深紅の怒り

 銀製だったか。

 テニアは苛立つ。


 今のは悪魔の弱点、銀を練り込んで作られた弾丸だったらしく、飛びかかってやろうと力んだばかりのテニアの足をつまづかせた。


 グレブの手に収まっている銃を見ると、勢澄会が標準装備しているトカレフから『灰色の幽霊グレイゴースト』――。1938年にドイツ陸軍が制式採用した自動拳銃、ワルサー P38ピーサーティーエイト に変わっている。


 早撃ちのガンマンか。スピード出世の理由は。


 我が主人の後釜に、これ以上無く相応しい才能である。


 テニアとグレブに気付いたブラスコは、死体と化したガスパールファミリーの中から起き上がった。


「!? テニっちゃ……」

「ブラスコ前だ!」


 雪村の声で、祭壇から飛びかかって来ていた影に何とか気付く。後ろへ跳ぶと、器用に長椅子の上へ着地した。


 雪村の側近達が、透かさずガスパールファミリーへ着地した影を撃つ。然し影の足元から飛び出した大蛇に、影を軸にするよう一気にとぐろを巻いて防がれた。

 その全長十三メートルにも及ぶ巨体で拵えられた肉壁にくへきは、影をガスパールファミリーごとすっぽり覆う。


「……死んだ……。全部……」


 とぐろの奥から声がした。


 テニアは怒りに燃える目で、雪村を睨み付ける。


「利用したんですね……!」

「馬鹿言うなよテニア孃」


 雪村は嗤った。


「おっかねえ顔したからなあ。ちょっと頭冷やして欲しかっただけさ。――さァ依頼だぜブラスコ! その魔法使いを捕まえろ!」

「何を勝手な……!」


 テニアが零した時、とぐろを巻いていた大蛇が、力尽きたように崩れ落ちる。中から現れた影の目が、フードの奧から雪村を刺した。


「――死なすぞジジイ」


 そう吐き捨てると、両下膊りょうかはくを晒すように袖を捲る。足元の大蛇の身体が吸い込まれ、細く白い腕は瞬く間に、黒い鱗を纏った怪物の腕へと成り果てた。

 大蛇の時と異なり、月を一切反射しない鱗は、タイヤのようにどっしりとした圧を放ち、指先には黒い鉤爪が並ぶ。影はその爪で、雪村を引き裂こうと飛び出した。


 グレブが撃つより速く、ブラスコが影へタックルを浴びせる。その小柄な見た目通りと言うべきか、影は軽々と吹き飛ばされた。


「ご主人ッ!!」


 いい加減にしろと怒鳴るテニアを余所に、勢澄会一団は出口に向かう。テニアはまた怒りが爆発するのを堪え、逃げ出そうとする雪村を追おうとした。

 だがグレブの牽制射撃を足元に受け、それに気を取られた瞬間、視界の右側が真っ黒になる。


「ッあ……!?」


 右目の奧が急激に熱くなり、思わず顔を両手で押さえた。痛みを覚えた瞬間額が冷たくなり、正体を覚ると熱くなった全身から汗が噴き出す。

 銀の弾丸を撃ち込まれた。


 指の隙間から左目でグレブを睨むと、今は左手にトカレフを構えているが、右手はジャケットの中へ潜ませている。銀の弾丸が詰まったワルサーに添えているだろう。牽制はトカレフで行い、攻撃は銀の弾が入ったワルサーで撃ち分けたのだ。

 つくりにもよるが銀の弾丸とは、一発で悪魔を死に至らしめる程の威力は無い。だが悪魔の持つ魔力――即ち、それを元に作られた魔法諸共、無効化してしまう力を持つ。故に、例え不死の力を持っていようと、銀の前では殺されてしまう。


 ワルサーの装弾数は八発。今使ったのは二発目。残り六。

 全てを浴びれば流石に危ない。片目を失った状態で、被弾せずにあのグレブを躱し、雪村を拘束出来るか。


「さてそれを、ブラスコが許すか」


 テニアの頭を見透かすように、雪村は笑う。

 既に彼らは、テニアより出口に近い位置に動いていた。


「…………」


 長椅子の群れを挟んだ先、中央の通路で答えないテニアに銃も向けず、雪村は悠々と続ける。


「馬鹿なこたァ考えるなよテニア孃。ブラスコは俺の期待を裏切らねえ。今の相棒がお前だったとしてもだ……」


 雪村への警戒は解かず、テニアはブラスコの方を一瞥した。上手く影の気を引き付けたようで、祭壇の辺りで暴れ回っている。テニアが血を貰っている分、魔法を強化されているブラスコに戸惑っているのか、前日より影の動きが鈍り、その隙を突くようにブラスコが圧倒していた。

 然し気が立っている所為だろうか。雪村が側にいる手前無茶は出来ないと、影の攻撃を躱したりと牽制が主で、巻き込まないよう攻撃には出たがらないような動きに見えた。

 魔法使い同士、及び悪魔との戦いでなら、敗北や絶命をしようと、不死である限り戦闘不能にはならない。『永劫の悪魔』と呼ばれる由縁、彼女テニアの強みである。銀を持ち出されない限り、放っておいて問題は無い。腹を裂かれようと、さっさと突っ込んで黙らせればいいものを。


 だがブラスコにとって雪村とは、家族のような存在だ。組を離れようと、その思いは変わらない。彼の期待には必ず応えようとし、裏切りなど有り得ない。

 アルヴァジーレに集うならず者達が生まれるきっかけとなった、四十年程前まで続いていた内戦。その爪痕として放り出された自分を拾い上げ、ガスパールファミリーとの最初の抗争で死にかけるまで面倒を見てくれたのだ。その恩義には、どんな手を使ってでも報いなければならないと。

 テニアには理解し難く、露骨に表に出す事は無かったが、常に齟齬そごを感じていた。

 ギャングだ、マフィアだ、幾ら呼び方を変えようと、所詮は成り上がりを目的としたチンピラ集団。手に入れやすく、忠実になるよう躾やすい孤児や若者を、鉄砲玉として集めたに過ぎないのではと。長命の彼女にとってそれは、余りにも見慣れ過ぎた話だった。

 非力なくせに純粋な子供や青年とは、最も世の理不尽を被る者である。恩を受けたと思い込まされたその正体は、決して美しいものではないと。今こうして、利用されているように。

 だがそれでもブラスコにとって、雪村とは掛け替えの無い存在で。

 かつて自分にもいた、そう呼べた相手を失ったテニアは、分かっていれど選べなかった。誰かの愛する者を奪うなど。


 その躊躇ためらいを突くように、教会の入り口に、十数名の勢澄会組員が押し寄せる。


 テニアはそこで、外から聞こえていた銃声が、それまで鳴り止んでいなかった事に気付いた。


 大蛇が消えたのに、まだ撃っていた理由とは?

 今更そんなもの、火を見るより明らかだ。


「ボス! こちらに!」


 押し寄せた組員らが、テニア達に銃を向け牽制しつつ、外の車へと護衛する。


「あァ。ご苦労さん」


 とっくに銃をしまっていた雪村は、ゆったりと応じると歩き出した。


「立て込んでるみてえだからなあ。またブラスコに宜しく言っといてくれ。礼はたんまり弾むってよ」


 テニアはもう躊躇うのも面倒だと、その怒りに任せ、雪村へ踏み出す。

 その時背後から、両断された長椅子が飛び、テニアの両脇に落下した。衝撃と吹き上がった埃に、テニアは思わず両腕をかざす。


「!?」


 続いて祭壇から吹き飛ばされた影が、教会の入口へ向いていた彼女の背後で、背を向けるよう前屈姿勢で着地した。


 まだ邪魔をするのか。

 テニアは最早、反射のように影へ振り返りつつ床を蹴る。


 ほぼ着地の瞬間を狙われた影は、左側頭部に飛んできた、テニアの回し蹴りを強かに浴びた。

 ぱん、と乾いた音が鳴り、テニアがすぐ後ろにいた事に気付かなかった影は、体勢が崩れ頭から床に向かう。

 が、咄嗟に身体の前方に右手を着いた。続いて着いた右膝も軸に、コンパスのように身体を回転させテニアに向かい合う。軸にしていた右半身から左半身へ体重が移動すると、右半身をバネにしてテニアに飛びかかった。


 祭壇から追撃に駆け出していたブラスコが迫って来ているのは分かりながら、テニアは面倒だと影へ踏み出す。


 手を開いた影の左腕が、鉤爪を突き出した。

 テニアは顔へ飛んできた左手を、首を曲げるという最小限の動きで躱す。


 頬を突風のような圧が過ぎ、頭の動きに遅れて動いた髪が、ざんっと鉤爪に掠れ幾らか切れる。

 それに更に苛立ちを覚えながらも、影が引き引き戻そうとした左腕を、肘部分を掴んで引き寄せた。


 仰け反るように引っ張られた影は、刀にした右手をテニアに突き出す。

 テニアはそれを止める事はせず、空いていた手を影の腰に回す。


 影の手刀がテニアの腹を貫いたのと、テニアが影を抱き寄せたのは同時だった。


 テニアの腹と口から、血が噴き出す。


 そんなもので殺せるとでも思っているのか。この忌まわしき通り名、『永劫の悪魔』を。


 怒りと苛立ちと屈辱に、燃える悪魔は嘲笑う。


「――はしゃぐなよ劣等種」


 フードの奥も確かめず、白い喉に噛み付いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る