大本営大元帥府 共和国協定千四百四十四年大雪

 共和国軍大本営は自動車化された部隊、自動車化歩兵聯隊と通称されるその威力に刮目していた。

 通称自動車化歩兵聯隊は兵站に過大な負担をかけつつも、作戦上常に主導的な役割を演じていた。他部隊との連携は連絡参謀や無線機或いは軽自動車による参謀の往来によっておこなわれ、人員上は聯隊としても半かけの規模だったが、東部戦線各軍団にとって極めて軽快で作戦上使い勝手の良い快速を誇る応援部隊であった。

 部隊の作戦展開と移動の速度が尋常ではなく、使い勝手の良さからつい前線後方の軍団司令部に転戦を求められることになった。

 ラジコル大佐の特務集成聯隊――通称自動車化歩兵聯隊は編制上大本営軍令本部の直下で各軍団司令部には直接の命令権はなかったが、各地軍団本部に配備の拡大が進んでいる有線無線の電話によって以前とは格段に迅速に融通の効く部隊間の協力要請連絡を経て、またラジコル大佐の積極的な判断によって事実上の戦域予備隊として東部戦線全域を駆け巡っていた。

 大本営軍令本部直下の特務大隊の集成部隊であるラジコル大佐の部隊は聯隊と通称されてはいたものの、駐留拠点を重視しないまま東部戦線において全く独自に戦域戦区を無視した行動を許されており、戦況が求めるように自由に軍団師団の穴を埋め続けた。それは、広域兵站聯隊が区分をギゼンヌ駐留聯隊のまま、活動規模を東部戦線全域に拡大しているように、ある意味で師団よりも純粋な戦闘単位としての聯隊に共和国軍が求めた理想的な形でもあったのだが、補給連絡という意味ではやはり全く扱いの難しい部隊行動でもあった。

 作戦実施の上での戦力としては全く心強いことながら、補給連絡の上では大きく問題も惹き起していた。

 自動車化歩兵聯隊はラジコル大佐の敢闘精神と東部戦線の必要に合わせて、自動車化されていない輜重隊が追従できない速度で次々と転戦していた。その進撃速度と物資の必要量は必要に応じて救援を求めた軍団師団各本部が困惑するような内容で、応援を要請した作戦そのものよりもその後の自動車化聯隊の補給の困難こそを印象づけるものだった。

 各軍団師団本部の補給段列の手に負えないとあれば広域兵站聯隊の出番となるわけだが、東部戦線の兵站参謀長を兼務するラトバイル大佐としては全く頭の痛いことながら、彼の直轄配下にある広域兵站聯隊だけでは自動車化歩兵聯隊の要請に追従が難しい状態になっていた。

 自動車化歩兵聯隊は膨大な量の物資、特に特殊で高価な部品類をときに砲弾を上回る量で請求していた。もちろん補給に携わる幕僚が必要を認めざるをえない品目ではあるが、それを許すだけの物資そしてそれを運ぶ輜重の準備は困難だった。

 広域兵站聯隊はすでに二百両を超える輸送車を集中的に扱うまでになっていたが、十五万の将兵とそれに数倍する市民と更に倍する捕虜たちの生活をも支えていたから、そういう日々の兵站業務の中で、明日明後日の位置の予定が読めないような部隊行動をしている通称自動車化歩兵聯隊の機敏に過ぎる部隊行動は、補給連絡の要不要をさておいても頭の痛いことだった。

 ラトバイル大佐のさらなる部隊規模の拡大を求める要請に将軍格への昇進が検討されている旨の軍令本部からの連絡があったことに大佐は皮肉に笑った。

 無論、地位や権限を求めない責任者はいないわけで、ラトバイル大佐も自身の昇進を喜ばないわけではないが、権限を振るう先があってこその地位であったから皮肉に笑うしかなかった。

 ラトバイル大佐は全く実務の人であった。

 前線に張り付いている兵站実務者に統帥権による調達の自由を与える、という冗談であればいっそ部隊を後方に下げて欲しかったし、部隊の戦区を定めるという師団化軍団化ということであれば先に部隊の規模を増して欲しかった。

 もちろんそれはラトバイル大佐の八つ当たりじみた意地の悪い感想で、どちらかと言えば前線を支える軍団長やしばしば応援に入る師団長からの推挙でもあり要請でもあった。会議の席で階級の差から一段引いた位置にいるラトバイル大佐の見解見識を求めることが多く、一々列を割いて呼び出すことも迂遠だったし、戦線の兵站を一手に引き受けるそういう重要な立場にある人物にふさわしい扱いが必要だと将軍たちが感じたからでもあった。

 増援に関しても軍令本部も兵站本部も考えていないわけではなかったが、再来年には到達が予定され、戦区に延展するという意味では来年中にも確実視されている鉄道線による輸送連絡によって、事態は大きく改善すると考えられていたし、そのために人員について直接この場で大きく前線に割くという判断はできなかった。

 将軍格としての人事権があれば現地において人事権の調整は大きく自由度が増し、士官の任官指名がおこなえるようになることから、単に部隊規模の拡大調整という意味合いであればラトバイル大佐の希望に沿うものであるとも云えた。

 物資という意味では、過日アミザムで起きた鉄道駅での管理上の失態についての兵站への悪影響の回避だけで兵站本部は大わらわで、秋口にようやく手当がついてそれまでは前線の弾薬糧食に穴を開けなかっただけで精一杯であったから、捕虜の問題がなくても攻勢なぞありえない状態であった。

 小麦やライ麦を兵隊に配給できるビスケットやパンの形にすることから、家畜を食肉にさらに保存がきく形に加工することからが兵站本部の仕事であり、アミザムで起きた事件は当年半期分のそれを泥に放ったような事件でもあった。

 鉄道の速度と中央銀行の財務の威力で問題が破綻に至る前に手当がおこなえたが、大本営の誰もが思わず瞑目するような事件だった。

 共和国の戦区というものは基本的に農業生産地を含んだ形になってはいるが、今次の戦争はそういった現地の生産力を期待できない形で展開していることは、既に大本営も承知していた上での失態である。

 ローゼンヘン工業を主たる請求先とした様々な備品の請求は日々伸び来たる鉄道輸送によって、今やキャソウズまで来てはいたが、再建なったヌモウズからは水運を頼るとしてもそこまでおよそ五十リーグに欠ける道のりを馬車か運が良ければ自動車の輸送に頼らなければならなかった。無論、組織だった自動車輸送ということであれば広域兵站聯隊の出番ということになる。二百両あまりの四グレノル積載可能な貨物車の輸送力というものは大したものではあるが、東部戦線全域百万超の人々の全てに応えられるだけの輸送力というわけではもちろんない。

 兵站本部はとりあえず七千頭あまりの馬匹を集中させ、環状に往来を制限することでキャソウズからヌモウズまでの輜重を往来させ、ヌモウズで行李を船に積むことでひとまずの解決としたが、材木と手間を惜しんだそれは船というよりは筏で、行李に浮きをくくりつけたような作りでもあったので幾らかは水に濡れ、水に弱いものはダメになったりもした。

 膨大な量の特殊な部品は、もちろん重要であるという事はわかってはいたが、そんなことよりも酒タバコ食料とせいぜいが大砲小銃矢弾と兵隊が喜びそうな小品、という品目に割って入るような鉄の塊の扱いに輜重隊の誰もが腰が引けたようになったことはいうまでもなかった。たとえそれがわざわざ行李に積み下ろしをしないような形ではしけに押しこめば良いと云っても山道を運ぶにはなかなかに不安のある重さだった。

 機械部品は現場での扱いを想定した圧延鋼板の櫃に収められ、多少の扱いでは壊れないようになっていて、拳銃の鉛球ぐらいは受け付けない厳ついそれは、用のすんだ後の現場ではひどく重宝されていたが、結局は重たい鉄の箱で、輜重隊にとっては馬車泣かせの鉄の重石という以上に意味はなかった。

 ローゼンヘン工業からの機械部品の行嚢は取っ手がついていたり、重ねたり寄せたりがし易いように上手くくぼみがつけられていたり、或いは現場で簡単に解体できたりと、色々な細工で努力はしていたが、鉄道がそういったモノをどういうわけか行李に積んだ状態でないままに、数十或いは時に千に迫る数で送りつけてくると、鉄道部の人員が敷地の隅までは機械で運んでくれるが、そのあとは兵隊が空の行李を手配して運ばなければ戦争に勝つ算段も立たなくなってしまう。

 このわけの分からない大荷物が戦争のために必要だということは、輜重隊の兵隊たちはさんざん言い含められていて、実際に駅の中では大いに助けられている機械を使うために必要ななにかである、というところまでは噂話が広まっていたからブツブツ文句を言いながら馬車の軸が折れたり底が抜けないことを祈りながら行李を整えていた。

 ヌモウズでは別に厳密に計算建てて作っているわけではない、それほどに余裕が有るわけでもない間に合わせの船に大事の鉄の箱をいくらものせるわけにはゆかず、おっかなびっくり扱うことになったが、中には本当に大物もあって虎の子のような船を呼び出すことになったりもした。

 そういう機械部品は大本営を経由したローゼンヘン工業までの上りは意味の分からない単なる文字の羅列として扱われ、そもそもひどく扱いにくかった。

 現場での作業に圧迫をかけるのは、その文字の羅列が一文字異なると全く異なる部品が軍需行嚢連絡にまじり、何に使うのか首をひねるような鉄塊が倉庫を膨らませ、そのなにものかを運ぶために、攻城臼砲以外ではほとんど仕立てられない八駢式という御者を選ぶ馬車が仕立てられ、かなり整備されているとはいえ戦禍で荒れた戦線後方を部隊の待機する集落跡まで出かけてゆき、そういう鉄を贅沢に使った行嚢を積んだ馬車が苦労して硝煙の香りが残るような土地を所々抜けて右往左往した挙句に、機能停止を余儀なくされ切り離した部隊とともに足止めを食らった聯隊本部で機嫌を悪くしたラジコル大佐が特別仕立ての輜重を出迎え、新たな請求を突き付け輜重に部品を持ち帰らせ、不機嫌に丁寧に全てのやり直しを命じる、という一種の喜劇を演じる原因になっていた。

 共和国軍が様々に整備を整え、兵站本部が軍政と制度を整え完成させた、矢玉の他には酒飯煙草で回っていた師団制と、軍需品倉庫管理で整えられた軍隊が、それだけでは戦争が回らない時代に入ったことを告げていた。

 それは再びかつての地方聯隊を束ねた軍勢のような、部隊によってバラバラのものを求める、お抱え商人と長大な司令官の私物私財を連ねた巨大な旅芸人の一座のような戦闘とは関係のない、しばしば地域に戦争以上の混乱をもたらす戦争向きでない人々の群れを引き連れた、体よく言っても秩序と交渉が期待できる暴徒、共和国軍整備以前の軍隊と云えば戦争後に速やかに殺処分すべき狂犬たちという中世期の悪夢を思い起こさせた。

 共和国軍の背骨を担う兵站本部という組織は、前線の部隊の面倒を一手に後方で引き受けるための組織であるが、煮詰めてしまえば前線部隊に政治をさせないための、イザという時にいつでも前線部隊を立ち枯れをさせることができるようにするための組織でもあって、そのための様々な誤解や侮蔑を生みつつ、戦争に備えて粛々と整備していた。

 わかり易い例が共和国領内に多数点々と存在する、一種の国税の象徴といえる軍需品倉庫管理であったし、硬直的ですらある師団装備編制でもあった。

 師団長でもある将軍たちには現場裁量権の究極としての統帥権はあったが、つまりは軍票の発行についての制限付き免状という種類のもので、一方で現金での取引は禁止されていた。軍票そのものの流通は兵站本部軍票課が追跡していて、贋札の追跡を含む会計監査実働は憲兵本部の大好物の騒動であった。

 かつてローゼンヘン工業はしばしば現金での取引を要求していたが、将軍個人との私物の取引はともかく、政治的には極めて危険な行為で事後においていつでも糾弾される種類の行為でもある。

 ポッと出の山出しであることを衆目に晒すという問題ではなく、取引責任者が起訴されれば銃殺による極刑もあり得る重罪であった。

 どうあってもローゼンヘン工業の制圧という騒ぎにならなかったのは、戦争が左前の状態から棺桶の蓋を叩いて這い出す機会を与えたのもローゼンヘン工業の活動によるもので、当時のローゼンヘン工業の信用体力がない状態にあっては、正規の取引ではなく部隊取引で軍票ではなく現金を求めたことは、一種の非常措置であると看做されて、功罪打ち消すべく様々に措置が取られたからだった。

 抜け道があるかないかという話が大本営総出で探られ、抜け道を作る工作措置が取られた。

 ワージン将軍らしい如何にも無法な、上品に云っても如何にも覚悟のうえの無謀に過ぎる企てと顛末で、抜け道そのものはなかったが、組織だって工作をするとなればそのことくらいは容易かった。

 機関小銃の部隊運用試験計画発起の時期を書類上前倒しをして、現金で支払ったのを部隊や将軍ではなく、大本営軍令本部予算であることにしてしまえばよかったし、当時、ワージン将軍とゲリエ氏を引き合わせたゴルデベルグ中尉が軍令本部付きであったことも筋書きの上で面倒がなかった。

 基本を組み合わせ、例外をうまく扱うことが官僚の実務においての要点でもあったから、本職の人々によっておこなわれた調整工作は全く完璧なものだった。

 そしてその工作の責任者はまた、組織上の例外の頂点であるゲオルギウス・ヴァージェンチウム大元帥の直接指導ということになった。

 代わりにローゼンヘン工業は公用の乗用自動車を試験運用名目で百両寄付することになった。どのみちあちこちに付け届けやご挨拶をすることになれば、乗用車の百や二百は配って歩くことになったはずで、それがまとめてのご挨拶ということであれば、さしたる違いがあるはずでもない。軍のお墨付きで広告ができると開き直ればそれも面倒が少ないとさえ言えた。

 当世の大元帥閣下はそういった組織だった秘密工作を良しとする人物ではなかったが、国家崩壊にも繋がる戦争の敗北を引き起こしかねない戦争協力者の処分と、考えの足りない愚か者たちの尻拭いを、天秤にかけるほどに狭量な人物でもなかった。

 軍政が巨大になりすぎて大議会と大本営とが、現場部隊と大元帥個人を完全に切り離してしまった現状に対して感想を述べ、事件の始末と訓戒を草起するように命じた。

 最終的に問題は、軍都とデカートの往復書簡の遺失とその確認遺漏による作業報告と命令の過誤、と云う形で処理されることになった。

 様々な機会に彼が部隊指揮官のときに戦場にあれば、と感じずにはいられないような物を目にすることになったが、そんなものくらいで戦場の苦労が消え去るはずもないことは、現場を離れた今なら大元帥にはとうにわかっていた。

 大元帥のおこなった全く不正規な手順による会計措置上の作業、扱いようによっては違法とできる行為も、そうした戦場の苦労の結晶の一つであった。

 結局のところ、大元帥は戦場を離れているわけではないことを、ひとり皮肉に笑った。

 そもそも不要な殺し合いや略奪を避けるための暴力機構としての軍隊の軍法は、本質的に法秩序そのものに拘泥するよりは、法や生命そのものの蓋然性としての矛盾の結果として抱えている暴力が、修復不能の破壊をもたらさないように、妥協可能な範囲に制御することを求めていたから、勝利とその先の平和があるなら、秘密工作そのものを忌避する道理はなかった。

 ともかく現場の苦労を減らす方策の一環として、電話機とテレタイプが大元帥府に多数配置された。

 あまりの数であったので、各部屋に配置された電話機とは別にテレタイプ専用の屋舎が一つ建てられることになった。

 大本営では多くの人々がテレタイプを扱っていたが、恐らく個人として扱う量がもっとも多い人々の中に大元帥が割りこむように入り、多くの電気機械が大元帥府の一角をタイプライタの機織りにも似たリズミカルな音で包み、その不調に気をかけている人物が大元帥閣下本人でもあった。

 出勤退勤や処務の合間に大元帥は直接テレタイプ室を訪れ、大元帥府に届けられる各所の報告にも割りこむように目を通していた。

 無論大元帥府内に大本営内にあっても彼が目を通していけない秘密というものは存在しない建前であるから、彼が咎められることはない。

 あまりに多くのテレタイプは、既に騒がしいと文句も言えないほどの音量と機械の熱を部屋に籠もらせて、床も鉄の網のようなモノが上げ床を支えている無粋な普通なら寒いようなつくりだったが、暖炉とはつくりの異なる通風用の穴がなければそれでも汗ばむほどだった。おかげでインクの乾きが確実でもあった。この暑さが別棟が建てられた理由の一つでもある。

 だが、大元帥閣下当人はこの暑さも騒がしさも、共和国が共和国軍が健在な証拠であると考えていた。

 そう思えば、この騒がしさも営舎に響くラッパや戦場の銃列や火砲のような、彼にはもう遠いことのように感じられてさえいた、共和国軍の頼もしさを感じずにはいられなかった。

 若かりし頃、騎兵聯隊のラッパ手を勤めていた大元帥は、膝や腰には痛みを感じるものの耳については未だに健康で、師団の軍楽隊の演奏公演を楽しみにしている人物の一人であったから、戦争で幾人かのお気に入りの演奏者たちが命を落とすことのないことを望んでいたし、テレタイプの不調を音で察し、その修理を手ずからおこなうほどには新しい流れを楽しんでもいた。

 大元帥閣下は彼が心ならずも軍の規律を乱す不心得者を助けた結果について気にしないわけにはゆかなかったし、彼らの働きが共和国国家存続に寄与するとなれば、テレタイプの届ける毎日腰が痛くなるほどに増えた報告を熱心に読み、個々の報告の意味を連ねることも面倒というよりは楽しみですらあった。

 閣下の読み解くところの戦況は優勢で圧しているものの、皿回しの芸人のようなひどく脆気な戦況で、かつて彼が戦場で見たとおり、何もかもが足りない様子ではあった。

 兵站本部が支配する戦場は何もかもが足りない。

 もちろん、今ある彼らの責ではない。

 だが何もかもが足りないことをこそ、ここにある文明が伝えていた。

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