魔女戦争
南かりょう
序:魔女狩りとスク水
――前日の授業のおさらいです。ノートを見ながら聞いてください――
前回の授業では、15世紀末で呼ばれていた“魔女”がどのような人物であるのかを教えました。
神への信仰を止め、悪魔と契約することにより、超自然現象を自在に操る者達を示す名称です。それは女だけに限らず、男にも当てはまります。
魔女は夜になると箒に跨り、空を自由に飛び、集会(サバト)に集います。
サバトでは非人道的なことが繰り広げられていました。同性、異性、親近などに構うことなく、魔女達は乱交を行い、生まれた嬰児を貪る。それはまさに悪魔の所業と呼ぶにふさわしいでしょう。
そして、魔女達は悪魔を崇拝し、契約して、人々に不幸を与えました。
飢饉や不作、天変地異や疫病などが魔女の手によるものだと言われています。
その魔女達の目的は、社会構成の転覆です。
道徳や倫理をあざ笑い、乱れた秩序を作り出そうとしていました。
これが当時の民衆が考えていた“魔女”だったのです。
それでは質問をしたいと思います。
この魔女達は本当に快楽のための性行をして、赤子を食べ、人々を不幸にしていたのでしょうか?
えっと、そこ――マルティナ、答えてください。
……はい、そうです。今私が説明したのは、当時の人達が作り出した噂話でしかありません。
魔女は空を飛ばない。
魔女は子供を食わない。
魔女は人を不幸にしない。
すべての魔女とはいいませんが、当時の魔女の大半はそんなことをしてはいなかったと思われます。
そうであるのに、人々は魔女を畏れてしまった。
そして、魔女狩りが行われたのです。もう一度言います。人々は魔女を狩ったのです。
村の外れに住む魔女を捕らえ、裁判を行います。それも公的なものでなく、村人が魔女を裁くのです。
村人は捕らえた魔女が本当に魔女であるのか、それを確かめるために様々な方法を使いました。
ここで語れるのは、あまりにも非人道的なので割愛させていただきます。ただ、その所業は、今では強く非難されています。そのことだけは知っておいてください。
あっ、注意しますが、これは異端審問ではありません。
魔女裁判です。混同してはいけません。
魔女狩りは忌むべき歴史です。
ですが、それがなぜ起こったのか。それを明確に説明することはできません。なぜならば、魔女狩りというのは時代や土地によって、様々な背景を持っているからです。
政治、宗教、国、財政、私怨……色々なものが混ざりあってしまったのが、魔女狩りというものです。今でも魔女狩りの真意を見極めるために、歴史的研究を続けている人は大勢います。
…………ついてこれなくなった人もいますが、がんばってください。
ここからが、本日の内容です。
12世紀から始まった、魔女狩り。それは、なぜ、いつ終わったのでしょうか。
これは問うまでもありませんね。世界の転機と呼ばれる事象……ここからが今日の授業となります。
17世紀半ば、スペイン帝国で“それ”は起こりました。
スペイン帝国の魔女ソフィア=カルデナスが魔女狩りに対する報復活動を始めて、人類初の悪魔を召喚したのです。
五千万を越える悪魔達は魔女狩りを行っていた村人に復讐しました。復讐の矛先は、村から国、国からヨーロッパ全土へと広がったのです。
ヨーロッパの国々は抗戦しますが、悪魔の軍勢や各地の魔女の協力者により、一方的な戦いにしかなりませんでした。
よって、ヨーロッパの人々は、この土地――フランスや海沿いにある――ネーデルランド連邦共和国などの国々まで追いつめられることとなりました。
人々の窮地に、救世主が現れます。
魔女に抗ったのは、別の魔女でした。
魔女アレシア=エローラ。アレシアは志願者を募って、悪魔ベルアルとの契約を行いました。そして、我が身と協力者達の命を代価として、悪魔が占領していた地を封印しました。
このおかげで、ヨーロッパの壊滅は防がれたのです。
英雄達の死から350年後、21世紀を迎えました。
ヨーロッパに残された人々は過去のしがらみに捕らわれることなく、新たに建国をします。
それが、ここ……海に面するヨーロッパ共和国です。
+++
魔術学校三階の窓には、広大な海が見える。
魔女科一期生の教室内に海はないのに、生徒達のほとんどが船を漕いでいた。
うつらうつらと、頭頂を見せつけてくる生徒達。
教鞭を執っていた女性は、自分が教師に向いていないことを思い知らされた。
女性、アンナ=ストレームは魔女であり、教師である。
黒縁の眼鏡に、三角帽子。化粧一つしない顔は、見ようによっては十代から三十代まで幅広く解釈ができる。
――私が居るべき場所は、教室より研究室ですね。
つい一年ほど前の仕事場を思い出しつつ、アンナは生徒達を起こすために咳払いをする。
すると、夢から帰ってきた生徒達は一斉に首を正面に向ける。ほとんどの生徒が、いびつに瞼を広げ、涎まみれの口元を拭っている。
アンナは教室を見回す。
居眠りをしていたことなど知らぬ存ぜぬ、とでも言いたげな生徒達の中で、二人ほど顔が見えない生徒がいた。
二人の内、一人は確実に寝ている。もう一人は寝てはいないが、明らかに別のことをしていた。
「ルシア! ルシア=エローラ!」
「はひっ!? ねっ、寝てません! 私、寝た振りしてただけです!」
熟睡していた生徒――ルシア=エローラが背中に電気でも流されたように立ち上がる。
魔術学校が指定する黒いローブを羽織ったルシアは小柄な少女だった。純金のように輝くブロンドの髪と、愛くるしいどんぐり眼が特徴的ではあるが、15歳という年齢にもかかわらず、その外見は精神年齢を表すように幼い。
ルシアは口の端に涎をべっとりとさせながらも、目に力を入れていた。様にならないのは言うまでもない。
「そうですか。それならば、ここで基本的なことを訊きたいと思います。ヨーロッパ共和国にて、悪魔に対抗するための組織が結成されましたが、その名前は何というのでしょうか?」
常識問題のつもりで出題したものの、ルシアの顔は曇っていた。
「えっと……あれですよね……? 超無敵艦隊“フェリペ・ザ・セカンド”ですか?」
「それは、今流行りのプロレス集団です。先生もプロレスは好きですが、彼らでは悪魔に勝てませんよ」
途端、ルシアは眉をハの字にする。
ようやくまともに考え始めたのかと思った矢先、
「そうなんですか? でも、最近復帰したリチャードさんのアルマダ式チョークスラムなら――」
「ルシア、今は娯楽の話をしているわけではありません。将来、あなたが所属することになる軍の名前を訊いているのです」
強めの口調で言うと、ルシアは気まずそうに視線を外す。
「えっと……分かりません」
初めは居眠りを叱りつけるつもりだったのだが、ここまでくると怒る気は完全に消失しまう。
ルシアと話をしていると、自分が何をしようとしていたのかを失念してしまうことが常だった。
彼女には緊張感というものを全く知らない。いつも気楽で、クラゲのように何も考えずに人生を漂っているだけのように思えた。
「もういいです。座りなさい。それでは、ルシアの隣で早弁をしているジネット=ファビウス。答えなさい」
先ほどから授業を聞かずに、別の作業に没頭している女子生徒ジネット=ファビウスの名を呼んだ。彼女は教科書を衝立にして、菓子パンをかじっていた。
隣のルシアを比べるまでもなく、ジネットは背が高い。指定のローブには、見知らぬ缶バッジなどをつけている。本人からすれば、お洒落のつもりなのだろう。栗色の短髪や独自の服装から、エネルギッシュなイメージを植え付けられる。
「むぐぅ!」
ジネットは喉にパンを詰まらせたのか、胸を叩く。
「うぐ…………ゴクン! ぷはぁ! センセー! あたし、早弁なんかしてないよ!」
「口に、ジャムが付いてますよ」
「え? ほんとっ!?」
アンナの誘導によって、ジネットは自然と口元に手を当てる。
「ジネット、罠だよっ。口には、何もないよっ」
隣にいたルシアが助言するものの、時すでに遅し。
「なにー!? センセー、騙したな!」
ジネットが目を三角にして怒るが、怒りたいのはこっちだ。
「先生の授業を聞かずに、早弁とは良い度胸です。授業が終わるまで、廊下で滑空姿勢を保ちなさい」
「体罰だー! センセー、教育委員会に言いつけるからね!」
「そのときは、ジネットの早弁癖について、よく討論しましょう。ついでに、先週のグラウンド落書き事件についても詳しく聞かせてもらえると助かります」
「あぐっ……!」
大口に酢でも放り込まれたかのように、ジネットが押し黙る。
「さて、どうしましょうか?」
「…………ち、ちくしょお! お、覚えてろぉ!」
教室の後ろに立てかけてある飛行専用の箒を手にとって、教室から出ていく。
そのまま学校を飛び出さないか不安になるが、廊下から陰湿な愚痴が聞こえてきたので放置することにした。
「それでは、代わりにマルティナ=バルツァー。答えてあげなさい」
熱心に授業を受けていたマルティナに話を振る。
ルシアの隣――空席となったジネットとは逆方向に座る女子生徒マルティナ=バルツァー。
ふんわりとしたボブカットの髪型をしつつも、その起立した姿は背筋に鉄骨でも入れたかのように姿勢が良く、軍人を彷彿とさせる。鼻筋の通った顔立ちは大人びた印象を強く与えた。
「対悪魔用のヨーロッパ共和国唯一の軍隊は浄化聖軍(じょうかせいぐん)です。魔術や占星術、錬金術などの技術を用いて、大まかに五つの部隊から構成されています」
答えは短すぎず長すぎず。
端的にまとめられた答えに、アンナは正当を意味する頷きを見せた。
「えぇ、正解です。浄化聖軍には、エクソシスト、聖歌隊、戦術歩兵部隊、錬金術師、そして魔女から成る五つの部隊があります。そして、今年に入って新たな部隊が作られることとなりました。それが、将来あなた達が配属することになる魔女空戦部隊、通称『魔空隊』です」
教室にいる見習い魔女達。
いつか、この魔女達は空を飛び、悪魔との総決戦で大きな戦果を得るだろう。故に、土台を固めることは重要なことだった。
アンナは心を引き締め、授業を続けた。
校舎に設置された鐘が鳴る。
アンナの授業の終わりを知らせる鐘だ。
「本日の座学は、これで終了です。次は実技の授業なので、遅れないように」
アンナが教室を出ていくと同時に、ルシアは力果てるように机に伏せた。
「も~、疲れたよぉ」
額を机にこすりつけながら、ぼやく。
「これからもっと疲れる実技よ。ほら、行くわよ」
隣にいたマルティナはノートをしまい、ルシアの手を引く。だが、ルシアは重石のように動かなかった。
「えー、実習やだー。今日休みたい……」
「怠けたこと言わないで。こっちまでやる気が削がれるわ」
「でもでもぉ」
再度ルシアが反論しようとしたところで、廊下からジネットが戻ってきた。彼女は箒を杖代わりにして、負傷者のように歩いてくる。
「太股、痛ぁ……最初は、授業サボれてラッキーって思ってたんだけど、あたしの考えは甘かったよ……とほほ」
「ジネット。座学を受けずに、次の実習に支障を来すようでは、何しに学校に来たのか分からないわよ」
「相変わらず、マルティはきっびしーねー。そんなガッチガチの人生だと、いつか壊れちゃうぜい?」
反論するわけでもなく、ジネットは言い返す。
「私は無駄なことが嫌いなのよ」
「私は楽なことが好きだよ?」
ヘラヘラと笑いながらルシアが言った。
「それならば、今をがんばりなさい。人生は楽をすればするほど、年を食ったときにしわ寄せが来るものよ」
途端、マルティナは眼光を強める。
「うぅ……マルティナはお婆ちゃんみたい」
「私がお年寄りなら、あなたは八才児ね」
「あたしは!?」
「あなたは問題児よ」
「上手い! マルティにザブトン一枚!」
「ザブトンなんかより、さっさと行くわよ。時間の無駄だわ」
先に出るマルティナ。それに追従するようにルシアとジネットは歩きだした。
飛行専用の箒と手提げ袋を持ち、ルシア達は校舎脇に建設されたばかりの屋内プールに移動する。
暖房完備の50mプール。
ヨーロッパ共和国は国債に悩んでいると聞いているが、それでもこんな立派な室内プールを見せられると、そんな疑問はバカバカしく思えてしまう。
箒を更衣室の脇に置き、ルシア達は更衣室内に入る。
中では、すでに一期生の生徒達が着替えていた。
ここはプールの更衣室ということだけあって、全員例外なく水着姿である。
ルシアが実習を嫌がる理由の一つは、その水着にあった。
「ルシアッ! 早く行こっ!」
瞬く間に着替えてしまったジネットが、のぞき込んでくる。
ふとルシアの視界にジネットの姿が入り込む。
淡紅色のビキニに包まれた細く白い四肢とメリハリのある理想体型。
自分には完全に不足しているものを見せつけられ、思わずルシアは未発達の自分の体と比べてしまった。色々な項目で全敗である。
もちろん、ジネットの方が二つも年上であることは、よく理解している。しかし、ルシアは何年経っても、ジネットの理想体型に勝てるビジョンが思い浮かばなかった。
ルシアの視線に気づいたのか、ジネットはにんまりと笑う。
「大丈夫だよっ! あと二年もすれば、ルシアもあたしみたいな体型になれるから!」
「そうだといいなぁ……」
「ほら、ルシア、喋ってないで着替えなさい」
脇から注意され、ルシアはマルティナへと目を向ける。
彼女は現在、手提げ袋から下着姿で水着を取り出していた。
ローブを脱いだマルティナの肉体は次元が違う。ジネットを理想体型と分類するなら、マルティナは完全体型に相当するのだ。
豊満な胸、括れのあるウエスト、形の整ったヒップ。同性であるルシアでさえ、悩殺されてしまいそうな妖艶なボディラインは、18という歳で既に完成されている。
だが、ルシアはマルティナの肉体よりも、彼女が持っている水着に目が止まった。
「マルティナ……新しい水着買ったの……?」
「えぇ。可愛いものがあったから、つい」
彼女が手に持っている水着は、グラマラスな体型には似つかわしくないものだった。
白地にイチゴ柄のワンピース水着スカート付き――という可愛らしいデザインで、間違えば幼児が愛用していそうな代物である。
せっかくの体型を完全に封殺し、なおかつイチゴ柄というデザインは彼女の美貌や性格などとはかけ離れている。
「マルティさぁ、それちょっと可愛すぎない?」
さすがのジネットも引き気味になっていた。
「でしょう? 一目惚れだったわ。今月の生活費も削ってしまったのは、さすがに反省したけど、後悔はしてないわね」
「いや、そういう意味じゃ……まあいいか」
目を輝かせるマルティナの表情を汚すのは気が引けたのか、ジネットは口を閉じた。
「自分の水着買えて良いなぁ……」
ルシアは羨望の眼差しで新しい水着を見る。デザインが羨ましいのではなく、新品の水着に惹かれているのだ。
「買っちゃいなよ。マルティみたいに生活費削っちゃえば楽勝じゃん? 一日二食とか、ダイエットにも良いし」
「うぅん。でも、ご飯は毎日食べたいよ」
「あ~、そっか……」
急に身を引くジネットに違和感を覚えたルシアは、彼女の視線が自分の体に向けられていることに気づいた。
「ちょっと! 私の体見て納得しないで!」
「いやいやー、納得ですよ、はい。ちゃんと食べないとねぇ……マルティみたいな体になるために」
ジネットの目はルシアボディからマルティナボディへと移る。マルティナは着替えを終えていたが、ゆとりのある水着の上からでも胸の大きさが尋常でないことが分かる。
「う~ん、やっぱり胸がキツいわね……」
「うぅ! ジネット! 私の目の前にエベレストがあるよ!」
半泣きになりながら、ルシアはジネットに飛びついた。
「よしよし、牛乳たくさん飲んで大きくなろうねー」
ジネットは頭を撫でてあげる。
「ルシア、いい加減にしなさい。もう着替えていないのは、あなただけよ?」
腕を組むマルティナ。その腕の上には、たわわな胸が乗っている。
「人生って不公平だ。持っている人は、持っていない人の苦労を知らないんだもん」
「何の話かは分からないけど、その逆も然りと言うことを知りなさい」
ルシアは口をすぼめ、ローブを脱ぐ。持ってきた水着を取り出したところで、ふとジネットが口を開いた。
「ルシアの水着ってさ、それ、輸入品?」
「うん。叔父さんから貰ったんだけど……えっと、たしかニホン製だよ。ニホンの製品は、結構頑丈で長持ちするんだよね」
「なんか……その水着ってマニアックな感じがするんだよねー」
「そう? 私は結構気に入ってるよ?」
ルシアは手に持つワンピース水着を見せつけた。
水着は黒一色だが、胸元だけ白地になっており、そこにはルシアの知らない言語で「るしあ」と書かれている。
「スクール水着って言うんだって」
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