第34話 羅一の闇、具現化

「着いたぞ。ここだ」


 親父さんに武道場から連れられて、少し歩いた所に、その部屋はあった。

 少し見上げる大きな襖がでん、と佇んでいて、上を見やると、真上に『心の間』と勇ましく筆で書かれた木札がかけられている。

 心なしか、俺の前にそびえ立つこの襖が、ここにこれから入ろうとしている俺をこの瞬間から何か試しているのではないか、と一瞬そんなことを勘ぐっていた。


「心の、間?」


「そうだ」


「ここで、俺は何を?」


「この部屋は、入った者の心を写す部屋。自身の精神的な修行や、雑念を克己する時に使う。詳しいことは入ればわかる。さぁ、入ってみなさい」


 自身の、精神的な修行。

 それは、今俺が悩んでいることと、多分関係のあることなんだろうな。

 俺はおそるおそる、ゆっくりと扉を開く。

 床と引き戸の底が滑らかに擦れる音と共に、部屋の全貌が明らかになる。


 全て開ききって、見えた景色は、


 真っ白。ただただどこまでも、真っ白

 卓袱台がちょっと離れた所にぽつんと置かれていて、その上に湯呑みがちょこんと乗っかっている。


 殺風景にも程がある景色。本当にこんな所で何を––––––?


「説明してくれ、と言わんばかりの顔だな。まぁとにかく、入りなさい。そして、そこの卓袱台の前まで行って、座りなさい」


 親父さんの言われた通りに、俺は卓袱台の前まで行って、座る。

 すると親父さんはふうと一息吐いて、

「よし、ではそこでしばらく待ってなさい。私は少し席を外す」


 そういうや否や、即座に襖ををぴしゃりと閉めてしまった。


「え、ちょっと、待ってください⁉︎ 修行は⁉︎ アレ⁉︎ 開かねえ!」


 そんないきなり唐突にそんなことをされちゃ気が動転しないはずがない。急いで襖の前まで駆け寄り開けようとするも、まるで瞬間接着剤より強力なナニカでくっつけたように、いくら強く引いても二つの戸が離れることはなかった。

 ちくしょういくらなんでも唐突すぎんだろ! まだ何の説明も受けてねーぞ!


「これが修行さ。なに、暫くすればわかる。そうだな、少しヒントを与えるとすれば–––––そこは、己の心を写す部屋だ。では、健闘を祈るよ」


 それだけ言うと、親父さんは去って行ってしまったようだ。床を踏みしめる音が、虚しく聞こえ、そして暫くしたら何も聞こえなくなってしまった。


「オイ、どーすりゃいいのこれ」


 思わず、内心が声となって出てしまう。

 いやさっきの説明だけでわかるかい!

 強いてわかることがあるとすれば、俺が今抱えている悩みが、自分の実力を弱めてしまっていること。そしてそれを克服する為に、この部屋に案内されたってことくらい。


 俺の心を写すって言われても、具体的にどんなことなのかも検討がつかないし・・・。


 ・・・取り敢えず、腕立て伏せしよ。暫くすればわかるって言ってたし、それまでじっとしてるのも性に合わん。はい手をついて、足を伸ばして、腕を曲げてー・・・。


 最大限の負荷をかけるために、胸板が床近くにくっつくくらいまで腕を曲げる。

 そして腕を伸ばそうとした、

 伸ばそうと・・・って、アレ?


 腕が、動かない。ってか・・・、


「重ぉぉぉおおっ!!??」


 突然ゾウが上からのし掛かってきたような、凄まじいまでの圧力が体全身にかかる。

 必死に腕を伸ばそうとするけれど、体は一ミリも上に動かない。


「くっそ・・・まだまだぁぁ!」


 それでも腕を伸ばそうと、俺は持てる力を全部出して、腕に力を込める。

 が、


「あだっ!?」


 腕の限界がきた。腕の力が急に抜け、糸が切れたようにカクンと体が崩れ落ちた。

 急なことだったため、顔を床にのめり込ませてしまう。痛い。

 腕が痺れる。体がとんでもなく重い。暫く仰向けに寝そべっていると、


「ざまぁねぇな。クソ野郎」


 頭上に俺を見下ろす人が、1人、気がついたらいた。それは––––––、

 え、俺?


「2人の女性に挟まれて、なおかつ優柔不断なクソ野郎さん。ご機嫌いかがかな?」


 俺の姿をしたソレは、不気味な笑みで吐き捨てるように話す。

 –––––お前は、誰なんだ? なんで俺の姿なんかに––––––?


「そりゃお前が一番わかってんだろ。こんなこと、こんな風にお前に言う奴ァ、この世に一人しかいねぇんだからよ」


 そこまで聞いて、俺はこの部屋に入る前の親父さんの言葉を思い出していた。


 –––––ここは、入った者の心を写す部屋。


 そこから、考えられる仮説が1つ、あった。

 わかったぞ。こいつが誰なのか。確かに、こんな言葉で、俺を貶す奴はこの世に一人しかいない。


 こいつは、俺自身–––––––。

 成る程、こいつに打ち勝つ事が、俺に与えられた課題って訳か。

 俺は重たい体をなんとか起こして俺の姿をした奴に向き直る。


「お前はさしずめ・・・俺の心の闇って言ったところか?」

「アホなお前でもそんくらいは察せるみたいだな。ま、厳密に言えばお前の心の闇が具現化して、1つの意思を持った存在––––––、言うなれば闇羅一、ってトコか」


 目の前の俺は、好戦的で、凶暴的な目で俺を見て、顔を嗤い顏に歪める。

 正直なんでかはわからないけど、凄く、物凄く、気味が悪かった。

 悪寒が走る。重たい体が、更に重たくなる。


「お前が俺の心の闇なら・・・、俺はお前に打ち勝たなきゃいけない。お前に・・・、俺は負けちゃいけない」


 なにか、言わなくちゃ。言わなきゃ奴に飲まれる気がしたから。だから、必死に声を、言葉を絞り出す。

 奴はそこまで聞くと、嗤う顔を更に不気味に歪める。まるで心底可笑しいとでもいうように、嗤う。


「ほーぉ、まだ抵抗する精神力があったのか。まぁ、テメエはそうだよな? じゃなきゃ–––––––」


 じわり、と奴の周りに黒い光のようなものが滲み出––––––た、次の瞬間。



 背後から声が聞こえた。

 ぎょっとするのも束の間、腹部に貫かれるような衝撃が走る。

 不思議と衝撃のした所には痛みを感じなかった。けど、


「あが・・・っ!?」


 心臓に強烈な、痛みにも似た感覚が走る。

 痛い、滲むように、痛い。まるで、心の傷をえぐられたようだ。

 そして、そこから黒い何かが、濁流のように流れ込んでくる。

 視界が暗く、黒く染まっていく。仰向けに倒れ込んだときに背中に感じた衝撃が、遠い。


 ヤバイ、このままじゃ、飲まれる。飲まれたら––––––、俺が俺じゃなくなってしまう気がする。


「んぐ・・・、ダメ、だ、飲まれ、ちゃ・・・」

「おいおい、案外しぶといな、んじゃ、もう一突きっ!」


 嬉々とした声で、奴は俺にまたがり、再度俺の腹を殴る。

 2度目の衝撃を感じた瞬間、俺の意識は、闇に染まった。

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