空の勇者と祈りの姫 外伝
卯月
外伝 エリィの想い
ドナウ歴499年――――ホランド滅亡から3年が経った頃。ドナウ全土は平和と繁栄を享受していた。
そして王家には新しい子が誕生した。王太子エーリッヒとその妻オレーシャの次男ジークボウが生まれた。長男のトリハロンもすくすくと育ち、これで王家も安泰だと国民は慶事続きのドナウの未来は明るいと祝杯を挙げた。ちなみにザルツブルグ領の統治に追われるカリウスは二人目の孫の出産に立ち会えず、がっかりしていた。
エーリッヒ率いるドナウ王政府がまず手を付けたのが、ホランドのずさんな統治により荒廃した西方一の穀倉地帯であるリトニアの灌漑用水設備だった。ここを早期に回復させれば、小麦が今までの数倍収穫を見込めるようになる。ただし、そうなると本土の小麦農家が価格低迷によって食っていけなくなるため、早期に小麦から砂糖の原料になるビートのような換金作物に転換するか、余った麦を買い取って蒸留酒を造る酒造工房の立ち上げを国が主導して、現在軌道に乗せる作業に追われている。
プラニアとサピンは元から鉱山資源に恵まれていたので、そちらを開発している。サピンの方は金銀が豊富に取れるので、それを採掘するか加工して流通させれば、現状事足りた。それかドナウに火薬の原料になる硫黄を輸出する事も出来る。
プラニアは最近新しい産業が出来つつある。南側に石炭鉱山が見つかったため、そこで採掘した石炭を蒸し焼きにしてコークスに精製、それをドナウ、正確にはアラタが主導した鉄鋼業の燃料に利用する商売が新しく生まれた。
祖国に戻った王子セシルは石炭よりガラス産業を立ち上げたいと愚痴を漏らしているが、まだまだ国の復興には金が掛かるので、実入りの良い商品を優先しなければ民を路頭に迷わせると己を戒めている。それに恩師であるアラタの頼みとあらば、聞かないわけにはいかなかった。
そのセシルも今は一児の父親である。相手は幼馴染のローザだった。正妻はカリウスの姪であり、二年後に結婚を控えているので、側室扱いだったものの、三人はそれなりに幸せそうに過ごしている。幸いにして女の子だったので、今のところ家督争いに発展しないことも気が楽な要因だろう。
サピンの領主となった18歳のカールと、その伴侶ロベルタにも子供が一人生まれて、現在も二人目を妊娠中だ。こちらは男の子だったので、王家一同大喜びだった。毎日住民の陳情の対処やドナウ人との仲裁に走り回り、街道整備や鉱山運営など山積みの書類を捌き続ける姿に、もう気弱な王子の鱗片は残っておらず、家臣達をして兄エーリッヒに劣らぬ俊英と称賛を受けていた。
その片腕として元近衛騎士団長ゲルト=ベルツと元財務長官テオドール=ハインリヒが脇を固め、現在も強固な基盤を築きつつあるサピンに、今のところ目立った問題は無かった。
目下ドナウで対策が求められるのは、旧南アルニアの国境に出没する元ホランド遊牧民である。彼等放浪の民にとって国境線は大した意味を持たない。家畜に食ませる草さえあれば、彼らはどこにでも移動し、狩猟で生計を立てる。それゆえに最後の王ドミニクが生まれる以前にも、周辺の集落は何度も略奪を受けている。それを嫌ってユゴスやレゴスは関所を設けて侵入を防いでいた。
ドナウもそれに倣い、南アルニアとレゴスの国境には簡易的だが長い土壁と柵を建設して、監視の兵を派遣している。これは領主であるオリバー=ツヴァイクとルーカス=アスマンには大きな負担だが、その分本土からの支援も手厚いので差し引きゼロと言えた。
このように新しく獲得した領地は小さな問題は数多くあれど、時間を掛ければ解決出来る問題だったので、どうにかなっている。
本土も一時は人手不足や領地替えによる行政の混乱も多くあったが、三年も経てばそれなりに慣れる。新しい領地の開発に建築資材や食糧は大量に必要だったので開拓も進み、需要は常に発生していた。
ここで役立ったのが、アラタが導入を推し進めた新型の鉱炉である反射炉だった。この炉は通常、炉に空気を送り込むのに手作業によるふいごを用いていたが、代わりに水車を用いた送風システムを導入、従来の鉱炉と比較にならない高温で鉄鉱石を溶かして精製するので、品質の高い銑鉄を大量に生産出来た。
これで鉄が従来より安く手に入り、農家も農具以外の購買能力が向上。多少だが生活に余裕も出てきた。おかげでそこに商機を見出した商人が街道を行き交い、人と物の流通が活性化して、ドナウは好景気に湧いた。
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何もかも上手くいっていると思われるドナウだったが、とある屋敷の一角で一人の男が二人の女性から詰め寄られて、困り果てていた。
七年前、神様の悪戯によって戦場から異郷の地に放り込まれた異邦人、アラタ=レオーネだ。その彼に詰め寄るのが二人の妻、マリアとアンナだった。
「あー、二人とも。そんなに怒ると身体に悪いぞ。マリアは特に胎に子供がいるんだから、強い感情は障るぞ」
「その怒りは一体誰が原因なんでしょうね?貴方自身だって分かってるのかしら?」
「マリア様の言う通りですよアラタ様。ご自分の言動をよく鑑みて発言をお願いします」
夫を壁際まで追い詰めて仁王立ちする二人。顔は笑っているが、眼だけは笑っていない。
そんな三人を子供達はそれぞれ違った感情で見ている。実子のオイゲン、アドリアス、イリスは幼くまだよく分かっていない。養女のラケルはまあ仕方がないだろうと、母二人の行動を肯定しつつ幼い三人を観ている。一番上のクロエは関わり合いになりたくないのか、まだ一歳になっていない妹のモモをあやして、我関せずを貫いていた。
そしてこの事態を招いた張本人であるエリィは蚊帳の外に置かれている。いや、正確には全て知っててアラタの窮地を楽しんでいた。実に性格が悪い。きっと身近にいたアラタの性格に影響されたのだろう。
なぜこのような事態に陥ったのかは、少し時間を巻き戻さねば分からない。
屋敷の居間で家族が平和に過ごしていた時、マリアが何気なく口にした言葉がこの修羅場の始まりだった。
「ねえ、エリィ。貴女、今17歳よね。そろそろ結婚とか考えないの?」
「はあ、確かにあたしは17歳ですが。ああ、そういえばララちゃんは今年結婚してますね。うちのお屋敷でまだ結婚していないのはあたしだけですか」
急に話題を振ってきたマリアに疑問を持つが、数か月前に同じ使用人の少女が結婚しているので、未婚の自分がどうするのか気になったのだろう。
屋敷の使用人で1歳年下のララは今年、城で働いている使用人の青年と結婚した。ただ、レオーネ家は待遇と給金が良いので、そのまま屋敷で働いている。同じ年頃の少女ディアも去年、屋敷の庭師の青年マックスと結婚していた。
さらにアラタが屋敷に移る前に仲良くなった城の使用人のカタリナも、とっくに結婚していた。
周りの同年代が結婚していれば、浮いて見えるのも仕方がないだろう。
「エリィは私から見てもかなり美人ですから、殿方は放っておかないと思うんですが。親しい方は居ないの?」
「よく考えたら、そんな人は居ませんね。お仕事中はよくしてくれる方は沢山居ますが、私的な時間で男の人と一緒にいるのはアラタ様ぐらいですよ。そういえば同じ事を実家の村に帰った時も聞かれました」
アンナも幼い頃から見守っていた少女が適齢期になっても浮いた話の一つも無いのを疑問に思う。
二人から見てもエリィは文句無しの美女である。女性の割に身長が高いのがやや気になるが、教養に優れており、身のこなしは貴族と遜色無い程に磨かれている。衣装さえどうにかしてしまえば、そのまま貴族令嬢として通ってしまうほどである。それらはアンナや祖母のリザの教育の賜物だった。
その少女が今は立派な女性に成長したのは嬉しい。だからこそ誰か良い殿方に嫁いで幸せになってほしいと本心から願っている。
「ただ、どうにも気になるような人が見当たらないんです。同じ平民の男の人だと、何と言いますか物足りなさを感じますし、こう言っては無礼ですが、貴族の方でもあまり差が無いです。どうしてもアラタ様を基準にして見ていて、あたしを満足させてくれる人が居ません」
自分でも贅沢というか身分不相応な考え方をしていると思うが、どうしても長年染みついた判断基準は訂正出来そうにない。
しかしその考えをマリアとアンナは間違っているとは思わなかった。自分達の夫がこの世で最も魅力的な男性なのは疑う余地が無い。その夫をずっと傍で見てきたエリィの目が厳しくなるのは道理だ。
ただ、その所為で面倒を見てきた少女が行き遅れになるのは忍びない。ともすれば自分達が一肌脱いで、良縁を見繕う必要があるかもしれない。
そうした心遣いは一使用人にとって過分な扱いだったが、ある意味エリィには妥当な扱いだ。長年諜報部に勤めており、色々と国の裏側を見続けているので、下手な人物と一緒にさせては情報漏洩によりドナウに損失が出る。
二人は自分達の人脈から適した人材を探すと言うが、本人が何か思うところがあったのか、結婚してもいい相手が居ると口にする。
「以前、あたしをお嫁に貰ってやると言ってくれた人が居ました。その人ならあたしも不満なんて抱きませんよ」
「あら、そんな人が居たのなら、すぐにでも結婚して良いのよ。どんな人か教えてくれる?」
「あ、お二人がよく知ってる人ですよ。何せアラタ様ですから」
「「―――――――えっ?」」
最高にいい笑顔を見せつけるエリィとは違い、二人は何を言っているのかまるで分らないと呆けていた。
この時、家庭内に不和が蒔かれたのを知らないアラタは用足しから戻って来ると、なぜか妻達が何も言わずにジリジリと自身を壁に追い込んだ。
顔を見ると笑顔だが、眼だけは嘘を付けず怒りを露わにしている。それを何年も連れ添った間柄から読み取って、取りあえず落ち着けようと二人を宥めるが、本当に何の事を指しているのかさっぱり心当たりがない。
「あなた、エリィと結婚する約束したでしょう?本人から聞きましたよ」
「子供を産んだ私達はもう用済みですか?それで若いエリィに乗り換えるつもりなんですね?答えてくださいアラタ様」
――――何それ初耳。いきなり妻達に訳の分からない理由で攻め立てられたアラタは人生で一番混乱したが、妻達の後ろでニヤニヤしている少女を見て、何となくこの状況のいきさつが見えてきた。
だが、何時エリィと結婚する約束などしたのか。ここ最近の事ではないのは間違いない。とすれば何年も前の事だ。
自分の記憶を掘り返して、エリィとの会話を一つ一つ拾い上げて行き、何年も前に冗談交じりに好きな男が見つからなかったら嫁に貰ってやると言った事を思い出す。
「―――あれだったのか。けど、エリィはまだ20歳になってないぞ。ならその話はまだ先だ。二人とも落ち着いてくれ。俺がエリィを嫁にするとは決まっていない」
「なっ、本当に結婚する約束をしたんですか!私達のいったい何が不満なんですか!!」
出来れば夫には否定してもらいたかったのに当人が肯定してしまい、マリアは感情を爆発させる。それを子供たちは不思議そうに、そして幾ばくか不安そうに見ていた。その子供達をラケルは安心させるために一人ずつ頭を撫でてやる。すっかり姉として成長したのは喜ばしいが、両親の修羅場でそれを知りたくはなかった。
アンナも夫の言葉に腹が立ったが、言葉の中に『まだ』だとか『20歳』という単語が入っていたので、まずはそれを問い詰めようと考えた。
「アラタ様、なぜエリィが20歳になったら結婚するんです?今すぐでも良いと思うのですが」
「そういう約束だからだ。4~5年前に、あれが20を過ぎても独り身だったら、主人の責任として貰ってやると言ったんだ。それだけだぞ」
その言葉にアンナは少し気分が落ち着いたのか、冷静になって考える。4~5年といえばエリィはまだ13歳程度、子供相手に軽い約束程度で交わしただけかと安堵しかけたが、今もその約束を後生大事にエリィが憶えているのは不味いと思い直す。先ほどもエリィは夫より魅力的な男性が居ないと口にしたばかり、となれば夫の性格上、3年経ったら本当に約束を守りかねない。
マリアも少し落ち着いた。そして後ろで観客になっているエリィを見る。彼女はこの痴情をニヤニヤと笑いながら見ていた。正確にはアラタを見て笑っている。
「―――ねえ、アラタ。あなたはエリィの事をどう思っているの?単に子供の約束だと思って、軽い気持ちで言ったのかしら?それとも本当にあの子を愛しているの?」
「娘として愛しているよ。それは本当だ。
それと、あの時はどうせ、あと何年かしたら俺の事なんか見向きもせず、好きな男が出来るだろうし、将来美人になるから、男の方が放っておかないと予想していた。だから、約束も無効になると思っていた。そろそろ年頃だろうから、自分から結婚したいと言い出すと思っていたが、これは完全に予想外だった」
ため息交じりに軽い気持ちで約束を交わした自分を軽率だったと笑う。そして妻達の後ろで笑っているエリィが憎らしくもあり、愛らしくもあり、自身を嵌めるぐらいに性格が悪くなったのを嘆いた。
「アラタはこう言ってるけど、エリィ自身はどう?この人を本当に愛しているの?単に他に人が居ないからこの人との約束を利用するだけなら私は認めないわ」
「んー、あたしもアラタ様の事は好きですよ。けどお父さんとしてなのか、一人の男の人として好きなのかはよく分からないです」
自分の事だが、長年一緒に過ごしてきた距離の近さから、その愛情の由来が親としてなのか他人としてなのか、今でも判断がつかない。ただ、アラタとの約束を大事に思っているのは事実。
それを聞いた三人は判断に困る。アラタは娘として接していた少女に男として見られていたかもしれないと思うと非常に気まずい。マリアもアンナも、どっちつかずの心はどちらにも傾く可能性があり、ズルズルとこのままの関係を続けるのが良いとは思っていない。どこかで区切りを付けておかないと、誰も幸せになれない。
どうしたものかと当人達が悩んでいると、エリィの方から『けど』と呟く。
「けど、あたしはアラタ様にとっては使用人で娘だし、今のままでも大丈夫です。ほら、今でも大事なお仕事を任されて、信頼されていますから。だから子供の頃の約束なんて忘れてくれて構いません」
笑顔で捲し立てるエリィの様に、三人はなぜ彼女が先ほどから常に笑っているのか何となく察した。エリィは外見上笑っていても内心は不安で仕方がない、本心を隠したいから笑いを張り付けて心を悟られないように覆っている。
その程度の心の機微など、魑魅魍魎の巣食う貴族社会と日常的に接している三人には簡単に分かった。
エリィもアラタの事が好きなのだ。それを父や主人という立場で誤魔化していても、完全には隠し切れない。妻が二人、子供が四人もいる10歳も年上の男だが、そんなのは女にとって関係無い。同じ男を好きになったマリアとアンナにはそれが誰よりも分かっていた。
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結果、どうなったかといえば、その日の夜分。アラタとエリィは屋敷の客間の寝台に並んで座っていた。もちろん二人とも寝間着である。
こうなったのはマリアとアンナがエリィの心情を汲み取って、さっさとアラタに抱かれてこいと蹴飛ばされたからだ。つまり、二人がエリィを側室として認めたからに他ならない。しかし、同じ寝室で寝る事は許さないと言い、寝るならエリィの自室ではなく、客間にしろと言ったのは、初めての夜を過ごすエリィへの二人の気遣いだろう。
あれよあれよという間に娘のように思っていた少女と関係を持つ事になったアラタは頭を掻いて、ちゃんと立つかどうか心配する。娘を女として見れるかと聞かれたら不安になる。
ちらりと隣の少女を観察する。初めて会った時は自分の腹ぐらいの大きさしかなかったが、今は肩より上だ。屋敷女性の中で一番背が高いアンナより、さらに背が高くなっている。髪も昔は結構痛んでいたが、腰まで伸びていても今はよく手入れしてあり、緩く結って女性らしさを強調している。肉付きもよく、出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。特に腰のくびれは最近緩くなってきた妻二人より色気を感じた。
「もう、ジロジロ見ないでください。結構恥ずかしいんですよ。それともあたしに悩殺されました?」
エリィが恥じらいから両手で胸を隠しつつも、アラタの双貌を上目遣いで覗く。まだ少女だった頃の面影を色濃く残しつつも、仕草はぐっと女らしくなったのをアラタは不思議に感じていた。
「七年前のお前と今のお前を比べていた。あの時、縄で縛られて木に吊るされていたちんちくりんが、今は立派な女になったと思うと、なんだか妙な気分だ。俺が年を食ったのか、子供だったお前が成長したのか。まあ、両方だろうが」
「そんなの七年も経てば人は変わりますよ。アラタ様は外見は全然変わらないけど、中身は結構違ってます。昔はアラタ様は何を考えているのか分からない事が多かったけど、今は随分分かりやすいですよ」
そう言うなり、エリィは自分からアラタに近づき唇を塞ぐ。不意打ちだったのと、勢いがあったので、アラタは寝台に押し倒された形になる。上に乗っかったエリィの胸がアラタの胸に押し付けられる。柔らかい感触が心地良い。
そのままエリィは獣のように口と舌を貪る。アラタも何もしないのは悔しいので、反撃に空いてる手で尻を撫で回した。その感触がくすぐったいのかエリィは身を悶えさせるが、アラタは構わず責め続けた。
それなりに長い間、体を弄っていると、エリィの方から耐えかねて、唇を離して止めてほしいと懇願した。
「自分から襲っておいてそれは無いだろう。こうされるのが望みだったんじゃないのか?」
「――――ぶう、あたし初めてなんですから、もうちょっと優しくしてください。けど、これであたしが子供じゃないって分かってくれましたよね?アラタ様の手つき凄くいやらしかったし」
「十分優しくしてたぞ。力づくだったらとっくに服を脱がして股を開いていた。まあ、身体つきは随分女らしくなったよ。昔サピンに旅をした時のお前の体よりずっと成長している。
ただ、娘に欲情しているようで何か変な気分になる。ロベルタにはこんな気分にはならなかったんだがな」
一時面倒を見ていた絶世の美女を思い出し、彼女には劣情を覚えなかったが、同じ年頃になったエリィには女を感じていた。自分でも理由は分からなかった。
疑問を抱きつつも、やる事はやってまどろみの中にある二人は寝台の上で語り合う。初めて会った時から、王都に来て、使用人として付きっ切りで勉強をした時、ホランドと戦いに赴き無事に帰ってきた時、アンナやマリアと結婚した時、オイゲンが生まれた時、それから何年も一緒に二人は同じ時を父と娘、主人と使用人として過ごしていた。
「もしもですよ、アラタ様は、あたしともっと年が近くて、別の出会いをしていたら、そんなもしもを考えたことがあります?」
「無いな。お前とはあの村での出会いしか考えていない。食べ物を食べさせてやって、小便の世話もしてやったのも覚えているぞ」
今しがた抱いたばかりの女に風情の欠片も無い扱いしかしないアラタにエリィは怒って男の頬を引っ張る。痛いが、アラタはエリィの好きにさせていた。二人の関係はこれぐらいがちょうどいい。
「あたしはよく眠る前に考えていました。同じ村で生まれたり、2~3歳しか違わなくて、家族みたいに過ごしているけど、いつか結婚する間柄だったり。それで、もっと前にこうやって抱かれて子供も出来て、毎日野良仕事しながら年を取って、子供も大きくなったら、同じように誰かを好きになって結婚して孫が生まれて。そんな代わり映えのしない日常を思い浮かべていました」
「今が幸福じゃないと言いたいのか。俺がお前を村から連れ出したのは間違いだったか?」
「違います。どんな形でもあたしはアラタ様に会えて良かったって言いたいんです。食べ物とか着る物とか、住む所だってどうだっていいんです。ただ、アラタ様がいればそれでいい」
頬を引っ張るのを辞めてエリィはアラタに覆い被さる。何度もキスをして、今この瞬間が幸福だと態度で示し、アラタも何も言わずにそれを受け入れた。
エリィにとってアラタはずっと前から愛する男だった。しかしアラタがエリィを女として見たのはつい先ほど。この差をこれからどう埋めていくか。アラタはそれをずっと考えていた。
「先は長いが、なんとかなるか。マリアとアンナもお前を認めた。なら俺も時間をかけてお前を受け入れるよ。子供も出来たらちゃんと養育するし、名前も考える。途中で捨てたりしないから、これからも側にいるんだぞ」
「それは心配してません。アラタ様は義理堅い人ですから。それはずっと側にいて知ってます」
それから二人は互いに眠るまで様々な事を話していた。これからも仕事は続けるのか、子供は何人ぐらい欲しいのか、里帰りして村の人間に報告するのか。まるで夫婦がするような話を寝床で続けた。
ちなみに嫁二人はエリィを認めたが、結構な期間機嫌を悪くしていた。特にアンナは何年か後、当時はエリィを殺したいぐらい憎かったと感情をぶちまけており、幼い頃より面倒を見ていたエリィでなければ実際にそうしていたと白状した。寸での所で自制したのも、何年も一緒に過ごしてきたエリィが妹のように可愛かったからだったと語っていた。
後年発見されたアラタ直筆の手記に、この時の心情が詳細に書かれており、エリィへの感情が白日の下に晒された。
『長年娘として面倒を見てきた少女に押し倒されるのは凄く変な気分だった。拒絶する事も出来たが、それをしなかったのは、心のどこかで娘の想いに気付いていたから、何も言わずに受け入れたのだろう。世が世なら犯罪者扱いされていたから、ここがドナウで良かった』
この内容からエリィは後世、超肉食女子、養父への恋心に苦しむ少女、村娘から大領主の側室へと昇った才女、などと創作の主人公として何度も取り上げられ、人気を博することになる。
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