Cp.4-3 Cloudy Orientation(1)
目を覚ますと、拓矢はひたすらに広い、白い空間にいた。
白い霞に覆われたそこは、足元に地面の感覚はあり、湿った土の感触もある。
そして、その空間の中央には、巨大な桜の大樹があり、薄紅色の花弁を散らせていた。
その大きな幹の麓に、この空間の主が、来客の訪れを待つように佇んでいた。
「お待ちしておりました、ルミナ姉様、拓矢様」
白い幽玄の中に咲く、薄紅の振袖を纏った、儚くあどけない顔立ちの一輪の撫子。
《
「咲弥ちゃん……ってことは、ここは」
「ええ、彼女の
それに返した瑠水の言葉に、咲弥は身を預けていた大樹の幹から離れると、居住いを正して二人に向き直り、挨拶も早々におもむろに口を開いた。
「お二人にお耳に入れておきたいお話がありまして、宵夢の最中を失礼いたしました」
「《
その話に即座に当たりを付けた瑠水の言葉に、咲弥はさほど驚く様子もなく答えた。
「そのご様子ですと、どこかで見当を付けておいででしたでしょうか」
「今日、マリィから聞きました。なぜ私達にはすぐに伝えてくれなかったのですか?」
問い詰めるような瑠水の言葉に、咲弥はわずかに答えにくそうに眦を細くした。
「お二人と黒の命士様は、切羽詰まっているご様子でしたので」
「今度のことの当事者はそのお二人ですよ。心の準備の時間も必要でしょうに」
事態を思うあまり勢いづいていく瑠水の糾弾の言葉に、拓矢が仲裁を入れた。
「いいよ、瑠水。こうして話がちゃんと来ただけでも儲けものだ。僕のことはいいから、あんまり咲弥ちゃんを責めないであげて」
「わかりました。でしたら追及を止める代わりに、今後に向けての話をしましょう」
瑠水のその言葉に、拓矢は素直に頷いた。
咲弥がこの時間に自分達をここに呼んだ理由には、瑠水が言った通り見当が付いている。夕方に黄組が話していた『会合』――瑠水はそれを《彩輪会》と呼んでいた。
磨理とイザークから聞いた話では、そこで永琉の処遇についての相談が交わされるらしい。であるならば、参加しないわけにはいかなかった。
その詳細を把握すべく、拓矢の方からも咲弥に問いかけた。
「《彩輪会》……って?」
「文字通り、彩姫達の会合の場です。正式には、彩姫と命士の集まりになります」
その問いに答えた咲弥に、拓矢は自然に浮かんだ疑問を訊いていた。
「集まり、って……具体的には、どこで何を?」
「《場》は私が設定します。議題については、御存じと思いますが……」
既に理解を得たものとばかりに話し始める咲弥を、瑠水が窘めた。
「サクヤ、少し話が早いわ。彼も全てを理解しているわけではないのよ?」
「あ……そうでしたね。少し先走ってしまったようです。失礼致しました」
「いや、というか、その……確かに、どこで何をするのか、全然まだ掴めなくて」
「でしたら、彩輪会の仕組みについては私の方からお話しします。いいかしら、サクヤ」
「はい。お恥ずかしいですが、お願いいたします。ルミナ姉様」
咲弥の了承を聞いた瑠水は拓矢に向き直り、いつものようにその仕組みを話し始めた。
「彩輪会というのは、言ってしまえば私達彩姫と、それに付き添う命士の情報共有の場です。それは私達が心を交わす心意通信と同じように、精神の共有によって行われます」
「精神の共有……?」
「簡単に言えば、参加する全ての彩姫と命士と心意通信を繋ぐということです。全員が心話を行える状態で、同じ空間で意見を交わす、そんなものだと思ってください」
瑠水の説明に、拓矢は再び思い浮かんだ懸念を口にしていた。
「でも、それって……何か、混線とかしない?」
「ええ。複数の精神を同時に共有するのは精神所有者に大きな負担がかかります。それを共有しやすくするために必要なのが《認知》と《場》の準備です」
「《認知》と《場》?」
拓矢の疑問に、瑠水は説明を続ける。
「《認知》というのは、言うなれば開催予告です。これを参加者に通知しておくことで、心意通信を繋ぐ際の負担が軽減されます。そして《全員が同じ卓についている》という認識を共有する《場》を設定することで、全体の精神状態を安定させることができます」
その話を聞いた拓矢の中に、自然な疑問が生まれた。
「ってことは、《場》って言っても別にどこかに集まるってわけじゃないってこと?」
「一応はそれでも可能です。ですがより安定性を高めるには、全員がなるべく近くに集まるか、もしくは全員が共有できる《場》の意識を持つ場所の力を借りるのが得策です」
「《場》の意識を持つ、場所……?」
またも理解しにくい言葉に頭を悩ませかけた拓矢に、瑠水は簡潔に説明した。
「簡単に言えば、参加者全員が認識している、訪れたことのあるような場所ですね。《この場所に行けばいい》という意識を全員が共有している場所があれば、そこは精神を集合させる《場》として使いやすいでしょう」
「なるほど……でも、そんな都合の良い場所って……」
どこにあるのか、と考えかけた拓矢は、唐突な閃きと共に動きを止めた。
ある。すぐ近くに。多くの彩姫や命士が訪れ、交流をしていた場所が。
不安定な確信と共に、拓矢は瑠水に訊いていた。
「全員が共有できる《場》って……もしかして」
「ええ。奇しくも、私達はこれまでに八色の彩姫の内の六色とこの町で接触してきました。どの彩姫にも、この町には何らかの意識が紐づいていると考えてもよいと思います」
瑠水のその言葉に、拓矢は不安げな確信と共に、確かめるように言った。
「この町を……彌原町を、その彩輪会の《場》として使うってこと?」
「あくまで《認識の集中している場所》という立地を使うだけです。会議を行うのも精神世界ですので、この町そのものには一切被害は及びません。ご安心を」
瑠水は補足すると、付け加えるように言った。
「とはいえ、おそらく開催の際には、いずれかの場所に出向くことになると思いますが」
「え……場所は関係ないんじゃ」
「精神を共有する《場》を設定するのがサクヤである以上、彼女を中心に交信しやすい位置にいることで、全体の交信も行いやすくなるでしょう。その辺りに関しては、彼女から指示があるはずです。交信の場を整えるための協力だと思ってください」
瑠水の言葉に咲弥が頷くのを見て、拓矢は頭の中の情報を整理しながら言った。
「理屈は、一応わかったよ。それで、そこで集まって何を話すの?」
拓矢のその問いに、咲弥は改めて気構えを正して、言った。
「大筋としては、《月壊》を回避するために、集まった彩命達の姿勢を確認するつもりです。その過程で、《月壊》の大元になった事象にも触れることになるでしょう。黒の魔女――虚黒の彩姫・イェル姉様の狂乱と、そのきっかけとなった事件についても」
明らかに特定の事象を差し示している咲弥のその言葉に、その当事者である拓矢は胸が重いもので満ちるのを感じる。彼女達彩姫の抱える存在の病に期せずして自身の愚行が関与していたことは拓矢も既にわかっていたが、こうして改めてその話が槍玉に上げられるとなると、あの頃とは違った重みが胸に来るのを感じざるを得なかった。
拓矢のその心痛を感じ取った瑠水が、拓矢を庇うように咲弥に言う。
「サクヤ。その話は、どうしても触れなくてはならないもの?」
「そうとは言えませんが、《月壊》に関わる会議をすると話してある以上、その件に触れずに話がうまく進むとは思えません。心苦しいとは思いますが、お覚悟くださいませ」
咲弥の言葉に、拓矢は俯きかけていた顔を思い切るように上げて、答えた。
「わかったよ」
拓矢のその決然とした返事に、瑠水が驚きと心配が混ざった表情と視線を向ける。
「拓矢……いいのですか?」
そこに含まれる気遣いの色を嬉しく思いながら、拓矢は吹っ切れたように笑んだ。
「《月壊》が怖いのは君や僕だけじゃなくて、きっと皆一緒なんだ。僕の事情だけに気を回してもらって、皆の問題の解決の邪魔になるようなことはしたくない。時間が限られてるっていうのなら、なおさら早く話を進めないと」
それに、と、拓矢は自戒の色を言葉に乗せる。
「自覚がなかったとはいえ、僕のしたことがこんな状況を生むことになったのは事実だ。だったら、僕もちゃんとそれに向き合わないといけないと思う。ユキとは違う形かもしれないけど、これは僕自身の問題だ。だから、僕がけじめをつけないと」
「拓矢……」
驚きを見せる瑠水の後ろで、その言葉を聞いた咲弥が、安心したように小さく笑った。
「ご覚悟、感服致しました。やはり、見かけによらずお強い方ですね。貴方は」
「これぐらいしないと、皆に合わせる顔がないからね」
自嘲のように笑う拓矢に、咲弥は再び表情を正すと、改めて告げた。
「既に他の彩命達には通達をしてあります。全員の都合が合う時を見計らって、私から改めて開催の告知を致します。それまでは心の準備をなさっていてくださいませ」
「わかった。ちなみに、その……本会議はいつ頃になりそう?」
拓矢のその問いに、咲弥はわずかに思案した後、言った。
「そう遠くない内に開催できると思われます。目安としては、近く二、三日程には」
それを聞いた拓矢は、わずかな間を置いてその時節を飲み込んだ後、言った。
「わかった。心の準備をしておくよ。教えてくれてありがとう、咲弥ちゃん」
「恐縮でございます。それでは、此度はこれにて。失礼致しました」
そう言うと、咲弥はその場で振袖姿をくるりと翻した。その姿が白い花吹雪に包まれたと見えた途端、微睡みの世界もまた花のように散り、意識が風に吹き払われるように光の中に醒めていくのを拓矢は感じた。
白い花吹雪が目の前を吹き抜けたと見えたその後に、拓矢は目を覚ましていた。
カーテンで遮られた窓からは、雨の合間の空から降る銀色の光が薄く差し込んでいる。光が一条差し込むだけの暗闇の部屋の中には、微かな緊張を伴う静寂が満ちていた。
完全に意識が醒めていることを確認しながら、拓矢は夢の中での話を思い出す。
《
咲弥も言っていた通り、その話を進めるのなら、その原因となった事象に一切触れないということはまずないだろう。どのような形で触れられるかはわからないが、その当事者が自分自身である以上、それに対する心構えはしておかなければならない。
ずっと触れずにいた問題に、改めて触れ直す機会を与えられた。
そう考えれば、瑠水の言うように、これは好機なのかもしれない。自らが二年前のあの日からずっと背負い続けてきた、消せない罪の意識と向き合う、自戒と贖罪の場として。
(これは、僕の問題だ。僕が自分で、けじめをつけないと)
夢で口にしたことをもう一度心の中で繰り返し、拓矢は胸に決意が満ちるのを感じる。
と、拓矢は掌にそっと触れる嫋やかな温もりを感じ、ベッドに置いたままの手元に目を向けた。隣で横たわっていた瑠水は心配そうな色をその瑠璃色の目に映していた。
拓矢はその気遣いを嬉しく思いながら、小さく笑って言った。
「瑠水……やっぱり、心配?」
拓矢のその言葉に、瑠水は応えるように小さく笑って返した。
「心配です。ですが、あなたが心を決められるのであれば、私から言えることは何もありません。私はあなたの選択を尊重し、いざという時にはあなたを助けるまでです」
自分の決意を応援してくれる瑠水のその言葉が、拓矢にはとても心強かった。
「ありがとう、瑠水。心配させて、ごめんね」
「お気遣いには及びません。これも私の意志ですから」
そう言うと、瑠水はゆっくりと上体をベッドから起こし、拓矢の瞳を見つめた。
「朝です。行きましょう、拓矢。やらなければならないことが、いくつかあります」
「うん……そうだね。行こう」
短く言葉と頷きを交わすと、拓矢は部屋を閉じていたカーテンを勢いよく開け放った。
雨の合間の銀色の朝の光が、闇に包まれていた部屋を一斉に照らし出した。
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