地獄はこの世

 少女の両親は、少女にとって祖父母に当たるそれぞれの親が、内戦後の生活再建で膨らんだ借金を返済出来ずに亡くなっており、共働きで完済に励んでいた。


 少女は少しでも両親に迷惑をかけまいと、幼い頃から模範的に生き――あれは、通う高等学校から推薦での、学費無償の大学進学が決まった日の事である。

 決して好きでは無かったが、学費を少しでも抑える為に、勉強には常日頃励んで来た。それまでの学費も、奨学金を借りて何とかやってきたのである。これ以上はいけないし、進学ではなく就職をしたかったが、折角無償で通えるぐらい頑張ったのだから、好きな事を勉強しなさいと両親から言われた。

 正直非常に理解し難かったが、大人でないと見えないものがあるのだろう。これ以上負債を負いたくない一心で将来を決めようとしていた少女は、素直に「はい」と頷いた。


 四十年程前まで続いていた内戦期。奇特にもこの国に、難民の治療の為にと、沢山のお人好しがやって来た過去がある。国、人種、利害を超え、何物も壁としないとした医師が主に。

 少女の祖父母となる両家の夫婦も、そのお人好し達の一部であり、難民も、王国軍も、テロリストも問わず、苦しむ人々を少しでも救おうと励んでいたらしい。援助をしてくれていた現地の診療所や病院が戦いに飲まれ、終戦頃に残っていたのは、入手困難な中何とか調達した医療用具で嵩んだ、莫大な借金だけだったが。

 この親にして、この子ありと言うべきか。両親もそれぞれの親に憧れ、国には帰らず、戦いの爪痕として未だ残る、貧しい人々の為に診療所を開いて生計を立てている。少女が自分達の親の借金の為だけに生きようとしているのは、どうしても認められなかったのだろう。


 少女からすれば赤の他人より、両親の為に生きたかったのだが。他人の為ばかりに生き、疲弊していく様を見るのは、少女にとって、お世辞にも立派とは思えない。


 親子であろうと、価値観は違う。どこかズレを感じながらも、大学推薦を貰った時、両親に誉められたのは素直に嬉しかった。久々に、家族で食事に行こうと父が言い出し、車に乗り込んだ時に事は起きたのである。


 人生とは、分からない。


 ぞっとするのはここからで、どこかの廃墟に運び込まれたらしい。粗末な病院もどきの設備だけを揃えられた場所で、まさに肝臓を抜かれようとしている最中に、悪魔に目を付けられたのである。麻酔が効いて意識の無い、真っ暗な頭の中で。


 このままではお前は死ぬ。自分は悪魔だ。お前はもう長くはないが、今契約すれば、少しの間なら生きられる……。

 確か、そんな言葉がぽつぽつ脳内に響いて来て、つられるように鈍っている筈の感覚が冴え、余りの激痛に跳ね起きた。


 後はもう、ズタズタである。


 契約を結んだのだろう。そのような言葉を交わした記憶は無いし、そもそも事故直後から暫くの記憶はいい加減で、裂けた自分の腹が寂しくなっているのに気付いたのは、その廃墟にいた売人やら医者共を皆殺しにした後だった。

 取り出された肝臓はせっかちな事に、摘出されると早々にどこかへ運ばれたようで、暫く廃墟内を歩き回るも見つからず。

 見つけた所で、どうするのかという話でもあるが。また縫い合わせてしまうにも、先に解体された両親はもう空っぽで。

 頭に血が上っていた。と言うより、痛みと混乱で気が触れていたと言うべきか。目に付くものは壊してしまっていたので、売人達に話を聞く事すら出来なくなっていた。

 もしや夢かと思ったが、肝が消えた腹が、現実だと赤い涎を垂らし大口を開けて嗤っている。


 ならば、そういう事だ。


 今こうして、報復をしようと思考し、行動に至るという脳の使い方を思い出すまで、一体どれ程呆然としていただろう。


 予算が無いと一目で分かる、安っぽいスプラッタ映画、あるいはスナッフフィルムのように、切り刻まれて死んでいた親を見て、とうとう涙を流す事は無かった。


 腹が減ったと言うので、クロクスに与えてやったかもしれない。あの後何をしてどう過ごしていたのか、今も上手く思い出せない。


 気付いたら帰宅していて、真っ暗なリビングでテレビを観ていた。


 ……ああそうだ。ただでさえ追突されて死にかけた上に内臓を抜かれているんだから、私は魔法で補っても、どうせ長くない。そもそも魔法とは、人体に有害とも聞いた事がある。ああ、魔法使いになるなんて思いもしていなかったから、悪魔について図書館に行って、勉強をしなければ。


 私の肝臓は、どこに行ったのだろう? どうしてあんな目に遭ったんだろう。何故私達だったのだろう。

 ……私達? ああそうか、両親は死んだのか。いないのに慣れていた。そうだ……。死んだのだ。死んだのだ。死んだのだ。あの男達の所為で。


 あれは何だ……? あの地獄は、恣意的に産み落とされたのものなのか? あるいは何か、止むを得ない……。――いやどうかしている。あんな行為に正しさも何も無い。あれは不当だ。許されない事だ。何をぼんやりとしていたのだろう私は……。


 私の肝臓はあの場に無かった。あったのは同じく中を抜き取られ、空になった両親の死体だけ。摘出に関与し、私達をあそこへ運び込んだのだろう役目の者達は殺したが、臓器を運んだ者は野放しのままだ。移植医療の普及と共に蔓延り出したという、医療ヤクザの者だろう。両親が憂いていた……。両親。


 両親。


 いないんだな。もう。


 そうか。私が、大学推薦を取ったから。


 死なないお前達に分かるだろうか。 それはほんの半年前、なんて事の無い日曜日に起きたこの悪夢を。

 阻まれる訳にはいかないのだ。これ以上、限られた時間の中で、この憎しみを燃やし尽くすには。

 どうせすぐに死んでしまうのなら、せめてあの売人共を殺してからだ。例え不死身が相手であろうとも、格上の悪魔が付いていようとも、絶対に殺してみせる。

 でなければ自分は、一体何の為に生き長らえたのか。


「何って、そうだなァ……」


 涼しい顔でいつでも飛び出せるよう構える少女に、ブラスコは言う。


「ま。まずは君を連れて、雪村の旦那に会いに行かないとな。その依頼は引き受けられませんって」

「は?」

「ガスパールファミリーの事を今一番知ってるのはあの人だから、その臓器売買の話もちゃんと聞きたいし……」

「鉛の食らい過ぎで頭溶けましたか」


 顎に手を当て難しい顔で言うブラスコに、テニアは呆れ顔で投げ付ける。


「連れて行ったりしたら巻き込むでしょう。どー見ても礼儀のなってない感じですし」


 そうブラスコを睨みつつ言うと、少女を指差した。


「いやいやテニっちゃん。話せばこんなにいい子じゃないか。置いて行くにも大人しく留守番してくれそうなタイプじゃないし、放っておいたらどんな無茶をするか」

「安全第一ですご主人様。そんな言う程いい子でもありませんし……。――ただでさえ堅気と言うのに、レバー抜きされてる女性ですよ? んな弾丸が飛び交うようなおっさん臭い場にですね、連れ出すなんて精神が腐ります。まずは病院です。その臓器移植とやらで検査して、適合するドナーがいないか調べなくては。さっき飲んだ血、魔力が混ざっていてかなり危険でした。まずは速やかに安全確保です」

「わざわざケリ着ける為に来てるんだよ? ここは行かないと駄目でしょ」

「なァに馬鹿な事言ってんですかこれだから男は!」

「ちょっと何を言って……」


 少女の声を遮るように、一階から電話のベルがした。

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