自動車聯隊

 ラジコル大佐の部隊はとうとう自動車聯隊となった。その聯隊の参謀長にゴルデベルグ中佐が収まった。

 そしてふたつ目の自動車聯隊の聯隊長にはホイペット大佐が任命された。

 官僚の仕事は森の中で綱引きをしているようなもので、わけのわからないところで引っかかってしまうことが多いが、一気に進むときには色々なものが引き出せたりもする。

 そういう引っ絡まった様々を捨てるかどうするか考えるうちのひとつとして、リザは中佐に昇進した。

 ゴルデベルグ少佐の首をくくる必要はなくなったが、大本営でフラフラとされるのは迷惑だということだろう。三行半の代わりに昇進と前線任務というのは軍ではままある。

 様々あって軍からの戦車の発注量は二個聯隊で七十二両ということで収まりそうだった。

 ラジコル大佐は戦車大隊を六十四両と本部予備に四両としたかったようなのだが、予算以上に補給連絡が問題で、戦車がたとえどれほども故障をしなかったとしても砲弾や燃料だけでもう十分に限界だと兵站本部は考えていたし、ラジコル大佐も実際の状況を思い出して半数の大隊定数三十二両本部予備四両でもよしと納得していた。

 乗員四名と兵隊十二名をのせる歩兵型の戦車も一個中隊分欲しいということで聯隊あたり十六両といっていたところで、結局二個聯隊で二十四両になってしまって腹を立てていたが、こちらは完成品というに足るものはまだ決まっていなかった。さらに様々に止まった影響を受けて量産に向けた設備の準備もまだだった。

 運用試験に使われていた車台に戦車の部品を組み込むことで手早く組み上げた分と、ペロドナーが受取を拒否しワイルの車庫に寝かせていた分を合わせて数を揃えたが、そういうものであったから細かい部分は必ずしも揃っておらず扱いやすい、というわけではない。

 しかし、リザが部下に部品を贅沢に潰させ、荒レ野の演習場の幾らかがそう云う贅沢な材料で築かれた陣地が出来上がるくらい工場を動かさせたお陰で、消耗部品の循環はよく試験車両も否応なく量産の整った部品で組み立てられることになった。

 兵站本部はともかく今は本当に鉄道軍団に注力したい状態で、自動車聯隊新設を停止するという判断は確かに誤りだったことを認めた上で、それでも今は余裕が無い、これからのものであれば歩みを少し緩めてくれ。といいながら、しかし見本に使えるだろう数だけは認めることで妥協を求めた。

 他にもラジコル大佐が納得ゆかない様子のことは色々あった。

 装軌車で長駆するよりは装輪車で移動したほうがどうあっても面倒が少ないのだが、そうやって増える従兵働きがラジコル大佐は納得ゆかない様子ではあった。しかし大佐自ら実績を睨んで自分で記述している論文を読み、必要だ、と改めて頷き、兵站にかかる自動車の重圧というものを実感しつつ改めて、必要だ、と不満げに頷いた。

 本部や幕僚たちが調整を行っている部隊編成の様々にラジコル大佐は細々と納得もしていない様子だったが、自分で改めて配下部隊の前線での実績や研究を調べ計算してから、ラジコル大佐は極めて感覚的な人間が理に殉じるような態度で素直に頷いた。

 軍令本部の感覚でも兵站本部の感覚でも新編された自動車聯隊は強力な部隊だった。

 集中的に自動車を運用し、その運用が可能なように進路地形を工作できる機械を備え、また機械装置の整備が自立しておこなえる人員と機材を備えた部隊は、物資の連絡さえあれば強力な意味を持っていた。

 もちろん潤沢な補給、優秀な人材と豊富な物資とを求めることで後方の兵站を圧迫する部隊でもあったから戦果効果が十分でなければ贅沢ということになる。だがそれでも、兵隊を十万二十万前線に送るよりは安上がりだったし、一度派手にできたことがまぐれだとしてもその前後の地味働きでさえ眼を見張るような内容であった。

 むしろ、ゴルデベルグ中佐を前線に送ることを積極的に望んだ者たちの多くは、地味働きをおこなっているうちにゴルデベルグ中佐が埋まってしまえば良いとくらいに考えてもいた。英雄志願者であるゴルデベルグ中佐が特進して将軍になるとしても、死者が官僚の書類仕事をかき回すということはなさそうな笑い話である。



 ともかくも様々ななりゆきであちこちに引っかかりぶつかるような有様で進んでいた新兵科部隊自動車聯隊は、自動車化歩兵大隊二つと砲戦車中隊二つに歩兵戦車中隊ひとつ機械化工兵中隊ひとつ、他に本部中隊に小隊分の予備機材を幾らかという形で編制されることになった。

 人員の上ではやや少なく聯隊の編制という意味でも大隊三つはやや少なく欠けているのだが、聯隊というには膨れ上がりすぎた予算都合上も教育と素養を求める人員の配置上も現在の共和国軍ではどう頑張っても不可能だったし、鉄道軍団の編制を止めるつもりかという話になればそこまでだった。

 運用の都合を考えれば大きく一つにまとめるよりは適当な大きさのものが複数ある方がよい。とはいえ、補給連絡の都合を考えれば共和国軍の兵站実力からすれば旅団として纏めて使ったほうが効果的ではないか、という意見も多い。

 大本営の殆どの目論見としては長期計画としての自動車部隊の拡大は当然に望まれていることで最終的には全軍を自動車化したいという希望願望としての超長期計画は当然にある。

 だが今はまず兵站状況をひいては戦争の状況を好転させる様々な施策を形にすることが再優先で、そのひとつとして自動車部隊を正規編制とする、その運用を確定する、というところが先決だった。

 一旦そう定められたことで、二個の聯隊に編成されるに当たって、人員を各地で編成中の聯隊から優先的に人員を吸い上げることが許されるようになった。

 これまでは人員の往来が大きく手間取ることから、例え軍令本部の直下に置かれていることになっている各地の各地の聯隊に対しても他聯隊への人員の抽出という命令は、戦域後方での再編成以外には殆ど出されることはなかったが、鉄道を経由することでおよそひとつきで共和国中が結ばれたことで、大きく状況に変化があった。

 優秀な人材を手放すことは各聯隊ともに当然に惜しくはあったが、ラジコル特務集成聯隊の勇名は当然に各地聯隊の注目するところであったから、部隊の正規編制に際して自部隊から代表して有能な人材を求めるとなれば、それは時代の魁でもあり軍人として軍歴を積む者であれば誰もが望むところでもあった。

 荒レ野にいた後備聯隊からも年齢的に余裕のある人員千五百名ほどが昇進をして組み込まれていた。

 荒レ野の後備聯隊が作戦正面にない部隊で共和国最良の部隊である、というゴルデベルグ中佐の評価は、実は軍令本部作戦課においても概ねそう判断されている事実で、訓練や装備の質の高さを考えれば、兵隊の平均年齢がやや高いことは問題にならないとされていた。

 もちろんやがて人員は入れ替わるが、自動車聯隊の下級士官の年齢が極端に低い軍歴心許ないことを考えても下士官兵が古参であることは好ましい。

 ことに新兵科の部隊であるから、それに対抗した訓練を経ているだけでも価値はある。

 そう考えられていた。

 自動車化歩兵大隊の装備に車輌牽引の無反動砲や噴進砲という歩兵砲が組み込まれたのは、ゴルデベルグ中佐の要求で段階的な新兵器運用について実績のある後備聯隊の人員を充て砲兵を求めず砲火力を高める、という名目であった。

 砲兵という職分を奪うということで兵科として対立もあったが、戦車の備砲の口径が百五十シリカ、砲弾の径の大きな噴進砲であっても砲弾重量が十五パウンしかないことを理由に騎兵砲であるという主張をした。

 そこに職分に対して絶望的というべき将来をみていた騎兵将校たちが飛びつくようにして支援した。

 戦車はなるほど砲力は高いが、敵中突破後方遮断そして迂回挟撃など騎兵的要素が強い。

 歩兵型戦車なぞまさに上古の戦車そのものではないか。

 なるほどなるほど。

 戦車こそは新時代の騎兵の乗り物だ。

 確かに戦術の転換で騎兵将校の実勢は減ってしまったが、その知見は活かせるはずだ。

 と、騎兵将校が乗り気になったところで、騎兵が砲を運用できるなら歩兵が運用をしてもおかしいことはない。

 一旦その気になった者たちが割り込み飛び火したことで、様々が有耶無耶のままに無反動砲や噴進砲が自動車聯隊に組み込まれた。

 騎兵や砲兵が聯隊としては歩兵とは別に切り分けられていたのは、訓練や装備が高価で共和国各地の文明不確かな情勢のもとでは歩兵ほどに扱い易くなかったからである。

 その意味合いで云えば、自動車という高価な装備を扱う新兵科は目の敵になるべくしてあって新兵科創設が止まった理由でもあったので、先行きへの不安を常に抱える騎兵科将校を取り込むということは方針としては間違いではなかった。

 実際にマークス少佐は軍団付きの騎兵上がりであったし、あちこちの聯隊から合流した偵察に慣れた騎兵将校は戦車の上でも子供と変わらない階段参謀よりは遥かに目のつけどころがよく、報告指示が的確だった。

 機関小銃の配備の徹底によって歩兵が一旦は銃剣を装備から下ろす、という程に戦術の転換があると、騎兵の立場は偵察或いは伝令というものに絞られていて、後方への浸透撹乱偵察という少し前であれば重要な任務も、帝国軍の深い縦深と鹵獲された機関小銃によって成功率の極めて低い危険な任務になっていた。

 新編成された戦車中隊の車輌乗員は一両の戦車に大尉中尉少尉とが乗り込む階級上ひどく贅沢な編成になっていることも多かったが、各地から抽出されてきた兵隊に戦車や自動車の操縦経験がある者を期待するほうが難しい状態であったから必然でもあった。

 ようやく秋になって無理やりのように壊し続けていた運転訓練を終えて新兵の補充を受けながら二個聯隊での合同の戦術訓練がおこなわれ始めた。

 戦車砲向けの青弾を戦車同士でぶつけ合う、一種の雪合戦のような形で始まった。

 基本的に砲手と車長とがそれぞれ左右の単眼式照準器を受け持ち、それを両目でみることで補正と照準を共有する。車長の指示に従ってガチャ目になっている照準器を直してゆくと砲の照準が合う。大雑把に言えばそういう仕組で主砲の照準は合わされていた。

 片目のセラムはどうしていたかといえば、車長側で目標を追い、そこに表示される車体基準の方位水平儀と単眼焦点での距離の計器表示を基準に砲手側が同じ目標をみていることを確認していた。細かな諸元よりも指示の確認だけをすればあとは砲手任せということでもある。

 照準器や砲の振動安定化は機械制御でおこなわれているが、車速や車体姿勢の制御は射表化されていないために、僅かな傾斜があるだけで砲の追従操作と精密な射撃は難しくなる。

 だが多少の機械機構の不案内は問題ない性能を戦車砲は持っていた。

 極めて低伸性の高い弾道の高初速砲は直感的な砲撃を許し、また速射性の高い装填操作を許す焼尽薬莢と半自動排莢装填装置は装填手の技量と体力の許す限り小銃並みの装填速度を達成できる。また次発装填ラックを備えていて二発だけだが、装填手の技量によらない極めて早い連射もおこなえる。

 はっきり言えば一発外している間にそれを見て直せるだけの性能を持っていた。

 とはいえ乗員の技量が想定を上回ることもある。先行量産車はその次発装填ラックと内装の空間を装填に使った速射によって、砲手が照準を修正し操作する数秒のうちの咄嗟に三発を射撃することが出来、その結果として排煙の排気が十分におこなえないまま車内に充満し、乗員が車内で昏倒するという事故が起きていた。

 釣針作戦の前哨のリザール川渡河作戦のさなか、先行し渡河に成功した一両が後続のもたつくのを待たず対岸の守備隊を単独で粉砕する、という離れ業を演じその直後砲手を含め三名が失神した。

 およそ三十八パウンの砲弾を装填手と運転助手が二人がかりで砲塔後部の弾庫三十二発を一分あまりで空にした緊張と疲れ、と車長アルム中尉は一瞬考えたがそれにしては砲手も崩れるように倒れており、何より運転手までも眩暈を訴えていた。これは危険と車長が砲塔のすべてのハッチと更に床下のハッチしばしば便所口と呼ばれていたものまで開いて換気をおこなってしばらくすると三人の意識が戻ったが、似たことは他の戦車でも起こっていた。

 根本的な原因は渡渉能力を確保するために吸気系が砲戦闘室を経由していることに由来していた。

 激戦の最中、上部ハッチを閉じたまま機関によって負圧になった戦闘室が砲身内の排気を吸い上げ砲煙の排気の効率を下げていた。

 もちろん砲弾の運動を使ったり圧縮空気を使ったり排煙装置を回したりと砲煙の吸引圧送も換気も積極的におこなっているが、連続発射によって砲尾装填口が長く開いていることで効率が極めて下がったことが原因だった。

 量産車では吸気系を二系統にして渡渉潜水時にのみ車内経由の吸気に切り替わるようになった。また、加圧された機関吸気の一部を車内に圧送することで車内を加圧状態に保ち砲の排煙を効果的に排出するようになった。実は機関吸気をそのまま車内に送り込むことにもそれはそれで問題もあったので、一旦圧力タンクにため一定圧を戦闘室に加圧するようになり更に大げさな活性炭湿式フィルターが車内の調圧のために設けられるように既に改められている。

 これによっておまけのような機能が増えた。

 ひとつは機関の運転で逆流する吸排気がどうしても混ざっていた車内の匂いがだいぶマシになった。匂いの話は車内の食事やタバコの臭いが減ったという者も多いが使っているうちに気にならなくなったのだろうとも言われている。

 もう一つは事実上水深に制限を受けない渡渉渡河が可能になった。

 これまでは砲塔上部から水が入らない深さが渡渉の限界だったのだが、完全閉塞状態でも車内加圧用の圧力タンクからの戦闘室経由の吸気でおよそ五分から十分程度運転が可能でその間の潜水渡渉が特に装備や準備なしにできるようにも改まった。潜水状態での待機も可能だが、機関の再起動には負荷が大きいので機関の停止は極めて危険でもある。

 釣針作戦での渡河の遅れは渡渉をするにあたっての水底の確認が難しいことに由来していて、敵地敵前では極めて困難の作業を無理やりやっての失敗だったから、危険でもともかくもやりようがあるということはまた大きなことだった。

 共和国は大河の治水がいい加減で流れの切り替わりや地図にない支流が突然にできることがあり、湿地が突然に湖沼に姿を変えることもある。地図がいい加減なことから迂回の経路の見当もつかない。特に南側では山からの雪解けや湧水伏流水と海岸沿いの氾濫とで複雑な状態になることが多い。そのために輜重の移動が突然制限されることがある。

 それは自動車も同じで、鉄道が様々に地域で不安を囁かれしばしば拒否という形になりながら結局また土地が受け入れ、更にまた拒否をするという州国土地土地の風見鶏のような判断の状態になっていることの原因のひとつでもある。

 戦車という大型の乗り物にとって渡渉という機能はそういう複雑な地形を制する上で一つの解決策であったが、なかなかに困難もあった。

 おまけはおまけというような機能であるが、おまけがほしいこともある。

 自動消火装置も準備されたことで乗員各自用に配置された酸素瓶と吸着剤がおよそ十五分程度もつので決心の一応の保険になっているが、復元を保証しない保険の利用の判断は難しい。

 可能になったという潜水機能を試すためにおこなわれているザブバル川を使っての潜水渡渉訓練は岸からみていると、機関排気のあぶくの位置がかなり迷走する様子からひどく運転が不安定で困難な状態がわかる。

 完全閉塞で吸気制限をされた状態でも川幅からすれば三分から五分もあれば渡渉完了するようなザブバル川の支流だが、水中で周囲の状態がわからないままだと気が付かないうちに川の流れや転石に向きをすりかえられていたりと思いのほか余裕がない十分でもある。

 もともと装軌車は湿地不整地或いは雪上などの動きを可能にするように寸法に比して接地圧を低く抑え、荷重を点による静止摩擦ではなく面圧と動摩擦と地形の粘性をつかって駆動力を運動に変えている。

 推進力伝達の性質としては船の櫂に似たものになっている。

 そのために車輪による完全な摩擦にこだわらなくても、不正地での運動は確保されている。

 ローゼンヘン工業の装軌車の履帯は完全な平面ではなく、またTのように地形に棘を刺すでもなくエのような二階建ての構造になっていている。

 それを進行方向に対して斜交させていている。左右で履帯の掛ける向きを変えるか揃えるかで極限状態では変化があるはずだが、そこまで考えたわけではない。

 だが接地圧が運転状況で低くなり過ぎがちな装軌車において中間的な対応となる。

 だがそれにも程度と限界そしてそれを求める用途と環境が問題になる。

 水中の浮力が履帯の面圧を奪い、車体の運動が更に上方向の運動に変わる。

 十分な動摩擦や粘性があれば安定するが、水底に水が入り込むことで動摩擦も粘性も下がる。

 運動そのものは複雑だが全体としては速度を求めれば求めるだけ浮力が増し不安定になる。

 一番容易な対策は落ち着くまで停止する。

 落ち着いたら動く。

 そして停止するということを繰り返すことになる。

 解としては単純だが、それを実施するにはそれなりの技術と覚悟が必要になる。

 訓練というものが技術と覚悟を求めてのことだから、ザブバル川で訓練をしている戦車兵にそのふたつが今は共に備わっていようはずもないものだった。

 そういうわけで潜水渡渉の訓練では機関停止や水中地形にハマっての進行不能などに備えて引き綱をつけているわけだが、二両の牽引車で引き上げようにもつないでいるはずの有線電話が何かの理由でちぎれて車内のパニックと合わせて助けているんだか首を絞めているのだかわけのわからない状態になっていることもある。

 それは訓練中の新兵だけでなく既に実戦をくぐった者であっても状況を見失うとそういうこともあって、戦車の車長の役割の重要性と、戦場での完全潜水渡渉はなかなか難しそうだということがわかってきた。

 結局はおまけはおまけということらしい。

 しかしそれはともかくも、自動車聯隊は装備を扱う人員の訓練を基礎的な運転訓練から次第に前線に向いたものに変えていた。

 予算措置上注目をあびるために盛大に暴れてみせた応急復旧訓練は部隊の内外にゴルデベルグ中佐の奇矯ぶりを注目させることになったが、一方で贅沢な訓練を経た若者たちの習熟の度合いも高く、効果を値段で図るのは全く軍隊に向かないことながら、集中的な訓練の意味合いについてやはり思わないわけにゆかないものだった。



 少なくとも、戦車中隊をまとめた戦車大隊を預かることになったマークス少佐は、これだけ壊せば上手くはなる、という部下の僻みにも似た意見に頷いてみせるのはそれとして、自分たちは二年前の訓練期間のいつまで戦車に不信を抱いていたかを思い起こせば、さっさとそれを乗り越えさせる訓練としては徹底的に壊す直すという方針は全く正しいと感じてもいた。

 小僧どもに負けていられない。というものの、こと運転技術の限界操作という意味ではゴルデベルグ中佐の方針は若者たちと噛み合った様子でその思い切りの良さ、切れのある動きで一年目の動きとは思えない車輌もいた。

 色々不満と疑問も多いラジコル大佐も訓練を続けている聯隊配下の戦車部隊の動きを見れば、そこは文句をいう必要も感じなくなっていた。

 敵陣地を無視した行動を前提にした自動車部隊の完成に向けて、ラジコル大佐は大いに手応えを感じていた。

 ラジコル大佐は新創設のこれまでとは全く扱い方が違う部隊には横槍を受けないですむ師団格が本当はほしいと感じることも多いわけだが、現実問題として兵站上の現地裁量権を得たとして或いは戦区を得たとして、現地裁量はともかく現地調達という言葉は自動車部隊には無意味だし危険であるために、師団格があるとして旧来の部隊と同じような動きはできないし必要ないとも考えていた。

 自ら望んだ新設新兵科部隊の威力を思わぬ兵站管理上の問題とともに見せつけられたラジコル大佐は、作戦においては掣肘を受けることも多いだろう聯隊格について納得もしていた。

 ラジコル大佐は目の前で錬成される部隊の手応えを大いに楽しんでいた。

 無理をさせなくともやはり自動車は突然に事故を起こすわけだが、重たく手間のかかる戦車でさえも大方のところが小隊単位での対処でできるようになっていて、四つの小隊を持つ戦車中隊は事態に応じ小隊を切り離し或いは援護して柔軟に行動できるようになっている。

 戦車大隊は更に二つの戦車中隊と歩兵戦車中隊を持っていて、独力で陣地線を突破し部分的に制圧占領できる戦術機動力を持っていた。

 戦車大隊が踊りこんだ後に本部戦車小隊に護衛された機械化工兵中隊が陣地を無力化し、最終的に自動車化歩兵大隊が陣地を制圧する。およその運用構想はこういった運びであった。

 部隊の運用や戦術など様々な協調に関わる部分はすっぽりと抜け落ちたままゴルデベルグ中佐は練成を進めていたが、戦場で実地に指揮をした二人の大佐はそういう面に関しては全く得意分野であったので、訳知り顔で先回りされるよりはいちいち指示を出して確認しながら進めるほうがいくらも練成の効果があった。

 自動車戦術というものも素案はあって幾らかは現地前線でも確認できたが、まだまだいくらでも手を入れる余地があって、各車の運転能力運転技量ができるところに合わせる必要があった。

 マスケット銃の集中運用とその後の野戦築城による大砲主体の陣地戦術は、準備時間と待機人員と火力要素と陣地戦術の洗練の掛け算という意味で洗練されるに従って国力を露骨に反映するものになってゆく。

 もちろんそれぞれは単純な線的要素ではないが、最終的に国力の差が戦力の差になる。

 それはこれまでは問題にならなかったが、リザール城塞近辺に数万ではなく数十万でさえなく数百万を投じることが帝国軍に可能であるという事実を考えるならば、全く同じ方法手段で対抗を試みることは共和国軍にはもはやできなかった。

 自動車による戦車戦術も最終的には密度という人員や国力を必要とするかたちに収まるわけだが、戦術的な洗練と運用できる火力という伸びしろが期待できる分、それでもまだ陣地戦術よりは見込みがあった。

 戦術は機動要素が加わることで戦術の面としての意味を増すし、火力もまたひとつの戦力単位が参加できる戦闘の幅を増やす。

 陣地戦とは違い機材の抗靭性というものが戦争技術の格差を生むことで、火力と同じく戦術戦闘の幅を増すが、同時に陣地戦で見られたように戦争技術の格差が国力そのものよりも大きな影響を生むことを示している。

 もちろん最終的に総力戦という意味でこれまでより一歩進んだ形になる。

 しかし将来はどうあれ、再び火力が機材の装甲抗靭性を嘲笑うほどに上回るとして、今しばらくは防御力と機動力が火力と陣地準備を超克することができる。

 ラジコル大佐は自分の構想が実現してゆくさまをこれまでにない充実として感じていた。

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