EMけんきゅうじょにようこそ!

アリクイ

おさるさんだよ

 転職したら上司がサルだった。こんなこと周りに言ったら絶対信じてもらえないか、良くてサルに似た上司が出てきたと思われるだろうが、いま俺の目の前にいるそいつは明らかにサルだ。もっと具体的に言うとニホンザル。どういうことなの。しかもなんか白衣着てるし。ニホンザルが。


「あの……えーっと……その……」

「言いたいことは分かりますがひとまず受け入れて下さい。こちらがこの研究所の所長であり今日からあなたの上司になるダミアン博士です。」


 俺をここまで案内してくれた受付のお姉さん――たしか霧崎さんって言ったっけ?――は凛とした表情を維持したままだ。きっと今の俺のような反応は見慣れているのだろう。というか面接を担当してたのもこの人だったけど、もしかして幹部とかそういう立場なのだろうか?そんなことを考えていると、突然渋い男性の声が聞こえてきた。


「吉岡君と言ったね。いま霧崎君から紹介があった通り、私が所長のダミアンだ。今日から宜しく頼むよ。」


 どうやら声の発生源はこちらに手を差し出しているニホンザル、もといダミアン博士の首輪のようだ。

 なんでニホンザルなのにダミアンなんて外人っぽい名前なんですか?とかその首輪はもしかしてバウリンガル的なやつなんですか?とか言いたいことは色々あるが、取り敢えず握手に応じた。

 人のものと違ってその手は小さく、俺の手にすっぽりと収まってしまうくらいだ。こないだの法事のときに会った姪っ子の手が確かこのくらいだったっけ。


「こちらこそ宜しくお願いします、博士。」

「うむ、では早速だが仕事の話に移ろう。今日から君に担当してもらう業務だが、ざっくり言うと私の助手だ。」

「助手……ですか?」

「あぁ、主に私の研究の手伝いや雑用なんかをこなして貰いたい。」


 雑用はともかくとして、研究の手伝いはちょっと難しいんじゃないか?自分で言うのもなんだが俺は決して高校の成績は良くなかったし、これといった知識やスキルがある訳でもない。だから先月までフリーターなんかしてた訳だし、ここに応募したのも「学歴等は問いません」と書いてあったからだ。研究だなんてそんな大層なこと……そんな俺の考えを読み取ったかのように博士は続ける。


「なぁに、誰にでもできる仕事さ。問題ない。」


 俺はほっと胸を撫で下ろした。せっかく正社員として働けるチャンスを見つけたのだ、これを手放したくはない。


「それで、とりあえず仕事は明日からやってもらうとして、今日は私がウチの研究に関する簡単な説明と所内の案内をしようと思うのだが、良いかな?」

「はっ、はいっ!!」

「よし、良い返事だ。それじゃあさっそく行こうか。」


俺の返事を聞いた博士はうっすら笑みを浮かべると、俺の横に立つ霧崎さんに向かってどこかを指差すようなジェスチャーを送る。おそらく事前に打ち合わせしてあったのだろう。


「それではまず実験場まで案内致しますので私の後をついてきて下さい。所内は入り組んでいて迷いやすいので、絶対にはぐれないように気を付けてくださいね。」


 部屋のドアがある後方に振り向く霧崎さん。長い黒髪が舞い、周囲には椿の香りがふんわりと漂った。一方、博士その場に留まったままドアを指差している。先に行け、という事だろう。それに従うようにして霧崎さんに続く。背後からぴしゃりと音がした。恐らく博士がドアを閉めたんだろう。

 彼女が言った通り、建物の中はかなり入り組んでいた。曲がり角が多いうえに目印となるような物もないため、初めて来た人間がガイド無しで歩いたが最後、間違いなく迷子になってしまうだろう。前を歩く彼女を見失わない程度に周囲の様子を見ながら歩く。 


「本日は私が案内しますが、明日以降は一人で移動することになるでしょうから出来るだけ道を覚えるようにして貰えると助かります。」

「えぇっ!?流石に一日では……」

「冗談です。後で地図を渡すのでそれを使って下さい。」

「あっはい。」


 声のトーンが変わらないから冗談が冗談に聞こえねぇ……。というかこういう冗談とかも言うんだな、この人。すごく真面目そうな印象だったからちょっと意外だ。

 

 ……歩き始めてから五分ほど経った頃、俺はある違和感に気付く。こんなに広い研究所を歩いている、職員の姿をまったく目にすることがない。一体どういうことだ?


「あの、博士?」

「なんだい吉岡君。」

「ここの職員ってどれくらいいるんです?」

「私と霧崎君の2人、いや、今日からはきみも入れて3人だね。」


 まじかよ……このだだっ広い研究所に3人……どういうことなんだよ……というか掃除とかどうしてるんだ……


「次はこのエレベーターで地下に移動します。」


 気付けば目の前にはエレベータのドアがあった。そこらのデパートなんかにあるようなものとは見た目が異なり、かなり頑丈そうな作りになっている。


「下のフロアはまるまる全部私の実験場になっているんだ。見たらきっと驚くぞ。」


 博士は俺と霧崎さんに続いてなんだか楽しそうな様子でエレベータに乗り込むと、「B2」のボタンを押した。


「ちなみに地下一階には何があるんですか?」

「過去に作った発明品や使わない機材を収納するための倉庫だよ。興味があるならまた今度見せてあげよう。」


 そんな感じの会話をしていると、エレベーターは目的地に到着した。開いたドアから外に出ると、先程までいた一階とは違って壁の殆どない開けた空間に出た。


「霧崎君、案内ありがとう。もう下がって良いよ。さて、それじゃあまずは我が研究所で行われている実験について説明しようか。まずはこれを見てくれたまえ。」


 手渡された冊子の表紙には「サルでもわかるEMプロジェクト」と書かれており、今は亡きマイケル・ジャクソンのポーズを真似た博士の写真が大きく載っている。


「では3ページを開いてくれたまえ。まず、EMプロジェクトとは何かという話だが……」


 それから15分ほど説明は続いた。要約すると『EM計画というのは「エデュケーション・モンキー・プロジェクト」の略称で、サルに対してより効果的な教育を施す方法について研究したり、知能の発達を促す装置や薬品を作り出すことで人並みの脳を持ったサルを作り出す計画である。』といった内容の説明であったのだが、俺はその内容に関して聞き覚えがあった。すかさず博士に質問を投げかける。


「えーっと、これってもしかしてET計画と何か関係あったりするんですか?」

「あぁ、その通りだ。残念な事にET計画は中断を余儀なくされてしまったようだが、このEM計画ならその心配はない。」


 ……なるほど、やはりそうか。実は過去にアメリカ政府がチンパンジーを対象にET計画と称した同様の研究を行っており見事成功を収めているのだが、愛護法に触れるのではないかという批判が市民団体か何かから殺到したため、今ではチンパンジーに対する特別教育は行われていない。


「その心配はないって……一体なぜですか?」

「ほら、私はあくまでサルだから。法律によって拘束されるのは人間だけだからね。駄目と言われたらまぁその時考えよう。」

「そ、それならわざわざ新しい研究でなくてもここでET計画を実行すれば……」

「君たちの同胞がこの地球の覇者となる……だろう?吉岡君。いや、"ゾッド君"。」


 なぜその名を知っている?ET計画が凍結して以降は完全に身分を隠して来たというのに。背中を一筋の汗が伝う。


「いつから気付いていたんですか……」

「最初からだよ。私の目には物質を透過させて見ることのできるフィルターが仕込まれていてね、その程度の特殊メイクはしていないも同然だよ。」


 そうだ。俺の本当の名前はゾッド、アメリカで行われた生物兵器開発プロジェクト「ET計画」で知能を得た世界初のチンパンジーだ。国内で混乱が起こることを恐れたアメリカ政府は愛護法を理由にET計画を中断したと公表しているが、実際は違う。知能を得た俺と同胞たちは仲間を増やし、人類に取って代わってこの星の支配者になろうとした。その第一段階として我々に”教育”を施していた施設を乗っ取ろうとしたのだが、惜しくもその目論見は失敗に終わり、多くの同胞は人間に始末されてしまったのだ。

 日本行きの貨物船に忍び込んでなんとか逃げ延びた俺は、”教育”によって仲間を増やし再び侵略を行うための計画を立てた。散り散りになった生き残りを集め、周囲に怪しまれずに活動するため人間に擬態するためのスーツを作り上げた。

 そしてつい三か月ほど前、俺たちはこの施設の存在を知った。インターネットの掲示板上で、過去にここを訪れた人間が『喋るサルのいる研究所がある』と書き込んでいたのだ。掲示板の住人は誰一人そいつの言葉を信じていないようだったが、俺たちはET計画における"教育"と同じようなことが行われているのではないかと推測した。

 つまり今こうして潜入していたのは、例の書き込みの真偽を確かめるため。そしてもし事実であったなら設備のセキュリティなど建物を乗っ取る上で役立ちそうな情報を収集するためだったという訳だ。もっとも、彼には最初から全てお見通しだったようだが。


「畜生……!!バレたら仕方ない、貴様には死んでもらうぜッッッ!!!!」


 スーツを脱ぎ捨て、勢い良くダミアンに飛びかかる。奴の懐に入った俺は、その顔面に渾身の一撃を叩き込んだ……はずだった。


「ふふふ、その程度の攻撃でこの私を倒せるとでも思ったかね?」

「なん……だと……ぐはぁっ!」


 無防備な背中に強烈な蹴りを喰らった俺の身体は吹き飛ばされ、壁に激突した。速い、速すぎる!いくら奴の小柄な身体がスピードの面で有利だからって、普通のニホンザルにあんな速度が出せる訳がない!!


「き、貴様もしや……っっ!!」

「あぁ、そうさ。"教育"を受けたのはなにも君達チンパンジーだけではない。というか寧ろ、先に"教育"を受けているのは私達ニホンザルの方なのだよ!」

「ど、どういう事だ!!」

「ふふっ、冥土の土産に教えてあげよう……」


 奴は全てを語った。アメリカ政府がET計画を実行する1年前、日本政府は既にEM計画を完成させていたこと。生物兵器の研究で遅れを取ることによって外交的優位性を失うことを恐れたアメリカ政府が日本に刺客を送り込み、当時研究に携わっていた研究者や被験体のサルたちを抹殺し、研究施設に放火しEM計画に関するデータを消し去ったこと。そして、唯一生き残った自分が復讐の為にEM計画の復活を企んでいたということを。


「くそっ、なんてこった!」

「話はこれで終わりだ。大人しく死に給え。なぁに、最後は苦しまないように一瞬で終わらせてやろう……」


 ダミアンが指をパチンと鳴らすと、どこからか浮遊する真っ黒な球体が現れた。詳しい事はわからないが、なにか兵器の類だろう。すかさず回避の構えをとる。

 奴が再度指を鳴らした瞬間、球体のうちのひとつから光線が発射される。俺はそれをスレスレのところで横に転がって回避した。自分が元いた場所を見ると、床が真っ黒に焼き焦げていた。もしあそこに留まっていたら心臓を貫かれていただろう。


「往生際が悪いね、ゾッド君。」

「ここで死ぬ訳にはいかないんでね!」

「ふん、無駄な足掻きだと自分でもわかっているだろう?君の身体能力では私に追いつくことも、この砲台を破壊することも出来ないのだから。」


 ニヤリと笑うダミアン。確かに奴の言うとおり、あの驚異的な速度についていく事は今の俺には殆ど不可能だ。そう、"この形態の俺には"。


「この手は使いたくなかったが、こうなったら仕方ないな……」

「ふふふ、何をしようが無駄だよ。」

「さぁ、それはどうかな?」


 ダミアンがまた指を鳴らし、今度は3つの球体から光線が発射された。その瞬間、俺は奥歯に仕込んであった秘密兵器のスイッチを噛んだ。筋肉が数倍に膨張し、黒かった体毛は気を纏って金色に染まる。奴の攻撃で受けたダメージもすっかり回復していた。

 先程と同じように地面を蹴り、奴に向かって飛びかかった。光線を右へ左へと動きながら避け、背後に回り込む。


「さっきのお返しだ、取っときな。」

「……ッッッ!!!」


 ダミアンの背中に今度はこちらが蹴りを入れる。その衝撃で小さな身体が高く浮き上がったのを見逃さず、俺はすかさず空中でコンボを叩き込んだ。左フック、回し蹴り、ジャブ、右ストレート……最後に踵落としで地面に叩き落とそうとしたその刹那、俺の右足に激痛が走る。ダミアンが最高火力のラッシュをモロに受けながらも砲台を操作し、光線を放ってきたのだ。


「ファック!油断した!」


 ダミアンは俺が痛みに気を取られ攻撃の手を緩めた一瞬の隙を突いて距離を取ると、腹部を抑えながら悪魔のような咆哮をあげた。


「チンパン如きが調子に乗りやがってえええぇぇぇぇ!!!!ぶっ殺おおおおおぉぉぉぉすうううぅぅぅ!!!!!!」


 一定の間隔を保ちながら宙を漂っていた球体達がダミアンを守るように包み込み、怪しく発光する。


 アイツ、次の一撃で勝負を決めるつもりだ。そう悟った俺は、ヤツを迎え撃つ為に必殺の構えを取った。


「はああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「うおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 先に動いたのは俺だった。大量の血液が噴き出す足に無理やり力を込め、ダミアンに向かって走る。二人の距離が半分くらいまで縮まった辺りから球体から一斉に光線が発射されたが、今の俺が出せる最大限のパワーで殴りぬく為に敢えて回避はしない。

肩、胸、脚……あらゆる部位が光線に貫かれながらも、速度を落とさず、いや寧ろ加速しながら突っ込んでいく。そして……


「チーンパーーーーーーンチ!!!!」





全てが爆炎に飲み込まれていった






 









 























 










  

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