第十五曲 呪文

(一)

 晩秋より初冬と言う方がふさわしい、寒風吹き荒ぶ日曜の午後。冷え切った体を温め、のんびり寛げるはずのカフェの店内で、私はずっと呻吟していた。

 目の前には、初対面の若い男がいる。背が低く、小太りで、ぼさぼさ頭。下駄顔に小さい目。団子鼻で、唇が厚い。極端な醜男というわけではないんだが、誰からもイケメンとは言ってもらえない顔貌だろう。冴えない地味な服装やどこかおどおどした態度も含め、女性にもてそうな要素はない。

 向かいの席から身を乗り出し、すがるような目つきで私をじっと見つめていた男の口が、控えめに開いた。


「先生に、ぜひ呪文を教えていただきたいんです」

「呪文、ですか」

「はい。ぜひ」

「うーん……」


 困ったなあ。私の商売は呪術師でも宗教家でもスピリチュアリストでもない。しがない三流物書きだ。呪文を教えろなんていうとんでもない依頼をされても、おいそれとは引き受けられない。どうしようか……。私は固く腕組みしたまま、しばらく呻吟を繰り返すしかなかった。


「うーん……」

「ぜひ!」


◇ ◇ ◇


 怪異譚を専門に書き続けている私は、決して名の通った作家などではない。大体、怪異などというものはおおまかにパターンが決まっていて、そのパターンのバリエーションが種々あるに過ぎない。怪異譚の分野は、どんなものを書いたにせよ「どこかで見たな」という既視感が常につきまとうという宿命を背負っているのだ。

 優れたプロ作家ならば、その弊害を設定、修辞、人物造形で巧みに回避し、ちゃんと個性を主張できるんだろう。だからこそのプロだ。だが、私にそんな腕前はない。稼いでメシを食わなければならない以上、プロ作家がしのぎを削りあっている同じ土俵には絶対に上がらない。いや、上がれないんだ。


 潜り込める隙間を探し、そこで食っていくためのスキルを鍛える……私の作戦は今まで概ねうまくいっていた。私が活路を見出した方策は、ありとあらゆる怪異譚をデータベース化し、あまり手垢のついていないネタを探し出して自己流にアレンジすることだった。

 もちろん、原本丸写しなんざ絶対にしないよ。一度でも後ろ暗い裏道に踏み込んでしまうと、もう二度と常道には戻れない。下品な盗作野郎と蔑まれ、ライターという称号すら名乗れなくなってしまうからね。私の個性が前に出過ぎないよう平易な文章にし、ネタがきちんと前に出るようにしてアイキャッチにつなげる。『私』という実体をぎりぎりまで削ぎ落とすことで剽窃ひょうせつのそしりから逃れ、名誉より実を取ることで安定した執筆依頼を確保し続けてきた。

 『枯野からの ゆう』という筆名はずっと固定なので、名無しのゴーストライターというわけではない。しかし、既存のネタをアレンジして見せるという作戦上、露出しすぎることはあまり好ましくない。こう言っちゃなんだが、作家としての私は筆名通り存在の希薄な幽霊みたいなものなのかもしれない。


 そんな私に多くのファンがついているはずもなく。ホラー愛好家の中の珍物好きにそこそこ受けているという程度だ。その「そこそこ」が底割れしなかったからなんとか書き続けてこれたが、正直なところ先の見通しが明るいとはお世辞にも言えない。

 だから、私のファンを自称する男から「ぜひ実際に会ってお話したい」という連絡が来た時には飛び上がってしまうほど嬉しかった。しょせん作家もどきにすぎない私にマネージャーだの敏腕編集さんだのがついてるわけはないので、彼と直接会うことにしたんだ。


 配送作業員をしているという自己紹介だったから佐川男子のような爽やか系予想していたんだが、待ち合わせの喫茶店に現れたのはまるっきり風采の上がらない地味男くんだった。とことん冴えない独身中年男の私と大して違わない。

 加藤一夫と名乗った若者は、私に会えて嬉しいという素振りを全く見せず、どこか切羽詰まった空気を漂わせていた。その沈鬱な表情を見て、私はなぜか……嫌な予感がしたんだ。そして、嫌な予感は見事に的中した。


 彼が私に会いたがったのは私のファンだからではなく、私しか知らないであろう情報を引き出すためだった。挨拶もそこそこに、「呪文を教えて欲しい」というとんでもない依頼を切り出したのだ。目を伏せたまま、加藤くんがどうにも胸糞の悪い話をぼそぼそとこぼし始めた。


◇ ◇ ◇


 加藤くんは三人姉弟の真ん中で、一応長男ということになる。父親は普通のサラリーマン、母親はスーパーで働いているパート主婦で、暮らし向きはごくごく一般的。だが、彼の姉は見目麗しい上に才女の誉れ高く、両親の自慢の娘らしい。親の愛情は九割方長女に注がれるわけで、彼と弟は付け足しのような存在だったそうな。


 親の差別待遇がおもしろくないのは彼も弟も同じだったが、弟は徹底的に姉の逆張りをした。勉強なんかこれっぽっちもせず、してはいけないと言われたことを何から何までしでかして何度も警察の厄介になった。有り体に言えば、箸にも棒にもかからない極め付けの極悪ヤンキーになったわけだ。挙句、くず高校を中退して行方をくらました。親はすでに弟を勘当扱いしていて、親の口から弟の話題が出ることは一切ないらしい。

 そんな極端な姉弟の間に挟まれた彼は、全てが中途半端だった。成績は可もなく不可もなし。運動は苦手。これといった特技や特徴があるわけでもない。はっきり自己主張するのは苦手なのだが、だからと言って誰かの言いなりになることには耐えられず、自分の立ち位置を決めるのにずっと苦労していたそうな。当然のこと友達は少なくなるが、集団の最後尾について回るくらいの処世術は身につけていた。

 姉を溺愛し弟を切り捨てた両親は、彼をスルーした。あら、あんた。そこにいたの……ってな感じで。媚びもせず、反抗もせず、淡々と過ごす息子を見ていれば、長男は手がかからなくて助かるわくらいの感情しか持てないのだろう。


 高校を卒業した彼は、両親と姉の鉄壁コンビから一刻も早く離れたかった。大学に行けなくはなかったものの自宅生が条件。それがどうしても嫌で進学をキャンセルし、実家を離れて運送屋でアルバイトをしながら一人暮らしを始めた。親は、彼の選択に対して何も言わなかったらしい。好きにすればいい、と。反逆者だった弟と違って、堅実に自活の道を探っていると善意に解釈したんだろう。

 だが。彼は親や姉の影響圏から遠ざかりたかったものの、だからといって自己確立が完了していたわけではなかった。これといってしたいこともなく、楽しいと思うこともない。嫌な環境から逃れただけで、その空洞を埋める代わりの何かは見つかっていなかった。それでも働かなければ食っていけない。バイトで始めた配送の仕事は、すぐに彼の正業になった。

 社会人生活に慣れれば、きっとそれなりの新しい展開があったはずだ。しかし、彼はとことんついていなかった。彼が受け持たされた配送エリアは、彼の実家やかつての学友たちが大勢いる地区だったのだ。


 息子二人を放り出した彼の両親は姉を磨き上げることだけに血道を上げていて、彼はどうしてもそれを間近で見たくなかった。

 また、中学高校で彼と一緒に学んでいたかつてのクラスメートはほとんどが大学に進学していて、彼が働いている間に楽しいキャンパスライフを謳歌している。今遊んでいる連中は、大学を出ると自分よりもいい企業に就職し、単純労働に従事している人たちを蔑むようになるのだ。そういう理不尽な現実とも、毎日向き合わなくてはならない。


 配送受け持ちエリアを替えて欲しいという要望は最初から申し出てあったが、路地が複雑に入り組んでいる上に小さな戸建て住宅がこちゃこちゃパズルのようにはまっている彼の実家周辺は宅配泣かせのエリアで、彼以上にこなせる人材がいなかった。彼の要望は、親からだけでなく上司からも無視されたのだ。

 仕方ない。我慢していればきっと流れが変わるだろう。そう思い直した彼は、淡々と仕事をこなそうとしたものの……予想外の人物にずっと絡まれることになってしまった。


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