デカート州 共和国協定千四百四十五年春

 ゲリエ家の長女次女が軍学校を優秀な成績でローゼンヘン館に帰ってきたことは、知る人ぞ知るという話題ではあったが、特段にそれでデカート州の何事かが揺らぐ話というわけでは、もちろんない。

 デカートの市民権条項は未だに亜人に対して門戸を閉ざしていたが、もともと市民権と云っても裁判条項や私有条項という資産の保護という問題がなければ、つまりは旅行者と同じ扱いを受けることになるというに過ぎない。

 市民でないからといって積極的に排斥される理由にはならないし、わざわざ制度を区分する必要もない。

 市民であっても貧民窟に住まう者はいるし、望んで尚そこから出られない者も多い。

 別段、だからといって市民としての籍が失われるということもない。税務不履行に対して徴用労務があるだけのことだ。

 今回の出征ではそうやって義勇兵に出た市民も少なくなかった。

 個々の経緯感情の話を無視すれば市民権の問題は、デカート州各市が問題の矢面に積極的に立つか否かという問題にすぎない。

 だがつまりは、それは職がなくてもデカート州市民であれば食事には困らない、或いはいきなり脅されたときに逃げ込む先がある、という貧民にとっては重大な意味合いもあった。

 一方で、外国人旅行者といえ咎ない者たちを傷つけることは当然に理不尽であり、世のすべての暴力と理不尽は国家の預かるところだった。

 もちろん理念上の建前であってしばしば破られることだが、市民権そのものは排斥行動に対する防壁にはならない。しばしば奴隷上がりの市民が元の主家一党から理不尽な嫌がらせ排斥行動を受けることはよくある。その質と程度にもよるが、実態の対応は様々に困難であった。

 また一方で権利が制限されるからには問題もあるわけで、それがなにを意味するかといえば住宅や土地の私有に際して極めて重大な障害になる。また、市民として登録が受けられないということは、急場を凌ぐ全ては自らの責任ということになる。

 自らの運と腕を頼りに生きる辺境に住まう者たちであれば当たり前である、と云うべき内容だったが、あいにくデカートは文明の末裔の城を自認していて、実のところ土地の豊かさと人々の統治は、それなりの節度と納得を以って人々に安寧と文明を抱かせることに成功していた。

 州の市民権条項はそれぞれに異なっていて、それぞれに内容が異なるが鉄道の土地取得に先立ってマジンはあちこちの市民権やそれに伴う資産権交易権通行権の取得を税務の引受とともにおこなっていた。

 ゲリエ卿の居住の個人資産をしめすローゼンヘン工業の社宅を各地に設けているのもその一環である。

 多くは駅舎に隣接した形でローゼンヘン工業の社宅が建てられ、必ずそこにはゲリエ卿の私邸を示す一棟があった。形の上でゲリエ家邸宅資産をローゼンヘン工業が管理していることになっている。

 およその土地で税務と政策関与は連結しているものであったから、はっきり言えば土地の有力者たちはその矜持と不安とを秤の相手にかけて、鉄道機能やローゼンヘン工業が土地にもたらすだろう効能は認めつつ、その社主が州の重鎮に収まることを望まず、従って社主ゲリエ卿の市民としての立場は認めつつ、適切な税務以上の税をかけることはなかった。

 農地の耕作に必要な家畜の売買所有や常用可能な労働力としての奴隷など、常識的な農地の開墾と耕作の維持には相応の労力動力が必要で、季節労働者が都市住民として充実しているデカートではあったが農閑期であっても農業には定常的に労働力が必要でまともに換金可能なほどに生産を維持しようとすれば人手は十人では足りない。

 ならば何人いれば何頭いればいいかというのは様々に厄介な話で、どういう理由においても人間が多いと面倒が増える。

 それを避けるために権利を制限された奴隷と季節労働者であるわけだが、最低限でも資産であり動力である生命を維持する計画を建てられる見識が必要になる。

 そして法によって権利が制限されていようといまいとヒトはそれぞれに望むところをなす。

 殆どの農民は面倒を避けるために家族の縁を頼りにし、規模の拡大よりは手堅く縁故でまとまろうとするわけだが、そう出来るのは中堅として相応の見識を財産として蓄えた者たちだけで、土地の向き不向きもわからないままに新しく農地を広げようとする開拓農民にとっては奴隷と家畜は必需品で、最初に手に入れるそれらの質が土地や作物の選択とともに重大な運命の分かれ道ということになる。

 過酷な扱いが多いのはそういう開拓農民に買われた奴隷であるが、奴隷がいるからといって財産と云って、他にはいくらかの種籾や農具の他には野心くらいしか持たない開拓農民の暮らしが楽になるというわけでもない。管理できない奴隷は危険な敵にもなる。

 農民の生活が縁故を重視するという一般論の多くは奴隷を例外にすることはなく、場合によっては季節労働者を指導する立場として執事や家令として扱われることもある。

 中堅から規模を拡大するためには奴隷の管理も必要になり、奴隷の管理を奴隷がおこなうことも珍しくはない。

 主家が無能であれば奴隷が農園を乗っ取るということも、或いは年季を明けた奴隷が主家を継ぐこともない話ではない。

 しかしそれはもちろん文明が優れて啓かれているという話題でもない。

 市民権条項が市民権を停止された者を市民が奴隷として専有所有することを許しているのは農民の狭量や国家の野蛮というよりは、国家が守るべきものをどのように線引するかという問題でもあって、単純に善悪益害という話題でももちろんない。

 社会差別の問題ではあるが、結局はなにを根拠に差別を制度化するかという問題であって、社会制度がその内側の者達の求めるところに基づき定められた慣例であるなら、例外を含む前提に基づいて問題にすることもバカバカしいはずのことである。

 全く単純にすべての文明は文明に属する者の必要と責任において制度を築き維持されている。

 その事実確認がおこなえなくなったときにすべての制度と文明は破綻する。その破綻した先になにものかが入り込み、文明と制度は変容する。

 社会が含む矛盾としての野蛮について論ずるのは、時流というまた別の野蛮に頼ることだった。

 嘗てマジンは亜人の市民権について元老に訴えてみせたが、あの時点あの瞬間における元老たちの困惑を身をもって実感する側になったということだった。

 共和国において、もちろんデカートにおいても、奴隷の存在は厄介ごとと面倒のもとであり必要悪であり、一方で行き場のない人間である奴隷なくして開拓をおこなうことは無謀に過ぎる挑戦でもある。

 共和国において奴隷は、経済的な刑罰の一環として公営競売を通してその身柄が取引をおこなわれる建前になっていて、建前の上では亜人でもタダビトでもそこは変わらない。

 ただデカートにおいて裁判での提訴は市民権の一環とされていることから、亜人からの裁判の訴えは自動的に却下される。そのために亜人の提訴の多くはタダビトが代理人として原告として提訴するわけだが、当然に様々に問題も多い。

 裁判そのものが原告であるはずの亜人に対する致命的な罠になることもある。

 実態として共和国に宥和的友好的な亜人集落が三桁の混成聯隊番号を与えられた経緯も、各州の市民権憲章に慮り、一方で亜人集落の責任を共和国軍が引き受ける裏書きという意味合いが強い。

 共和国兵士官には各州での市民権は必ずしもないが、公的な裁判制度の仲介の労を軍組織が相手取ることになる。

 とはいえ、共和国軍を背に負うた軍人や市民権がある市民が被告はもちろん原告にたっても、裁判というものは様々な罠が潜む一種の劇場のようなもので、市民権に付随した裁判権そのものの有無が決定的な何かになるというわけではない。

 裁判などというものが起きる段階で罠の口が閉じている、ということも云える。

 マジンも元老として否応なしに多くの裁判に触れることを求められ、様々な成行きからことに亜人絡み捕虜絡みの裁判は多いわけだが、感情論だけで語ればバカバカしい物が多く、法理論だけで述べれば既に最初から決着している裁判が多すぎる。

 その問題の多くは市民権がどうこう、という範囲を超えたおよそ箸にも棒にもかからないという種類の、金がないから払わなかった、かわらけを投げたら壊れた、うるさい人を殺したら黙った、というような凡そかくもそうであろうという種類の文明の無力無能を眺める良い機会になった。

 市民権や裁判という以前に、識字率や基礎教育というものの程度という、社会性の基盤の理解の低さがデカートでさえ問題になっていた。

 これでなぜ共和国をまたいだ連合や戦争がおこなえるのかという疑問が湧くわけだが、戦争や共和国に協力的な州国家は概ね合議制官僚制立法制で運用されている州国家ばかりであった。

 元首首長を血統で定め代をまたいだ国であっても、実権そのものは議会なり官僚なりにあり、そのことが極めて長期的な計画をおこなうことを許していた。

 例外的な独立勢力は共和国と衝突するや共和国の近隣聯隊師団の集中によって粉砕されていた。

 そしてその議会合議に不特定多数の民衆が参加しないことを前提に、議会合意はそれなりに穏当妥当な範囲で倫理や理性を無視しつつ、また一方で倫理や理性を旗として運営されていた。

 合議制国家は見栄に弱い。

 それだけのことであった。

 マジンはデカートの元老として周辺住民や家人に対する見栄でフラフラと動きまわる元老たちの態度にヤキモキしながら腹を立てていたわけだが、元老の言い分にも応分重大な意味がある。

 相応に資産を持ち馬車の動く距離をものさしにした広大な耕地を始めとした土地とその小作を抱え、その住民の生活の質や人口をある意味で元老としての成果として試される立場にある元老は、当然にその曖昧な縄張りの趨勢に対してひどく敏感でもあった。

 多くの元老は無産階級と乱暴に呼ばれる人々の大小のおおまかな定義や状況を知り常識の範囲の桁数や比率としての規模を知っているし、少なからぬ者が実態の見定めに努力をおこない、また一部の者は様々な支援を含めた浅からぬ交流もある。

 相応に様々な業種の人々の動向や生死入出については気を配っていたし、デカート州行政に調査立案を含む様々な手配りを命じている。直接間接に州内での住居や職の斡旋や身分の転出を含む様々の手配をおこなうこともある。

 そのような意味でデカートの元老たちは単に自分の土地や領地を持つ荘園管理者というべき農場経営を行う人々よりも、よほど広くデカートのことに気を配っていて、相応に現実を追う努力をしていた。

 だが、そうはいっても限界があった。

 はっきりと白黒を求める主義者というものは共和国の政治家において極めて稀で、そういう子供のように正義を求められる立場にあることが、既に富裕層の中でも特殊な状態であるわけだったが、一方でデカートの元老のように人の求める理不尽を公理と誇るような立場もまた稀ではあった。

 とはいえ、デカートの元老という人々が個人的な欲望と無縁か、というとそういうことがあるはずもなく、超法規的な存在であることを求められた元老がしばしば自身の欲望で縛られることも多い。

 デカートにおいて贈賄そのものを罪とすることは殆どなく、贈賄によって判断の誤りや不正な業務処理が発生し、業務の展開進展に支障をきたすことを理由に処罰がおこなわれていた。

 贈り物を受け取るのは問題にならないが、その受け取る時間余計なことをして気を取られ判断を誤るということが問題にされる。

 受け取るために両手を使うのも口を開くのもまして私物で職場を専有することも職務外の無責任な行動で、その結果原則を外れた行動をとった結果を罰するというわけだ。

 もちろん私人の立場での交流は誰も咎めないが、公官庁あるいは職場にいる間は非番や休憩であるかどうかは一般に確認できず勤務中であるとみなされ、官舎以外の自宅においてはおよそ土産贈答品とみなされる。

 一方で防諜や守秘義務の階級原則はデカートでは極めて厳しい。もちろん司法の技術的な限界はあるが、原則論や前例で云えば間諜は情況証拠だけで極刑に至ることもある。

 誕生日や新年やその他折々の贈答品が日常化した社会において、贈賄と贈答の境界は極めて曖昧で、贈答のやり取りは一種の物々交換或いは生存や業務の無事を知らせる便りでもあったから、直接自身の収穫を享受する立場にない都市生活者であっても、しばしば詩歌や絵画といったもの、或いは手慰みと称するべき工作の小品を送ることが多かった。

 詩歌の形で料理のレシピとその絵を送るなどということもおこなわれる。

 デカートの社会性の根源を求めれば、都市生活者たちが掛かりの少ないままに貧相に見えないで更に面倒厄介に巻き込まれない贈答品を様々に考えるにあたって、習い事や成果を見せ合う機会を設けることを厭わなかった、という点にある。

 そしてそのことは季節労働者が定住先を見つけられるか否かという境界でもあった。

 季節労働者にとって、芸は身を助く、というのは笑い話ではない命綱でもあった。

 識字率一般そのものが低いのにもかかわらず、デカートの市民の多くが相応に文化的であるように見えることや、或いは商店が比較的人手に困らないことの多くは、社会的基盤を制度ではなく人々の常識としての努力が支えていたことによる。

 とはいえ、結局その常識は人々の往来の範囲でとどまっていて、デカートの天蓋はおろかその内側でさえしばしば厚い壁となって、文字を読めない社会を持たない人々もかなり多くいる。

 また芸は身を滅ぼすの言葉もあるように、一般に職工職人は識字率が極端に低い。

 ローゼンヘン工業は多くの人手を必要としていて、実際に文字が読める書けるは既にある意味どうでもよろしいほどの状態であったが、それでも穏当な社会性という行動傾向と社会維持の努力という常識を求める程度には人を選んでいた。

 お山の大将としてのマジンはかなり強力なモノであるという自意識はあったが、それでも山を崩すことを望む者の全てを排除するには、お山としてのローゼンヘン工業は次第に大きくなりすぎていた。


 ヴィンゼはその土地の性格上、ローゼンヘン工業が必要とする人材を集めるような土地ではなかったが、一方で商売相手としては必ずしも悪くはなく、カネがない、と云う一点を除けば開拓農民の生活に必要な様々こそがローゼンヘン工業が得意とする分野であったしマジンの興味でもあった。

 もちろん単に農業という意味ではない。

 願いや困難という形のないものに形を与える事が職工職人の生業の誉れであるとするなら、ヴィンゼの文字通り開拓者の血と汗を求める土地は当然に敵するに値する難敵であったし、それを敵にするにふさわしいだけの力を既にローゼンヘン工業は備えていた。

 資材機材を扱う掛かりの部分が咄嗟に全てをなすことを難しくしていたが、そこは専門家たる開拓農民の秩序だった整理指導が必要なところである。

 力任せに可能な指導のすべてが許されるということであれば、マジンによる実験的な施策が思いつくままに導入されているクラウク村は、定住亜人の小規模集落ながら、ヴィンゼの生産量を上回る勢いで自分たちの伝統作物であるキビのついでに芋や豆や野菜を作物として作っていた。

 芋に関してはヴィンゼの倍ほども収穫があった。

 ほとんどすべてマジンの実験の一環としておこなわれもたらされた農業機械や農薬は、クラウク村の中で軋轢はもたらしたものの、その成果は圧倒的でそれ故に更に軋轢を深めることになった。

 結果、亜人が文明と無縁とか進歩に背を向けているということは、必ずしも真実でないことの証明とともに、幾らかの食物に対する禁忌から生物種としては必ずしも同一でないと云う事件もあった。

 クラウク村では畑の作物である人参の食べ過ぎで中毒を起こす者たちがいくらかいた。

 食べ過ぎと云っても、畑で間引いた人参をいくらか口にすると調子が良いといっていた者がいてそれを真似した者が調子よく食べ倒れた。そういう事件だった。

 体調が良くなったというのも事実で倒れたのも事実で、彼らが人参に対して官能性が高く、モノが人参だったので医者が驚いた、というつまりはそれだけの事だったが、そのことでクラウク村でのマジンの評価がますます混沌としたことは間違いない。

 ともあれ、農業について少なくとも数百年の遅れを喫していたはずの亜人が、文明に触れた瞬間に農業生産で一般的な農村の生産量に追いついたことは、眩暈をもって様々に受け止められた。

 不作だったために価格において強気で挑んだソイルの農作物市場が、首を傾げるようにあっさりと袖を振られた事件があり、鉄道と農業の関係が衝撃的な意味合いをなし、機械と農業の意味合いが絶望的な或いは極めて融和的な意味合いを示し、農業と土という経験的に知られていた知識に衝撃的なまでの結果を見せたことで、ヴィンゼの農民は始めて薬代や飲み代或いは酒場での賭博の点数標として以上の価値を貨幣に見出した。

 ヴィンゼはもちろん貨幣経済の末端に属してはいたが、小規模の農村の多くがそうであるように物々交換でおこなえるところはおこなっていた。

 市場でも最終的には物々交換になりがちで、家畜や穀物野菜を持っていって肉や農具の直しを頼むのが日々の営みの当たり前であった。

 例外は医者の薬代と酒場の飲み代と葬式での金貨と銀貨くらいだった。

 医者の出張や診察の労働の対価はさておき、薬は街場の商会で手に入れてくる必要があったし、医者の賄いの様々も相応にカネが必要だった。

 晴れ着の留めの裏打ちに穴あき金貨を幾つか仕込んでおけば子供が病気で倒れたときの備えになるというのが、農民の女房のへそくりの基本だったし、そのくらいしかまとまった金が必要な機会はまずなかった。

 脱穀機が売れなかったのも当たり前のことで、ヴィンゼの農民にとっては金貨はおたからで使うものではなかった。いや、使うものであるとは知っているが、どう使って良いものかわからないものだった。

 そういうヴィンゼの農民のうち十五軒が迷い悩みながらもマイルズ卿に借金をして農業組合として農業機械を買い、鉄道の貨物枠を買って土を買って貨物自動車を買って、とカネの威力に触れたことこそが、ここ数年でのヴィンゼで起きた最も巨大な出来事だった。

 そして機械を巡って十五軒が様々に予定を突き合わせ、実際に他所の農地に頻繁に乗り込むことで互いの流儀というか知見というか秘儀ようなものを目にする機会を得た。

 それでどうなった、というほどの影響はなかったはずだが、作物の豊作という影響はあったのだ、と云えるのかもしれない。

 ともかく、ヴィンゼ農業組合は組合員の離農離散の阻止という最低限の目標はこれまでのところ果たせている。

 鉄道はこの先も二三年はエンドア樹海の土を煎ったものを運びこむ予定になっている。

 土を炒ることであらかたの小動物や土壌菌や地衣類は死滅しているはずだが、それでもヴィンゼの土よりは遥かに植物にとって栄養豊富であるらしく、じゃぁヴィンゼの土はなんだ、植物にとっちゃ毒なのか、と云う話になったのがついこの間の話で、樹海の土を運んできた貨車にヴィンゼの土を代わりに積み始めたのは農地の土嵩があまり上がり過ぎると雨で土が流れだしてしまうためにこの機会に多少畑を下げようということになったためでもあった。

 そうやって土地をえぐり埋め直すことで深くまで耕す狙いもあるし、機械があるおかげでそれほど無理な作業というわけではない。

 畑から土を抜くという作業は農民たちにとっても当然に初めての経験だったが、この後もしばらく樹海の土を持ち込むつもりであれば、なおさらカネと手間をかけて運んできた土が流れ出てしまうのは業腹でもあったので、土を鋤き込むこの機会に土地を一旦平たく掘り起こして少し地面の中を拝んでみるか、ということになった。

 こうやって見るとヴィンゼの土はひどく白く薄い色をした血の抜けた肌のような色になっている。土なんていうものの色は皆同じだと多くの農民さえも思っていたが、焼き乾かされ茶色くしかし尚黒々とした樹海の土とは、少なくとも何やら大きく違うことは間違いなく、収穫が上向いてきた今となっては苦笑するしかない。

 地下室を作るほどに土地をえぐるのでなければ、畑の作物の根を張るあたりまで膝の深さまでえぐると、鋤が届かないヴィンゼの土は死にかけの人の肌のような、カサついた膜のような鱗のように剥がれる石と粘土の間のような土で、日頃農作業に縁のない人々が見て唸り声を上げるような種類の土だった。

 そういう奇妙に硬い粘り気と冷たい重さを持つ土を一キュビットばかり削り、農地の土を戻しながら樹海の土を鋤き込むと、およそ一日仕事だった。

 そのヴィンゼの畑から引き剥がし余った土を樹海に戻すことにしたのには、深い意味は無い。

 使いみちが思いつかなかった土を、人目のつくところに積んでおいても仕方がないし、邪魔くさかった。土を運んできたバルク貨車がエンドア樹海に帰るのに合わせて、エンドア樹海に捨てることにした。

 エンドア樹海の街道普請は常夏の気候に濃密な湿気で植物が活発に過ぎ、拠点の維持が難しい状態だった。

 これだけ植物にやられると、カシウス湖から汚水とやらを持ってきてでも根枯らしにしてからじゃないと道不審どころじゃないんじゃないか、という話も出ていた。

 もちろんそんなことを軽々にやって水源に直撃すれば碌な事にならない。

 つまりは行き詰まって苛立ったうえでの暴言なのだが、しかし一方でそれなりに手を打つ必要がある状態であることを示していた。

 そういう中でエンドア樹海に運ばれたヴィンゼの土地の土の山は、ひとつき経ってもエンドア樹海の植物を寄せ付けなかった。

 この半年余りほども苦労させられた植物の大攻勢を受け付けない土砂の山を眺めた者たちは多くが第四堰堤の作業でならした者たちだったので、これが噂のカシウス湖の汚泥とやらか、と白っちゃけた気味の悪い土の山を遠巻きにしていたほどに、ヴィンゼの畑から出た廃土はエンドア樹海の植物を圧した。

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