四章 ④魔術師の資質

「……簡単だ、門を開くくらい」


 水鉄砲を置いて、ノアの手を握っていた。


「真理須くん……?」

「ほら、やってみろ。俺が触れていれば、瘴気が伝わるから門は開きやすくなるはずだ」


 呆然とノアが俺を見上げた。

 涙を溜めた少女は驚いたように俺を見つめていたが、やがて、瞳を伏せた。両手で俺の胸を押し返す。


「……ダメです、そんなこと。あたしと契約もしていないのに……。あたしを手伝っても、真理須くんには何のメリットもないんですよ」

「ああ、ないな。召喚のサポートなんて、契約している悪魔でもやりたがらない。自分の取り分が少なくなるからな。だけど、契約をしていない悪魔が召喚のサポートをしてはいけないという定めはない」


 ノアの手を掴んで、強く引き寄せる。見開いた青が、俺を映した。


「メリットのない俺がいいって言っているんだ。遠慮せずにやればいいじゃないか」


 間近にある少女の頬が赤く染まった。「はい……」とノアは、俺と手を繋いだまま魔法円に向かう。

 それからルシファー召喚をリトライしたが、結局、それでも地獄への門を半開きにするくらいしかできなかった。まあ、そんなに甘くない。

 ノアは魔法円を閉じると、疲れたように息をついた。


「……自分の才能のなさを目の当たりにする度に、荊原さんの偉大さを実感します。あたしが十年近くかけてもできなかったことを、荊原さんはすぐにやり遂げたんですから」

「中二病が偉大なわけあるか。あいつのは伝説級の奇跡だ」


 吐き捨てた俺にノアは小さく笑い、視線を落とした。「手……」と呟かれて、俺はまだノアの手を握っていたことに気が付いた。瘴気の伝達が途切れるといけないから、指がしっかり絡んでいる。


「あ、ごめ……」


 慌てて離すと、ノアも恥ずかしそうに俯いた。


「……中二病、ですか。つくづく荊原さんはすごいんですね」

「何がすごいって?」

「真理須くんが荊原さんを魔術師だと認めていないのに従っている状況が、です。悪魔を従える力も、魔術師の実力のうちですよ」


 そう言われてしまえば、それまでだった。

 悪魔も人間と同じで感情がある。契約を結んでいたって、きちんと働くかどうかはマスター次第ではあるだろう。いくら地獄の監察官が恐ろしくても、マスターのために働きたくないと思えば、それなりの仕事になる。


「歴史的に見ても、悪魔を多く従えた魔術師は人格者であったりカリスマ性があったりと、人間的に魅力のある人が多いんです。きっと七十二体も悪魔を従えたソロモン王は、悪魔を惹きつける何かを持っていたんでしょうね」


 俺はふっと目を落とした。



 懐かしい、最初の契約者。

 目蓋を閉じれば、かの王の輝かしい御姿は三千年経った今でも鮮明に俺の脳裏に甦る。彼は俺が知る限り誰よりも優れた魔術師であった。俺の職能を認め、受け容れてくれた唯一の人間でもある。


 対価に受け取ったのは、ほとんど価値のない生贄の魂だったが、そんなことは気にもならなかった。俺を信頼し、俺の正義を尊重してくれた彼のために力を使うことが、何より誇らしかったから。

 もう二度と俺は、彼のようなマスターに巡り合うことはないだろう――。


「それに比べて、あたしは才能がないし、やっぱり魔術師になるのは無理なのかもしれません」


 感傷に浸っていた俺は、ノアの言葉に眉を寄せた。


「決めつけることはないだろ。それがおそらく失敗する原因の一つだ」


 ぱちぱちとノアが瞬きをした。


「人間の資質なんて、そう大差あるもんじゃないんだ。俺たち悪魔から見れば、所詮は同じ人間。できないというのは、心のどこかで諦めているんだ。俺は、魔術師の資質というのは、そこだと思っている」


 皮肉な話だが、思い出したのは紫だった。

 すべてを貫き通すような強靭な眼差し。

 悪魔としてそれに惹かれたのは、認めよう。


「どれだけ強く思い、信じ、願えるか。強い意志は力だ。それがなければ、日付や曜日、時刻、方角、星の並びがいくら合致していても、門は開かれない。

 ……そう考えると、あの中二発言は自己暗示として機能しているんだろうな。あいつにその自覚はないだろうが」


 話が脱線した。


「だから、ノアも諦めなければ魔術師になれるよ。俺も手伝うからさ。あ、でも、いきなりルシファーは難易度高いからやめない? 他の爵位持ちの悪魔じゃダメなの?」


 残念だが、現在、ルシファーは召喚できない。だって今の奴は、引きこもりのネトゲ廃人だから。地獄の沽券に関わるからトップシークレットだけど。

 俺の提案にノアは俯いた。


「……ダメです。どうしてもルシファーじゃないと、意味がないんです」

「えーっと、それはなんで?」

「……どうしても、です」


 思いつめた表情のノアに俺も困る。頬をかき、あーと声を洩らした。


「じゃあ、とりあえず地獄への門が開けるように、これから頑張ろうか」


 言うと、ノアは「はい!」と、とびきりの笑顔で返事をした。

 ちなみに、校舎を駆け回り俺を捜していた紫と合戦峯が教室に帰ってきて、ノアと仲良く召喚をしていた俺は大変な目に遭った。リアルに地獄へ落ちたからね。三秒後に紫に喚び戻されたけど。

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