悪のメソッド

木元宗

第一章

ハゲと馬鹿と私

 埃っぽく淀んだ闇の中、より濃い黒をした影が二つ。


 どうやら人。二人の男が、何やら張り詰めた空気を纏い、向かい合わせに立っていた。


「……だから、てめえの店にこいつを置いてくれりゃあいいって言ってるだけだろ?」


 まだ二十代と言った所か。青さの残る、無礼な調子の声が言う。


 彼と向かい合う、四十中頃の男は狼狽えた。


「な、何度呼び出されても、お断りだ。うちはそんな事絶対しない……!」


 振り絞られた、勇気が乗る声。


 自分の半分程度しか生きていないだろう、険があるだけの若造に、芯から怯えていると同時に分かる。


「あぁ? 何言ってんだお前?」


 若造の声が尖った。


 男はもうそれだけで、恐怖を露わにしてしまう。


「そ、それは、そちらの都合だろう? 私達はただ、静かに店をやっていきたいだけで……」

「ガタガタ言ってっとてめえの腹も裂けるぜ。それとも何だァ? 場合によっちゃあ、てめえも売り物に……」

「ヘイヘイヘイヘーイ! バッドボーイズ! おいたはそこまでってえもんですよォ!」


 バンッと、扉を開けるような大きな音と、場違いな少女の声が闇に刺さった。


 そこから差し込まれた月明かりに、闇に目が慣れていた男達は顔を顰める。


 遠くで開け放たれた、両開きの鉄扉の先には、細身のシルエットが一つあった。


 黒いハイヒール、黒いタイツに、黒いミディアム丈フレアスカートと、ストライプの入ったグレーのブラウスをかっちり着込んだその様は、高い声音に反し落ち着いていて女性的。然しその上にちょこんと乗っている顔は、矢張り十半ばの少女で、胸まで伸ばした黒髪を、右肩に回して垂らしていた。


 髪をなびかせ少女は颯爽と、捨て置かれた倉庫の奥へ歩き出す。


「みかじめ料を払いたくないと言った自称縄張り内(笑)の商人様方から、無理矢理にでも脅して金をぶん取ろうと派遣された末端の末端さんとはお兄さんでありますねあー小物臭が止まらねえ!」

「……何だあてめえ?」


 月光に照らされ、微かにその姿を晒した若造が凄む。


 スキンヘッドの、人相の悪い男だった。よれたジーンズやTシャツが、いかにもチンピラと言うべきか、少女に言わせれば小物に映る。


 若造は、隣に立っていた影を睨んだ。


「おいオッサン。どういうこったよ。誰にも喋らねえで一人で来いって言ったよなあ!?」


 バーテンらしい身形をした金髪の男性は、気弱そうなその顔を更に歪める。


「い、いや、知らない。私は、彼女なんて……」

「心配ご無用ですよおじさま」


 戸惑うバーテンに、少女はにっこりと微笑んだ。


「はじめまして。我々あなたとは全くの無関係でありまして、後でお金をせびろうとも企んでおりません。たまたま我々の依頼主が、そちらの粗野ながわに用があったというだけであり、申し訳ありませんが尾行をさせて貰いました」


 女一人、まして子供が、一体何の冗談か。


 そう少女を嘲ろうと、スキンヘッドは口を挟む。


「へっ。ガキが何を偉そうに……」

「近頃この辺りで好き勝手やり始めた、トニス・ダウアというのはあなた方ですね? こちらはみかじめをやっていなければ、クスリの売買もやっておりません清潔な土地ですので、そのような方法で商売を始めるおつもりならば、即刻立ち去りを求めますとボスにお伝え下さい」


 少女の挑発的な口調にキレかけたスキンヘッドは、然しそのタイミングを逃す。


 普通の十代の少女からは、絶対に発せられないであろう言葉の数々に息を飲んだ。


 トニス・ダウア。最近この街に進出してきた、所謂ギャングである。


 乗り込んで来たと言えば聞こえはいいが、その実情はかつての縄張りを追われ、新たな寝床を得ようと転がり込んで来た。この、警察の目が異常に甘いという街に。

 実際この街の盛り場には違法カジノといった、ギャングの資金源となっているだろう店が多く並び、特にここの高級クラブの裏には、相当不穏なバックを感じる。


 然し下っ端とは言え、トニス・ダウアというギャングであるスキンヘッドは、この程度で怯む程には落ちぶれていなかった。


「ヘッ……何だサツの真似事かァ? 幾ら自由な街だからって、冗談が過ぎると笑えねえぞ! ――おい!」


 スキンヘッドは後ろに目をやると、顎で少女の方を示す。


 ぞろぞろと出て来るのは、スキンヘッドと同じぐらいくたびれた、五人のチンピラ風の若造達。

 纏う空気は瑞々しさとは程遠く、ギラついた目は危険人物と一目で分かった。中には、鉄パイプや角材を持っている者までいる。


 スキンヘッドの様子を窺うように足を止めていた少女は、怯えない所か豪胆にも、冷めた目を投げると呟いた。


「……何だマジで下っ端って感じじゃないですか。拠点まで泳がせた方がよかったんですかね……」

「ブツブツ言ってんじゃねえ! 何者か知らねえが……。タダで帰れるなんざ思うなよ!」


 その怒声を合図に、スキンヘッドの背後に控えていた男達が走り出す。


「うげ。仮にもレディに五人がかりって……。――呆れますよねえご主人!」


 まあ予想の範囲内だと言うように、すっかり離れていた鉄扉の向こうへ、少女は自信満々に振り向いた。


 まさかこんな所に、本当に一人では来ていないだろうと読んでいたスキンヘッドの手下達も、警戒をしつつ加速する。


 ……が、まさにそれらしいタイミングだと言うのに、特に誰が現れる気配は無し。


 真っ青になったのは少女の方だった。


 リサイクル業に使われていたのだろうか。トラックでも出入り出来る程、大きな扉に高い天井。がらんとした内部は、寂れと埃で満ちている。そんなありがちな広い倉庫に、ぽつりと一人。敵は悪漢が六人も。


 無論チンピラ六人程度、処理出来る手段を有しているからこその突入であったが、どうやらその手……。『ご主人』とやらが予定通り現れてくれなかったらしい今現在、少女に適切な言葉は一つ。


 大ピンチ。


 顔面蒼白の冷や汗ダクダクで、鉄扉に向かい少女は叫ぶ。


「いやちょっと何してんですかァ! 話が違うじゃないですか私今マジの丸腰っ……――うおいっ!! このハゲ!! 私が死んだらどうなるか分かってんでしょうねこの」


 もう『ご主人』には期待出来ないと踏んだのか、スキンヘッドに向かって脅しにもなっていない暴言を吐いた時だった。


「ハッハァ! 待たせたなあ相棒!」


 鉄扉からではないが、倉庫に男の声が響く。

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