宝子
@kuratensuke
第1話
宝子
十津川 会津
関多田が熊本の駅に立ったのは、昭和三十年代初頭であった。
東京の大学病院から渋々、地方の定員割れに乗じて水俣の市民病院に派遣されてしまった。
この時代、就職先は見つける事がかなり難しかった、特に医者となると上昇志向の者が多い。
よって地方の病院に行くのは殆ど変わり者であるか、家が医者で大小の差はあれ、大学にのこる事等執着しない、最終就職先が決まっている者であった。
暫くのうちは、苦労しなさい。と、言う事である。地方見聞、かわいい子には旅を……、と、言う意味も有ろう。
関多田は、漸く東京の医大を卒業し、インターン制度を受けて東京の大学病院に就職する予定だったのだが、成績芳しく無く、地方の病院に空きのある水俣の市民病院勤務となる。内科医であった。
少々、不足ではあるがこの昭和の景気に翳りの有る時代、そう言ってはおられない。
熊本の水俣は、熊本県の最南部に位置する都市である。西は不知火海に面して天草の島々を望み、もともと海の幸、山の幸に恵まれた風光明媚な土地柄である。
農業や林業もあるが主に漁業が盛んである。
おいしい地元の魚は、博多の料亭等に直送するが何よりは、やはり地元で消費する事が主である。
「先生、今夜ば、熊本の町案内するけん、はよ仕事の段取り済ませてきんしゃい」
事務長の倉田の案内で初任の挨拶もそこそこに、医局の重鎮達と今夜は宴会である。
料亭に行くまでの時間が迫っていた。
と、流暢に煙草等を吹かして時間を待っていると、そこへ、てんかんに似た症状を持った患者が、病院の玄関を母親らしき人物に抱かれて入ってきた。
「救急でお願いしたいんばってん、何方に行けばよかと? 」
「こちらに来てください」
守衛が、大きな玄関口から廊下の突き当たりの方を手で示して来た。
其の女の人は、汗ばんだ顔を蒼白に染めて、言われた方向にそそくさと向かう。
アナウンスが流れて、内科の医者が呼ばれていた。
関多田は、相変わらずに煙草をロビーで吹かし込んでいる。
そこへ、ストレッチャーが走り回る事態となった。ザワザワと五月蝿く、多少迷惑な気がしていた。
年はまだ十五歳から十六歳というところか、あごをあげて泡を吹き続けている。
目は既にこの世に無いようである。チアノーゼの為に顔が真っ白になっていた。
手は少なからず指先の関節や、手首のところでひどく折れ曲がっている。
そこに痙攣が混じり、足も手と同じような様子を呈している為、何時台の上からこぼれ落ちるか気が気で無い。
「先生、暇そうにしとらんと見てやんしゃい!」
突然の言葉に驚き、慌てて声のする後ろを振り向いた。
そこには少なからず怒りに満ちた様子の看護婦が立っていた。仁王立ちの風体、腰に手を当て此方を睨む。
「私は今から用事が……」
言う暇も与えてもらえず、肘当たりをつかまれ、救急診察室へ連れて行かれた。
仕方なく診察をする。気管切開をし、気道を確保して息を出来るようにした。
漸く血が通う、顔色に血の気が戻った。胃洗浄と気管洗浄を施した。
嘔吐物が気管に詰まっていたのである。先ほどの様子では、幼く見えていたが胸のふくらみや、太もものふくよかさを見ていると、やはり二十歳前後には見えた。
カルテを見てみると、二十一歳、かなり貧弱に見える。病気のせいか、成長が止まってしまったのだろう。身長はどう見ても、百五十センチ前後しか無い。
呼吸が確保出来た事により、血の気が戻り、呼吸音が正常にもどった。
「ありがとうございます、助かりましたけん」
母親らしい、体の、これまた頑丈その物の女性が立っていた。
エプロンに長靴、モンペ姿である。関多田にも其れは、海の市場当たりで働く女という第一感がした。
診察室を出ると、
「しえんしぇ、何処ば行っとったんよ? 探しよったとよ」
事務長の倉田が言う。
「いやいや、救急でして……」
「そないば、他のもん頼ばねば! まあ、よかと、行きまっしょ」
それから、市内の料亭で何やら関多田には珍しいもの、魚料理や揚げ物など関東地方ではお目にかかれない馳走を食したのである。
夜中まで宴会は続いた。倉田の独壇場だった。
お座敷芸者風の雇仲居がよばれ、宴会に花を添えたつもりなのだろう。
花を添えたのかどうかは、関多田等にはあやしい。
年が上すぎて花とは言えないのだ。
それでも自分の為に開いてくれたと思うと中座は出来ない、しかし、最後には倉田を中心とする宴会屋の楽しみや道楽であった事に気づいてしらけてしまった。
漸く終わると挨拶もそこそこに、新居となった病院が探してくれたアパートにたどり着いた。帰りに不知火湾の海沿いを少し見聞がてら歩いてみた。夜中になっていたのでよくわからなかったが、どうもやはり腐敗臭のような匂いがした。魚が腐っているのだ。
海と反対には、巨大な工場群が立ち並んで異彩を放っていた。高さがあったので見上げたが、夜の帳で分からなかった。上を向いていると、急に酔いが回って気持ち悪くなったのと眠気をひどくもよおした。
「早く帰ろう」足早に家路に着いた関多田だった。
数日後、検査結果で救急の彼女は、水俣で最近流行りだした、奇病である水銀中毒に当たっているとの事。
有機水銀を触媒として使うので、窒素肥料やプラスチックの原料という製品が出来れば、要らなくなった水銀を海に垂れ流していた。
此のような被害者は、胎児性のものが多く、生まれた時からの脳てんかん症状に似た病状が出ていた。
水銀は有る程度、尿や便、汗等で排出されるのであるが、摂取した時、脳や臓器を破壊する。破壊された部分は水銀が出て行っても壊れたままである。
被害者は続々と増えて来ていて、裁判も各地区が一丸となって行われようとしていたのだが、問題が有った。
此の窒素農薬工場で働く家族が多かったのである。
被害者でありながら、親会社を訴えて仕事が無くなるのを恐れる被害者家族が、多いのであった。
此の事が発見を送らせて、なおかつ、裁判で時間を必要以上に採らせた原因となった。
其れを良い事に会社側は操業を続け、空前の儲けを得た。
実際に、会社側はのらりくらりと事実をはぐらかせて、被害者家族に謝罪どころか、儲け優先の資本主義の悪徳を地で行っていたのである。
銭ゲバ、等と揶揄されようがおかまいなしの窒素農薬工場の会社社長であった。
此の会社社長、恐ろしく金に執着心が強い。培養に使った水銀を有機水銀でなく無機水銀と書き換えさせる。
献金を国会議員につかませたりして国の認定基準や認定そのものを遅らせ、緩く甘くさせたりしたのだった。信じる物は金だけであった。
当然にその魔の手は、市民病院にも忍び寄り、子飼いの市会議員等を使っては市民病院にも間接的に献金を行って来た。
関多田が、派遣された市民病院の宴会にも此の社長は顔を出していた。
「先生一つ今後ともよろしく」
「はい、此方こそよろしくお願いします」
「院内にも、似非インテリみたいな輩が増えて困るね、事務長」
「そうですばい、こん頃においては、ビラまで巻きよるけん、心して院内では そげんこつせんように見張りますけん」
何処までもごま摺りに徹している事務長であった。
「関多田先生、今日会った看護婦には気をつけてくんしゃい、ありゃあ、今社長がいっチョル、向こう側の人間ですばい」
「向こう側? 」
「そうですばい!」
「ケチばつけてからに、会社が流す廃水でやられた魚ば食うて、あがいな病気になったちゅうやぬかしよるんばい!」
一応公務員である身分故、首には出来んが、共産党員であるという事であった。
「アカやばってんが!」
捨てるように言った事務長の倉田の言葉が忘れられなかったのである。
関多田は思う、水銀中毒である事は検査結果から明らかである、かといって其れを此の病院では言ってはならない。
どうせ暫く居てまた東京に帰るのだから、事を大きくする事も無いと考えていた。それにこの宴席の帰りに、社長から金一封を頂戴している。
壱拾萬と言う金は此の頃の金にしては破格である。
此の金が口封じみたいなもんだろう、そして子飼いの給金なんだ、関多田の脳裏には漠然とそんな考えが浮かんでいた。
幾日か過ぎて、
「先生様、この間は偉そうにしてごめんなさいね、お見知り置きを……」
割れんばかりの笑顔を振り撒きながら、近寄って来たのは、この間の仁王立ちの看護婦だった。
「水島恵理と言いますけん」
また割れんばかりの笑顔だった。
この間とは違い、笑顔の中に屈託の無さと親近感を持っていた。
少なくとも、関多田の生きて、学んで来た人間関係の感性においてはそう感じた。
「百合の調子ばあれからよかとよ、ホンに有難うございました……、妹なんですばい」
合点もいった、あの剣幕で偉そうにして来たにはそれなりの理由もあったのだ。
「どういたしまして、これからもよろしく頼みます」
関多田は、すっきりとした関東弁を喋った、すると、
「私たちは先生のような関東弁を聞かんからね、なんとも、映画のようですばい」
と、恵理はカラカラと笑った。
「ほいじゃ、先生またね」
走り去って行く恵理と同僚達であった。
白衣の後ろ姿を暫く追って見ていると、東京の看護婦や女達とは違う、健康美があり、素直で元気そうだ。好感が持てた。垢抜けしてないがその分近づきやすい。
関東弁か、此所じゃよそ者だからな、せいぜい当たり障りの無い滞在を望みたいものだな、と関多田は思った。
その晩、寝ていると、艶かしい夢を見る。
百合の体は少し、汗ばんでいた。その白い太ももからは、匂い立つほどの目に見えない蒸気とともに女の香りがした。少なからず百合は興奮を覚えている。
股間から、特に甘い蜜のような滴りが女陰の線に従って伝わるのである、其れは肛門に向けて滴り続けている。顔を見ると、上を見詰めたままの恵理の、えっ、恵理か? 百合、か? 欲望に押し消されて何方でも良くなった。
関多田は美しい姉妹に魅了された。気管切開、胃洗浄をしながらも何時にも無く、吐瀉物、嘔吐物の匂いも気にならない。百合の口から、喉からでたものは、美しい香りがするのである。
いや、間違いなく甘い香りとともに性的な媚薬を吐き出していた。甘い汗が少しずつ、少しずつ百合の、恵理の内股から噴いて湧き出して来ているのだ。
薄い茂みから赤い秘部が開かれて光るものが滴っていた。
太ももが少し寝ている診察台から立てられ、横へと押し倒されたのだ。
百合の、恵理の覗き込むような笑みがこぼれて、関多田を誘っている。
関多田は股間の密を吸い上げた。
「はう」
恵理の、百合の小鳥のさえずりのような嗚咽が、甘く聞こえた。
一物の異常な腫れを感じて目を覚ます。
既に夜は開けて、晴れやかな秋空が広がっている。
窓を開けながら、カーテンが大きく揺れ動いたのを見た時、夕べの夢を思い出して心までが大きく揺れ動いた。恥ずかしさを覚えた関多田は、少し汗ばんでしまったパジャマを剥ぎ取った。股間は未だ腫れそぼるばかりであった。
「いやあ、久しぶりにあんな夢を見るとは? 」
また、裏腹に若さの自信も湧いてくる気がした。どうもその日を境に、恵理の体を見る目つきが変わったようだ。
あまりジロジロとも見てないのだが、少なからず相手にも悟られているかもしれない気がした。
医者と看護婦の不倫ないし恋愛は、聞き飽きるほど日常的である。
そんな時、百合に水俣病という名がついた病名が出た。百合は元々、胎児性の病気ではなかったらしい。
三歳当たりまでは、恵理と目前に広がる海原の恵みを、食べ尽くさんばかりに食していたと言う。
特に岩場にへばりついた、岩牡蠣は夏でも、冬でもよく取れて食べられたのであった。おやつ代わり食べていた牡蠣には、水俣の窒素工場から流れ出して来た有機水銀がふんだんに含まれていた。
排水溝から二百mも離れていない、恵理達の家は、海の漁師であった父親の船着き場も兼ねたものである。
子供の頃から目の前の海で遊び、牡蠣や魚を食べて来た。
此所らの住人は、殆どそんな生活をしていた。
戦後の水俣の窒素工業は、農薬ばかりでなく、プラスチックの製品材が量産されていたのである。
百合が泡を吹いて倒れたのは、三歳を過ぎた頃であった。
それから彼女は言葉を失った。
美しい百合の顔は、固まって、瞬き一つしなくなった。
まるで、血の通った、寝たままの白雪姫のようであると姉の恵理はいった。
母親の房代は、泣きながら百合の体を拭く、
「なんかしゃべらんね、百合ちゃん、きょうはなんばしちょったとよ? 」
新聞記者や週刊紙の雑誌記者は、面白がって書き立てた。
「眠れる海の美女」「水俣の美しい花」……。
様々であった。
当初、取材に応じて、費用も当てにはしたが、余りにも血の通わない取材記事に腹を立てた父親がある時から断じてしまった。
暫くは、記者団が家の前に居着いて独特の論理をぶって、さも正義感ぶっていたが、腹は売れたらよしとする商業主義だけで、何も体制を変えようとはしなかった。
市当局や、県、国も見て見ぬ振りであり、個人の事は考えない。
有るのは水俣に落ちて来る、金、其れを誘導して来る窒素工場様々なのである。
「植物や言いよるとやけど、私には、百合ちゃんの息ば臭うとね、かわいい女の匂いばしちょるとよ、ねえ、百合ちゃん、母ちゃんば分かるとね? 」
「もう!すかん」泣きながら、恵理も言う。
「母ちゃん、毎晩泣かさんといてね」
「なんばなかもん、喋りよるだけたい」
頬に伝わる涙を母が拭くのを恵理も見ている。
父親もいたのだが、百合が十九の年に死んだ。癌であった。
水俣の廃水が影響しての膵臓癌なのか定かではなかった。
後で事件になる事を恐れた会社側は、雀の涙の弔慰金を払って来た。
病院の費用が重なっていたし、此の頃は恵理の看護学校の学費も家計に重くのしかかっていた。
肩を寄せあいながら、親子三人海鳴りのする昔と変わらない家で住んでいる。
赴任して一年も立つと関多田は、倉田との約束や、社長との子飼い契約を無視して恵理を抱いてしまった。
毎夜夢にまで見た恵理の体は、想像に違わないすばらしいものだったのだ。
夢の中と変わらない。太ももの、内股のほくろがあるのも夢をより現実と信じさせた。そのうち、事務長の倉田も知り、大学へも連絡が行く、これは大学当局への裏切りでもあった。
親も嘆く、が、すべての約束を反古にして恵理にのめり込んだのだ。
詳しく言うとおそらく、百合にものめり込んでいた。
倉田は苦言を呈した、やがて社長の耳にも其れは聞こえた。
人事権を行使して市は一丸となって関多田と恵理の家族を襲った。
大学からも声がかかる。
「汚名をこれ以上垂れ流すのは辞めてくれ」
教授の一言が有り、関多田は大学を排斥された。すべてを関多田は失った。
三年の月日が経ち、未だ関多田は、水俣に居る。
父親は、もう居ない、開業医だった家は人手に渡った。
母は、もとより関多田の生みの親であり、性格も分かっているのか何も言わない。
その代わり、母は、関多田を慕って水俣に来た。
これには関多田も恵理も驚いたが、さすがに関多田の母親なのか思い切った事をする。
さっさと東京の家や土地を売って水俣までやってきた。
「此所は風光明媚で良いとこね」
七十歳近い母がこんな辺鄙な田舎町に来るにはよほどの決心が要る事だったろう、関多田は思った。
母と似ているところが有るとも思う。こうと思うと損得計算や人生設計等何とも思わず変えてしまう。其れよりも関多田母子は、その時のやりたい事、やろうと思う事をやってしまう性格はよく似ていた。遺伝だろう。
ともかく母は、小高い山の上に小さな空いていた別荘を手に入れて、そこに住んでいる。恵理の家からも近いのでよく散歩がてらに恵理の家に来る。
魚を分けてもらい、おいしい、おいしいとよく食べる。汚染等気にはしていない。聞くと、
「どうせもうすぐ死ぬんだから」
恵理の母房代は未だに漁に出る。旦那が死んでるのに意地なのか、百合を養生する為の薬代稼ぎと言っては辞めないのである。
「逃げとるんよ、母ちゃんね」
恵理が言う。
「何からだい?」
「人生……」
「……」
「つらい人生からや……」
「……、俺たちは幸せになろうな」
「うん!」
ひときわ甲高い声で恵理は言った。
そうして関多田は、半年もすると母親に金を借りて、開業する事にした。
恵理の家の倉庫を改造して、曲がりなりにも医院が出来た。
恵理はまだ市民病院に残ると言う、辛い暗い、いじめが続くのだがそれでも構わないと言う。
今までやって来た共産党の仕事も有るし、急には辞められない。
民青同盟の地域委員を五年近くやっている。此の頃は、まだ地域性もあってか迫害、差別が激しい時であった。それでも隠れながら活動を行っていた。
いつもアカ呼ばわりされながらも、大企業との戦いに明け暮れる姿勢を常に意識していた。相手は無論、チッソ株式会社水俣工場である。
莫大な利益は人の命と変えて生まれる。垂れ流した水銀の量は、イタイタイ病の神通川の比ではなかったのである。時代はプラスチックを求めていたという事であった。
触媒液、培養抽出液に使われたのが水銀であった。其れを突き詰めて調べたり、現地で調査をしたりした。
何時しか、恵理のライフワークになっていたのだった。
関多田の母、由美と恵理は存外に仲がいい、二人とも呆気らかんとしているところがある、よく似ている。休み等には由美と恵理は水俣の市内まで実の母よりも一緒に出かけたりしている。恵理も市内観光やおいしい店等を紹介して、房代と出来なかった事を取り戻すかのような様子であった。
関多田の母、由美は、会津の生まれで東京の大学時代に関多田の父と知り合い結婚した。
由美は、東北本線の車内で数人の大学生に口説かれたのである。
その中の一人の学生に手紙を出した。その理由が、生徒会長と書いてあったからである。これが父佑治であるのだ。
由美の性格は、幕末の壮絶な死に方を余儀なくされた白虎隊に有ると思う、関多田は常々思っていた。
女白虎、婦女隊の先祖を持つ由美である。有志とは裏腹に決死が正解であった。
その歴史は、あまりにもひどい内容なので記録を読むにも辛いものが有った。
薩長連合は、人の死体の海を作りながら其れを乗り越えてやって来た。
無論、殺人の上、人肉を喰らい、姦淫、淫行の限りを尽くしたと言う。
其れが出来るかどうか、人として出来るかどうかが 勝負の分かれ目でもあった。
韓国や朝鮮と近い、所謂、弥生人系の人たちが多い薩長連合軍隊には其れが出来た。
可能な人間が多かったと言う。
渡来人と元来日本に居た、縄文人との違いが有った。
混血を重ねているとは言え、幕府を倒す側と、尊王攘夷側とはそもそも、渡来人と原住民のたたかいであったとも言えるのである。
また歴史を紐解けば、原住民が勝つためしは無くインデアン、アボリジニ、インデオ達はすべて先住の地を失った。
朝鮮渡来系の民族に日本は、占領されて、今や混血を重ねて分別はつかなくなっているが、関多田の母等には未だ古い考えが有り、
「九州と言えば、会津の敵、仇。」関多田の父親の爺さん等は、会津白鷺城開城のおりに飯森山に立て籠った一人である。
後にその妻、関多田の祖母さんとなる人とは白虎隊繋がりで結ばれた。
そう言う中でも此所にきたのは、母親が、一人っ子の息子の事を慮っての事であった。
そうではあったが、住んでみると九州の人間の情の厚さ、人間味有る生活態度に圧倒される事も多かったのである。
何しろ九州人は、熱い。気候がそうだからではないが、東北に比べると諦めないと言うか、それに頑固であった。東北も特に会津には頑固の代名詞強じょっぱり、じょっぱり、会津っぽがいる。
肥後もっこす、九州も同様に同じ種類の人間がいた。
自分の意見を曲げない。関多田の子は、会津もっこすか、肥後じょっぱりなのである。
こんな冗談を恵理の妊娠とともに語る。ただ心配は、胎児性の水俣病だ。
恵理は体がまだ若いのと、偶然ながら、海産物より肉系が好きな性質であった。
水銀を溜めると、膵臓の毒物を除去する機能が働くのだが、水銀毒性がよりきつくて膵臓自体がだめになるのだ。
此所のもの達は、年を取ると膵がんで死ぬものが多い。
問題は恵理の母親であった。膵臓の検査数値がひどく悪い、恵理の検査数値からはまだ所見は出ていない。
癌の可能性が高い母親の検査数値は、かなり前から分かってはいた。
が、もっこすのせいで頑として養生しない。薬は飲ませているのだが、飲んだり飲まなかったり、
「酒ば飲んで消毒ばするとよ」
何とも難しい。
ただ、関多田の母からこんなことを言われた、
「子供さんを、私たちの孫を恵理さんに、恵理さんひとりにまかせて死んでしまうのかしら……」
これにはかなりの説得力が有ったのか、以降酒を辞めて、薬もちゃんと飲んではいる。
関多田が来て、七年目の事だった。
今や共産党のアジトと言われても可笑しく無い関多田医院ではあったが、恵里ももっぱら、市民病院での勤務を辞めずにいたし、関多田は医院経営に勤しんでいた。
儲かりはしないが流行ってはいる。金はあるとき払い、まるで赤ひげ先生であった。
医院も大きくなり、恵理の家はほとんどが病院になってしまった。
一番の入院患者は、百合であった。
相変わらず、美しい顔を身動きもせず、涙ながらに天井を見詰めるままである。
涙の量が尋常ではないので、誰かしら側にはついていた。
母房代は去年の冬に死んだ。膵癌であった。
また会社側は雀の涙の弔慰金で済ませた。
此の事に腹を立てた、娘の恵理は、又、裁判をしている。
長いだけで拉致のあかない裁判では有った。
何しろ水銀との因果関係が立証出来ない、概ね分かってはいるものの、熊本大学も国も市も県も相変わらずの頰っ被りなのであった。
関多田は三歳になる娘の恵が、心配では有った。
少し言葉が遅い、
「父ちゃん、母ちゃんは言いよると、ばってんが、其れ以上が言いよらん」
それに水銀中毒特有の痙攣発作が有る。
それ故、山の上の婆ちゃんのところからは帰ってこない。
母も寂しいので、昔の教師をしていた経験を生かしては孫の世話に勤しんでいる。
お手伝いも雇えるので問題は無かった。
母親は、看護婦として遅く帰ってくる時も有る、父親も医者として手が離せ無い。
だから、母親の由美の手は欠かせないものであった。
「お母さん、いつもすいまシェン、遅うなりました」
此所から小一時間ほど車で行くと市民病院まで行く。
帰りには買い物を済ませて、此の山の家の夕食を作るという毎日であった。
8時を過ぎた頃には関多田も山の家まで散歩をしながら帰って来るという日常でもあった。
ある日、関多田が山の中腹までやって来ると、前を行く恵理を見つけた。
買い物のビニール袋が重いのか今日は何時になくゆっくりであった。
「えっ、……」
ふらふらとよろめいて来た、買い物袋を投げ出さんばかりに一振り振ると、ゆっくりとしゃがみ込もうとした。
横の崖から落ちてしまうけん、危なか、思わず心で叫んだ。
関多田が喋る初めての熊本弁かもしれない。心の中では有ったのだが……。
「恵理!」さっき、辞めた言葉を言った。
慌てて駆け上がる。
「朝から腹が痛かったのよ」
「無理せんと、休めばよかとに」
「今日は党の幹部会があってね……」そう言えばこないだ、そんなことを言っ
てたような気もする。
自分も忙しい毎日を送っているし、いちいち覚えてはいなかった。
癌か?
関多田は医者の直感で思った。毎年受けている職員検診は、いい加減なものだが見る限り異常はなかった。ただ此の年、三十五を過ぎて来ると、それに日頃の激務に身を投じていると疎かになるのは自分の体である。
何かを忘れたいのか、恵理には次々とスケジュールを組む癖と言うか、周りが彼女の働き者の部分を利用している節があるのだろう。
其れは関多田も感じてはいた。
人は薄情でエゴイスチックなものであるから、何でも引き受けて仕事を次から次へとこなして行く人間には、尊敬や妬み、それ以上に利用という形を採る事が多い。
自分に無い、人からの人望や美しさ、屈託の無い明るさ、すべて恵理の持つものであり、妬まれる材料でもあった。
そんな腹立たしい事を考えながら、こんな母親の事を思い出していた。
生きている時に母親であった房代は言っていた。
房代にはそんな妬みを持つ余裕すらなかった。
「今日も、百合ちゃんば、綺麗な顔してこっちば見てくれとるよ」
辛い漁から帰り、一杯引っ掛けるのを父ちゃんが、生きとる時からの日課にしていた。
「植物人間て……、なんば言いよるの、医者も新聞記者も節穴目じゃけん、こうしてかわいい顔して寝取るだけのこっちゃい。
こんなべっぴんさんば、熊本中探してもおらん、色が白うて艶艶しとる。
目も黒目が大きゅうて日本人には見えんとや、ほんに、グレース・ケリーかイングリッド・バーグマンよ、可愛かばい」
「母ちゃん、はよ寝んね」
関多田も側でその時は飲みながら聞いていた気がする。
「婿さんどうね? 今からでも百合にすっか?」
「はあ?」
「母ちゃん、関多田さんは、私の婿さんね」
「いや、百合ちゃんにも結婚とかさせてやりたいね……」
皆しんみりしだした。
泣きながら、酔った勢いも乗じて来た房代は言った。
「宝子ね!」
「……」二人には理解出来なかった。
「ほんに、こん子は宝子ね、こん子がおるから、精出して父ちゃんも働いた、私も働きよるんよね」
「……」
聞いていた関多田も恵里も神妙になる。
「恵理はよか女子になって、よか人間になっとるんもこん子のお陰やわいね」
「なんでな?母ちゃん?」恵理が聞いた。少しはにかみながら、
「もとから良い子なもんや」とも言った。
恵理と関多田が不思議そうに見ていると、目を細めて遠く、昔を思い出している。
「分からんかいな? 父ちゃんが生きてるとき、言うたんよ」
父ちゃんが、子守唄聞かせてから、百合を見てささやいていたらしい。
「お前は可愛いのう、小さい時から海の牡蠣好きやって、食い過ぎたら手が動かん、足動かん、震えて来てから、瞬きもしよらんばい。可愛い、可愛い顔してからに……」
残った酒をあおると、又続けた。
「だけんど、お前がおるから、みんな仕事も頑張るんよ、父ちゃんも母ちゃんも、朝から働いて、働いて、魚とってよ、魚採る事しか知らん……、それによ、皆、お前がおるからね、優しくなった」
「姉ちゃんは、恵理姉ちゃんば、優しい子になったんわ、お前んお陰とよ、お前の面倒見よるさかい、此所、痒かね? 此所ば痛かね? ちゅうて人ん心ば、分かるとね、ほんに、お前は、神さんがくれた宝子ね、水俣のみんなに言うたらないけんね」
と、ため息をつくように続けた。
「何も百合は恨みよらんもんね、好きな牡蠣食うて遊んどっただけやもんね」
「何もかも、怨んでもよかに……」恵理が言う。
「そんとき、百合の目からひときわ涙こぼれたちゅうとに……」
さらに、
「百合はやさしか子やけんね」
「父ちゃんは?」
「そん頃には、大いびきかいて寝とったばい」
みんな笑った。父ちゃんを思い出して少し笑いに包まれてほっとした。
何れだけの苦渋が此の小さな漁師の家庭に降り注いで来たのか、容易には分からないが、苦労するにあまり有る人生なのである。
恵理は涙を拭きながら、母ちゃんの話を、その中の父ちゃんの優しい話を聞いていた。
関多田はそんな家族の姿を垣間みては、恵理を守る。
と、心に決めたのであった。
今迄の東京での何不自由無い生活を送って来た自分にはまるで別世界のようであった。
坂の途中で恵理を捉まえて、
「少しこないだからね、痛いんよ、生理かと思っとったけん」
「よし、荷物を貸しな」
関多田は、恵理をおぶって階段を上る。
二人で見る不知火の海は、月がまん丸く海を照らして、さざ波の動きが分かるほどであった。つぎからつぎへと、波は寄せては返し、返してはまた寄せ打って来る。
今こうして見ていると、この下の世界に水銀の海が広がってはいない。
悠久の太古より寄せては打つ不知火の海だけである。
そこは魚の宝庫であり、島々の並んだ美しい海が広がっているだけなのである。
こんなところに人々を殺す殺人工場を造ると言う、発想が何故生まれるのか、関多田や恵理には分からない。
またここのうつくしさを水銀で殺してまでも金を優先する気持ちが分からなかった。
夜の不知火は、知ってか知らずそんなすべてを吞み込んで、ただ月の光に照れている。
不知火の夜の海は月と一緒に二人を包んでくれていた。
「随分と気持ちよかね」恵理は背中で言う。
「寒くは無いかい?」
首筋に冷たいものが落ちてくるのに、時間はかからなかった。
「どうしたんだい?」
二人は背中越しに抱き合いながら階段を上りきった。
広い背中から涙を拭きながら降り立った恵理は、一言いった。
「いつも、ありがとう」
数日して検査を受けた、無論、関多田はすぐに膵癌の初期である事を知った。
膵臓は無言の臓器、と言われて症状がなかなか出ないのである。
出た頃には既に末期に近い癌になっている事が多い。
恵理は看護婦なのですべての事は分かっていた。
問題は、残された人生をどう生きて行くか、それだけである。
子供に対して、夫に対してそれに何よりも自分の人生をどう生きるか、のこった人生をどう生きるか。
暫く、がむしゃらに働いて支部活動もしてみて、得た答えは、出来なかった旅行に出る事だった。行ってみたいところは沢山ある。
ただ子供の事や夫の事、百合の事をどうするか、であった。
関多田から了解を得るのは案外と簡単であった。
「君の好きにすると良いよ」
関多田は言った。
方法としては、連絡を密に取り合い、各所、各国の病院には必ず診察を受けて体調管理をする。医療経験者なので心配する事も無いだろう、しかし、油断は禁物である。逐次報告の手紙を出す事とした。
主に行きたいところはヨーロッパなので予め、関多田がその都市都市の病院をチェックしておく事にした。関多田の母、由美も行きたがっていたので仕方なく関多田は許す事にした。いろいろと苦労ばかりかけてしまっている、罪滅ぼしであった。ただ高齢でもあるのでお互いに労りながらの旅になる。
大丈夫か、と心配したが由美は脳天気に答えた。
「死に場所を探す旅よね、お互いに」
まあ良いかという気で二人を見送る事にした。
此の二人なら何とか……、仲もいいし、なるだろう。安易に考えた。
元々、恵理一人の旅は抵抗があったのでこれも苦肉の策では有る。
それに旅行の時期をひと旅行当たり二週間から三週間と決めた。
二、三週間迄なら処方箋も出るし、体調の変化も診察も手遅れになる前に対応出来る。
小学3年生になった良子も母親の不在を寂しい様子ではあったが、口うるさい邪魔者がいなくなると言う心中もあってかあまり何も言わない。
百合の世話はすべて看護婦がしてくれる。
二人は春先の桜が咲き始める頃、熊本を後にした。
それから忙しい移動の時期を迎えて、市民病院は蜂の巣を突くようであった。
恵理は仕事を退職していたのでもう病院とは関係は切れてしまった。
ただ、今や水俣病患者の治療に関して権威となってしまった関多田が週に二、三度回診をせねばならなくなった。
水俣病の義理の妹を持つ彼は、あちこちで講演や本を出して、今は引き手あまたであったのだ。
百合を何とか快方に向かわせようと努力した。その成果が漸く実りだしたのである。
水俣病では入り込んだ水銀をいち早く除去する事が寛容である、其れと同時に損傷を受けた部位をいかに復元させるかが重要な治療なのである。
此所十何年の間に関多田はその両方に効く薬を製薬会社の肝煎りで研究して来たし臨床も行って来たのであった。
ただ此の事は秘密裏に行われた。
裁判の事等問題点は多々あったのだ。薬が出来てしまうと、裁判の判決自体に影響を与えてしまうし、会社側が軽んじてしまう恐れが大きかったのである。
無論損害賠償を減少させる原因になる恐れがあったのだ。
そのため秘密の研究は百合の体を使って行われていた。
百合の体はこのところできた新薬の影響で見る見る快方に向かって行ったのである。
今ではほとんどと言っていいほどに、脳の損傷部分が組成されて新たな脳が出来つつある。
人としての個体差はあるものの此の薬は百合に合うのか、副作用も少なく順調に回復して来ているのだ。
スポンジのようになってしまった前頭葉部分は、ほぼ回復をして、後は軽い人体に適応する範囲の弱電流の効果で回復に向かって来ているのだ。
今や眠れる美女は、より輝きを増してよこたわる。
目もつぶれるようになった。全身を覆う無菌容器に入れられた体は、見る間に妖艶なふくらみを取り戻し、はじくようなみずみずしい肌を取り戻した。
薄手の着衣に包まれて、ビーナスの中世絵画のようであった。
恵理達は、あれから何度か出ては、入り、入っては出て行った。
ほぼ、ヨーロッパの著名な土地を回り、この頃は気に入った場所で滞在をしている。よく滞在するのは、カンヌ辺りで南フランスがお気に入りの場所のようであった。
恵理用の膵癌対応の薬も功をはくし、今では、つけていた補助膵臓器具も外しても大丈夫な迄に回復して来た。
母は、衰弱するどころか増々元気になり、旅が功したのか旅の紀行文等の本を書き出した。
二人は、今は別々で行動し旅先で落ち合う形式を採りながら、旅を続けていた。
一度等は、モンマルトルの有名な料理店でばったり出くわした。人気のリンゴ酒を片手に、これ又有名なクレープ何ぞに舌鼓を打っていると、窓の外をー後で分かったのだが母が道案内に頼んだタクシーの運転手らしいのだがー母らしい人物ががハンサムな男性と一緒に歩いていたのだった。—
若いツバメを連れて歩く妖艶な老人が店に入ってきたと思っていた恵理は、後で裏話を聞き大笑いした。パトロン文化の流行るフランスでは、あり得る話でもあると母はくやしそうに言ったらしい。
恵理は辛い過去を払拭するように人生を謳歌した。困った事に三年も遊び歩いている母をそろそろ反抗期でもある良子が、当たり散らすようにはなっていた。
「ママとおばあちゃんはあそんでばかり、良子の事は可愛くないんだ」
拗ねては口を尖らす、そんな事を繰り返していると、夏休みに一度旅行に連れて行った。その後、嘘みたいに機嫌が良くなった。
それにしてもそんな家族を尻目に働きずくめの関多田であった。
新薬の効果は、臨床試験に向けて大詰の段階にきてはいたのであった。
ある日の深夜、山の上の家で仕事を終え、酒を片手に新聞を読んでいる関多田がいた。妻達は旅行に行っている。
今頃は、シベリアの上空でも飛んでいる事だろう、娘も夏休みに乗じて同行した。母も勿論そうであった。
夏の暑い夜ではあったが、風は海からと、山から吹いて風とおしは良かった。
故に熱さはさほど感じる事は無い。海からの塩の香りが程よく匂って気持ちがよかった。
海の烏賊釣り船の船団が明かりを水平線に向けている、エンジン音が重なって聞こえた。
風がひときわ吹き込んで、カーテンを大きく揺らすと、
「宝子……」そう聞こえた。
か、と思うと、子守唄が聞こえ出す。
「オドがボンギリ、ボンギリ……」
カーテンが又、大きく揺れ、その後ろに、
「宝子、……、オドがボン……」
百合が立っていた。白い、薄い寝着は、はだけ、此方に歩いて来る。
全身が耳となりすべてを悟った、関多田。寒気がして、鳥肌が立った。
「百合を抱いて……」
豊満な体を関多田に摺り寄せて、馬乗りになろうとする。
「ああっ」
百合は股間から滴り落ちる処女の証等には目もくれなかった、兎に角、長年の餓えを満たす、餓えを満たし果たす作業に没頭していた。
関多田にはもう止める事は出来なかった。
流れ落ちる百合の股間を所構わず突き上げた。血が迸った。快感の頂点をきわめて二人は脱力していた。
やがて朝が来て、関多田は目を覚ます。
疲れがあったが心は晴れやかであった。
ベッドで知らぬ間に寝ている。慌てて、手で当たりを触ってみた。
触って目で確認してみたが血は付いていない。
血も付いてはいないし、横に寝ていても可笑しく無い百合は居なかった。
あれは夢なのか? 自問自答してみる。
夏の朝の早さと、さわやかさの中で関多田は混沌とした。
暫くして、夢であったのか、と落ち着いて来た。
何とも信じがたいが、本当のような夢を見た。
慌てて朝早くから病院に駆け込んで、百合の病室を確認しに来てみた。
百合はいつものように美しい顔をして横たわっていた。
ただ何時になく美しい顔には少し微笑みがあった。そして、股間には赤く染まる血の後がある。
関多田は、呆然と立ち尽くす、理解しがたい現実だけであった。
宝子 @kuratensuke
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