双香尺牘

高麗楼*鶏林書笈

第1話

親愛なる碧香さま

 その後、いかがお過ごしですか。

 碧香さまとお別れしてから、さほど時が経っていないというのに、とても長い歳月が過ぎたような気がします。碧香さまがいらっしゃらない生活が、こんなにも寂しく味気ないものとは思っても見ませんでした。

 昨日、私を大妃殿に連れて行った負商(行商人)のおじさんが家に来たので、何気なく、碧香さまの御実家を知っているか訊いてみました。そしたら、

「京師で徐大監のお屋敷を知らぬものはいないよ。わしもあのお屋敷の下男とちょっとした知り合いでね」

と言うではありませんか。そこで、手紙を届けてくれないかとお願いしたところ二つ返事で応じてくれました。ということで碧香さまにお手紙を書いています。ただ紙は高価で、また鄙地では手に入れるのが難しいので、端切れに書いています。御無礼どうぞお許し下さい。

 さて、私の今の生活はけっして悪いものではありません。実家は私が大妃殿に行く前とは比べものにならないほど、豊かになりました。

 ご存知のように、私の家は豊年の時ですら、満足に食べることが難しいくらいの暮らしぶりでした。それゆえ、大妃殿に働きに行ったのです。二度と家族のもとに戻れなくても結婚して子供が得られなくても、私がお勤めをしていれば、その俸給で家族が生活できますし、私自身もちゃんと食べて行かれます。

仕事の方も農家の仕事に比べれば大したことはないだろうと思いました。

 大妃殿に行く頃は、あんなに貧しかったのに、今は食べることはもちろんのこと、家も大きく立派なものになりました。私が頂いた俸給をもとに農地を購入して自作農になり、家族皆で熱心に働き、また様々な工夫をして収穫を増やしていったそうです。そのお蔭でこうした生活が出来るようになったのです。世の中には娘の稼ぎをつまらぬことに浪費する家族の話をよく聞きますが、うちはそうしたことはありませんでした。私はこうした家族を誇らしく思い、働きに出た甲斐もありました。

 家に帰った私のために部屋も用意してくれて、大妃殿と同じような夜具や座布団もあります。実家でもふかふかな布団で寝られるようになるとは本当に世の中どうなるものか分からないものですね。

 以前とは異なり、野良仕事のような骨の折れることはほとんど使用人がするようになりました。また、家事も母と弟嫂(弟の嫁)が全てするので私の出る幕はありません。上の弟・子石は結婚したのです。家に来てから知ったのでびっくりしました。

 こんな状況なので、私は何もすることがありません。なので、毎日部屋の中で、お針をしたり、子石が書堂(寺子屋)だか、どこかで借りてきてくれる書物を読んで過ごしています。

 お針をしている時は碧香さまのことを思い出します。

 大妃殿の宿所で初めて碧香さまにお会いした時、こんな綺麗な人がこの世に存在していたことにとても驚きました。私の周りにいた村の女性たちは皆、髪を簡単に纏め、土埃に染まった白い上着と下裳を身に着け、顔は日に焼けて浅黒く、肌は荒れていました。村を出て京師に入って出会った女性たちは、身奇麗で髪も艶やかで、肌も白くて仙女のように見えました。大妃殿の女性たちに至っては自分と同じ人間とは思えないようでした。こうした女性たちを眺めながら、きれいに洗濯はしてあるけれど粗末な衣服を着て髪も肌も荒れてみすぼらしい自分が果たしてここでやっていけるのかとても不安になりました。さいわい衣服の方は規定のものを頂けましたが、肌や髪はどうにもなりません。

 大妃殿での私の仕事は宮女の方の身の回りのお世話をしたり、殿内の雑用をするということでした。こうしたことは何とか出来そうでしたが、私の仕える方はこのような自分をお気に召してくれるのだろうかとても心配でした。もし疎まれてしまったらどうしよう……。だからといって今更村にも戻ることは出来ません。気掛かりは山のようにありましたが、勇気を出して、これから仕えることになる方のもとへ向かいました。

 こうして碧香さまと出会ったのですが、初めてお姿を見た時、これまで私が見た仙女のような女性たちなど足元に及ばないと思いました。服装や髪型は大妃殿で会った女性たちと変わりませんでしたが、何というか、御伽話に出てくる女神さまというのは、こういう方なのだろうと思いました。女神さまは、私のもとにいらっしゃって優しい声で言葉を掛けて下さるではありませんか。その時、とてもいい匂いがしたのです。私の手をとると女神さまは部屋の真中に座らせてお茶やお菓子を勧めて下さいました。

 私はこれからこの高貴な方と一緒に暮らすのだ、そう思うと有り難いやらもったいないやら、とにかく本当に天に昇るような気分でした。

 このように書くと、何て大げさなのでしょうとお笑いになるかも知れませんね。

 大妃殿での仕事は大変といえば大変かも知れませんが、田舎の農民の娘に過ぎない私にとっては日常的なことでした。毎日、確実に食事ができ、夜は柔らかい布団に寝られることは私のような身の上にとっては夢のようなことです。それに加え、私には碧香さまがいらっしゃるのですから、もう言うことはありませんでした。

 今思っても本当に楽しい少女時代でした。しがない田舎娘にとっては過分なほどの幸福な日々を送れたのですから。

 碧香さまとお別れしたのは悲しいけれど、今は碧香さまと出会い、共に暮らせたことを感謝しています。

 大好きな碧香さま、どうぞ御身体に気を付けてお過ごし下さいませ。


                             珠香より 

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