エリス八才

 鉄道計画の初動計画が無事達成したことで、鉄道部デカート本部中庭を使っての祝賀会が開かれたのは、軍都の軍用駅とアミザム経由キンカイザ線が繋がって軍都とキンカイザの電話局と変電所が稼働を初めてからだったが、ともかく一部要員を除いて休日が与えられ、出勤要員には休日手当が支払われた。

 それはローゼンヘン工業が初期の眼目に達したという記念でもあった。

 片道三日でリザとマリールがローゼンヘン館に帰り着きエリスとアウロラが久しぶりに兄弟たちに再会をし、ルミナスがエリスに報告していたとおりに膨大なというべき、大隊規模の弟妹たちを見て、きちんと結婚しないからこういうことになるのだ、とエリスがリザを叱り飛ばしていた。

 エリスはマジンに来年から学志館に通うのだと宣言した。

 てっきり軍学校に通うものだとばかり思っていたマジンとしてはかなり困惑したのだが、エリスは至って本気だった様子だ。

「だって、あたしはローゼンヘン卿の衣鉢を担ぐべき、ゴルデベルグ家の娘なのよ。父様。お金がなくて学校にやれないって云うなら話は別だけど、お爺様たちの残したモノがいっぱい手付かずで地下室に仕舞ってあるってお姉さま方が気にかけてらっしゃいました。地理とか鉱物とかそういう論文もいっぱいあるって。父様は自分の工作で忙しいから興味ないだろうけど、綺麗なものもいっぱいあるってお姉さまたちはゆってらした」

 マジンは基本的に必要な部屋以外は手を付けていなかったし、本当につい最近までそれこそ大隊規模の女達が転がり込むまで、まともな意味で掃除をされてない部屋のほうが多かった。

 アルジェンやアウルムは働き者だったが子供だったしそもそも一人二人五人十人でなんとかできるほどに過ごしやすく狭い館というわけでもない。毎日馬車で物資を運び込む様な生活をしてようやく成り立つような大きさの屋敷だった。

 一番上の二人の娘は早くからこの屋敷にあるものの意味や価値についてほとんど直感的に理解していて、知識が足りないなりに読み解くように努力をしていた。

 そういう意味では全くマジンは碌でもない親で、彼女らの興味や楽しみを取り上げるようなことばかり次々としでかしてもいた。

 エリスは一昨年から養育院の初等部過程に入っていて時々博物館で課外授業があるらしい。そういう中で石とか地理とかそういうものに興味を持ち始めたという。

 エリスは時たまリザの職場である軍学校に足を向けることがあって、アルジェンとアウルムに会うこともあったし、博物館で二人の姉に展示物の説明を受けるのが好きだった。

 アルジェンとアウルムもときたまの休暇で養育院のエリスを訪れることもあり、そう云う中で、実はローゼンヘン館が学志館や軍都の博物館に近しい機能を期待された施設としての由来あることをエリスは聞いていた。屋敷の地下やあちこちの部屋に論文やら資料やらが、管理されない状態で放置されていることを知っていた。

 エリスは色々な流れで両親の経緯を知っていて、館にいる間は墓掃除や墓参りも日課にするような子供で、というより、館にいる間は一日中父親にベタベタとしている母親の代わりになにかちょっと大人らしいことをして見せたいと思っていたので、墓所の掃除をしていた。

 姉たちによる資料の研究によると、ここは一族の墓というよりも遠征隊の墓のようなもので、何十人かの遠征隊の墓銘碑も刻まれている。

 そういう遠征隊が膨大な資料を集めたものを一旦分類保管するための基地としてローゼンヘン館は整備された。

 奇妙に城郭に似たところがあるのは当時周辺には渡りの亜人集落があって度々遠征隊と衝突があったからだという。

 ともかく狭くもない敷地に数百名が長いこと分類作業やその資料の編纂をおこなっていたが、時が下るうちに人も減り、最後はゴルデベルグ一族が学志館に論文を発表するのみになっていた。

 そういえばリザは幾らかは聞いたことがある話を、肩がようやく腰の高さに届いた様な娘にされた両親は、ほとんどこの屋敷を歩いたことがないはずの娘に、地下室を案内されるようにして、アルジェンとアウルムが地下にぶちまけられていた資料を集めていった資料室を見学することになった。

「私には戦争なんかやってる暇はないの。わかった。母様」

 エリスは全くはっきりと自分のやりたいことを主張した。

 なんで八歳の子供がそんなはっきりと昔の先祖に義理立てするのかは両親ともによくわからなかったけれど、なんにせよやりたいことがはっきりしているのは良いことだった。

 マジンが、学志館の入学は来年からでいいか、と聞くと、まだあたし七歳よ、とエリスは父親の勘違いを糺すように言ったが、学志館の入学は七歳からであることを告げると母親が教えてくれなかったことを詰った。

 学志館は枠に余裕があれば飛び級は割と多く、入学試験の結果次第では編入試験を受けることになって途中から始まることをマジンが告げて、エリスをなだめることになった。

 エリスが学志館を志望することは彼女の弟妹達にとってはそれぞれに思うところがあって、ルミナス諸共軍学校に入るつもりだったアーシュラは姉が裏切ったと大騒ぎをした。

 だがルミナスの方では鉄道技師になって色々なところに行ければいいと思っていて、そういうアーシュラの言い分とはしばしば衝突していた。

 ルミナスとアーシュラの喧嘩はしばしばレオナニコラに仲裁を求める形に展開してこの時も二人は尋ねた。

 レオナニコラの意見としては、クアル様とパミル様はどうなさるのかしら、というものだった。

 彼女らは出産があったり治療があったりとで、しばらく館で静養していたのは知っているが、もうあらかた動けるようになっていたし、ということで村の学舎には運動がてら足を運んでいた。クアルにはシェラルザードの目の代わりという、彼女らにとっては大事な使命もあった。

 シェラルザードの二人の娘は賢く健気ではあったが目の代わりを務めるためには、しかしやはり十分に文字を読み熟せる程に通じていなかった。シェラルザード自身は文字に通じていて娘達の伝える綴から文章を頭のなかで組み立てる才に富んでいたが、それでは書類仕事があまり捗るものでもなかった。

 治療の間もルミナスが通って読み書きの手ほどきをしていた。



 ルミナスがクアルとパミルに読み書きを教えたのは、彼女らの打ち解けない従姉妹、ルミナスにとっての異母妹であるミンスとの接点を探るためでもあった。しかしそれは様々に糸が寄り集まって彼にとっては一種の責任のようなものになっていた。

 彼の父親の掴みどころのなさを考えると、彼女らの子供とか歯を抜いたりとか目を潰したりとかは、自然におこなって自然に手当をしそうでもあって、ルミナスとしては気が気ではなかった。ルミナスとしては必死の苦労と努力を経てどうやら、彼女らに父親が暴力を振るっていたということはないらしく、むしろ彼女らの窮地を助けたらしい、ということで少しホッとはしていた。

 だが鉄道によって噂話が新鮮なうちに伝わるようになると、彼の父親が海賊の腕試しにダッカの鐘楼を射的の的にしたという話が伝わり、その修理のためにまた少し家を空けると言い出したりとルミナスにとっては気が気でない話もあった。

 鉄道が軍都の南まで通ったことでセンヌまではひとつきもあれば往復できる距離になっていたが、例えば自動車を使って往復を十日にしたところで問題はそこではなかった。

 控えめに言っても過激すぎる父親からできるだけ早く様々を守るためにルミナスは努力の必要を感じていたが、それは遠く軍都にいってしまうことで得られるとは思わなかった。

 ルミナスの知る限り、軍の勝利の大部分は父親がでっち上げてるように作り上げたローゼンヘン工業によるもので、父親のその計画の余りの乱暴さからすでに二度目の剪定を必要としていることはシェラルザードの手伝いをしているクアルとパミルから漏れ伝わる情報で理解していた。

 杜撰ではないが乱暴な方法で進行している計画が一つ完了すると同時に様々が崩れだし、というところでデカートの人々の命を護るための計画の前半部分が終了しつつあることで、様々が溢れそうになっているのを、会社の人々とセントーラが食い止めていた。

 それはルミナスが想像しているほどに危機的な状況というわけではなかったが、放置することが好ましい状況でもなかったし、更に云えば鉄道計画が最低限の成果を上げた今だから、一旦の整理が必要という節目の仕事でもあった。

 ルミナスは鉄道部の部内には立入りを許されてはいなかったが、鉄道部には社会啓蒙用の資料館があって、そこにはしばしば一人で通っていた。鉄道の二等車は治安が良く、車掌もルミナスの顔を知るくらいにはゲリエ家の子供達は有名人だったから車内の扱いも良かったし、デカートについてからはロークが資料館と春風荘の送り迎えをしてくれていた。

 資料館はこの数年で早くも型遅れになった車輌や研修用の模型や部品が展示されていた。

 ルミナスは最近の新しい機械も好きだが最初の頃の機械も好きだった。新しい物が比較的ネジとかバネとか動くところがわかりやすいのに比して、古い機械はどこがどう動くのかわかりにくいツルリとした感じがある。その、騎士の鎧じみた寄せ付けない感じが気に入っていた。

 これを父は十七の時分に作り上げていた。いまから十年前。そしてルミナスにとっては十一年後。

 少なくともその境地に立たなくては、父の巻き起こす様々から家族や家人会社を守れない。

 ルミナスは彼なりに幼い覚悟を決めていた。



 クアルとパミルはアーシュラとともに学志館を来年入学試験を受験してみることになった。

 ルミナスはもちろん受験することを主張してレオナニコラに尋ねると、編入試験受けられるといいね、とルミナスに笑った。下の姉たちは編入試験でいきなり三年生として学校に入っていた。

 ソラとユエのふたりはグルコ諸共に今年はそのまま高等部に進学していた。

 高等部はデカートの官僚や商会の手代等のちょっとマシな仕事につくことを望む子供たちのための授業内容で初等部の基礎的なところの次に入ったやや専門的な分野が多くなる。

 とはいえ、学士や修士や博士といったいわゆる研究者の階梯の外にある学問で一般性も高い。これまでの読み書き算盤の延長としての代数幾何地理音楽文法に加えて、自然観察や天体観測等の戸外活動或いは修辞学や論理学を含む弁論術や更には歴史や法律を主な題材とした工学科学哲学などの四芸五術の入り口を攫うことに重点が置かれている。

 週にだいたい二十五コマの授業があり、六年かけて卒業すると、希望すればデカートの公務員試験の一次は免除され五等官に採用される。高級官僚希望者は別途受験する必要があるが、ともかくも職に困らないと云う意味では学志館高等部卒業は重要な身分でもあった。

 それに上手く日程を組み合わせてゆくと理論上は二年、頑張れば三年から四年で卒業ができることも知られていた。理論上はというのは授業のコマ自体は達成できるが課外授業があるためにその移動で次の授業への移動が間に合わないということでもある。

 それはかつては騎馬でここしばらくでは自転車や自動車を駆使して挑んだ強者がいる険しい道であったが再履修という形で無残に打ち砕かれた。

 三年というのも、提出すべき課題が処理できればと云うことであって、普通は急ぐ者でも四年はかかるし、十年ほど或いはもっと掛かる者もいる。

 授業が簡単な一年二年次に時間のかかる三年次四年次の授業を進め、場合によっては一年次の講義は後回しにしておくのが一つのコツであるというものが、先達の履修単位修得への教えであった。

 天体観測や自然観察の講義はその性質上早朝や夜間ということも多く、それをどううまく始末するかということが学志館高等部教育の履修に関する関門の一つだった。まっとうに処理をしようと思うと五年次から登場することの多いこれらの授業は講義外課題が次第に大きくなってくる単位履修の中でもひときわ重大な意味を持っていた。



 ロゼッタは六年かけて終了することになったが、一昨年は五個の授業、今年去年とは自然観察系の講義を二つづつ残していただけで、あとはデカート政庁での様々な事務をおこなうためにいたも同然だった。

 ロゼッタとしては自分のおこなっている様々をマイラができるとはこれっぽっちも思っていなかったし、マイラもロゼッタが小娘と侮られているから政庁の人間も無駄に突っかからないで流していると思っていたから、二人の役割は互いに全く別のものだと考えていたし、それは大体あっていた。

 だからロゼッタは急いで卒業するのではなく、ともかくさっさと仕事ができるような体制を作るように講義の履修を進めていた。傍らで政庁で言われていた幾つかの司法行政書式集についての扱い免状を獲得して彼女自身の公証も手に入れていた。

 一方でソラとユエとグルコは一応三年で卒業できるという単位修得計画で授業を受けていた。ローゼンヘン館の年下組という印象のあった彼らは激変が起き続けている屋敷の様々を夏冬の休みの度に味わっていて、当然に焦りも感じていたのだが、ロゼッタ曰く、焦っても解決しません。敵は旦那様です。まずは我々が備えを充実させませんと。などと訓戒を垂れた。

 たしかに三人とも手足は多少伸びたが、なにができるというほどに大した自信もなかったし、館に帰ってネコっかわいがりに可愛がられるというのもそれはそれだったが、なにか違う気もしていた。

 とりあえず、彼ら三人にはローゼンヘン館の子供としてロゼッタと同じような目が様々なところから注がれていたのは知っていたし、ロゼッタが内心おっかなびっくりしつつ度胸を振るってそれらを見事に対処していたのは知っていたから、一年先行しているウェイドセレールと同じように三年で卒業できる授業マトリクスを組み立てることにした。

 去年ウェイドは早くも寝不足に悩んでいる様子ではあったが、なんとか一年を乗り切っていた。ウェイドの授業マトリクス構成は二年次に二年生と六年生の授業を一気に取る、上は大水下は大火事と呼ばれるなかなか過酷なパターンだったが、一年次を乗り切ったウェイドはいくつかここで取りこぼしても場合によっては三年次で挽回が可能という組み合わせだった。

 学志館の高等部の早上がりはある意味でステイタスだった。

 とはいえ初等部も高等部も学志館の本文である研究者のための入門講座に過ぎず、年次が早かろうと席次が上だろうと、学会で論文を発表しない以上は単なる生徒に過ぎず、ともかく論文発表をして初めて学生として認められる。

 ウェイドは四年次で論文発表審査を通してやろうと考えていた。

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