破:英国の生贄

 タリスに導かれ、ルシアは聖堂に入る。

 聖堂はステンドグラスの装飾など豪華な内装となっており、奥に巨大な十字架を建てられていた。

「ルシア!」

 突然、名を呼ばれるルシアは、声の主を探す。すると、避難した人々の中に、ジネットとマルティナの姿を見つけた。

「ジネット! マルティナ!」

「良かった……! 無事で本当に良かったよ!」

 涙目で駆け寄ったジネットが、ルシアに抱きついた。

「ジネット、心配かけてごめんね」

 ルシアは応えるように抱きしめ返す。

「良かったぁ……! もう……イヤだから……誰かがいなくなっちゃうのなんて……絶対イヤ」

 やがてジネットは啜り声を出し、肩を震わせて泣き出してしまった。

 ルシアは最初は戸惑っていたものの、ジネットの想いに胸が一杯になる。

 ありがとう、と何度も心の中で繰り返し、同じ数だけ「ごめんね」と囁いた。

 すると、後から来たマルティナが、どこか気まずそうな顔をしながら声をかけてきた。

「怪我はないの?」

「う、うん」

 怒られるかと思い、首を縮める。

 だが、

「私はあなたに謝らなければならないわ……」

 キョトンとして、ルシアは目を丸めた後、

「ふぇ? どうして? マルティナ、何か悪いことしたの? 私、何にも気づかなかったんだけど……あっ! 怒らないでね!? べ、べつに、マルティナのことを嫌って言ってるんじゃないの!」

 必死に言い訳をするルシアが、思った以上に『いつもらしかった』せいでマルティナは毒気を抜かれたような微笑を浮かべる。

「……あなたって本当に暢気ね。なんだか謝るのが馬鹿らしくなってきたわ」

「あれ? 私なんか、変なこと言った?」

 ジネットに抱きしめられながらも、ルシアは小首を傾げる。

「いえ、いつも通りよ。それより……ごめんなさい。私、悪魔に襲われたとき、あなたを見捨てたわ」

「え……?」

「軽蔑しても良い。私は自分が助かるために、あなたを蹴落としたようなものよ」

 なんと言い返せばいいのか分からなかった。

 顔を歪めて懺悔をしているマルティナ。

 告白された内容は、胸を強く抉るものだった。それでも、自分の痛みよりも辛そうに語るマルティナの方が何倍も痛々しかった。

 自分を恥じて、自分を責めて、自分を苦しめている。

 自ら罰を与えている人間にさらに鞭を打つことは――できなかった。

「軽蔑なんてしないよ……? マルティナは頭が良いから、そうするしかなかったんだよね?」

 彼女を救うための言葉は、拙なくも声として出せた。

 しかし、ルシアの想いとは裏腹にマルティナの表情には険が混じる。

「あなた、自分の言ってることの意味が分かってるの? 私は許しなんて求めてない。犯した罪に相応しい罰を与えてほしいのよ」

 そうしなければ私は私を許せない、と言った。

「じゃ……じゃあ、どうすればいいの? 私は、マルティナに何をすればいいの?」

「何でもいい。あなたの気が済むような処罰を私は甘んじて受け入れるわ」

「そんなの……間違ってるよ」

 破綻している。矛盾している。

 自分はマルティナに罰なんて与えたいと思ってはいない。なのに、マルティナは罰を望んでいる。そうしなければ、許してくれない。

 そこにルシアの意志がない。

 マルティナは自分を許せないと良いながらも、一番に許していないのはルシアだった。

「友達に酷いことなんてできないよ」

「私はしたわ。あなたを置き去りにした」

「それは不可抗力でしょ? 無理はしないで……お願いだから」

「違うわよ。私は私の意志で選択して、あなたを切り捨てたの」

 マルティナの悪い癖が尻尾を出し始める。

 彼女は、人生を正しく生きようとする頑固者だ。頑固すぎて自分が道に外れていることに気づかないほどの石頭なのだ。

 どうすればいいのか。

 葛藤の中で悩んでいると、

「お話の最中すいません」

 タリスが声を出す。

「ルシアさん、実はあなたにやってもらいたいことがあるんです」

 てっきりルシアはタリスが会話に入ってくるものかと思ったが、会話の矛先はルシアだけに定まっていた。

「……え?」

 完全に会話の流れを無視したタリスの物言いに、ルシアは目を白黒とさせる。

「時間がありません。申し訳ありませんが、私についてきてもらいます」

 タリスはそう言って、ルシアに抱きついていたジネットの体を乱暴に引き剥がした。

「あっ……」

 そしてルシアの空いた手をタリスが優しく掴む。

「ちょっと待ちなさい。ルシアをどこに連れていくつもり?」

「残念ですが、キミ達には教えられません」

 タリスの表情から笑みが消えている。その顔は恐ろしく、鬼気迫るものを感じさせられた。

「……タリスさん、どういうことですか?」

「説明している暇はありません。時は一刻を争います」

 紳士のように掴んでいた手に力が込められる。

 聖堂内の――タリスの雰囲気が変わっていた。

「待っている人達がいます。急ぎましょう」

 タリスが向かうのは、聖堂の奥――上階に続く階段だった。

「待って! ルシアを連れていかないで!」

 目を真っ赤にしたジネットが叫びながら、走り寄ってくる。

 刹那、タリスが剣を抜いた。

 周囲の目など構わずに、剣をジネットへと向ける。

 ジネットは急ブレーキをかけて立ち止まった。

 息を呑むジネット。

「お願いですから、邪魔をしないでください」

 抜き身の剣は、二度目の忠告がないことを示している。

「そちらのお嬢さんも、ですよ」

 切っ先の目標はジネットの背後にいるマルティナにも定められた。

「炎の精霊の特性でしょうかね。魔術を行使するときには、かならず術師の周囲に陽炎が出来るんですよ。ほんのわずかで、気付くのは難しいんですがね」

「私が攻撃をするとでも?」

「愚かな質問に答える暇はないんですが……一応、忠告しておきます。キミ、殺気がだだ漏れです。僕だったから良かったものの、他の人なら斬られても文句は言えませんよ」

 剣を納め、タリスは肩をすくめる。

「本当にお願いですから、変な気は起こさないでください。大丈夫です。あなた達にもルシアさんにも危害は加えません」

「ジネット、マルティナ……大丈夫だよ。すぐ戻ってくるから」

 ルシアは何も分からなかったが、それでも何をすればいいのかは分かっていた。

 ここで止めなければ、二人はタリスに襲いかかるだろう。そうしたら怪我をするのは二人だ。絶対にタリスが負傷することはあり得ない。

 この騎士の実力は素人のルシアにも理解できた。

「ルシアさんの言うとおりです。すぐに済みます。ですから、キミ達はここで待っていてください」

「……」

 ジネットとマルティナは鋭い眼光でタリスを睨む。

 無言の了承として受け取ったタリスは、二人の剣呑な表情とは反する笑顔を返した。

「ご協力ありがとうございます」

 きびすを返して、ルシアを連れて階段を上っていく。

 緩やかな螺旋状に作られた階段。

 窓もなく、灯火は蝋燭の火だけだった。

 薄暗い階段が続く。

「あの二人を宥めてくれて助かりました。僕、女性は斬りたくないんですよ」

 先導するタリスがルシアに顔を向けずに話しかけてきた。

「タリスさん、私に何をさせるつもりなんですか?」

 質問をぶつける。

「それは――すぐに分かります」

 階段が終わりを告げた。突き当たった先には、小さな踊り場と木製の扉があり、二人の騎士が待機している。

「それじゃあ、この子を頼みますよ。僕は聖堂を警護している騎士の指揮を執らなければなりませんから」

「はっ」

 ルシアを二人の騎士に預けて、タリスは階段を下りていく。

「それでは、ルシア=エローラ様。こちらへどうぞ」

 騎士の一人が扉を開き、もう一人の騎士に背中を優しく押される。

 扉の向こう側に踏み込んだルシアは言葉を失う。

 精霊塔と呼ばれる建物の中身はほとんど空洞だった。必要な補強材がわずかにあるだけで、あとは吹き抜けの状態。精霊塔の天辺の天井まで見えていた。

 しかし、ルシアが言葉を失った理由は内部の構造ではない。

 円柱状の内壁に、赤い文字の群が網羅されている。

 すぐにそれが魔法陣を形成する術式であることは判断できた。だが、天井まで続く内壁すべてを埋め尽くすほどの術式の量は異常としか言えず、その上この魔法陣の術式は複雑で一体何の精霊を扱うのかも推測できなかった。

 ――何なの、これ?

 これほど大がかりな魔法陣を見せつけられて、ルシアは目眩に襲われた。同時に、悪寒が背筋を走る。

 タリスが言っていた『やってほしい事』とは、つまり魔法陣と関係しているのだ。

「ようやく来たか。エローラの末裔」

 雷鳴のように反響する声に、ルシアは体を震わせた。

 内壁の魔法陣に目を奪われて、人がいることに気付かなかった。

 部屋の中心に立つ複数の男達。騎士が五人、魔術師が四人の併せて九人。

「自己紹介は不要。単刀直入に話を進行する」

 五人の騎士の内の一人、五十代の騎士だけが他の者達よりも前に出ている。その騎士は片目を眼帯で覆われており、他者よりも雰囲気が異なっていた。

 隻眼の騎士は低い声を響かせる。

「ルシア=エローラ。悪魔を封印するための生け贄となってもらう」


+++


 英国の最大の目的は何なのか。

 ギードが英国に疑心を抱く理由は何なのか。

 すべては一つの結論に集中する。

 同盟を破棄して、英国はこのヨーロッパ共和国ごと封印するつもりなのだ。

 そのために鍵となる存在が、エローラの血を濃く引くルシアだった。

 急がねばならない。

 この国が闇に閉ざされるよりも早く、

 ルシアの命が犠牲になる前に、

 ギードとアンナは精霊塔に向かった。

「見えました! 英国騎士団です!」

「……クソッ、悪魔もいるじゃねぇか!」

 精霊塔では、悪魔と英国騎士団の攻防が展開されていた。

 悪魔も英国の狙いを察したのか、尋常ではない数が押し寄せている。

「悠長に話してる暇はねぇな! 突っ切るぞ!」

「それは危険です! 一度、英国騎士と連携を組んで悪魔を撃退してから――」

「だぁかぁらぁ! 話してる暇なんてこっちにはねぇんだよ! この馬鹿がっ! それでもフレドリカ=ストレームの娘かぁ!?」

「な――」

 アンナが言い返そうとしたものの、前方を走るギードはスピードを上げた。

 置いて行かれまいと両腕を強く振り、ギードの後を追った。

 騎士と悪魔の乱戦。

 すぐ隣では刃と刃が混じり、後ろでは悪魔の奇声が響きわたる。

 その刃が自分に向けられるか冷や冷やしながら進むと一人の騎士がギードの行き先を塞いだ。

「何者だ!?」

「俺様だ!」

 剣を構える騎士相手の顔面に、ギードはスピードを緩めることなく、拳を叩き込んだ。

 あまりも綺麗に決まった一撃により、騎士はもんどりを打って昏倒。

 ギードは倒れる騎士を踏み越えて精霊塔へと走った。

「えぇえぇえええええ!? い、今の味方ですよ!? なにを考えているんですか!」

「うるせぇ! 邪魔する奴は誰であろうと敵だ!」

 そんなとき、ギードの脇に悪魔が並ぶように飛んできた。

「キャキャキャッ! 良い腕してんね! あんた達、悪魔かい!?」

「俺様だ!」

「ぎゃひゅぅ!?」

 轟沈。

 地面にめり込む悪魔を飛び越えつつ、アンナは深いため息をついた。

「ルシア待ってろ! 今、伯父さんが助けにいくからな!」

「待つのは、あなたたちです」

 正面、立ちふさがるように立つ金髪の英国騎士――タリス。彼は抜き身の剣を携え、牽制するように鋭い剣幕をこちらに向けていた。

「エクソシスト総長……あなたは本当に、やっかいな人ですね。聖堂に入ろうとするものなら、僕は容赦なく斬りますよ」

「邪魔だ、クソガキィ!」

 タリスの剣が消える――否、目で捉えることのできないほどの速さで振られていた。

 応戦するギードは何の躊躇もなく、右の拳を刃にぶつける。

 金属がぶつかり合う音がして、刃がギードの拳によって止められた。

「悪趣味な十字架ですね……!」

 ギードは手袋をはめており、その拳の部分には十字架を象った鉄製のナックルダスターが装着されていた。

 十字架の部分で斬撃を受け止めたギードは、犬歯を見せつけるように笑う。

「俺の拳骨は、悪しき者が食らったら一発で終わりだぜ?」

「僕には関係のない話です!」

「なら、おめぇらはこれから何をするつもりだぁ!? あぁ!? こそこそと俺の姪、連れ出して、何企んでやがる!?」

「僕達は、彼女を保護したまでです!」

「嘘、ついてんじゃ、ねぇええええええ!」

 剣を押し返し、ギードは打撃を放つ。

 完全に間合いに入られたタリスは拳打を何発か受け流すものの、捌ききれなかった。

 打ち下ろすような攻撃によってタリスのガードが空く。

 そのわずかな隙を狙い、ギードはタリスに掌底を打ち込んだ。

 紙一重。

 顔面を狙った一撃をタリスは自らのバランスを崩して躱した。

 瞬時に、ギードは回避運動に移った。

 鋭い斬撃がギードの髪を断つ。

 瞬きもできないほどの攻防が繰り広げられ、その様子をアンナはただ見つめることしかできなかった。

 タリスはギードに手一杯ながらも、しっかりとアンナも警戒している。下手にタリスの脇を通ろうとするものなら、かまいたちのような斬撃は容赦なく襲ってくるだろう。

 だから、アンナがやることは一つだった。

「フレドリカの娘! 手伝え!」

「私の名前はアンナです! 土の精霊・ノーム! 手伝いなさい!」

 叫ぶと同時、タリスの足下から、土で出来た腕が石造りの道を貫いて、生え出てきた。

 土の腕はタリスの足首を、蛇が噛みつくように掴んだ。

「くっ!?」

 目の前のギードに気を奪われすぎたのか、タリスは避けることが出来なかった。

「じゃあな、クソガキ! 次はしっかりぶん殴ってやるからな!」

「ノームは、すぐに離れますので!」

 タリスが行動力を失った瞬間、ギードとアンナは走り抜けた。

 もう精霊塔は目の前だった。

 聖堂の扉をギードが開けようとしたとき、アンナはそれを制した。

「触れないでください! この聖堂……厄介な術式が施されてます!」

「あぁ?」

 アンナは扉の取っ手を指差す。

 取っ手には細かい字と複雑に絡み合う線が彫り込まれていた。

「指定の人間以外が扉に触れた瞬間、弾き飛ばされるようになってます。英国特有の魔術です」

 それも生半可な術師が作ったものではない。

 いくらアンナでも術式の無力化には時間を要する。

 素早く、術式の解読を始めようと取っ手に顔を近づける。

 だが、次の瞬間、

「おらっ!」

 眼前をギードの拳が通過し、扉が殴り飛ばされる。

 分厚い扉が、まるで段ボールのように半壊してしまった。

「つまり、ぶち壊せばいいんだろうが」

「え? ……え?」

 開いた口が塞がらない。

 殴って壊せるものなら、初めからそうしていた。なぜなら、今の術式には耐衝撃、耐熱など考えられる限りの防護障壁があったのだ。

 ただ、殴って壊せるようなものではない。

 しかし、このギードという男は常識などを鼻で笑うように、扉ごとアンナの常識をぶち壊した。

 ――この人、規格外すぎる!

「おい、行くぞ」

 驚いているアンナを後目に、ギードは聖堂内へと入っていく。

 すぐに正気を取り戻したアンナも追従する。一歩聖堂内に踏み込んだとき、アンナは猛烈な違和感に襲われた。



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