帰ろうか。
「スーリア。それじゃあ、お休み」
先生はそう言って部屋を出て行った。
この部屋は寒い。吐く息が白く空気に滲む。手足は凍えそう。小刻みに震えている。
だけど、だれも暖房をつけようとしない。いや、暖房さえないのだ。それに、ここには独りだけ。自分で自分の体を温めようにも、手足が拘束されている。
どうしてこんなことになったのか。どうしてここにいるのか。
寒さで働かない頭で、色んな疑問が浮かんでは、解決されないまま消えて行く。
__あたしは一生ここに居るのかな?寒い。寒いよ!
星に照らされた雪景色が光る。まぶたが重くなってきた。
「スーリア!」
聞き覚えのある声。これは幼き日、スーリアを呼んだあにさまの声。
__あたし、走馬灯でも見てるのかな?
「スーリア!起きるんだ!」
眼を覚ますと、そこにはゼロがいた。
「あにさま!」
「良かった。まだ小生のことが分かるんだね」
「あにさま、どうしてここに?あたしは幻でも見てるの?」
「幻ではないよ」
「そうだ、ここは確か、あにさまが昔入ってた牢屋だから、あにさまの幻が見えるんだ」
「スーリア!」
ゼロはスーリアを抱きしめた。
「あにさま、本物?」
「ああ、そうだよ。もう大丈夫だ。スーリア、Aガーデンへ帰ろうか」
「あにさま」
スーリアは、緊張の糸が切れ、涙を流した。
「応答願います。応答願います。こちら救助隊。スーリアを保護しました」
ゼロの後ろから黒ずくめのスーツの人物が数人やってきた。
携帯電話らしきもので、連絡を取っている。
「了解。これから作戦bに入ります」
すると、スーリアを抱いたゼロとスーツの人物の周りに虹色の囲いができた。
「これから、一気に飛ぶよ」
というゼロの声が途切れる。
「待て!」
その声が聞こえると、虹色の囲いは消え去った。
「待つんだ。今、魔法を使ってAガーデンまで行こうとしていたな。やめてくれ。スーリアを置いて行くんだ」
先生だった。
看守を引き連れ、息を切らしている。
「先生!」
スーリアは、先生に駆け寄ろうとした。
「いけないよ。スーリア」
ゼロが抱き留める。
先生は手を伸ばす。
「いいんだ。スーリア、こっちにおいで」
スーリアは先生の元へ行きたかった。
「君に、スーリアは渡さないよ」
ゼロはスーリアをきつく抱きしめる。
「矢島くん。君は、もう、スーリアに触れてはいけない」
先生はゼロに近付いた。
「何故だ。スーリアは僕の恋人なんだ。一緒にいるべきなんだよ」
「近付かないで。君はもう分かっているはずだ。もう、君にはスーリアの恋人になることはできない」
スーリアは、ゼロの腕の中を抜け出そうとする。
「あにさま、あたしは帰れないの。先生とここで暮らすの。ごめんなさい」
ゼロはスーリアを抱き留める腕に力を入れる。
「矢島くん、スーリアの暗示を解いてやってくれないか」
「そんなことできるか!暗示なんてそんな訳の分からないもの、かけていないんだから、解くこともできないよ」
「あにさま、あたしは自分の意思でここに来たの。何も心配しないで。ここで、先生と仲良くやっていくから」
「スーリア」
ゼロは、スーリアの額を撫でる。
「仲良くやってはいけないよ。君は矢島くんに、こんな所に閉じ込められたじゃないか。仲良くやっていけたとしても、それは表面だけ。スーリアは、矢島くんの虜になってしまうだけなんだ」
スーリアはハッとした。
__そうだ。あたしは、本当はここに来ることも、先生に言われるがままなことも、疑問に思ってた。あたしは、この今を望んでなかった。
「やめろ。ルドラ・シヴァ・ゼロ。スーリアに触れるんじゃない」
先生は、看守の腰から短剣を奪った。
「スーリアを返すんだ」
「本性を現したね。君はそういう人だよ。オモチャを奪われると力づくで取り戻そうとする。子供だ」
ゼロのその言葉で、逆上した先生は、短剣を振り回す。
それを黒ずくめのスーツの人物たちが守る。
「矢島さん、やめてください。国際問題になりますよ」
看守が言う。
「うるさい!スーリアはなんとしても取り戻さなければならないんだ」
スーリアは先生が言っていることが分かった。
___
先生は、試験管ベイビー。
Aガーデンの研究機関で、東照機国出身の両親からなる受精卵からDNA操作をされて産まれた子供だった。
戸籍上の両親に期待されて育ち、小、中、高、大学とトップの成績で卒業した。小学校の自由研究で、試験管の仕組みについて調べ、文部科学大臣賞ももらっている。順風満帆に見える人生だが、先生は気づいていた。
自分は両親に、理想の子供を演じる機械としか見られていないこと。
試験管ベイビーでデザイナーベイビーが、この時代で一個人として生きるのは難しいこと。
所詮、自分は金で買われた人形にすぎないという、現実があった。
だから、人形も人間として生きれる世の中にしなければいけない。
物扱いされるのは、もう、ご免だ。
だから、スーリアが必要だった。
自分と同じ試験管ベイビーで、世の中に一番物扱いされている可哀想な人形。
彼女を手に入れて、試験管ベイビーは人間だと証明するのだ。
___
先生は、悲しい人。いつも孤独だったと、話してくれた。
「あにさま、あたしを離して。あたしは先生と、話をしなければならないの」
スーリアはゼロの腕の中から抜け出した。
「そうだよ。そいつらと一緒にいたら、君は幸せにはなれない。僕の元へ来るんだ」
先生は両腕を広げた。
スーリアは、先生に真正面から向き合う。
抱き寄せようとする先生だが、スーリアは右の手のひらを思いっきり振った。
バシッ。
先生の頬をめがけて、スーリアは平手打ちしたのだ。
「な、何をするんだい?スーリア」
状況がのみこめない先生は、行き場を失った両腕で自分の頭を抱えた。
「先生、あたしに何をしてくれたの?サイッテーだよ」
思い返せば、先生に会うとおかしなことばかりだった。
先生の言うことは絶対だった。
先生はとても魅力的で、会った瞬間から別れるまで、ずっとゾッコンになった。
大好きだった。
おかしいのだ。
病院のあのカウンセリング室に入ると、頭がぼーっとしてしまう。先生の入れる紅茶を飲めば、先生で心の中がいっぱいになる。
こんなことは、学校や歌っている時になかったことで。
スーリアは普通の状態ではなかったのだ。
「矢島さん、暗示が解けています」
看守は言った。
「そんなはずはない。ありえないことが起こっている」
慌てる先生。
「ヤジマくん。スーリアは、もう、君の傀儡ではないよ」
ゼロが言った。
「お前か!お前が僕とスーリアを引き裂くのか!」
荒ぶる先生を止める看守たち。
「これ以上は、国際問題になります」
「離してくれ。スーリアをAガーデンの連中に渡してはいけない!彼女が不幸になってしまう!」
暴れる先生を置き去りにして、スーリアはゼロ達と共に牢屋を出て行く。
「スーリア!待ってくれ。僕を置いていかないでくれ!」
「先生…」
スーリアは名残惜しそうに振り向く。
「スーリア。君はAガーデンの、この世界の、オモチャの人形も同じなんだ。この世界に昔存在した、ロボットという機械と同じなんだよ。人間にただ、便利に使い古されるだけの存在なんだよ。僕もそうなんだ。便利でなければ生きていてはいけないと言われるんだ。君は戻るのか、そんな場所に?心なんて無視される場所に!僕と一緒に居るべきなんだ、君は」
先生の血走った瞳を見つめて言う。
「今までありがとう、先生。初めての東照機国、楽しかった。先生と一緒の時、あたしはいつもドキドキしてたよ。先生は気づいてた?」
スーリアは、寂しげに笑う。
「ああ、もちろんだとも。僕も君と一緒に居る時、胸が高鳴った。君と一緒の未来が、輝いて見えたよ。だから、君は僕と居るべきなんだ」
「ごめんね。それはできないんだ」
「スーリア!君が今、僕の元を去っても、君の心に僕は根付いている!君は僕から離れられないはずだ」
「バイバイ、先生」
牢屋の扉が閉まる。
___
「スーリア、泣いているの?」
雪がしんしんと降る帰り道。ゼロは言った。
「あたし、悲しいのかな?自分の感情の感覚が掴めなくて」
スーリアは自分の目を擦ると、生温かい水が手の甲を流れる。
「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
ゼロは無表情で、スーリアの肩を抱いた。
「ルドラ・シヴァ・ゼロ。帰りに魔法が使えないのは何故だ」
黒いスーツの人物が言う。
「封印が解けたってことさ」
「ん?それはどういう…」
「いや、スーリアの心の整理のためにも、ゆっくり帰った方が良いと思ってね」
「そうか」
それから、東照機国のAガーデン大使館に連絡し、資金を得て、スーリアが渡航したのと同じ順路で、一行はAガーデンへと帰った。
___
帰り着くと、大きな問題が待っていた。
芸能人であるスーリアが、観衆を無視して、一人の男と逃避行したと、世間ではバッシングの嵐で。
週刊誌は、シンとヤジマ・チャンドラとの二股疑惑を掻き立て。
テレビでは、国家プロジェクトの被験者が他国に身売りしたなどと、濡れ衣を着せられた。
国家レベルで内密に運んでいたはずの、スーリア奪還作戦は、いつの間にやら世間の知れるところとなっていた。
「スーリア!」
「スーリア!」
「スーリア!」
一人、自分の部屋に閉じこもるスーリア。外の世界では、皆、口々にスーリアの名を呼ぶ。
__あたし、これからどうすればいいの?
ヤジマがコードを切り落とした監視カメラの残骸の中、カーテンも閉め切り、布団に包まって、自分を守る。
__ヤジマ先生。こんなことになっても、あたしの話を聞いてはくれないし、あたしを守ってはくれないんだ。
それは当たり前だ。
ヤジマは、スーリアを利用しようとしていただけに過ぎないのだ。
もう、スーリアが伸ばした手を、ヤジマは掴まない。
遠い東照機国で、スーリアの現状など知らずに過ごしているのだろう。
「おい。スーリア」
ふと視界に入ってきたのは、シンだ。
「ど、どうしたの?シン」
「どうしたじゃないぜ。学校行かんの?」
何の前触れもなく、何の脈絡もなく、シンがそこにいる。
勝手知ったる他人の家といった感じで、シンはスーリアの部屋のダイニングキッチンに立つ。
冷蔵庫を開けると、手慣れた様子で朝食らしきものを作る。
「行かんよ。学校。行けるわけないでしょ。あたしが!」
訳もわからず再び布団を被る。灰色になった視界。
__そう言えば、何でシンがここにいるんだろう。あたし、あんまり一人でいすぎて、幻を見てる訳じゃないよね?
「ねえシン、何でここにいるの?」
「ん?心配だから来てみた。お前、何も食ってねーんじゃねーの」
返事がある。幻にしては良く出来ている。
「ほら、鶏肉と野菜のサラダとトーストと牛乳。食べい!」
シンのその声で、布団から抜け出す。
椅子に座ると、目の前にはシンが言った通りのメニューが置かれていた。
「シン、あんたって料理できるんだね。感心」
「料理ってほどのもんでもねーよ。オレ、自炊してるからな」
サラダを口に運ぶ。
味がした。コブサラダのドレッシング。食感はシャキシャキしている。本物だ。
幻ではない。
「シ、シン。美味しいコレ。久々にまともに食べた気がする。コレ作るためにわざわざ来てくれたの?」
「あー、まあ、そんな感じ」
シンは学校で友人たちを持て余していた。
ヨシコには体当たりされ、ケイティには四六時中くっつかれ、あげく、鉢合わせしたヨシコとケイティが乱闘の騒ぎを起こしていた。
ツッコミ役で事態を鎮静化することができるスーリアに、早く学校に来て欲しいと思っているのだ。
「ねえ、何度も聞いちゃうけど、何でここにいるの?」
「あ?それは、前にスーリアの家に魔法で送ってきたことあったじゃん。それ覚えてて、来てみた」
「だからって中に入れるのは何で?」
「いや、それも魔法で、中に通じるようにしたからであり…」
「んん?てことは…」
「てことはだな」
「てことは、不法侵入ってことじゃない!」
「あちゃーバレたかー」
「あちゃーバレたかーじゃない!この不法侵入者!」
「オレ、お前の朝食作ったじゃん」
「だからって、勝手に入って良いって言うんなら、警察はいらない!」
「ごめんて」
「早よ出てけ!」
スーリアは、シンを玄関に押し出す。
「とりま待てよ。一つ聞きたいことがあるんだけど」
「話をそらして、長居しようって気?」
「違うって。一つだけ聞いたら行くから」
「何よ」
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