幕間:無の出陣

 黒く塗り潰された空。

 パンドラの箱は開かれた。

 災厄を引き連れた悪魔が澄んだ空を行進する。

 矢は放たれた。

 悪魔達は脇目も振らずに、首都アステトを目指す。

 進軍せよ、進軍せよ。この進軍は数日前のような『遊戯』ではない。

 地に残る人間を根絶させるのだ。大皿の残飯を平らげるように、ひとり残らず。

 そして、人間共の記憶に刻み込ませる。

 人間は人間以外の何者にもなれない。それを教えさせるための――粛正。

 大地に光が見え始める。

 目標を発見。

 ――さあ、悪魔の晩餐を始めようか。



 魔法陣が描かれた自然公園には、100人あまりの混成部隊が待機していた。

 エクソシスト連合、聖歌隊、魔女部隊、錬金術師、戦術歩兵部隊、英国騎士団、大ニホン帝国軍……それぞれの腕利きが集められた精鋭部隊である。

 結界の封印が解けたと同時に、混成部隊は集合し、『進軍』のタイミングを見計らう。

「十二時方向! 悪魔の軍勢を発見! 数は――そ、測定不能!」

 望遠鏡をのぞき込んでいた兵士が声を震わせて、叫ぶ。

「来たでござるか」

 清六は嘆息混じりに呟いた。

 彼は魔法陣の中で待機する混成部隊に編成され、ここにいる。

「気持ちわりぃ。虫みてぇだな」

「あー、分かる分かる。アレだよね。河原の石をひっくり返すと、ウジャウジャいる感じのヤツだね」

「虫は可愛くないわ」

 清六の背後では三人の女子――珠代、ジネット、マルティナが並び立つ。

 ジネットとマルティナは装いを改めていた。日本軍の軍服を身にまとい、軍帽を深々と被る。アンナ=ストレームに気取られないよう、空飛ぶ箒は竹刀袋と風呂敷で包み隠してあった。

「……緊張感がないでござるな」

「緊張してても意味ねぇだろ。今のところ、俺たちがすることはねぇんだからよ」

 言って、珠代は足下に描かれた魔法陣を指さす。

 存在の理念を利用した転移魔術陣。複雑に入り組んだ白のラインは自然公園に広がり、混成部隊を囲っている。

「あの童顔魔女が、どこまでやってくれるかだな」

 顎をしゃくって、アンナがいる方向を示した。

 魔法陣の中央でアンナは魔導書を片手に、準備に集中している。

「失敗したら……あたしたち、どうなるのかな?」

 ジネットが遠目でアンナを眺めつつ、不安を吐露した。

「そうね……良くて成功。良くなくて不発。悪くて存在の消滅ね」

「うえええええ! あたしたち、死んじゃうの!?」

「死ぬわ。もしかしたら、それ以上のことが起きるかもしれないわよ? 噂だと、複数の存在が重なってしまい、一個の肉塊になってしまうケースも考えられているらしいわ」

「ひ、ひぃいいい! あ、あたしちょっとお腹痛くなっちゃった! トイレ行ってくるね!」

「もう無理よ。アンナ先生が詠唱を始めたら、持ち場から離れないように言われてたでしょう?」

 ジネットとマルティナが神風特攻作戦に参加することは秘密になっている。二人のせいで、作戦が失敗になることは絶対に避けなければならない。

「ジネット殿、マルティナ殿……気を引き締めるでござるよ」

 アンナの詠唱が始まった。



 空から、漆黒の津波が押し寄せてくる。

 以前よりも遙かに数を増やし、悪魔の軍勢は一つの塊となって首都を塗り潰していく。

 もはや天災としか思えない光景を目の当たりして、混成部隊の数名が悲鳴を上げながら逃げ出した。

 だが、アンナは詠唱を止めなかった。

 作戦の中止は人類の敗北を意味する。

 小さな解れから裂け目が広がっていくように、離反者が次々と魔方陣の外に飛び出していく。

 逃げ出すことに意味はない。ここで逃げ出したら生き抜けない。

 混成部隊が待機する広間に、津波が接近する。

 未だに詠唱は終わらない。

 アンナは急ぐ気持ちを必死に抑え付け、魔道書に綴られた呪文を目で追う。

 母親が遺してくれた希望を繋ぎ止めるために、決して失敗は許されない。

 悲鳴が上がる。怒声が飛ぶ。

 詠唱は残りわずか。

 呪文の一つでも違えば、混成部隊は存在ごと消滅してしまう。

 注意深く、そして早急に。針で刻まされた細線をなぞるように。決して違えてはいけない一言一句を紡いでいく。

 悪魔の刃が、兵士たちに向けられる。

 だが、その刃は届くことはなかった。

「第五の元素よ! この私、フレデリカ=ストレームの後継者アンナ=ストレームの声に、応じなさい! 彼の者達に、無限の旅路を!!」

 魔方陣が濃紫色に輝き、周囲の空気が震え始める。

 濃霧かと思わせるほどの濃紫の光は、やがて彼らを覆い尽くした。

 大気の振動がピークに達し、光の消失する。同時に、混成部隊は広間から忽然と消えていた。

「この世界に光を……人類の勝利をお願いします」

 アンナの矮躯は、悪魔の津波に呑み込まれた。


+++


 意識が途切れたと思った瞬間、目の前の光景が一変する。それが魔法による転移だと理解するのに時間がかかった。

 誰もが言葉を失う。

 荒廃した大地が一面に広がっていた。そこにあるのは、乾いた土と痩せ細った木々だけ。

 つい先ほどまで、レンガ造りの広場にいたはずの者たちは、悪魔が支配する世界の真ん中に立ち尽くす。

 転移は成功した。

 しかし、混成部隊の者たちは喜びを感じる暇などなかった。

「嘘だろ……」

 不意に誰かの声が響く。

 目の前には、絶望の象徴が浮かんでいた。

 人智の理から切り離されたように、空に佇む大岩。

 混成部隊の者たちは、その大岩こそが敵の本拠地であることに気付くや否や、戦意を失った。

 都合の良い梯子など存在しない。

 空に至るための翼を、人間は有していなかった。

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