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「お兄さん、酒はいらないかい」
汽車に乗っておおよそ1時間、女が酒をたくさん乗せたカートを押して、イリスを見た。
そして、おや、と細い目を大きくまたたかせてから、にんまりと笑う。
「天使様でしたか」
「酒はいい。これでも仕事中なんでな」
「天使様でも、酒は飲むだろう? 仕事中ったって、汽車に乗ってるだけだ、なにもすることなんてないだろ」
「あんたの奢りなら、喜んで飲むぜ」
「おやまあ、ごうつくばりな天使様もいたもんだ」
「それはどうも」
女は呆れたようにため息をついた。
イリスは女から目をはなし、目を閉じる。
がらがらと、カートを引く音を聞いてから、ふたたび目を開けた。
この「天使様」が、もしシグリだと知ったら、どう思うだろうか(もっとも、その存在は知らないのだろうが)。
多くの人を殺めてきたこの手を見ても、天使様だというのだろうか。
この国は平和だという、当たり前のことを信じ切っているのだから、今話した人間が、あまたの命を消してきたなどと思いもつかないだろう。
あの女も、切符売りの女も。
ともすれば、おそらく。
手のひらをかえすように怯え、恐れ、軽蔑するのだ。
ひとごろしの罪びととして。
「………」
左手で、剣の柄をにぎる。
あきらかに敵意を隠さない存在に気づくのは、容易だった。
気づかぬふりをする。
隠し通せるのなら、是非もない。
こんな狭い場所で、誰にも気づかれずに殺すのはイリスでも難しい。
もっとも、剣など使わないが。
腰に下げた袋に、毒をしみこませた丸薬が入っている。
目をとじ、眠ったふりをしながら、袋に手をかけた。
「おい、いたか」
「分かんねぇよ。ったく、顔も分からねぇのに殺せなんて、無茶がありすぎるだろ?」
「そうはいっても、シオンの連中が血眼になって探してんだ、成功すりゃ一儲けどころじゃねぇぞ。一生暮らせるくらいの金が入る」
――シオン。
シグリと同じ、暗殺部隊の名だ。
だがこちらは国とはまったく関係のない、金で動く組織で、今はシグリに探りを入れているらしい。
そっと、剣の柄から手を放す。
その代わり、毒の丸薬を手のひらに隠した。
「……ん?」
二人のうちの一人が、イリスの姿をみた。
「どうした?」
「いや、そういや、シグリの連中のなかに一人、天の御使いの風貌をした男がいるって聞いたことがあったな」
「………」
イリスは寝たふりをつづけたまま、二人の会話を聞く。
天の御使い、という単語を言っている割には、ひどく滑稽なものを言っているふうだった。
まあ、あながち間違いではないだろう、とそこだけは同意する。
「おい、お前」
「……なんだよ、人がせっかく寝てたのに」
「お前、どこのもんだ」
「イルマタルだが?」
「首都住みかよ。いい身分だな」
「そりゃどうも。もういいか? 眠いんだが」
「……ちっ」
男二人はイリスから目をそらせ、汽車の先頭へ歩いていった。
これでやりすごせられればいい。
だが、まあ、やはり、ということか。
男二人はきびすを返して、イリスのほうへと向かってきた。
殺気立っているのがわかる。
「おい、お前。シグリだな?」
「悪いが死んでもらうぞ」
どこかの三下のようなセリフに、やっとイリスは目を開いた。
「何のことだよ」
「とぼけんな、ネタは上がってんだ」
「………」
碧眼の瞳が、じっと二人を見据える。
その視線に、わずかにたじろいだようだった。
だがすぐに思いおこして、腰に差した短剣の鞘をぬいた。
「
ぞっとそるような、寒々しい――いや、それでは生ぬるい。氷のような声、と言ったほうがまだましだろう。
イリスは周りに無関係な人間がいなかったことに感謝しながら、革の
汽車の天井まで飛び、脆そうな荷台に足をかける。
うろたえる男たちの様子を冷ややかに見つめながら、手にしていた丸薬ふたつをにぎりしめた。
じゅっ、と音がする。
丸薬のまわりをコーティングされた、毒に不必要なものをぬぐったのだ。
こうすることで、即死に近いかたちで死ぬことができる。
「う、上だ! 構えろ――」
「遅い。この、のろま」
イリスの口はしが、不気味にゆがむ。
一人の男が口を開けたのを見やると、ためらうことなく、手のなかの丸薬を、手ごと口に突っ込んだ。
そして、驚愕にあんぐりと開けたもう一人の男の口のなかにも、同じく丸薬を反対の手で突っ込む。
ある男は、貧しい生まれだった。
ある男もそうだ。
金があれば、何でもできる。
金さえあれば、何でも買える。
そう思って、シオンの下っ端に取りついた。
シグリの一人でも殺せられたら、金をやる、と。
男たちに足りなかったものは、たったの二つだ。
ひとつは、身の丈に合わない仕事をしたこと。
ふたつめは、覚悟が足りなかったこと。
たったそれだけだ。
男たちは倒れ、もう二度と呼吸をすることはなかった。
「……ったく、手が汚れたじゃねぇか」
イリスは吐き捨て、通路に横たわる二つの死体をイリスの前の座席に座らせた。
自ら動かない体を担ぐのは、やはり面倒だ。
重たくて仕方がない。
「あんたらが悪いんだぜ。先に鞘を抜いたのは、あんたらだ。鞘を抜く時は、死ぬか生きるか、その覚悟があるかどうかだ。来世があればもっと、賢い生き方をするんだな」
リュナの王国 イヲ @iwo000
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