晒し四回ビンタを張った。

 その様子に思わずその場の全員が注視していた。

「なに」

 先日ビンタをはらなかった分を全員張って、女にメダルをかけているマジンを不機嫌に睨むようにリザは言った。

「いや、下着が合ってないんじゃないかと思ってな。少し痩せたか」

「胸のことを言ってるなら痩せてません。お腹のことを言っているならだいぶ痩せました。全体の体重のことが聞きたいなら増えました。兵隊の訓練に付き合ってればだいたいそうなるわ。……あなた達も覚悟なさい。これから訓練始めれば体重は増えます。お腹の周りは減ります。肩幅は増えます。しばらくお腹のシワが恋しくなるような生活をすることになるから、そのつもりで。……なにこの締まらないの。さて、あなたがたは本日志願してくださったわけですが……」

 リザは全員の志願書を受け取り、改めて共和国軍兵士の心得について説明を始めた。

 そんな風にして二百四十四名の女たちが荒れ野の駐屯地に駐留して編成と訓練にあたっている共和国軍の部隊に合流した。

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