老齢幼虫期
どれだけ寝ても眠たかった。何だかとっても身体が重くて、あまり動きたくなかった。いつものように服を脱いでみようかしらとも考えたけれど、どうにもそんな気分にはなれなかった。むしろ、なんだか酷く寒くて、暖かな何かに包まって寝てしまいたかった。
あまりに眠いので、眠る場所を探すことにした。ゆっくり、のんびり眠れる場所がいいと思った。途中で何度かご飯を食べたけれど、今は兎に角眠る場所を見つけることが先決だと思った。どこがいいかしら。葉っぱの裏?でも寝ている間に葉が落ちてしまうかもしれない。では太い柱を探そうか?でも眠っているうちに柱も折れてしまうかもしれない。そんな不安は尽きないけれど、考えても仕様が無かった。だって今はただただ眠い。何だっていいから眠りたいと言うのが本音だった。きっと杞憂に過ぎないだろう。僕はそう思い直して、けれどももう少しだけ歩いてみることにした。
少し歩くと、どこか見覚えのある銀色の道を見つけた。どこで見たのかしらと首を捻り、蝸牛のおじさんが作った道だと気がついた。それならばきっと、おじさんがこの近くにいるのだろう。おじさんに挨拶をしよう。お久しぶりです、お元気でしたか、僕は少し眠ります、おやすみなさい、お元気で。眠るのはそれからでも遅くないだろう。僕は蝸牛のおじさんが作った銀の道を辿った。これの先におじさんがきっといることを知っていた。
銀の道は上へ上へと続いていた。僕はあまり上には行きたくないと思ったけれど、おじさんに挨拶をするためだからと登った。蝸牛のおじさんは、一番上の葉にいた。
「おじさん、蝸牛のおじさん。お久しぶりです、僕です。お元気でしたか?」
僕が声をかけても、おじさんは返事をしてくれなかった。それどころか、振り向きさえしない。
僕の声が聞こえなかったのかしら?そう思っておじさんに近づく。そこで初めて、おじさんの様子がおかしいことに気がついた。おじさんの細くて長い華奢な目があった場所に、僕の兄弟によく似たモノがいた。いや、おじさんの目が僕の兄弟にそっくりになっていた。それは蝸牛のおじさんとは違う生き物であるかのようにビクリビクリと収縮と弛緩を繰り返す。
「…おじさん??」
僕がもう一度声をかけると、おじさんはやっと口を開いた。
「あ、ぁ、?ぅぁああ、ああぉあぁあ。ぉあ、あ、あぅああぉあぇ、えぁ、あ?」
おじさんの発した声は言葉ではなくて、僕は驚いてしまった。
「おじさん、おじさん?どうしたの?ちゃんと喋ってくれないと、僕にはわからないよ」
僕がそう訴えても、おじさんは「ぉああ、ぉああ、」と繰り返すだけだった。
仕方がないので、僕は一方的に挨拶をすることにした。
「おじさん、僕はとても眠たいのでしばらく眠ることにしました。僕が起きたら、是非またお話しして下さい。それまでどうかお元気で。おやすみなさい」
おじさんは「み゜ッ」と返事をした。そうして僕は先程とは逆向きに銀の道を辿るようにして戻った。途中、背後で蝸牛のおじさんの笑い声が聞こえた。あはははは、あはははははははと笑っていた。
僕が銀の道から離れた頃に、少し風が吹いた。それきりおじさんの笑い声も聞こえなくなった。
僕は適当な柱を見つけて、そこで眠ることにした。ここらの葉っぱは美味しいから、起きたら沢山食べるんだ。きっと沢山寝てしまうから、寝ぼけて落っこちたりしないようにしっかり柱に捕まらなくちゃ。僕は柱に捕まるために口から糸を出して、ふと思いついてそれを身体に巻きつけた。ここ最近はずっと寒かったのだ。幾重にも巻きつけて、僕は満足のいく温もりを手に入れた。これで安心して眠ることができる。もう眠くて堪らない。瞼が重い。こんなに眠いのは生まれてこの方初めてだった。
おやすみなさい。
おやすみなさい。
次に目覚めた時にはきっと。
美しい羽根を手に入れて。
アゲハの姐さんのように美しく。
蝸牛のおじさんのように賢く。
僕はきっと。
だから今は、おやすみなさい。
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