四章 ⑨中二病と現実

「だけど、なんでわたしの命を守ろうとするのかしら。悪の秘密結社に情けをかけられる謂れはないわ」

「それはおそらくセルシアが、レメゲトンの悪魔を召喚する実力を持っているからだろう」


 合戦峯が眼鏡をくい、と持ち上げて続ける。


「魔術師になれる人間は、決して多くない。イルミナティは恒久的に人材不足なんだ。それを補うため、奴らは魔術師育成学校を創ったり、イルミナティに属していない魔術師を勧誘したりしている。いずれセルシアのことも、仲間に引き込むつもりなのだろう」


 だからこそ、と合戦峯は紫を見つめる。


「命は取らないと言っているのだから、要求を呑んでもいいのではないか? 何も失わず契約破棄させると言うなら、それに甘えて……」


「――何も失わず?」


 強い声で反芻した紫に、合戦峯が口を噤んだ。

 静まり返った教室で、鋭い目をした紫ははっきりと言った。


「失うものはあるわ。真理須との契約よ」


「……セルシア、冷静に考えろ。もし要求を呑まなければ、ノアはどうなる?」

「だから、ノアを救出するんじゃない! 何のために秘密結社を作って、こうして訓練までして……!」

「そろそろ現実を見てもよい頃合いじゃないのか、セルシア。……いや、紫」

「――!」


 紫の表情が凍りついた。言葉を失った紫に合戦峯は続ける。


「これはもう、お遊びじゃない。おまえは正真正銘のイルミナティに目を付けられたんだ。本物の悪魔を呼び出してしまったのだから、当然の帰結とも言える。イルミナティは、おまえの掲げた目標と同じものを目指しているのだから」


 すべての悪魔をわたしたちの支配下に置くことよ!


 そう宣言したとき、きっと紫は深い意味など考えていなかっただろう。もしかしたら思いつきだったかもしれない。まさか、それが実際のイルミナティと同じだなんて、想像すらしなかったはずだ。


「昨日のベリアルを見ただろう。ノア一人の命を奪うことなど、イルミナティは何とも思わない。ノアの命と、その悪魔との契約、おまえはそれを天秤にかけるつもりか」


 問われた紫が強く唇を噛み締めた。何もない机の一点を見つめたまま、動かない。


「……真理須を手放せと言うの? ノアの代わりに真理須を……!」

「そいつは悪魔だ。死ぬことはない」

「真理須だって紫の薔薇十字会の一員よ! イルミナティに屈して、仲間を失うだなんて……!」

「悪魔は契約によって縛られた下僕だ。仲間とは違うだろう」

「っ、真理須! あんたも黙ってないで何とか言いなさいよ! あんたのことよ! あんたはそれでいいのっ!?」


 いいも何も。

 激する紫へ、俺はため息を堪えて言った。



「契約書の扱いはマスターの自由だ。俺が口を出すことじゃない」


 ひゅっ、と紫が息を呑んだ。俺を映し出す漆黒が揺れる。


「……………………トイレ」


 放心したように呟いて、紫が席を立った。

 教室から紫が出て行き、俺は姿勢を崩していた。


 厄介なことになった。敵は紫と俺の契約を破棄させたいらしい。このまま契約してても魂を取れない俺からしたら渡りに船ではあるが、敵は俺に魂を取らせないつもりだ。……どうしたもんか。


 考えていると、合戦峯と目が合った。じっと見つめられる。


「……何だよ」

「私はおまえと出会って、悪魔の認識を改めさせられた。悪魔にあるまじき能力に、バカがつくほどの善良さ。悪魔を人類の敵と決めつけるのは、私の不勉強だったようだ」

「喧嘩売ってる?」

「褒めてるんだ」


 ちらりと合戦峯がドアを見遣った。それから俺のほうへと身を乗り出す。襟の開いた夏服の胸元から、ばっちり谷間が見えた。


「アンドロマリウス、おまえの人の好さを見込んで頼みがある。聞いてくれるか」

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