先生、あのね。
その日、スーリアは、制服のままある場所へと向かった。
「先生、あのね、今日、不思議なことがあったの」
椅子に腰掛け、チェック柄の制服スカートに二つのゲンコツを置いて、真剣な顔でスーリアは話した。
「スーリア、君の大切なお兄さんと、初めて会ったはずのクラスメイトが同じ匂いがしたんだね。それは不思議なことがあったもんだ。君は、鼻がいいんだね」
そうスーリアの話を聞くのは、白衣を着た眼鏡の男性。年の頃二十代後半といったかんじで、優しい雰囲気の、赤茶けた髪色をした男性だ。
「先生どう思う?スーは、あにさまとあいつ…あのシンって奴、全然似てないから他人の空似みたいな…なんていうか、他人の空匂いみたいな感じだと思うの」
「他人の空匂い。スーリアは面白いこと言うね」
笑う男性。男性は、その大きな手でスーリアの頭を撫でた。
この場所は、Aガーデン国立病院の一つ、ガーネシア病院の一室。精神科のカウンセリング室にスーリアとその男性はいた。精神科のカウンセリング室と言っても、その雰囲気は家庭的なものだ。
南向きの窓からさす日の光が優しく、スーリアに用意された紅茶も温かく、ティーカップにフルーティーな香りが漂っている。
スーリアの目前のこの男性は、スーリアを担当する精神科医であり、カウンセラーだ。
名前を、ヤジマ・チャンドラという。スーリアは、彼を先生と呼び慕っている。
「君の名前、とてもいいね。スーリアは、太陽。チャンドラは、月。僕と君は仲良くなれそうな気がするんだ。この、太陽と月の間を取りもつ星で出逢えたからね」
初めて出会ったのは、どのくらい前だっただろう。初対面のスーリアに、先生は暖かい眼差しでそう言った。
その時からスーリアは、先生に首ったけになってしまった。あにさまでもなく、スーリアの観客でもない、初めて出会った男性だった。
「僕は、君の主治医だけど、医者と患者っていう関係では終わりたくないんだ。君のお兄さんになれなくても、僕は、君の家族に近い存在になりたいと考えているよ」
先生は、いつもスーリアに温かい場所をくれる。スーリアは、先生に医者と患者以上の感情を抱いているのだ。
「先生、あのね。スーリアは、先生のこと…」
いつもその先を心の中で唱える。
――スーは、先生のこと…あたしは、先生のこと…
でも、口に出しては、言えない。とても恥ずかしくって。
「スーリア、新しい高校でうまくやっていけそうかい?」
そう言いながら紅茶を飲む先生の口元に、目がいく。
――先生と…スーは、先生と…恥ずかしい!
「どうしたんだい?顔が赤いよ」
先生に見抜かれてる!
スーリアは、慌てて両手で顔を覆った。
「可愛いね。スーリア」
先生は、そう言ってスーリアの両手に触れた。
「!?」
スーリアの両手は震えていた。
――今、顔を見られたら、先生のことが好きだってバレちゃうじゃない!
「あら、スーリア。来てたの」
不意に聞こえる声。
――た、助け舟だ。
スーリアの顔から、スッと赤みが抜けた。カウンセリング室に入り、先生にカルテらしきものを渡す声の主。
「葉月さん」
「スーリア、また転校したんだって?もう、学校なんて行かなくてもいいじゃない。懲りたでしょう?」
スーリアに葉月と呼ばれたのは、ナース姿の三つ編みおさげ姿の人だ。
「ヤジマ先生、長ったらしくスーリアと話こまないで。次の患者さんがお待ちよ。私、業を煮やして入っちゃったわ」
葉月は、そう言って先生に視線を合わせる。
「葉月さん、今日もナース姿なんだね。あなたはナースじゃないし、研究者なんだから白衣を着ればいいのに」
そう言う先生。
「いいじゃない。私、この格好似合ってんのよ。自分がして一番カワイイ格好は、自分で分かっているわ。あんた達もカワイイって思うでしょ?」
葉月は、先生とスーリアにウインクして見せる。
「うーん、葉月さん。いつも思うんだけど…あたしが言うのもなんだけど、ナルシストね。そろそろ自分の性別を統一しないの?」
スーリアは呆れて、葉月のナース服に触れた。
「あら、スーリア。性別のことは、そんなに軽々しく言うものじゃなくてよ。私に性別が無いことは、トップシークレットでしょう?」
葉月はそう言いいながら、服の裾を掴むスーリアの手をスイッと払いのける。スーリアは何も言えなくなった。
この人、葉月は、スーリアと同じカンダタという生殖技術科学者が作り出したセカンドクラスの一人。産科医療のスペシャリスト、カンダタが二十数年ほど前に作り出した、性別を持たない、初めての人間だ。
葉月は、カンダタを父とし、その背中を追い、医療技術の世界に研究者として飛び込んだ。
頭脳明晰、容姿端麗。性別が分からないのは置いといて、完璧すぎるステキ超人だ。
葉月が、研究者になる以前の青春時代の一時期グレてしまい、世界の戦場で「死神」と呼ばれる戦士だったことを知る人は、数少ない。
「うふふ。スーリアったら深刻な顔して。私のトラウマに触れたと思ってるんでしょう?いいのよ。気にしないで」
葉月はそう言いながら、スーリアの背中を撫でた。
「さぁ、スーリア。先生との時間はおしまい。私と研究棟行きましょ。カンダタがお待ちよ」
スーリアは、葉月に背を押され立ち上がった。先生に目を配らせると、先生は笑顔でこちらに手を振っている。
――はぁ。先生とのスウィートな時間は、もう終わりかぁ。
スーリアはため息をつき、葉月に手を引かれるがまま精神科を後にした。
「スーリア何よ。先生のこと、そんなに名残惜しいの?また会えるじゃない。次回のカウンセリング予約、入れてきたでしょ」
「うん」
ガーネシア病院の研究棟に向かう道すがら、スーリアと葉月は他愛のない話しに花を咲かせた。
「スーリア、さっきも言ったけど、学校なんて行かなくていいのよ。疲れない?自分と合わないって思ったりしちゃうんだったら、無理をすることはないわ」
「葉月さん」
――この人は、学校に絶対行くものだとは思ってない。自身が、学校に行くのを途中で辞めたことがある人だし…かな?
「葉月さん、学校で友達いた?」
「そうね。ほんの少しなら、いたわ」
「へぇ!葉月さん、孤高の人って感じなのに」
「まぁ!私だっていたわよ。人なんて溢れるほどいるんだから、一人や二人くらいは気の合う人、いるわよ」
外来のある病院一階から、エレベーターに乗る。上がって行くエレベーターのガラスの窓の外には、コンクリートの灰色の世界が広がっていた。
「あたし、新しい高校で友達できるか不安で」
「そう。スーリアは、真面目ね。わざわざ不安になる所に行こうとしてるのね」
「だって!あたしだって、普通に女子高生やりたいもん。友達欲しいし」
「そうね〜」
「葉月さん、ちゃんと聞いてる?あたし、真面目に悩んでるの」
「そうね〜」
「もーう、葉月さん」
ポカポカと葉月を殴るスーリア。
「あらもう、痛いわよ。ちゃんと聞いてるわ。友達が欲しい時代って誰にでもあるものね」
「時代?あたし、ぼっちはイヤなの」
「ふぅん。学校じゃなきゃ友達できないとは、私は思わないけど」
ギクッとなるスーリア。
そう言えば、スーリアの周りには、観客とスタッフと、ちょっとだけ先生とあにさまと、葉月さんと、恐る恐るだけど行くしかない学校のクラスメイトしか、いないな。
「スーリアにちょっと朗報があるわよ」
「え?」
「ゼロ…てか、あなたのあにさま、近いうちにAガーデンに来るらしいわよ」
「え、マジで!?」
スーリアは飛び上がった。
「え、あにさまがスーに会いに来てくれるの!?」
「あなたに会いにかは分からないけど」
「え、え、嬉しい!」
「いや、あなたに会いにかは分からないけど」
「どうしよう!あにさまに会えるなんて!」
「だから、あなたに会いにかは分からないけど」
「どうしよう!新しい服買わなきゃ!」
「…もう。しょうがないわね。あなたの大好きな人だものね」
葉月は、ため息を吐いた。ゼロというのは、スーリアの「あにさま」別に血が繋がっているわけではないが、ゼロはスーリアにとってお兄さんのような人で、将来を誓い合った初恋の人でもある。
研究棟、最上階の薄暗い一室。沢山の「試験管」と呼ばれる人工の子宮が並ぶ部屋に、スーリアと葉月は来た。
「おう!葉月とスーリア、よく来たね」
そう言うのは、グルグルの瓶底眼鏡をかけた、ちょっといかがわしい感じのおじいさんだ。
「カンダタ!」
スーリアと葉月は、そのおじいさんを見つけハモる。葉月は続けて言う。
「どうしたのよ。私とスーリアを呼ぶって」
カンダタと呼ばれるおじいさんは数ある「試験管」の大きな影から姿をのぞかせて、スーリアと葉月に手招きした。スーリアは葉月に手を引かれ、カンダタの元に行く。
「コレを見てごらん」
カンダタが指差したのは、稼働している一つの「試験管」人工の子宮。
「この子は?」
試験管の中には、長く艶のある黒髪をした小さな女の子が眠っていた。カンダタは、得意気に胸をはる。
「古の東照機国の、美人と名高い小野小町をDNAから再現してみた」
葉月は、その女の子の試験管に触れ、彼女をジッと見つめた。
「葉月、お前の妹だよ。小野小町だけじゃなく、お前の母親とわしのDNAが混じっている。お前の兄弟が増えるぞ」
葉月は、カンダタのその言葉はお構いなしに、彼女に見入っていた。
「この子を見せたかったってこと?あたしと葉月さんへの用事って」
スーリアはカンダタに尋ねた。
「ああ。美しい人間が、またこの世界に一人増えるんだよ。素晴らしいだろう」
スーリアは、カンダタのその言葉に「ふうん」と頷いてみせた。
葉月は真剣な顔をして試験管の彼女を見つめていたと思うと、いきなりカンダタの肩を両手で掴んだ。
「まだ悲しい理想、追いかけてるの!?いい加減にして!!」
カンダタは、葉月の怒りの滲む言葉を無視して言う。
「わしの理想は、美しい人間だけの世界だよ。そのためには手段を選ばない」
葉月は大きなため息を吐くと、スーリアの手を引き、試験管の部屋を出た。
スーリアには、なぜ葉月が怒っているのか、ため息を吐いたのか分からなかった。
――美しい人間だけの世界、別に理想が高いのはいいんじゃね?
密かにそう思うスーリアに、葉月が力強く引っ張る手から少しの震えを感じた。そして、葉月は誰ともなく呟くのだ。
「あの子は、私が守るわ。私の二の舞にはさせない」
決意の感じられる一言だった。
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