第3話 通り魔ジャック、塀に坐った

 ひとつ。

 この宇宙には、人間だけが忘れてしまった仕組みがある。

 すべての魂は魔法を使うことができる。ただ、その力を自分のために使うことはできない。また、その力を生きているうちに使うことはできない。


 ふたつ。

 この宇宙には、人間だけが忘れてしまった仕組みがまだある。

 《共食い》が禁忌タブー視されることには理由がある。生きているものは、《共食い》をすることでかつてその肉に宿っていた魂と交感することができる。死した魂と対話し、要請、あるいは交渉、あるいは強迫することでその魔法の力を使わせることができる。ただし使われる魔法はあくまでその魂の意思の通りに、その魂の理解のおよぶ範囲の結果しか成就じょうじゅすることはできない。

 

 みっつ。

 私は、育児放棄ネグレクトの果てに養豚場の柵の中、暗い小屋の奥に嬰児のうちに投げ込まれた。

 しかし、私は。豚たちはみな深く私を愛した。私にとって豚は、友達であり、また家族であり、また同胞はらからであった。

 

 ——だから。

 

 使

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出会った当初、私がび起こす超常現象についてそう説明したとき、みっちゃんは何も言わずに煙草の煙を長く吐いただけだった。

 

 みっちゃんは死にたがりの一環として煙草を吸う。結構吸う。いっちゃんはいい顔をしない。

 そのにおいを誤魔化すため、強めに香水を付けている。いたずらに強い香りを被せているのではなく、煙草と混じって芳香が出来上がるたぐいの香水なのだという。実際、みっちゃんが煙草を吸った後は匂いが変わっていると感じるし、いい匂いだとすら思う。教師陣からは美少女のオーラだとでも思われているのか、不思議と何も言われない。

 

「あんもう屋上閉鎖されちゃってんのウザいなー」

「やあだそれ、みっちゃんさんが飛び降りたからじゃないですかぶっ飛ばすぞ」


 私たち三人はお昼休み、学校敷地内のとある片隅に溜まっていた。おのおのお弁当を食べ終わり、いつものごとくいっちゃんは目を閉じてイヤフォンから盛大に音楽を音漏れさせており(それでも普通に会話するのだからすごい)、みっちゃんは食後の一服を堪能しつつ私との談笑に興じている。

 

「なんか今日やたら美味しそうに吸うよね」

「いやもー朝からずっとおあずけだったからさ……」

 私とみっちゃんの他愛ないお喋りを、いっちゃんは静かに微笑んで聞いている。

 

 

 実は私たち、今日の午前中は授業を受けていない。

 とはいえ、サボりではない。

 警察に事情聴取を受けていたのだ。私たちが昨日遭遇した、ちまたで「通り魔ジャック」と呼ばれる殺人鬼について。

 

 あの不審者は、いっちゃんが語ったとおり人殺しだった。その手口と特徴が、夏以降、およそ半月に一人のペースで三人の高校生を殺している殺人犯のものと一致していた。

 被害者は全員別々の学校の生徒であり、また殺害現場もそれぞれの学校の校舎内ながら、殺された時間帯は同じく放課後であり、同じく鈍器による撲殺であり。

 また、全員が女生徒であり、かつ——

 

 

 

 それは、いずれの被害者においても司法解剖により判明したことであり。身近な人間は知っていたものもあれば、本人ですら気づいていなかったのではないかと思われるほど、ごく初期段階のものもあったという。


 ともあれ、学校敷地内での生徒の殺害、あわせてその妊娠の発覚というスキャンダラスな事態の連続に、地域の教育委員会はパニックに陥った。

 

 

「私、事情聴取っていうから取調室とりしらべしつはいれるんだと思っちゃった」

 私たちが警察に話を聞かれた場所は、学校の生徒指導室だった。


「取調室に通されんのは、容疑者じゃないの」

「えーじゃあ事情聴取は? 応接室?」

「応接室も……んー応接室なのかなあ」

 いっちゃんがその死を感覚した昨日の被害者も、放課後の校舎内で鈍器で頭を滅多打ちにして殺されており、また女子だった。解剖の結果を受け——その妊娠が発覚すれば、一連の連続殺人の四人目の被害者として数えられるのだろう。

「応接室って大体テーブル低いよね。カツ丼とか出てきても食べづらそう」

「カツ丼出るのも容疑者だろ。それにあきら、カツ丼食べたらブタ見えちゃうじゃん」

「すぐ戻ろうと思えば戻れますので」

 私たちはいっちゃんの《超感覚》——超人的な聴覚、視覚、嗅覚、その他をもつことについては話さなかった。信じてもらえないし、信じてもらっても後が面倒だし。そもそも検死や現場検証で得られるだろう以上の情報なんてたぶん無いし。

 何よりいっちゃん自身がショックでかなり消耗していたので、主に聞き取りを受けたのは私とみっちゃんで、いっちゃんは途中で保健室に行かせてもらった。

 

 聞き取りの中で、犯人が鈍器ではなく、刃物を出すのを見たことは話した。でも話を聞いた警官の反応から、凶器が複数あることは然程さほど目新しい情報ではないらしいことは分かった。

 考えてみてそうかもと思う。警察からの正式な発表はないが、この事件についてまことしやかに囁かれている噂がある。

 

 ——被害者は全員が、殺害後にを取り出され、めちゃめちゃに破壊されていたという。

 特定の臓器、が何なのかはつまびらかでなく、それは模倣犯を出さないために警察が秘密にしているからという説明で。

 しかし、この事件において強烈な謎となっている《被害者の妊娠》という要素から、腹を裂かれて子宮を取り出されていたに違いないというのが大方の意見であった。

 

「被害者のひと、知らない人だったね」

 私はつい口にしてから、失敗したと反省した。折角穏やかになってきていたいっちゃんの表情が曇ったからだ。

 いっちゃんは知っているはずなのだ。被害者が、犯人に何をされたのか。特定の臓器が何なのか。あのとき解放されていたいっちゃんの超感覚は捉えていた。

 でも、私も、みっちゃんも、興味本位でいっちゃんにそんなことを聞いたりはしない。じゅうぶん心を痛めている心やさしいいっちゃんに、これ以上陰惨な情景を思い出せるわけにはいかない。

 いかないのに、ああもう。私は馬鹿なんだから気をつけなければ。


 被害者は二年生。上級生であり、クラスメイトとさえほぼ交流のない私たち三人にとっては全くの赤の他人であった。

 

 

 

 

 

「あれ、もうない」

 予鈴が鳴り、みっちゃんがトイレで手と口をよくすすいでからの教室への帰り道。

 事情聴取後、お昼休みに出た廊下では貼られていた新聞部の新しい壁新聞が、もう無くなっていた。

 見出しが「一高イチコーに通り魔ジャック・ハンマー現る!!」と、今回初めて報道された凶器名を早速取り入れるいつもの悪趣味さであり、もう早々に剥がされるだろうと思いつつ、私とみっちゃんは保健室へいっちゃんを迎えに行ったのだった。

 それを帰りにチラ見するつもりだったのに。職員室仕事はやいなと思っていたら、これは新聞部の副部長が部長にビンタかまして回収させたのだそうだ。

 副部長は小柄ながら勝ち気の眼鏡っ子で、とかく扇情的な紙面を作りたがる長身でやはり眼鏡くんの部長とよく衝突している。ただ今回特に派手にぶつかったのは、見出しの悪ノリだけが理由ではなかった。


 新聞部の部長は昨夜から携帯を駆使して行なった取材を元に、午前の授業を全てサボり、部室で新聞を書き上げたそうだが——

 記事では女生徒が妊娠していることを前提に、その交友関係に無用に切り込み、なんとまあ憶測で父親当てごっこが始まっていた

 その大体が夏休みに発端をもつ、妊娠の理由やお腹の子の父親に事件との関連があったケースはないのに、三流ゴシップもニュースの賑わいとばかりに実名とスマホ写真の顔部分拡大付きで、当該女子まわりの男女関係を図入りでずけずけと書き立てていたのだ。

 

 あまつさえ本文の括りで、この連続殺人の全ての被害者の人格をおとしめるような茶化しがあった。

 つまり、この殺人犯のあだ名の元となったふるきロンドンの殺人鬼——切り裂きジャックがばかりを標的にしたことをわざわざ解説した上で、高校生の身で妊娠なぞをしていた通り魔ジャックの被害者もしかり、と。

 具体的な記述については、妊婦さんと、そういうお仕事の人の双方に失礼になると思うので触れない。

 

 

 そして放課後、頬を赤く腫らした新聞部の部長がなりをして涙目のまま、丸めた壁新聞を背中まで丸めて抱え、先を歩く副部長の後に遅れてとぼとぼと焼却炉のある学校裏へ向かうのを見かけた。

 確か二人はお付き合いなどしている筈であったが、今の二人の歩く距離は不自然に離れていて。その関係に、不穏な影が差したことがうかがい知れるように感じた。

 

 ただ、それもあくまで高校生活の日常の範疇に収まる光景であり、生命が危機に瀕するような非日常は、もう私たち三人の周囲からは去ったと思っていた。

 

 しかしそれは間違いであったということ、むしろこれから、何とかして日常の暗がりにひそむ影から逃げ切らなければならないのだということを、私たちはこの日思い知らされる。

 

 

 

 ——下校時、私たちと別れて一人になったみっちゃんが、ハンマーで頭を殴られて車でさらわれそうになったのだ。

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