〇閑話:リッドの休日 ――――
ルクシャード皇国首都の郊外、少し離れた先に小さな墓地がある。
この墓地に、ルクシャード皇国の人間は誰一人として眠っていない。この都の近辺で亡くなった旅人など、身元不明の人間が埋葬されている地だ。
「………」
リッドは、普段の彼からは考えられないほど真面目な面持ちで一つの墓の前で、熱心に祈りを捧げていた。
この墓の下に眠っているのは彼の親類縁者でも、知己でも、友人ですらない。
たまたま偶然、しかし必然の出会い。
本当に僅かな時間、僅かな話をしただけの相手だ。だがその時の出来事こそリッドの意識を大きく変え、彼に学園へと通う事を決めさせる事となった転機であった。
「………よし、お祈り終わりっ。また来るよ、勇敢にして忠実なる騎士さん。いつか必ず祖国の地に返してやるからな。悪いがもう数年はここで我慢しててくれ」
休日。
いつもなら学園で木剣を振るったり、欠伸をかきながらのんびりしている午後の昼下がり。
墓場を後にしたリッドは、久しぶりに街を散策していた。
「う~~~っん! ……はぁ、気持ちいいなー。空は晴天、風は穏やか、最高の休日だ」
入学後、何も学園の敷地から出なかったわけではない。
ただ大体はシオウに付き合って図書館だ食い物屋だと、行く先は学園の手近なところが多かった。こうして一人でウロチョロと歩き回るのは入学してからは初めてかもしれない。
もっとも悪ガキ時代に行けるところは行き尽くしているので、この街で知らない場所も店もない。目新しい発見は期待できないので、行くアテもなく本当に街中を闊歩するだけだ。
目的がないのは張り合いがないが、今となっては昔のように悪戯して回るわけにもいかず、少しばかりの退屈とノスタルジーに浸る。ふと街角を見ればバカをやってた頃の、今より小さい自分が走り回っている幻が浮かび上がってきて、リッドは思わず笑みをこぼした。
「……さて、どうするかな」
このままアテもなく歩くだけでせっかくの休日を終えるのはもったいない。そう思うや否や、彼は軽く走り出した。
何か面白いものを自分から見つけに――――子供の頃の記憶に誘われ、綺麗に敷き詰められた石畳の上を走る、走る、走る。
ちょっとした街路の植え込みは軽く飛び越してショートカットし、路地裏を縫うように走破して余計な遠回りを避け、ひた走る。
駆け抜ける風、風光明媚な街並み、穏やかな温かさをもたらしている陽光。青春の一ページに相応しいひと時――――と
ドンッ!
そうはいくかとばかりに角から飛び出してきた何かにぶつかって、リッドの足は止まった。
「ご、ごめんなさい! ボクいそいでるから…」
慌てふためきながらペコペコお辞儀をしつつ、すぐにも去ろうとする子供。言葉遣いはしっかりしているが、見た目にはまだ5~6歳程度。茶色の色あせたコートに身を包み、ボロボロのやはり色の抜けた緑のシャツ、クリーム色のほつれまくっているズボン。
そして、両手で抱えている麻袋は――――
「(こいつ……)おっと、待て待て。そっちはやめとけ」
「? は、はなしてください。早くボク、にげないと…ふわっ!??」
リッドは問答無用とばかりに子供を引き寄せ、抱えあげた。そしてまるで反対方向に向かって走り出す。子供が逃げてきた方向だ。
「!! い、いやです、はなしてください! ボクは、捕まるわけにはいかないんですっ、はなしてっ」
「あわてんな。べつに突き出そうってわけじゃあないから安心しろよ」
そういうとリッドは、走る道のはるか先に現れた人影を確認すると、ひょいっと横道に逸れた。
「……あれか。おいお前、いいか? こういう時は遠くへ遠くへ逃げようとしたら逆にダメなんだぞ? たくさんの人に見られちまうから、逃げ切ったと思っても、後で絶対に追いつかれちまうもんなんだ」
「で、でも…」
「いいからいいから。こうして、逆に近いところでやり過ごすんだ。相手が遠ざかったのを確認して時間がある程度過ぎてから離れ、安全なところまで移動する。後はしばらくこの辺りに近づかないようにすりゃいい」
そういってリッドは、クシャクシャと子供の頭を乱暴に撫でまわす。だが次の瞬間、少し真面目になってから一言付け加えた。
「お前の境遇はなんとなくわかってるつもりだ。けどよ、助けるのはこれっきりだぞ? 次同じようなところを見かけたら、俺は容赦なく突き出すところに突き出す。大変だろうが、生きてくためっつーても悪い事ばっか続けてっと抜けられなくなって、そのうち取っ掴まって牢屋いきになる……頑張って真っ当に生きろ、いいな?」
・
・
・
子供とわかれると、リッドは再び町の中を歩き始めた。
彼らはいわゆるストリートチルドレン。保護者や寝泊まり出来るところを持たない子供達だ。
この平和なルクシャード皇国にも、ごく少数ではあるがああいった子供はいる。理由はこの国に問題があるからではない。彼らは
世の中には危険な国や地域はいくらでもあり、そうしたところで生きていく術を失った者が、安全を求めて平和な国へと流れる事がある。
ただ、残念なことに平和な国では孤児のような不幸な子供があまりいない事もあって孤児院の類が整備されておらず、そうした子供を引き受けるシステムが、あまり充実してはいない。
かといって、万全なる受け入れ態勢を整えてしまうと、それが噂となってワッと押し寄せてきかねない。そうなると流れ者と地元住民との間で摩擦が生じたり、流れ者に混じって犯罪者が流入するなど、連鎖的に諸問題が生じてしまう。
国家としてはなかなか悩ましい話であり、安易な情で軽々しく擁護する政策を取ってはならないのが現実だ。
「ま、不幸な生い立ちには同情するけど、線引きは必要だわな」
リッドはまるで国の在り方を学ぶように自分の中で思考し、咀嚼する。経験として、知識として……自分の中へとしかと取り込む。
悪ガキ時代、好き勝手暮らしていた頃の自分じゃこんな事はまず考えられないなと、今の己の在り様に苦笑しつつ、たまたま目についた店舗の入り口をなんとなくの惰性でくぐった。
「いらっしゃいませ」
なんら感情のこもっていない出迎えの言葉をかけてくる店員。
店内は少し薄暗くてやや手狭だ。他に客の姿はない。
「軽く見せてもらうよ」
一言断わりの言葉を投げかけると、店員はコクリと頷くのみ。愛想はよろしくないが、こんな大通りに面してもいない小さな店ではこんなものだろう。
ぐるりと店内を見回す。
入り口から見て右側にカウンター、その奥で店員が置物のように立っている。
中央付近に机が置かれ、上には値札のついた小道具が無造作に並んでいる。それを囲むようにして壁にはりついている棚には、ぬいぐるみから料理用の小刀まで様々な雑貨が、一応はカテゴリー分けされて陳列されている。
何でも屋――――――ごく小規模で立地もよろしくない店にありがちな品揃えだ。
本気の商売というよりは、店長の趣味でなんとなくやってるだけだったりする事が多い。品揃えも店長の気分と嗜好性次第なので店によって何が陳列しているか予想がつかず、探せば稀に掘り出し物が見つかったりする事もある。
「……ふむ」
リッドは軽く歩を進めながら陳列物を品定めしていく。何か面白いものでもないものかと思いながら、一つ残らず丁寧に目を通していった。
「リッド=ヨデック……まさかこんなところで遭うなんて」
エイリーは、路地の影からリッドが入っていた店をそ~っと伺っていた。
せっかくの休日、何か可愛い小物を探そうと様々な店を回っている最中だった彼女は、自分が買ったものをよりにもよってあのリッドに知られたくないと、遠目にその姿を見つけるや否や、咄嗟に隠れてしまった。
彼女の腕の中にはすでに様々な買い物の証たる紙袋が抱きこまれている。趣味を公にしていない彼女としては、リッドでなくとも今は誰かに遭遇する事は避けたかった。知己に遭えば、必ず―――――
「…なんだ、誰かと思ったらお前か。何買ったんだ、そんなに紙袋しょいこんで?」
「ひゃああああああ!!???? んな、なななななななぁ????」
店の中にいた相手が、なぜ店から道挟んで離れた曲がり角の陰にいた自分の
エイリーは、この上なくみっともない声を上げて驚き、はずみで手にしていた紙袋を全て落としてしまった。
ドッサササッ! バララララァッ
「いいいい、いやぁぁぁあ! み、見るな見るなっ、見ちゃダメーーーっ!!!」
エイリーは咄嗟に地面に覆いかぶさり、落とした荷物を隠そうとする。だが袋の中身は結構な範囲に散らばってしまい、残念ながら彼女の華奢な身体ではまったく隠しきれていない。
「見るなっつっても、こんなに散乱しちまったら…あーあ、しょーがねーなー」
リッドは頭をかきながら散乱したモノを拾い集めていく。
「さ、触らないで見ないで! じ、自分で拾―――――ッ?!」
ササッ
影。二人の視界の隅っこから突如あらわれた小さな影が、脇を通り過ぎてそのまま走り出す。
エイリーが気付いて悲鳴を上げるより先に、リッドはその影が何かを奪い去った事に気付き、既に追いかけんと走りだしていた。
「待てっ」
距離は3m強。
既にスピードに乗っている相手だが、決して速くはない。リッドが加速しきるまでもなくやや差が開いた後はどんどん縮まっていき、ほんの数秒でその肩に手が掛かった。
窃盗犯の逃走距離はわずか10mちょい。
抑え込むまでもない。小さな影はリッドに両肩を掴まれるだけで逃走不能に陥っていた。
「は、はなしてっ、はなしてよーっ」
「! なんだ、またお前かよ。さっきの今で全然懲りてねーなぁ」
犯人は子供。物陰からリッドとエイリーの様子を伺っていたのだろう。あるいはエイリーが大量の紙袋を持っていたのを見て、狙って尾けていたのかもしれない。
「子供? どうして…」
「悪事を働くのに関係するのは理由だけ、
「!! やだやだ離してよーっ、このっこのっ!」
「え、えーと事情はよくわかんないけど、べ、別に見逃してあげても…取られたものだって取り返せたんだし」
おそらく子供だからと思ったのだろう。エイリーは、見逃してもいいといった雰囲気を滲ませる。
だがリッドにそのつもりはなかった。
情状酌量の余地がある、と言えばあるだろう。だが安易に犯罪行為を見逃す事は秩序を乱す事に他ならない。
この子の境遇に同情するのは良い。だがそれで悪事を働いて何らお咎めなく見逃していては、この子はいつまでも悪事を続ける。
感情で法や政治を左右すれば、国は潰れる。
人間の社会システムの最上位単位である国家において、悪事を裁かないとは無法を許すに等しい。
定められた約束や法を守らず、感情でそれらを易々と破ればどうなるか? 愚者を
「(保護を受ける者は、ただ施しを貰うのを待つではなく、相応でなくてはならない。一方的に貰えるものではなく、受ける施しとは代償である。保護を受ける者として社会に、秩序に、然るべき順応と恭順を捧げなくてはならない……か)」
何かの国民の在り方を説いた論評の一節を思い出し、リッドはやれやれと肩を落とす。
そこから不意に、この子供をどうするべきか閃いてしまい、これで休日の残りは費える事になりそうだった。
・
・
・
――――――郊外、プエニクス神殿。
「…と、いうわけでじっさま、コイツの面倒を見てやってほしいんだ」
「うー、うー! はーなーしーてーぇっ!!」
担がれた小さな身体。
リッドの肩の上で脚だけジタバタと暴れている。胴をロープでグルグル巻きにされて連行されてきた子供を見て、司祭―――ルーヴック=ヘルニキスは面食らっていた。
「じ、事情はわかったが…リッドよ、よくもまぁそんな事を易々と言ってくれるのう」
孤児を預かる―――――聖職者としては断る理由はない。だが安易に引き受けられるかといえば、そう簡単な事でもなかった。
「ウチの台所事情は、お前も知っておるじゃろうに」
そう。
プエニクス神殿は古くて小さい上、信者離れも著しい。老いたルーヴック司祭一人なればこそ、細い食でもなんとかやっていけているような財政状況だ。
学園に通う事になり、一般試験合格者の学費免除とバイトなりで食費も稼げて一切金のかからないリッドの分、かつてよりは多少はマシではある。
だが子供1人を養うとなると、かなり厳しかった。
「へへっ、大丈夫大丈夫。コイツを働かせればいいさ、裏の畑でいくらでもさ。お前も自分の喰う分くらいは頑張れよ? あ、それと…ほいよっ」
リッドが懐から出して投げよこしたものを、司祭は慌てて受け止める。
ジャラッ…
確かな重量感と共に、多数の金属が動き擦れ合う音が、手の上で鳴った。
「どうしたんじゃコレは?? 学園に通いながらではこんなに稼げんじゃろうが」
やや怒気を含んでいる。司祭は、リッドがよからぬ方法でこの金を手に入れたのではと
「心配いらないって。学園に通ってるといろいろとツテがあってさ。ちゃんと真っ当なお金だから」
リッドがそう言っても司祭はなお本当かと訝しげだ。昔、悪ガキだっただけに、この辺りの信用の無さは致し方なしにしても、自分が育てた子の言う事くらい素直に受け入れて欲しいもんだと思いながら、彼は薄ら笑う。
「……まあええ、事情が事情じゃし、これだけあれば当面はなんとかなろう。その間にワシの方でも方々どうにかできんか手を尽くしてみようぞ」
「宜しく頼むぜ、じっさま」
「しかしじゃ、リッドよ。ワシは最初、ビックリしたぞい」
口調が変わって世間話のムードになると、同行していたエイリーは、ほっと安堵する。少なくとも子供はこの神殿で面倒見てもらえる事になりそうで、事は収まりそうだと気を緩めた。
だが次の司祭の発言で、彼女はその落ち着いた気分を尖らせるハメになる。
「お前が嫁さんを連れてきて、しかもこんなデカい子供まで作っておったのかと思って仰天したんじゃぞ」
「ぶっ!? だ、誰が誰のお嫁さんですかっ!? ありえませんから! こんなこんなっ、こんなヒトとなんてぜったい、ぜーーーったいにぃっ!!!」
・
・
・
神殿から町へと戻る道すがら。
エイリーは、どっと疲れたといった様子で歩いていた。
両腕いっぱいに持っていた紙袋の半分はリッドが運んでくれているので一人で買い物して回っていた時よりは楽だが、精神的な疲労はかなり蓄積していた。
が、だからこそ、ふと気になったのかもしれない。
「……リッド=ヨデック。
司祭も最後まで訝しんでいた、リッドが渡した袋詰めのお金。中にはかなりの枚数の貨幣が詰め込まれ、額も相当に及んでいた。あれだけあれば、あの子供が成長して大人になるまで足りると思えるほどだった。
「ああ、シオウの奴に頼まれてなー。“ 出かけるなら、なんか食い物か良さげな本でも見つけたら
それを聞いて、エイリーは顔を青くした。
「そ、それって…あのお金、シオウ先輩のお財布丸々って事じゃないんですか!?」
いくらになるか不明な買い物を頼むがゆえに、財布まるごと渡してお願いしたようにしか聞こえない。
普通に考えれば学生身分の財布とは、その者の全財産である。
「……あー、そういえばそうかな? アイツ結構貯めこんでたんだなー、ははは」
「はははって! どうするんですか、シオウ先輩のお金、勝手に全部渡しちゃって!?」
「人助けのために使われるんだ、大丈夫大丈夫。シオウの奴も喜んでくれるって」
エイリーは、ほんの少しだけリッドを見直していた。身寄りのない悪事を働いて日々生きている子供を聖職者に預け、改心はもちろん生きていく場を提供する方法を取った事に。
だが今はというと、呆気に取られすぎて空いた口が塞がらない。なんていい加減な人なんだと彼女の中でリッドの印象は急降下していた。
「(じっさまの教育はキツいけど、ま…大丈夫だろ。いくらじっさまでも
担いでる最中、ずっと股間部に手を回していた事から、ナニがついていない事は把握している。
あの年齢で、しかも女の子で盗みを働いて生計を立てていた者がいる。その事実はリッドの深い部分で結構な衝撃となっていた。
隣で歩くジト目のエイリーをよそに空を見上げると、夕焼けはもう深い紫と青に近い色へと変わりつつある。星の瞬きも見える。
思わぬ休日になっちまったが、これで休みの日も終わりかーなどと考えながら学園寮への帰路につくリッド。
だが彼にとっての今日はまだ終わらない。
当たり前というべきか当然というべきか。シオウに勝手な全額寄付の件を長時間にわたって絞られる事となった。彼の精神は完全にすり減らされ尽くし、眠りにつけたのは深夜、日を大きくまたいだ頃のことだった。
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