リザ二十八才 1

 リザが大勢の若い部下を引き連れるようにしてローゼンヘン館に帰ってきたのは、前輪がもげたユーリのクーペの修理が終わった頃だった。

 ユーリは父親と同じく熱中しすぎて、車の立て直しに失敗して側面から安全帯に衝突した。

 助手席にいたウェイドともども怪我はなかったが、自動車はかろうじて自走して館に戻ってきたものの、当然に荒野を走るのには不安のある状態に前輪基部が歪んでおり、そのままローゼンヘン館で修理をすることになった。

 ユーリのクーペの修理と言っても部品があれば板金と塗装が面倒なだけの修理で、フレームと四輪の接地に歪みが出ていないかを確認すればそれで終いだった。だが、外装の焼付の時間は一晩では少々足りない。

 もちろんウェイドは両親に連絡をした。デカートの多くの商家がそうであるように、セレール商会も電話回線を多く導入していた。セレール本家も多くの電話回線を敷き、日常的に使い分けている。その回線数はローゼンヘン館よりも多い。

 その時の細かな話をマジンは知らないが、そういう顛末があってユーリとウェイドは代車で帰っていった。鉄道で帰る手もあったが、車庫に並ぶ自動車が欠けているといかに興味がない人であっても、何かあったことには気がついてしまう。

 ご母堂の怒りの避雷針代わりに自動車は必要だったし、多少の変更はあるが原型は同じ自動車だ。ユーリのクーペについていたフィギュアヘッドはローゼンヘン館の手持ちの材料から削り出して同じ形のものをつけてあるので、よほど注視しなければその意匠の差には気が付かない。

 だがもちろん見る人が見れば外装の色味意匠や室内の設えの他にも異なる点が様々にある。各種の寸法自体があちこち異なる。

 もともとあちこち華奢な作りをしているクーペは大胆に軽量化をするには無理のある車体で、手をかけようと思えば全部おろして矯正してアテをしてという状態だったが、そこまでしないでもまっすぐ止まるくらいに直すのは難しくなかった。代車に貸した車くらい手間を掛ければ剛性を確保して重量を軽くすることはできるが、それは一方でユーリの車の乗り味とは全く異なるものになる。つまりローゼンヘン館のクーペは市販されているクーペとは部品の材料や寸法が幾分異なる。

 乗ってみれば違いもさらに多い。速度を落とさない滑らかな操舵感と、下から上まで楽器のようになめらかな応答をする加速系という意味ではサラブレッドとしての仕上がりの代車はなかなか大したものだが、ブロンコのようなわかりやすく溢れる力、弾ける速さ、というものではない。

 ユーリが乗っていた自動車の法的な所有者であるグレン・セレール氏は実は娘以上に自動車に入れ込んでいたから、子どもたちの乗って帰ってきた自動車の異変にはすぐさま気がついて、自ら車両の下にまで潜り込んで各部を点検し、自室の電話であちこちに連絡をしていた。

 そして後日素知らぬ顔でボンネットを似た色味の車と交換して、子供たちの失態のわびという形でローゼンヘン館に自ら台車を返却しに訪れた。

 用もなく押しかけて誰かが怪我をするかもしれないような面倒をかけた子供の不始末に、手土産を持って親が頭を下げるのは当然だったから、セレール家の家格を考えれば自動車の買い替えの話をするくらいの金額が動いてもそれはデカートの元老の常識の上でも仕方ない事である。



 原状復帰という修理の基本としては着手してその日のうちに終わり、第四堰堤の工事監理とデカートでの元老院の用事のをはさんで、車体色の調合で少し手間取っているうちにリザが共連れで帰ってきた。

 リザは連絡の通り四百名ほどの部下を引き連れていた。幾人か年かさもいるが全体に妙に若く子供にみえる者も混じっている。

「いつもながら唐突だな。ま、雪があるわけでもないし、泊めるのは泊められないこともないが」

「面倒なら中庭で野営でもいいわ。どっちが邪魔かわかんないけど」

「とうとうまた前線か」

「その前に見学会の引率って感じ。会社の方にはもう連絡してあって受け入れも決まっているけど、その前に現物を見せにきたの」

 リザはそう言うと部隊の衆目の前でマジンの唇に吸い付いた。

「――これがアタシの旦那だ!こう見えてアタシの家に女を千人も囲い込むような碌でなしだ!アタシと竿姉妹になりたいってならいまさら止めはしないが、そんなことになったら確実に腹が膨らむから戦車には乗れない。さっさと退役の申請をしてアタシの前に申告しろ!

 野郎ども、そういうわけでこの館には千人からの綺麗どころが詰めている!アタシの旦那と穴兄弟になりたいってなら止めはしないが、ウチの旦那にメロメロの女達からお前らの股間にぶら下がっている小銃の性能が、旦那と乳繰り合っているアタシの耳に入る仕組みだ!お前らのピコピコ動くボウフラみたいなちんこを誰が何回使うかで、人事査定の賭けをしていることを忘れるな。しょっぱい結果の阿呆は訓練どころじゃないようにしてやる」

 続いて宿営にあたっての班分けやら他の細々した指示説明をしている脇で、少し年かさの大尉が共和国軍の要請状と臨時徴用命令の書類をマジンに手渡した。

 仰々しいが迷惑御免の貸借契約書のようなもので、内容を確認して署名をする。

 一般に条件は十分良好なのだが、公証を持って銀行にいかないとカネにならないとか、条件の変更にあたっては大本営への出頭が必要とか、金額面以外の条件は市井の生活を営む人々にはかなり厳しい。

 マジンは電話で軽く話を聞いていたが、突然過ぎてあまり準備も整っていないまま、自動車生産設備にリザとその部隊を案内することになった。

「話では戦車を見せて走らせればいいんだったか」

「ここではまぁそうね。あと、アルジェンとアウルムを貸して。正式な辞令はまだ出ていないけど、アタシがもらうことにしたから」

「あいつらでかいぞ」

「でも戦車乗れるでしょ。この子たち大半が大本営で走り回っていた新品だから、まずはそこからなのよね。ま運転できる連中も多いんだけどさ。顔見知りもいるはずよ」

「そんなで大丈夫なのか」

「もうちょっとするとラジコル大佐の部隊が後方に下がって新編ってことになるわ。もうちょっとがいつだかわかんないんだけどね。そこで半分は入れ替え。あと荒れ野の聯隊から少し古参が足されることになっている。流石にこの子たちだけじゃ不安あるけど共和国軍で本を読める兵隊ってのはちょっとばかり貴重すぎるわ。あなたのせいじゃないんでアレだけどさ」

「軍機じゃないのか」

「軍機だけど、決まっていない気分だけの内容を多少晒す分には構わないって云われてもきたわ。ま、編制の経費参考が必要だって話にはなっているけど、色々止まってほったらかしの歩兵の対自動車用の装備とかの運用見積りの研究を立てる準備も欲しい、ってところね。あんまり時間もないから手早く手頃なところで。あなたが後備聯隊に見せているものも、私が見て使えそうなら上げろ、って言われてる。どうせ欲しいものなんか、ここ来りゃいくらでもあるのは本部の連中はわかっているけど、全部ってわけにもゆかないからね。そんで軍機になる前の私の妄想は垂れ流して宜しい、ということになってるの」

 臨時徴用命令の書類を眺め使う戦車の数を確かめたところでマジンは首をひねる。

「結局、何両必要ってことになったんだ」

「まだ決まっていない」

「なんだい、それ」

「決まっていないのよ。最終的な編成内容も規模も。だけど人員の訓練は始める必要があるの。だから手元にいて使えるけど使ってないこの子たちをアタシが預かってきたの。なんかもう、ついこの間まで軍学校にいたと思ったらおんなじことをする羽目になった気分よ。だから後備聯隊やデカートの駐留じゃなくてアタシの家なの。おわかり?ってアタシもちゃんとわかっているわけじゃないんだけどさ。だから多少のことを私が口にしてもまだ軍機じゃないの。私の妄想ってことで押しきれる」

「つまり、ボクはどうすればいいんだ」

「つまりね。今は軍令本部の求めるところに応じて戦車やアタシが欲しがりそうなものを訓練に供して宿舎を提供してくれればいいの。その後ラジコル大佐の部隊の解散と新規部隊の再編成がおこなわれるから、それでそっちに移動することになる。経費はツケってことになるけど軍令本部が言値で払うわ。軍票になるはずだけど」

「中央銀行のボクの口座が膨らむわけだな」

「それで戦車は結局、どっちの所有なのよ」

「試験車はボクの私有物。量産が始まると会社のもの。最終的に生産が完了すると会社が連結的に試験等にかかった費用を精算する目的で試験車を買い上げる。今のところそういう風にして会社に利益を預けている。試験とか実験とか研究のたぐいは果てしなくカネがかかるかも知れないし、かからないかもしれないし、計画そのものが迷走するとそもそも論で会計がグチャグチャになるからね。他人に説明するのも面倒くさいからボクがひとまとめにして最後に利益が出ていれば回収する。研究や試験の段階でボクの財布がパンクしたら諦める」

「めちゃくちゃ剛毅ね」

「まぁ、社主だからね」

 そういう風にして新設兵科部隊の人員の訓練は計画の成立を待たないままに始められた。



 車両生産工房施設の一角の研修室を使って座学をおこなうところから始めるわけだが、もちろん多くが初めてのことで大いに難航した。座学も講師側が不慣れで説明が迷走した。新たに学生ということになった士官たちも自分たちが新規兵科の参謀研究として初年兵になるらしいという事以外に何をすることになるのかまるでわかっていなかった。

 軍令本部戦務課が本部から人員を引っこ抜くや鉄道座席を手配するという早業でどこにも稟議を回さないままにリザに若手参謀を押し付けてきたからリザも目を丸くするような話のなりゆきで、つまり事態は逼迫していると軍令本部では認識されているものの稟議で時間をとられることが事態を更に悪化させると考えられていた。

 陰謀とか密約とかそういう雰囲気の言葉が似合いそうな状況だったが、新兵科としての自動車化部隊の新設は奇妙な政治的緊張を大本営内部に引き起こした、ということになっている。実のところそう単純な話であるはずもなく、もちろん実験の実績と呼ぶべきものは全く見事な惜しむべきものだったから、戦務課としては総力を上げて横車を押すことをストレイク大佐が決定した。それは軍令本部長マスカーリン将軍の意志でもある。

 そういうわけで、リザが軍都から電話をかけてきたのち十日とかからずに彼女は部下を引き連れてローゼンヘン館に訪れた。

 戦車の説明にあたっている講師は確かに戦車の製造にあたった技術者のひとりではあるが、普段は機関本体の製造にあたっている者であまり説明やそもそも人前で話すことを仕事としていない種類の人間だった。

 それに、戦車の説明をしようにも、完成品としての戦車の目指す設計意図やその経緯というものは、極めて曖昧な雰囲気と想像の戦場というべき物語を根拠として作られている。

 ラジコル大佐の研究とそれを引き伸ばした物語を中心に歩兵の一般的な塹壕の規模や主要な陣地構造から戦車の寸法諸元を作り、その車体の接地規模から主砲威力の上限を概算し、その主砲威力を防御できる主要防御構造を導出し、車体構造から車重と車体容量から駆動性能を、駆動性能から足回りを、と根拠そのものがないわけではないが、思いつきの数字をでっち上げていったものに最終的な仕様を持つ部品を組み込んだものだった。

 参考とすべきラジコル大佐の論文はいくらかが抜粋されて教材としても使われていたが、具体的な何かを示すには不足している。

 そういう共和国軍の戦争政策としての兵站の現状や、現場の兵隊の生活としての戦力の運用を無視した、云わば純粋研究の具象として作られた戦車の説明は、特に注文書があるわけでない量産品ではあるもののいわば試験品で、研究を知らぬ者になにから説明をおこなうべきか困るところであった。

 セラムの部隊に丸投げした資料は戦車の仕様決定から全体要目の設計までの計算や部品仕様細目の検討に使った資料のほぼ全てで、完全に読み解ければ理屈の上では戦車をまるごと作れるような内容だった。だがもちろん兵隊にとってそのすべてが必要な情報というわけではない。丸投げのせいで運転席の電気式操作系の調整がしばらく不十分なままだったり、履帯の補助誘導輪の調整が前線の現場に入ってもしばらくおこなわれていなかった。結果として現場で対処可能ないくらかの不具合が延々と放置されていたという事情もある。

 そういうわけで今回は教官を準備しているのだが、その教え方の整理というものは全く足りていなかった。



 講義も戦車の機能的な目的として塹壕の突破とその際に集中する各種の火器に対する防御さらに火砲を使った敵の排除という走る守る撃つという機能から、戦車の寸法設定の話、車重から接地圧の話になり、装軌車の運転特性と懸架方式にとび、バネ下荷重と振動制御にとび、砲の反動制御の話から砲と砲弾の性能にうつり、防御構造の話になり、と、資料を渡し事実上自分たちでやれとセラムに丸投げをした状態よりも混沌としていた。

 セラムの部隊にはラジコル大佐本人がいるので、機械の機能と論文の概要を足した物語はできるはずだった。だがその性能が物語にほんとうに必要であるのかは、どう説明するかにもよるはずでもあった。

 ラジコル大佐の自動車化部隊構想の中核となったはずの研究論文は、軍機扱い非公開文書指定を受けていた。

 そこには過去からの共和国軍と帝国軍の陣地築城の技術の推移が揃えられ、基本的な野戦陣地の設定に関わる決心の基準心得が示されているということだった。自動車の作戦機能を考える上で極めて重要な要素であるが、わかってしまうとおおまかな陣地の配置が読めてしまうというもので秘密になっているらしい。

 大事なのはラジコル大佐が極めて優秀な陣地戦、ことに野戦築城の研究者であるということである。

 ラジコル大佐は機関小銃・機関銃登場以降の陣地戦術を無視できる自動車化部隊こそを望んでいて、そのための車輌の設計製造ができないか、ということをローゼンヘン工業というよりはゲリエ氏個人に尋ねていた。

 歩兵火力の増大はこの後、陣地の重要性を増すことは間違いないのだが、それはほぼ兵站の争い輜重管理と補給連絡が極めて重要ということになる。

 そうなった場合、期日不明の当面のあいだ、共和国は帝国に対して極めて不利な戦いをくりひろげることになる。何故なら準備の必要な陣地というものを軸に戦うということこそが兵站に頼るということであるからだ。

 従って兵站上の相対的な不利が克服できない状態においては、陣地戦は来援の期待できない籠城戦のような状態になる。

 ラジコル大佐の論文は砲の性能とか車輌の運用という戦術的な要素は基本的に二の次で、敵の戦術を無視しうる作戦要素作戦機能としての機動力と防御力の組み合わせとして運動力或いは衝撃力という概念に注目していた。また将来その自動車化部隊を撃破しうる対自動車化部隊の準備が必要であろうとしていた。

 戦車はおよそラジコル大佐の希望に沿った形外寸。塹壕を無視しうる車長と車幅。歩兵や行李の行軍を阻害する雪原湿原泥濘地を前提にした低い接地圧と広い接地面。城塞が持つであろう堡塁や階段地形を登れまた下れる超提性能や城壁を突き破れる打撃力と速度性能と重量。さらに敵砲兵の大砲のほぼ全てに対応した防御力を備えている。

 ラジコル大佐の基本的な要求は陣地障害と前線火力を無効化できる戦闘車両による機動的な敵陣地の無力化、ということでどういう風に無力化するかという点については、実はラジコル大佐本人は具体的に書いていなかった。

 というよりも、一旦敵火力が無効化され陣地が無力化してしまえば、その先は歩兵的な方法であっても砲兵的な方法であっても或いは騎兵的な方法であっても構わないということが、敵戦術無効化力としての運動力衝撃力の定義の求めるところで自動車化部隊の骨子でもあった。

 陣地後方に抜けて司令部や輜重を狙っても良いし、兵隊を流し込んでもいいし、もちろんそのまま装備された武器で掃討してもよい。もちろんそれぞれに組み合わされることのほうが一般的である。



 そういう意味で実はラジコル聯隊に配備された砲戦車はラジコル大佐の構想を一部反映はしているが、性能はともかく配備数が少なすぎて敵本部を直撃するような騎兵的な運用は難しかった。

 また性能の上でも、歩兵的な運用という意味では十分に満足しているとは必ずしも云えない。ラックや戦車上に歩兵をのせることはもちろん可能だが、いまのままであれば戦車に陣地の火力が集中した際に歩兵が壊滅することをも意味する。

 つまりは戦車と同じだけの機動力と防御力を持った歩兵を流し込める自動車――歩兵戦車が必要ということになる。

 それは今のところ部分的には貨物自動車が果たしているが、共和国軍でも帝国軍でも自動車の足回りの弱点については既に把握している。それはなかなかに小手先の対応が難しい問題だった。そして帝国軍は既に対自動車用の新兵器を配備し始めていた。

 とは云え歩兵戦車も既に設計そのものは粗方が終わっていて、自走できる概念試作車は製造が終わっている。歩兵を戦闘準備状態で詰め込むということで、幾らか調整が必要であることで部隊の都合と機械としての面白さがまさる砲戦車の方にマジンの興味が向いていたことで後回しになってしまったが、実のところ試験用の自走可能な車両と運用に際して調査をおこなえる車台は、リザが特務大隊を連れて現れる以前に工場の倉庫に運び込まれ、今は埃を被っていた。

 若手の将校たちにみせると、先に出てきた砲戦車のほうがどう考えても強そうなのに、箱のような壁のような鋼鉄でできた納屋のようなこれも戦車だ、ということで苦笑が起きる。

 履帯のついた貨物車というところで、後ろ側に扉がついていて兵隊が乗り降りするようになっている。

 車体の背の高さが五キュビットを超えていて、まさに物置が走っているような大きさのそれは、戦車と並ぶと戦車よりも背が高いことで驚く。

 かろうじて車幅のほうが広いが、車体長が戦車と変わらないので縦長のようにも見える。

 これはこれで色々使い勝手もよくなりそうであるが、一方でわかりやすい大砲はついていない。小さな天蓋付きの機関銃座が付いているだけだ。

 だが今は、こちらのほうこそがラジコル大佐の元来望んでいた自動車部隊用の装備なのではないか、という気がマジンにはしてきてはいる。

 説明を受けている士官たちも、どうやら講師がなにを説明すべきかわからないらしいことは、そろそろ見当もつき始めている様子ではあったが、戦車の試験をしている時の動画をみせると、その砲火力や土塁塹壕を踏み越え石壁を突き崩す様子などに期待混じりの呻きをあげていた。

 座学は兵隊の多くにとってはこれから扱うものがどれほど難しいものか素晴らしいものか、というところがわかればそれで良いところもあって、実技に入る前の心構えのようなところもある。

 如何にも困ったような顔でこちらを見るリザに渋い顔をして見せてそう思うことにした。



 四百十二名の人員に六十二両の車両だったので機材が不足気味だったが、ともかく砲塔の後ろの雑具を積み込むラックに数人を載せる形で全員が帯同し、本来の運転人員より多少多い形で訓練は始められた。

 正規には乗員は五名ただし一名は連絡参謀を前提にした便乗者或いは予備人員で、運用にはあまり関係のない人員だった。

 前線からの報告から大本営では不安の声が多かった戦車の信頼性だが、履帯周り転輪周りの問題に集中し動力砲力については問題なし、という結果で構造の大きさ複雑さから大きな不安が持たれていた変速機を含む動力機関には特に問題は起きなかった。

 それよりは大砲の排煙が排気できず換気機構の容量が足りない、という問題のほうが現場では深刻だった。無色の排煙で危険を意識しないうちに眩暈や失神を引き起こすそれは、前線の鉄火場で乗員の練度が上がり戦車の主砲を要領よく扱えるようになってはじめて問題になったもので、発射速度を抑え気味にすることで対策とすることもできたが、別項の対応も希望されている。

 様々に問題がなかったわけではない戦車だが、総論というべき流れでは極めて優秀な性能を発揮し機械化歩兵大隊の築城架橋をよく助け、敵陣地の破砕に有効な威力を示し、自動車化歩兵聯隊の躍進を助けた。希望する改良点の大小はあるが、原則として大改造を必要とする希望はない。

 予定よりも遥かに少ない四両という戦車では一両の行動不能が出るだけで全体の部隊行動を停止する事になるために部隊の柔軟な行動には支障をきたしていた。そのことが戦車の性能以上に戦車の信頼性に不安を抱かせる原因でもあった。

 ラジコル大佐の構想では四両という戦車は小隊の定数とするべきだと訴えていて、それだけいれば車両の回収や一時的な点検をおこなう僚車の援護がおこなえるとしていた。

 また履帯車輪周りの問題も予兆なく発生はし、影響は重大ではあるものの、極端に頻発するというわけでは決してなく、機械力があることで小隊単位での対処が可能な場合も多く、一定数を集中的に運用することで部隊行動そのものの不安をなくすことはできる。

 戦車の戦闘力としての価値は極めて高く、そのために故障の影響は致命的といえるほどではあるが、機械的信頼性そのものは安定していて、予備部隊があれば問題はない。最低数を確保するように部隊運用することで極めて高い戦力として扱えるとしていた。

 事前研究のような五十二両は無理としても、予定通り予備を込で二十両それが無理でも十両いれば戦車中隊の行動は自由度を与えられより部隊はふたつある自動車化歩兵大隊をより柔軟に運用でき積極的な行動ができた。とラジコル大佐の報告は訴えていたが、現場前線でそうであってもマジン個人でそこまでオモチャを投げ与えるようなこともできなかったし、兵站本部は当時それどころではまるでなかった。というところが、大本営の問題で、そういう話はもっと早く送ってよこせ、というところが軍令本部の参謀たちの意見でもあった。

 戦況や部隊が動けなくなった理由などの問題についてはラジコル大佐は様式に則った報告をあげていて、それを読めという気分であったが、ともかく一旦止まってしまった官僚作業を立ち上げ直す際の責任の擦り合いで新設部隊の計画は政治的に難航していた。



 ともかくそういう大本営での出来事とは別に新設部隊の威力そのものは認められ、遅ればせながら早手回しにおおまかな人員の調達融通をおこなう準備を軍令本部は着手していて、電話設備の威力がそこそこに示されたことで、多少手元に浮き始めていた新品同様の少尉中尉たちを戦車という教科書と首っ引きにする必要があるらしい機械の操作に回すことにした。

 というのが、リザが本当に前線に出るのかどうかもわからないまま、実家に引率してきた理由であった。

 荒レ野の後備聯隊は戦車がまとめて現れたことで、オイオイこれは無理だという感じではあったが、戦車の扱いやその対策については戦車に対する側からも意見があって、訓練の相手としてはなかなかに手堅かったし、戦車をふたつに分けての訓練では戦車と歩兵の強味と弱味を教えてもくれた。

 ラジコル大佐の聯隊と訓練した記憶もある彼らは、大本営では読み取りが難しいとされたラジコル大佐の報告について大本営よりもよほど的確に読み解いている面もあった。

 とくに陣地に苦労している年寄りの歩兵らしく、機械化歩兵大隊の設営の報告は後備聯隊ではかなり注目されていた。

 円匙とモッコが陣地の基本だ、というのはそれはそれとして野戦築城を早業で手伝ってくれる機械化歩兵大隊は多くの兵隊たちにとって大きな衝撃だったはずで、訓練で瞬く間に演習場をでっち上げた威力を知る荒レ野の後備聯隊にとっては、土木工作機械は手元に幾らかほしい機械であった。

 駐屯地の宿営でも、除雪やしばしば倉庫や馬屋などの修理や建て替えはあり、そういう建物の基礎や資材の運搬など重機があればと、一旦見知った便利な道具に対する期待はブツブツと残っていた。

 ラジコル大佐は前線での態度とは裏腹に、陣地突破に際して歩兵の躍進のみならず事後の輜重の往来を可能たらしめる土木機械群の威力についても報告書の中で語っていたが、予算上も編成上もひどく目立つ砲戦車の存在に大本営の多くの人々の注目が集まりすぎていた。

 砲戦車の悪目立ちは演習地においても変わりはなかった。

 数を増やした戦車の数に対抗部隊を頼まれた後備聯隊の兵隊たちは肩をすくめて鼻でため息を付いたが、階段の登ったり降りたりが早くなったくらいの子供にいきなり満足に扱えるような機械ではなかった。

 戦車砲の巻き起こす衝撃と轟音で戦車前方の兵隊が転がり悪くすると気絶するのを笑う若い将校も多かったが、実際に砲前方のタライや樽が砲の衝撃で水を撒き散らし転がる様を見て言葉を失ったりもした。

 味方の背中が見える位置で戦車は砲を撃つなと一応云われているが、たとえ訓練中でもそれが守れるようなら新品少尉殿などと扱われはしない。

 余計なところで撃って兵隊を気絶させ、砲身の交換をやらされる。

 そういう禁止事項を逆手に取って敵方が攻めてくるとあっさり負けて、履帯の交換を敵の分までおこなわされる。

 戦車は歩兵がいないほうが自由だ。と跳ね返ってみると今度は視界の狭さからいつのまにやら包囲され、転輪の交換作業を敵側の分までやらされる。

 特務教導大隊の新品戦車兵たちは話に聞いていた無敵兵器が、実はとんでもない欠陥兵器であることにぶつぶつと文句を言いながら演習に励んでいた。

 戦車砲の威力そのものは築城演習の陣地を実際に吹き飛ばしてみれば容易に陣地の講評もおこなえ、うんざりするような結果を見ながら歩兵たちはウサギやモグラになれるほどに穴掘りに勤しむことになる。

 ところで戦車を相手に訓練に付き合ってくれている後備聯隊のレオピン大佐の意見では、戦車にも塹壕があれば弱点である履帯を晒さずに戦闘を続けられるという話になった。

 陣地がある土地にあることがわかってしまうのは当然なのだが、その陣地の配置内容がわかることは問題で隠蔽に問題があるような大きさだと困る。

 戦車の長大な砲の向いている方角は実際に敵に向かって撃つまでみえないようにしておきたいし、できれば戦車がいることも隠しておきたい。

 塹壕の中から攻撃ができるということであれば、歩兵が運べる軽臼砲と云うべき迫撃砲がすでにある。だがそう云う火器の話もさておき、歩兵の陣地を支えてくれる戦車、できれば歩兵の塹壕づくりを手伝ってくれて、自前の退避壕を作って必要な時まで隠れていられるようなそういうものがあるといい、という話だった。

 リザがレオピン大佐の意見をマジンに告げると一応試作品もあるにはあるという話になった。半グレノルの乗用車と大差ない大きさの塹壕を掘るためのパワーショベルと無反動砲を組み合わせたようなそれはアームの一部に無反動砲を複数備えアームに付いた鏡と運転席のペリスコープを頼りに複数の無反動砲弾を放つという構造になっていた。

 如何にも当たらなさそうな作りの隠顕兵器ではあるが、レオピン大佐の求めるところの大枠を、射撃が如何にも当たらなさそう、と云う一点を除いておよそこなしているのは間違いない。



 レオピン大佐の後備聯隊は非公式に新兵器の運用試験の協力もおこなっていて、研究が進められている歩兵向けの軽野砲をすでに数百預けられていた。噴進砲や無反動砲という新型の歩兵砲の試射に立ち会ったり、それなりに試験が進むと実際に演習形式での実射などもおこなっている。大きな問題が起こらなければ、試験品や量産実証試験分をそのまま地方装備として受領することもある。

 無反動砲が巻き起こす後流の対策として射手から離す、という方法をとったその機械は試作品というか思いつきというだけの機械だったが、それはそれで面白いものではあった。問題は機械を歩兵に配る余裕があるかということになるが、歩兵が求める軽戦車というものも含めた一つの回答でもある。

 無反動砲は一般的な火砲の理論と異なり圧力ではなく速度をそのまま反動にして弾体を飛ばす砲だった。従って目標と反対側になにかを猛烈な速さで吹き出す。目標の反対側に味方がいるということが一般的な注意の必要な兵器だった。だが反動が小さいので簡素な発射機で大きな弾体を扱いやすくなる。

 一般的な銃砲に比べると弾体と尾栓の間で起こるガスの膨張圧力による加速が存在しない一方でガス流体の速度によって加速がおこなわれ、流体が後方に運動を行うことで、発射機の両端から理論上同等に反動が発生することで発射機を原点として釣り合う。

 更に火砲の圧力の理論と無反動砲の速度の理論とを組み合わせることもできる。

 衝撃波が弾体と尾栓とを往復する整数倍で尾栓を開いて放出するのと同時に弾体が銃身を飛び出すことで加速の効率向上と反動の相殺を狙うことも可能になる。そういった調整は弾丸の装薬性能と砲身長と砲弾重量の釣り合いが必要でそれに合わせた機械的構造の調整が必要になるが構造上は必ずしも難しくはない。遅延開弁式無反動砲は極めて効率的な加速がおこなわれる砲になる。

 もっと扱いの簡便な奮進砲弾の準備もあらかた終わっている。

 噴進砲弾は加速が緩やかにでき反動も歩兵が一人で扱えるほどに小さいが、無反動砲と同様に後方に噴流を撒き散らす。また加速が緩やかであることから弾道の安定が難しい。飛翔区間の速度が遅いなど、扱いは簡単なのだが狙って当てるのは難しい。

 小さな扱いやすいものはそれなりの不利もある。



 一旦シャバに戻って兵隊をやっている後備兵には余録もあって大事の意味もわかる内容ではあったが、兵の練度や操作への勘がどうこうというよりも、細々と気をつけることの多い、砲兵様のお勉強じみたことを求められるそれに手を焼いてもいた。

 次第に型に押し込んでゆけば、最後は結局小銃の扱いと同じようなものになってゆくのだが、シャバの巷と職人言葉と兵隊言葉の方言を乗り越え往復をする作業の手伝いはそうそう容易くもない。

 もちろん前線と関係のない田舎の兵隊であれば走って穴掘って飛び込んで走って以上にやることがあるわけでもなし、時間はあってその時間で様々に手が入れられもした。

 いま扱っている噴進砲なる物が何であるかといえば、以前からポツポツと話にはでていた歩兵が簡単に扱える、自動車や戦車をやっつけられる武器、ということは兵隊たちには既に伝わっていて、大いに期待されもしたのだが、同時に殆ど当たらない武器であったり、やっぱり結局重かったりと、ため息を付いたり口を尖らかせたりしていた。

 弾の径に比べて短い砲身というものがもたらす不安定については、様々な銃火砲がすでに示していたから、なかなか難しい、ということはもともと云われていたことで兵隊たちの殆ども、そうであろう、と納得も理解もしていたが、目の前で威勢よく飛んでゆく奮進砲弾が的にあたるわずか手前で風に流されたり地べたに落ちたりという光景を見ると、肩を落とさずにはいられない。

 無反動砲はそういうがっかり感は少ないのだが、結局は大砲であった。圧力を重視するこれまでの銃砲に比べると運動を重視する無反動砲は砲の構造は非常に軽く、大きな小銃くらいの気軽さで扱える武器として作られているが結局は重く、そして戦車砲より威力があるという遅延開弁式無反動砲はローゼンヘン工業の大砲がそうであるように長く作られていた。それは実に大した威力ではあったが、馬四頭ではちょっと荷が勝ち過ぎで荒れ地を考えれば六頭は欲しいところで、他に砲弾を運ぶ必要もある。それに全くがっかりすることにこの砲に対応できるように戦車の装甲防御も改善されてしまった。

 無反動砲は構造として後ろと前に銃口があるようなものであったから、迂闊な兵が発射の衝撃で吹き飛ばされたり、射手自身が掩体が崩れるのに巻き込まれたりという事件は多かった。その分、猛烈な勢いで陣地をかすめるように貫いて戦車の転輪を吹き飛ばすような芸当もできた。

 荒レ野の後備聯隊の兵隊たちは当然に説明も受け、自分たちの体重を模した水の入った樽が爆風で吹き飛んだりするさまを見てはいたが、それがどういう意味を持つのかということは噴進砲の分かりやすくこちらに向いている炎の渦ほどには理解をしていなかった。

 理解していても砲の後ろをどこまでよければいいのか、そもそも陣地にいる兵隊にそんな余裕があるはずもない。

 それぞれに一長一短あって歩兵の体力や扱いの簡便さを満たす軽野砲というものは、賑やかし以上の性能を求めることは難しくもあるということが、荒レ野の演習地では次第に納得されるようになっていた。

 とはいえ、歩兵陣地の多くはその賑やかしをいかに恐ろしげに賑やかしてみせるかで命永らえることも多いので、努力を小手先と笑うこともできないし、その小手先の知恵を積み重ねることこそが歩兵の求められる健気な粘り強さでもあった。

 荒レ野の後備聯隊の兵の殆どはラジコル大佐の自動車化歩兵聯隊との訓練を覚えていて、なんというべきか豪華に戦車で固めた部隊が、実はハメ手に弱いという感想を抱いてもいた。

 この数年の演習の結果としてデカート州の後備聯隊は共和国全体を見ても精強無比というべき水準の部隊になっていた。もちろん装備する機材はかなり怪しげな経緯で配備されている新装備だったが、各地の後備聯隊は共和国軍の正規部隊というわけではなく個人装具以外の装備についての裁量は現地自治体の判断による。となっているから、後備聯隊が正規配備のマスケット小銃の他に機関拳銃や小隊単位で重機や軽野砲を備えていても問題にはならない。

 もちろんそれだけの装備があってなお戦車はどうあっても強力でそのうち戦車兵のほうがハメ手に気がつくこともわかってはいたが、戦車を与えられた初年士官たちが新品同然の軍服が泥や油で艶が出るまではいい気分で勝たせてもらうと後備聯隊の面々は上から下まで決めていた。

 それに新兵の乗っている戦車は歩兵たちが安心してみていられるようなものでもなく、目を離すとこちらに人死が出かねない有様だったから、なんでもさっさと色付きの泥弾をぶつけて撃破判定をして退場してもらわないと危なくて仕方がなかった。

 ローゼンヘン工業の提供する青弾は弾道は実弾実包を考えればいい加減なものだったが、ともかく撃った当たったをおこなうにはわかりやすいもので、戦車や大砲から飛び出るそれなりの大きさのものであれば破裂もしない絵の具を詰めた蝋の塊であっても戦争ごっこのオモチャにしては上等のシロモノだった。

 もちろん兵隊に当たれば怪我ではすまないようなものではあったが、新品同然のまま大本営で走るのを業務にしていた若い士官たちに戦争の役に立ってもらうには、まずは戦争ごっこから初めて泥と火薬の感触を思い出し覚えて貰う必要があった。

 戦車の割当のない士官は、歩兵と同じように走って伏せて穴を掘って飛び込んで走ってと、モグラとウサギの親戚の真似をすることになった。


 

 士官様になったのに結局兵隊と同じ扱いであることに、参謀研究に訪れたはずの若い参謀たちは悲鳴混じりの罵声を上げた。それを聞くと、自分の良人を見せつけて異様に柔らか気な物分かり良さそうなことを言っていた女隊長は、身長で二回りはでかい男も戦車の中でも身をかがめずに動けるような小柄な女も構わず、すっ転ぶようなビンタを張って根性を修正した。

「キミは君たちは望み選ばれてここにいる。君たちの有能が味方を救い無能が敵を利する。演習は実戦ではないが、おうちの庭でご家族に見せるお遊戯ではない。兵隊と同じことができない隊長も参謀も私の部隊においておく余裕はないぞ。私が諸君らに求めているのは、このあと合流する諸君らの部下に戦術と技能の基礎を伝え、そのための訓練計画を下士官とともに建てられるようになることだ。無論新兵科であればその先行きは極めて険しい。先行した部隊も赫々たる戦果は上げたものの様々に予想外の問題も多かった。幸いこちらの後備聯隊は先行する部隊との演習を繰り返しており、治安出動の経験もある。東部戦線に投入されていない部隊の中では最有力というべき高い知見と練度をもつ聯隊だ。これまで大本営の階段を敵としていた諸君らにとっては初めて相手をしてくれる生きた兵隊でもある。ありがたく兵隊の所作について礼儀作法のご指導をいただけ。わかったらその場で穴を掘れ。これからお前らは何千何万と穴を掘る。糞をするにもゴミを焼くにも穴を掘る。もちろん弾や爆風を避ける蛸壺もだ。そして文句があるときも穴を掘れ。蛸壺は兵隊の城だ。他人の城の中のことまでは私も知らん。その中で泣き喚く分には聞き逃してやる。諸君らは文句があるらしい。ならば!穴を掘れ!急げ!」

 この二三年で銃剣の代わりに完全に行き渡った折りたたみのスコップは、土木用の本式のものに比べるとやや小さいがそれでも地べたを掘るのには必需品で、ことに散兵においては個人用の塹壕である蛸壺や狐穴は生死さえ分けるものだった。以前は銃剣やその鞘で掘っていたがそれに比べれば短いながら力の入れやすい柄があるぶん随分とマシだった。

 並ばされた若い士官たちは夕日が落ちる中、足元の硬い荒レ野の土をひっかくように慌てて掘り始めた。

 どういうわけか演習に参加することになり、この場に並ばされることになったアルジェンとアウルムももちろん穴を掘らされている。



 二人にはこれといった文句があったわけではなく、それどころか任官されていない今ここにいる理由もよくわかっていないくらいなのだが、ことの成行きに目をパチクリしていると巡回していた訓練参謀にどやされて他の士官たちと一緒に穴を掘ることになった。

 アルジェンと同室だったこともある先輩や行軍演習で顔を合わせたことのある先輩もいた。彼らは二三年前に軍学校を卒業した者たちで参謀勤務の辞令を受けた者たちだったが、軍学校をでてすぐの参謀勤務というのはだいたい書類を持って大本営の中を走り回る伝令と秘書を合わせたような仕事で使いっ走りということである。一部は地方の連絡室や軍需品倉庫に回され、残りが前線に送られる。

 どれがいいかと云われてもどれも似たようなもので、前線以外は命の危険は少ないが若さの体力だけを期待されていると云う意味では犬や鳩と扱いはあまり変わらない。

 とはいえ負けそこなった戦争が次第に本格化し、行き先のないままに扱われていた少尉たちでも必要な部隊が増えていた。

 だがはっきり云えば、誰にも扱いの分からない子供同然の新品少尉や部下を持ったことのない独身中尉よりは使い勝手と目端の利く戦場が読めている下士官を特務士官に繰り上げて、足りない分は付き合いよろしく後備兵で現役復帰を求めている連中を、というのが前線部隊の希望だった。ついでに兵隊も現地の徴募で事足りれば全く万々歳なのだが、そうもうまくはゆかなかった。

 特に兵隊の徴募を現地でというのは山々なのだが、せっかく上向き安定方向に努力をしている拠点の生産力を削ることはできず、色々全部が足りない中では兵隊は足りないうちでは足りている方から数えたほうが早いものだった。

 新設される新兵科部隊としてはもちろん優秀な兵隊がほしいわけだが、一旦止まった官僚仕事を再起動させるまでは正面を切った方法では人員の都合も難しく、咄嗟この場で軍令本部が動かせる人員という範囲で卵の殻のついた連中、毛の生え変わっていない階段参謀たちをまとめて、腰が軽く話が早い戦務参謀に特務大隊を預けることにした。というのがわかりやすいリザが特務大隊をあずかり荒レ野で訓練している流れであった。

 報告でわかっている限り、懲罰か何かのように資料を読ませる、という機械化歩兵大隊の特殊性は全く懲罰や偏狂な行動ではなく、必要があってと認められていて、行李いっぱいの書籍と記録というどこの宗教家か巡回裁判かというような機械化歩兵大隊の有様は新設ゆえの過渡期の姿でもあるはずだったが、ともかく部隊創設にあたってはそれだけ高い兵隊の素養を求めるということはラジコル大佐の部隊実績を参謀本部が精査し認めた結果で渋々大本営各本部も認めたが、鉄道軍団の新設も迫っている中で早々安々と文字を操れる兵隊なぞ準備もできなかった。

 それが全てというわけではないが、大本営で新設部隊の先行きが止まってしまった原因は、既に内容と方針が定まり予算規模が完全ではないものの要求が一回りでてきた鉄道軍団によって、急速に人員の調達がおこなわれていたからであった。

 最終的に八万人規模に達する予定の鉄道軍団は、まず東部戦線における鉄道敷設によって物資輸送と軍令連絡線を確保することを目的に年次五千名の鉄道運行に必要な人員の養成をローゼンヘン工業に依頼していた。

 初年度においてはおよそ二千、その後追って拡大というローゼンヘン工業側の回答は戦局を睨めば焦りもあるが、人員の教育というものの困難は軍でも常に問題になることで、ひとまず昨年起きたアミザムでの失態を今後の教訓と活かすべく軍でも独自に研究が進められていた。そろそろ一期目の人員が研修を終える運びになっていて来季は五千の受け入れが予定されている。人員規模としては一個聯隊というだけであるが、共和国軍の識字率水準や算術への精通を考えるとほぼ全員が士官である必要があって、鉄道軍団というものの思わぬ破壊力というものが新兵科の創立計画を減速させた。

 軍学校の卒業生が様々あって千人を割り、各地部隊から特別任官で軍学校に送られてくる兵下士官がせいぜい年に数百名、前線で特務士官に戦時任官される下士官も数百名と毎年士官として共和国軍に加わる者の数は二千名ほどだった。

 戦争での除隊は兵士官死傷者合わせて二万弱一万数千というところで、かろうじて釣り合っているかというところではあったが、戦力増強のための新規聯隊の編制や新設部隊に大きく士官を喰い合うとなれば、平時に余裕を見て予備的に大本営や各地軍連絡室にとどめている士官だけでは足りず、後備に下がった士官の力も必要になる。

 少し前であれば二千とか五千とかの将校を民間の学校に訓練に出すなぞ、どこの阿呆の所業か、という流れであったが、大本営に足を向ける将校ならアミザムの事件の意味と衝撃を理解できないはずもなかったし、今次戦争を経てなおそれを軽視する者は白眼視されるほどに共和国軍は補給連絡を意識していた。



 厳密には編制を定められていない後備聯隊は地域の都合が許すなら、極論師団の規模を超えて配下大隊を拡充でき、共和国軍の軍制としての聯隊とは扱いが異なる。予算権限と都合が各州制に組み込まれつつ正規の共和国軍人員が運用を差配する、謂わば軍州併合の中間的な軍組織である。

 デカートが近年今更捕虜を預かるついでに後備聯隊をよこせと言っているのも、デカート州の立場から言えば、戦争協力の一環でもあった。戦時下の後備聯隊とはつまりは後備兵と復帰の可能性のある傷病兵の待機と訓練とを地方の予算で預かる一種の中間組織で、本来荒レ野でゲリエ卿がでっち上げたような新兵器を扱うような実験部隊という意味合いはない。デカート市郊外の風車ノ丘に駐屯する後備聯隊がおこなっているように輜重隊の運行警備や本部の要請に応じて人員なり部隊なりを抽出するための組織でもある。

 一般的な話題として軍に入り無事生き残り、幾ばくかの金を握って、市井に下り、という兵隊のいくらかは兵隊になるまでには興味のなかった文字を読むことを覚えたものも幾らかいる。

 商売などというものの一筋縄にゆかない市井の苦労があってそれに夢破れたとしても幾らかの何かを掴んだものは多く、そういう者たちがまたひとつかみの元手を作るために兵隊に戻ってくるということであれば、共和国軍としては大いに歓迎するべきことだった。

 そういう者たちがそれぞれの成り行きで夢破れしかし奴隷として競売にかけられるよりはマシと共和国軍を頼る者たちが後備聯隊には吹き溜まっている。前線にさらされる意気地は怪しいが、広い共和国で使いみちがないわけではない。他にデカートでは貧民窟から吐き出されるようにして義勇兵に駆り出された者たちが、年季が明けて戻ってきたものの元の巣穴に戻る気分にならなかったという理由で後備聯隊に入隊する例も多かった。

 共和国中の誰もが新時代の訪れを感じている中で、この後ますます本が読める兵隊の需要は増えることはほぼ間違いない。



 自動車化部隊新設の停止はそういう中で起こった、組織の理論と官僚の感情というものの過激な反応が引き起こした爆発のような事態であった。

 なにが起こっているのかを正しく理解している者たちは大本営には極めて少なかったが、リザに特務大隊を編成して人員の育成に当たれ、と命じたストレイク大佐は自動車化部隊新設を再び立ち上げるにあたる今後の大雑把な諮問委員会の決定を先取りした形で掴んでいる様子で、健康で戦場に忌避のない階段参謀を四百名ほどゴルデベルグ少佐にあずけ、マコブレン大尉とモウデル大尉を副官と主計参謀としてつけた。

 ふたりとも一時期デカートの連絡室にいた将校で数字や理屈に強い自動車の運転ができる士官だった。モウデル大尉は自転車の部品を自作するような手先の器用な男でもある。

 軍人としては子供同然のまま大本営で走らされていた下級将校を、どうにか部下を抱えられるようにそれっぽくすることがゴルデベルグ少佐の任務であるわけだが、はっきり云って道は長く険しい。

 荒レ野の後備聯隊に演習に協力を願い、デカートの自動車部で自動車整備の講習を願い、戦車の構造を把握し、改めて後備聯隊に演習を願いという大雑把な計画はリザにはあったが、予算もなく権限もない今の状態で大本営軍令本部がどれほどのことができるかといえば、つまりは要するにゴルデベルグ少佐の全く個人的な故知であるゲリエ氏の裁量にかかっていた。

 マコブレン大尉なぞ列車内で大雑把なゴルデベルグ少佐の今後の部隊練成に向けた予定の存念を聞き、ゲリエ氏に手渡すはずの要請状と臨時徴用命令の内容を眺め、まるでこれは女衒の美人局のような請求内容ですな、と薄笑いを浮かべた。

「私が恥知らずなことをしないと軍は戦争に勝てないというわけよね。いまの大本営の有様がわかって?大尉」

 リザが笑うでもなくつまらなげに車窓に目をやるのに大隊幕僚は表情を引き締めた。

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