ローゼンヘン工業 共和国協定千四百四十三年春

 ローゼンヘン館における少しばかり暴力的な人員調達もあったが、それとは関係なくローゼンヘン工業の人員拡大は今も続いていた。

 社員数は三万七千を超えていた。

 春の雪解けと落盤でミョルナから西に向けたトンネルの一部が崩落したが、幸い大きな損害もなく、トンネルがミョルナまで抜け鉄道工事のピッチが急速に上がっていた。また陸路での資材搬送が十分におこなえるようになったことで飛行船の出番もひとまず終わり、ステアは空港の格納庫に収まり巨大な倉庫のようになっていた。

 二本目のトンネルが築かれつつ鉄道が敷かれているこれまで街道と縁のなかったミョルナの周辺の集落は驚くような賑わいを見せ始めていた。

 西のシャッツドゥン砂漠は春の雨季が始まり北側の丘陵地の鉄道建設の飯場はともかく、露天掘りの現場は危険な雷鳴に慌てて機材を鉄道で退避させることになった。測量で幾日か見たものもいるが、飯場を設置して雨季の最初から最後まで観察し記録を残したものは今回が初めてで、予め避雷針を周囲に立てておいたものの二昼夜窓の外が紫色の光に満ちる嵐の世界というものは、あたかも死後の世界か地獄かという風景であった。晴れ間の合間に避雷針の周囲のささくれ毛羽立った岩肌やこれまで掘った様々にうがった穴が均され氷の溶けた湖面のようになったりとかを眺めると、自然の脅威を感じずにはいられない。回収が間に合わなかった重機材が沼地に倒れかけた古木のように存在を訴え、そこに時たま雷が降り注いでいた。

 春の雨上がりの一時期埃っぽく霞む空気が完全に洗われた実感があって、マスクを外し空気の柔らかさを感じていたがひとつきほどの雨季が終わり、砂漠が湖面に変わり春の終わり初夏の日差しが照りだし湖面を乾かし平らな塩野原を表に返すと流石に再びマスクを付けないわけにはいかなかった。

 泥海の海漆喰の採掘は順調だった。海と港を往復する小舟は五百を数え、ミョルナから送られてくる砕石を合わせてセメントをつくり、第四堰堤の現場に順調に流し始めていた。

 巨大な壁が張られたことで作業の気温が氷点下に下がることがなくなった遮水層工事はガスタービンによるコンクリートセメントと遮水層の樹脂の圧送減圧によって、単にマスクによる息苦しさ以上の暑さを感じるようになっていた。

 堰堤工事の現場にいる誰しもが工事が既に佳境、折り返しにかかったことを実感していた。

 外見という意味であれば中身が詰まっていないものの既に構造の殆どが想像できる形になっていたし、今年来年の工事はいわばその仕上げという段階だった。

 そのための遮水層の表面材材料のために原油の調達が必要だったが、ストーン商会の口利きだけでは流石に埒が明かなさそうだったので、泥海沿いにあるバルデンという集落をローゼンヘン工業が買い取って自前で油井を建て汲み上げを計画している。そのための港を浚渫し造船所を建て始めてもいる。試験井は十分な成績とは言えなかったが事実として原油は手に入り始めている。今のところ量が不十分で油井としても材料としても質は不明だ。

 とりあえずの地下測量の結果が有望なのは間違いなく、機材の持ち込みと建設が既に始まっている。



 ペロドナー商会では昨冬減らされた装甲車の代わりに送られてきた新兵器の扱いに苦慮していた。

 それは軍人としての従軍経験のないペロドナーにもわかるほどに武張っていた。

 形や機能は装甲車を大きく拡大し、小銃をそのまま太く大きくしたような大砲を搭載していた。

 事実それはある意味で小銃と同じような構造をしていて、後装銃ならぬ後装砲だった。

 そして巨大であるにもかかわらず十分精緻な構造は旋回式の銃座に据えられていて、ペロドナーの想像が正しければ、装甲車を前後に撃ちぬいてお釣りが来る威力を持っているはずだった。

 装甲車との大きな違いは車輪ではなく重機のようにスプロケットで駆動する幅広の履帯を履いている点だった。

 装甲車が子供がまたげるような溝に車輪を落とし腹を支えさせることを考えれば、これは自動車運行の一つの解決だったが、こんなものを四両送りつけてきてどこの陣地を踏み潰すための装備なのかという点が問題だった。

 立派な新兵器であることは認めるが、こんなものを四両ばかり送りつけるくらいなら、召し上げられた十四両の装甲車を補填してくれたほうが、街道警備と整備の日程の都合上ありがたいとペロドナーは考えていた。

 ヤツフサ警備計画主任も大方の意見としては支配人であるペロドナーと同じであったが、新戦術の誕生に立ち会った軍事技術者として新たに送られてきた装備の価値については様々に思うところはあったし、予備として伏せておいた装甲車を全力運用すれば余裕はないにせよ、穴はあかないとペロドナーを慰めた。

 ヤツフサ主任が実地で確認した百五十シリカ砲は小銃並みの早さ手軽さで大砲が打てるという段で超絶した兵器であったし、乗り物としても極めて戦闘を意識した作りになっていた。

 車重八グレノルを僅かに欠ける平たく大きな新兵器の車体は六キュビットの塹壕を超壕できる性能と二キュビット半の直立した壁を乗り越える性能があった。大砲はペルセポネで使っていた速射砲を車輌用に装填機構部を簡略化したものを積んでいる。

 機関や変速機は現場での修理を諦めることで対応を簡素化するために力づくで引き抜けるように作られていた。機関部と変速機をその場に捨てて引き摺ることも想定されている。どのみちペロドナー商会の設備や人員では機関や変速機の重整備や修理は不可能だった。

 代わりの機械を誰がどのように運ぶのかという問題はあるにせよ、この新装備が明らかに戦場を意識したものであることは間違いなかった。

 現有の十両の装甲車とは明らかに性質性能の異なる戦闘専用車輌――戦車はときたま夜陰に紛れるようにして持ちだされ訓練をおこない、性能よりも先に様々な使いにくさや不満点がローゼンヘン館に報告されていた。

 ある意味でその不満を噴出させることがマジンの目的でもあったが、流石に積み重なる量を眺めていると自分の想定が間違っているのだろうか、という疑いをマジン自身が抱かないわけでもなかった。

 基本的な使いにくさの殆どは、大きさ重さからくる問題で車長と副操縦士という事実上の監視警戒要員を二人配置しても八グレノルの分厚い肉のある車体は視界が悪く操作しにくかったし、一度行動不能に陥ると殆どの場合、五人の乗員だけではどうにもならなかった。捜査員が互いに意思を疎通させるためにいちいち電話を使ったり小突いたりしないとならない状態というのも不便で扱いにくい。そもそも電話を使っても車内がうるさすぎて会話にならない。耳自体を覆うような大きな耳栓を使ってさえめまいがするようなうるささだったから、油断のままに大砲を使えば気絶をしたり悪ければそのまま数日耳が聞こえないことになる。

 当然に夜間の単独行動なぞ期待もできない。

 結局、ペロドナー商会では城市から監視されているだろう都合を考えれば、あまり新装備を見せびらかすわけにもゆかず、陣地の一部に隠し伏せておくことになった。

 気分の上ではペロドナー商会への新装備配備は失敗に終わった。



 セウジエムルの新型鉄道のお披露目も春先におこなわれた。

 セウジエムル市内でひどく素早くすすめられた電化に乗り、一両編成の電気鉄道の整備が完成した。市内五十近い停留所を電気で駆動する一人で操作する鉄道でつなぎ、町中の往来を馬車より早く徒歩で完結させるようにした。実際馬より早いかどうかは怪しいところだったが、時間通り確実に乗れるという点が大きく違った。

 巨大な食器棚のような電気機関車は低い唸りとともに町中を往来して乗合馬車より時に二桁多い人を運んでいた。

 運転席に備えられた鉄道時計と運行表が運転手のステイタスで、制服と帽子が軍人か官僚のような雰囲気で深い藍色に銀の縁取りの飾りのないスッキリしたシルエットの制服は、色とりどり形派手やかなセウジエムルの市井の人々とは全く対象的な新鮮な姿だった。

 セウジエムルの市内鉄道の成功を受け、マシオンでも小規模な環状線を形成すると、これも大いに受けた。街の大きさからむやみに広げるのは無理そうだったが、ともかくこれまで延々歩かなければならなかったところが思いつきで行けるようになったことで、商店の売り上げが大きく変わった。セウジエムルはいよいよ鉄道に確信を深め、南街道への接続を目指してセウジエムル市街の再開発整備をはじめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る