モノクロ

咲花 小春

第1話


――――あなたの見ている世界は、本当に色鮮やかなの?――――


一、

 忙しなく人々や車が往来するこの街の中にいると、どうしても足早に歩いてしまうものだ。ネロは未だに履きなれない革靴の痛みを我慢し、大きなコートで身を包み、少し俯きながら、帰宅ラッシュの駅前の大通りを流れゆく人々に必死になって歩幅を合わせた。冷たい一二月の風がネロの頬を突き刺し、さらに歩む速度を速めた。街を彩るネオンにも、夜空を彩る月や星にも目をくれず、ただひたすらに前を向いて歩いていた。

「ちょっと!お兄さん!」

ふいに誰かに腕をつかまれ、ネロは足を止め振り返った。

「まだ信号赤ですよ!」

その瞬間、大きなクラクションの音と同時に、一台のトラックがネロの目の前を通り過ぎた。ネロは息を飲んだ。そして、信号を見た。しかし、ネロの目には、赤と青のどちらが光っているのか分からなかった。

「すいません、ぼーっとしてて」

「気をつけてくださいね」

そう言うと彼女は足早に歩きだし、間もなく人々の流れに紛れていった。ネロは乱れたコートを整えて、周りを見渡した。

「ねえ、あの人モノクロじゃない?」

「そうよきっと。可哀そうに」

ネロは深呼吸をした。心の奥から湧いてくる何かを押し殺して、それからまた歩き出した。


二、

 「ネロ君、君は全盲色症です」

ネロが町のお医者さんにそう言われたのは、ネロがまだ十歳の時だった。ネロの隣にいたお母さんは、この言葉を聞くとすぐに泣きだしてしまった。

「先生、この子はもう一生色が見えないんですか?!十歳でモノクロとして、これから独りで生きていかなければいけないなんて、あまりに残酷です!」

「お母さん、安心してください。いまはモノクロだけが暮らす施設も充実してますし、誰かに感染させてしまって、感染罪に問われる可能性もありません」

ネロは難しい顔をして“カンセンザイ”という言葉の意味を考えた。

「この子に全盲色症をうつした犯人は誰なんです?!」

「それは、私にはわかりません。これから警察の方に取り調べをしてもらって……」

ネロは先生とお母さんの顔を交互に覗きこんでは、眉間に出来たしわを深めていくばかりであった。しかし、とうとうこらえきれなくなったのか、ネロは小さな手をぐっと握りしめて、勢いよく立ち上がった。

「ゼンモウシキショウってなに?モノクロってなに?カンセンザイってなに?僕にも分かるように説明してよ!」

ネロは眉間にいっぱいしわを作って、顔を真っ赤にして言った。先生とお母さんは顔を見合わせると申し訳なさそうに俯いて、それからネロの方へと手をだした。

「ネロ君、君は悪い悪魔によって色が見えなくなってしまったんだ。そして、君もまた知らないうちに悪魔となって、誰かにうつしてしまうかもしれない。もし、うつしてしまったら、牢屋に入れられてしまうんだ。だから、これからはお母さんとお父さんの所を離れて、独りで暮らさなきゃならないんだ。分かるかい?」

ネロは真っ赤な顔をさらに赤くして、目に涙をいっぱい溜めて、ぐっと唇を噛み、今にも泣きだしそうなのを必死で堪えていた。

「どうして……どうして僕がこんな目に合わなきゃいけないんだ。僕はこれからずっと独りぼっちなの?」

先生とお母さんは、ネロが泣きださないように、ネロの背中を一生懸命さすった。

「ネロ君、最近誰かの涙を拭ったり、触ったりした?」

ネロは小さくうなずいた。先生はため息をついた。

「ネロ君、最近テレビで、病気がうつるから、人の涙に触らないようにって言われてたの知ってる?きっと、学校の先生にも言われてたよね?」

「だって!僕が意地悪なこと言っちゃって……。まさか泣くとは思わなかったんだ」

「その子、名前はなんていうの?」

「知らない。聞いてないもん。でも、目が海と同じ青い色をしていたんだ」

お母さんはメモを取り出すとネロの話を書き留めた。

「僕が海の絵を描いていると近づいて来てね……」

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