第七章
ドライアイス
ガスパールファミリーが死んだ教会から、ほんの数キロ先に、あの難民向けの住居群がある。
その中にある廃墟の一室で、ふと床が変色した。
冷たいコンクリートの床が、泥のような粘性を持つ黒を纏い、波紋を描いて揺れる。
するとそこから、人の腕が突き出した。両腕は穴から這い出すように床を掴むと、ずるっとその身体を持ち上げる。
「ぶはあ!? 気持ち悪ッ!?」
青い顔で飛び出したテニアに背を向け、同じようにブラスコも床から現れた。
「いやあ便利と言うか何と言うか……」
ブラスコも気分が優れない様子で、床から這い上がると息を吐く。
二人が出て来た場所から離れると、最後に少女が飛び出し、軽やかに着地した。
波紋を描いていた黒は、干上がるように縮んで消え、本来の材質らしい、コンクリートのグレーに落ち着く。大蛇が庭園から教会内に移動した際に使ったのと、同じ魔法だ。
そもそも
この魔法を改良したようなものが、黒い魔法使いと呼ばれていた少女が使う魔法である。
大蛇と少女は、互いの影がトンネルのように繋がっており、少女も身を潜められる物陰になっている。大蛇は影の中を自由に行き来出来、少女も影を伝って、移動をする事が可能なのだ。
先程庭園から教会内へと一瞬で移動したように見えたのも、影に潜った大蛇がその内部を高速で這ったに過ぎず、テニアの目の前で現れ、入れ替わるように少女が現れたのも、大蛇と共に影を移動して来た少女が、その場で入れ替わったというだけ。
瞬間移動をしていたのではなく、見えない道を使われていただけだった。
「器用な事で」
その魔法に便乗し、影の中を走り抜けて来たテニアは言う。
「ちまちました事させたら、上位だろうと下位には敵いませんからね」
機嫌は全くよくないが。
影の中は非常に酔うらしく、ブラスコが青くなっているのもその所為だ。
この魔法を編み出した本人である少女は、慣れているのか涼しい顔だが。
息が上がっている便利屋に対し、彼らを真っ暗な影の中先導しなければならない為、滑る大蛇に乗っかっていただけの少女は、移動に関しては何ら疲れていない。
少女からすれば可愛い相棒に便利屋など乗せたくもないし、テニアとしても人をバクバク丸飲みにしていたらしい大蛇に乗るのも、気味が悪過ぎてお断りだったので構わないのだが。
ブラスコは楽ちんならと同乗を申し出ようとしたが、テニアに尻への膝蹴りを浴び辞退している。
「……まあ、逃がして貰ったのは感謝ですけれど。ここがさっき言っていた仮住まいですか。スッカラカンなお宅ですが」
テニアは吐き気を堪えようと、唾を飲み込みながら辺りを見渡す。
あの三階建ての統一されたつくりで、三人は二階に着いたようだ。
閉め切られた雨戸の隙間から漏れる月明かりで、そこに窓があると分かるものの、安易に開けるのはよくないとテニアは堪える。今外は大騒ぎの筈だ。
「寝るだけですから」
少女は素っ気なく返すと、被っていたパーカーのフードを下ろす。
標準語に寄せてはいるが、どこか訛を感じる調子だった。
あの禍々しい両手は、教会から逃げる為大蛇を呼び出す際、人間のそれに戻っている。その腕が変質した瞬間を逆再生するように、腕からあの大蛇が飛び出して。
自由な影の中の移動。悪魔そのものの姿の変質。そして悪魔を、鎧のように纏う魔法。
一見
流石に移動の際は、その仕組みについて最小限の説明を受けたが、他の事については何ら聞いていない。例えば、既存の魔法をネタに、悪魔ではなく契約相手である少女自身が、望んだような形に魔法を変質させるなど。
悪魔と契約し、魔法を使えるようになったとしても、どんな魔法を扱えるかは、契約を結ぶ悪魔の性質次第だ。ただ血と引き換えに力を与えられるだけの存在が、悪魔のように魔力を魔法へとデザインするなど、本来不可能な筈なのに。
ブラスコが今朝言っていた尾とは、この事だろうか。
テニアは少女を見ながら、思案を巡らせると口を開く。
「……あの、あなた」
「何で邪魔したんですか」
テニアを遮るような形になって、少女は二人に凄む。
無機質な印象だった表情が、僅かに不快感で歪んだ。
「さっきと言い昨日と言い。あなた達、あの白髪のジジイの仲間みたいでしたけれど」
ブラスコは緊張を感じさせない、軽薄な笑みで返す。
「……もしそうだったら、どうするんだい?」
「殺します」
少女は即答した。
「昨日は何者か分からなかったから深追いしなかった……。でも、ヤクザの仲間だというのなら話は別です。そんな輩に助けられたなんて、一生の恥だ……!」
ブラスコの隣に立つテニアは、今にも飛び出そうと爪先へ力を込める少女に構える。
それをテニアの前へ腕を翳し、ブラスコが止めた。
「やめた方がいいと思うなあ。さっき戦って分かってるとは思うけれど、俺、死なないよ?」
苦笑するブラスコは、確かに血で汚れてはいたが無傷だった。
テニアが強化してくれた不死の魔法で、傷を負った直後から回復が始まるようになっていたからである。
少女はそれでも、躊躇い無く返した。
「そいつを殺せば死にます」
冷たい怒りに燃える目は、真っ直ぐテニアを捉えている。
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