(二)

 きびきびと定型動作を繰り返すグレイの人型。それを嘲笑うように、不規則に飛び交う青い蝶。夢の中では、対照的な二種の色と形が不気味なコンソートを奏で続けていた。


 その不協和音が、佐々木の苛立った声で突然破壊された。


「坂下さん!」

「……うん?」


 俺の夢が歪んで吹き飛ぶ寸前に流れていたのは、バッハのシャコンヌだっただろうか。グレイと青とオルガンてのはどうにも取り合わせが悪いと思いながら、薄目を開ける。


「なんだ?」

「どんなに考えても、今回の商談はまともじゃなかったと思うんですけど。うちが請けるような代物じゃないです」

「ほう? どうしてそう思うんだ?」

「鋼材の商談でしょう? でも向こうの担当者は、どう見ても堅気じゃなかったですよ」

「堅気じゃない……か」

「いくら客だって言っても、最初から喧嘩腰でものすごく横柄だった。私たちのビジネスパートナーにふさわしいとは、とても思えないんですが」


 今頃になって、観察結果を並べておかしいと漏らすなんてのは論外だ。商売にマッチしていないのは交渉相手じゃなく、あまりに現実軽視で能天気な佐々木の方なんだが。本人には全く自覚がない。思わず苦笑する。


「そんな体たらくじゃあ、わざわざ日本くんだりからこっちに出張る意味はないなあ。戻ったら、さっさと商売を変えた方がいい」


 無能だと罵られたように感じたんだろう。佐々木の顔がひどく歪んだ。


 能力というのは、物事をスマートにこなす才のことではない。いかなる状況下にあっても最適な解を探れる、一種の生存本能に近いものが能力と称されるんだよ。そういう観点から評価した場合、彼の『能力』はほぼゼロに等しい。

 本社も、紙の上の課題をこなせるやつではなく、あらゆる面がタフにできてるやつを寄越してほしいね。もっとも、その手の嗅覚がしっかり発達したやつなら、最初はなからうさん臭さを嗅ぎつけて修羅場を上手に回避する。紛れもなく、それが唯一生き残れる道だからな。結局、線の上に置かれている俺がこうしてばばを引くことになる。


「なあ、佐々木」

「はい?」

「鋼材ってのは、組み立てないと使えない」

「そんなの当たり前じゃないですか」

「当たり前か。じゃあ、君はその当たり前を何も疑っていないということだな」

「え?」


 鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてやがる。本当に使えん奴だ。


「鋼材に限らず、俺らの扱うもの全てが例外なくただのパーツさ。それがどんなに完成された商品に見えていても、だ。だとすれば、商談に際しては相手のオーダーの向こう側……つまり各々のパーツがどう組み立てられるかを常に読む必要があるのさ」

「そりゃそうですけど」

「君はそこにひどく無頓着だった。その時点で、すでに商社マンとしては失格なんだよ」

「そんな!」


 自分は、ちゃんと社の指示に基づいて行動している。それなのに、なぜ無能呼ばわりされなければならないのか。佐々木の不満感情が一気に膨れ上がった。

 俺は、それを無視して話を続けた。


「なあ、佐々木。俺らが売りに行った鋼管には、燃料と爆薬が入っていてな。スティンガーという名前がついているんだ」


 ざあっ。怒りで赤くなっていた佐々木の顔から、一瞬で血の気が引いた。


「一つ、言っておこう。俺や君の所属している商社は外資系だ。本社は日本になく、商売も日本にはほとんど絡まない。俺らが武器を商ったところで、誰からも文句を言われる筋合いはないんだ。

「う……」

「銭を払ってくれる客がいれば、その商売で儲けが出るなら。紙おむつから原爆まで分け隔てなく商う。それが総合商社ってやつなんだよ」


 窓外の青に目を転じる。それは何者にも穢されることのない神聖な青に見えるが、俺らのようなものがぶんぶん飛んでいる時点でどうしようもなく大きな瑕疵があるのさ。


「左翼ゲリラが、政府軍の乾季大攻勢に対抗すべく武器を仕入れにきた。最近の戦闘は、空戦力の差が勝敗を決めちまう。上空から基地の位置や兵員配置を暴かれたら奇襲が成功しなくなるんだ。偵察機や重武装ヘリを墜とせないと、すぐに白旗だよ」

「じゃあ……」

「そう。売りに行ったのは携行型地対空ミサイル。それも、最近開発されたばかりの新製品だよ。命中精度も有効到達距離も、これまでの性能をはるかに凌駕する。値段も既製品をはるかに凌駕しているけどね」

「……」

「ゲリラの連中は常に地べたを這い回っているから、政府軍はスティンガーなんざ持っていても使い道がない。そこには、儲け口自体がないんだ。どっちが交渉対象になるかなんて、バカでもわかる」

「で、でも」

「政府軍を敵に回さないかってことだろ?」

「う……はい」

「君の頭の中は、単純な対立構造だけで組み立てられているんだな」


 俺の皮肉はお気に召さなかったようだな。佐々木が、食ってかかりそうな勢いで身体を反転させた。突き出された顔に指を突きつけて警告する。


「政府軍なんて言ってるが、所詮寄せ集めだ。個人のエゴが露骨に出る。政府軍の作戦行動をゲリラに横流しし、それで私腹を肥やしている幹部なんざ掃いて捨てるくらいいる。逆もまた真なり。ゲリラの方も烏合の衆さ。当然、俺らの行動アクションはゲリラ、政府軍のどちらにも筒抜けで、丸見えなんだよ」

「それじゃあ、おっかなくて商売なんか出来ないんじゃ」


 今度はびびり、か。


「ビジネスは信用の積み重ねの上にある……そういう原則論が通用するのは、ごくごく狭い限られた範囲内だけさ。サプライヤーの足元を見て安く買い叩き、客をだまくらかして高く売り抜ける。利益を独占するために同業者を出し抜く。それが商売ってやつだ」

「そんな……」

「綺麗事は利潤を生まない。当然、利益率を上げようとするなら相応のリスクが伴う。それだけのことさ」

「でも、あまりにひどすぎませんか?」

「ひどい? 向こうにへっぴり腰を覚られたら、弱みに付け込まれるだけだ」

「……」

「俺のやり口があくどいかどうか、君が直接連中と交渉して確かめればいいさ。ただし、俺は君の尻は拭かないよ。自らの身命を懸けて確かめてくれ」


 顔の前に突きつけていた指で、佐々木の額を小突く。


「今日の相手。君は知らなかっただろうが、武装してる。スーツの中身は戦闘員だ。連中は丸腰の俺らをいつでもぶっ殺せるのさ」

「え……」


 崩れ落ちるように座席に体を落とし込んだ佐々木が、両腕で頭を抱え込んだ。


「連中が最後まで武装を表に出さなかったのは、武器調達のチャネルが途絶するのを防ぐため。資金源が細っている今は連中にとっての正念場だ。俺たちに手を出すと、外部からの調達ラインが全部吹っ飛ぶ」


 右手で象った銃を、オーケーサインに変える。もちろん『銭』という意味で。


「資金さえ確保できれば俺たち相手に武器売買の機会を作れる……向こうは、そういうコンタクトラインを死守しなければならないのさ。生殺与奪の権限は向こうにではなく、俺たちにあるんだ」



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