Cp.3-2 Holiday in the doubt(5)

 幸紀が向かったのは、ショッピングモールの外にある、御波川を一望できる川面のガーデンだった。濃い緑色の鉄柵が川と石畳の歩道を隔て、その内側の植え込みには色とりどりの花が咲いている。春も終わりに差しかかる時期、花の色も今が盛りとばかりに咲き乱れていた。

 川面に面する石畳の歩道は、買い物疲れの若者や日光浴を味わう老人達、はしゃぐ子供を眺める家族連れなどで賑わっている。緑色の鉄で縁取られたベンチの木板に並んで腰を下ろし、いつものように茫漠とした目で御波川の川面を眺めながら、幸紀が口を開いた。

「モテる男ってのも大変だな、拓矢。二人に迫られるってのも」

「からかわないでよ。本当に大変なんだから……それより」

 拓矢の言葉に、幸紀はまるで拓矢の言いたいことを先取るように応じた。

「ああ。偶然とはいえ、あいつらと分かれられたのは僥倖だったな。おかげでこっちも話がしやすい。もう手遅れかもしれんが、あんまりあいつらには深入りさせたくないからな」

 そして、首を横に向け、拓矢とその隣に立つ瑠水の二人に、声をかけた。

「さて……せっかくの機会だ。何か訊きたいことでもありそうじゃないか。二人とも」

 拓矢の内心を見透かしたような幸紀の言葉には、瑠水が応じた。

「とぼけるのはもう止めてください。あなたは最初から知っていたのでしょう?」

「拓矢にすぐにそれを話せなかった君が言えることでもないと思うけどな。瑠水ちゃん」

 幸紀の返しに言葉を封じられる瑠水に代わり、拓矢が問いを続けた。

「ユキ……やっぱり」

 疑惑の色を浮かべる拓矢を前に、幸紀は決まり悪げに頭を掻いた。

「別に、隠しておいたつもりじゃなかったんだ。君が来た以上、いずれは話すことになるとは思ってた。ただ、何つーか……君が降りて来てからすぐにけっこう色々あってタイミングが掴めなくてな。まあ、今がその時だってことなんだろう」

 そして、拓矢と瑠水の方に向き直り、逆に瑠水に問いを投げた。

「俺からも聞かせてほしい。瑠水ちゃん。君はいつから俺のことを知っていた?」

 幸紀の言葉に、瑠水はわずかに逡巡する様子を見せたが、やがて口を割った。

「あなたが、あの時、拓矢を助けてくれた時から」

「つまり最初からか。それじゃやっぱり君も共犯だな」

 幸紀の笑み混じりの言葉に、瑠水は決まり悪げに目を伏せる。

 二人のそのやり取りに、拓矢は胸の内にあった仮説が確信へと変わっていくのを感じた。

 瑠水と幸紀は、二人の間に通じる共通事項をやり取りしている。それが何に関することなのか――今までの経緯を振り返れば、答えは限られていた。

 説明する前から、彩姫の存在に感付いていた様子を見せていた幸紀。

 二度目に会敵した時の黒の魔女の残した言葉――「あなたさえいなければ」。

 そして、今の二人のやり取り――「あの時」から瑠水が知っていたという事実。

 それらが収束する場所にある、隠されていた、見えていなかった真実。

 幸紀がそれに答える時を待つ視線を向ける中、拓矢は恐る恐る口を開いた。

「ユキ……君は――」

 ――ミシリ、と。

 その時、――拓矢、幸紀、瑠水の三人共が、時間の歪みと空間の軋みを感じた。

「……⁉」

 空気が歪むような感覚に、拓矢の全身に一斉にざわめきと緊張が走る。すぐそばにいて事情を理解できている瑠水と幸紀も、表情に警戒を宿らせていた。

 その時、その場の全員が、何が起きたのか――誰が来たのかを勘付いていた。

「来ちまったみたいだな」

 幸紀が小さく呟くのを聞いた直後――拓矢の眼前に、黒い闇が吹き上がった。滝が逆流するように地から立ち上るその闇の中から、それはゆっくりと姿を現した。

 石のように白い肌に黒い荊のドレスを纏う、悪魔の女神像のような冷血の美女。

「また会ったわね、瑠水に青の命士様。デートの途中で悪いけど、ここで死んでもらうわよ」

 その表情にしかし、これまでのような愉悦を浮かべた嘲笑はなく、代わりに今までにないほど冷たく厳しく鋭い目で、突き刺すように拓矢を睨みつけていた。

「黒の、魔女……イェル」

 拓矢がその名を口にした途端、黒の魔女イェルの瞳に怒りの炎が燃え上がった。

「私と、彼の前で……その名を軽々しく口にするなぁッ!」

 叫ぶように言い放ち、容赦のない勢いで、突き出した腕から黒い荊を走らせ、拓矢の心臓を一瞬の間に串刺しにしようとする。

 反応が致命的に遅れた拓矢の目の前に、幸紀が壁となって割り込んでいた。

 魔女の荊はその目の前で、心臓を貫く寸での所で止まっていた。まるで、幸紀を傷付けることをためらったように。

 魔女の肩は微かに震え、その眼は怒りを訴えるように、壁となった幸紀に向けられていた。幸紀はその視線を真っ向から受け止め、しかし何も言わないでいた。

 わずかな間、魔女と幸紀の視線が交わりあう。そこに何らかの意思の疎通があったのを、拓矢は感じていた。やがて、魔女が震える口を開く。

「そこをどいて、幸紀。でないと、あなたまで串刺しにしてしまうかもしれない」

「悪いが、それはできない。拓矢は俺の親友だ。殺すなら……せめて俺ごと殺せ」

 幸紀の言葉に、魔女は俯くように伏せていた顔を上げ、幸紀を見た。

「どうして……?」

 その眼に映っていたのは、悲哀の涙に濡れた色だった。彼女の胸に満ちる涙の海のような感情を、拓矢はなぜか自分の胸に満ちるもののように感じていた。

「どうして、私よりその子なの……? また、私を裏切るの……?」

 絶望のように呟く魔女の言葉に、拓矢と瑠水が緊張と共に見守る中、幸紀は口を開く。

「お前を一人にしたことは、言い訳できるものじゃない。それでも……俺は拓矢を守りたい」

 痛切に響く幸紀の言葉に、魔女の瞳が、悲哀から怨嗟へ、そして再び深い悲哀と絶望へと、その色を変えた。

「そう……なら、ごめんなさい。私はもう、あなたに許されないかもしれない」

 そう言い残すと、瞳に涙のような闇光を閃かせ、身を翻して背後の闇の中に消えていった。後に残された拓矢は、無言で立ち尽くす幸紀を前に、疑惑が確信に変わったのを知る。

「ユキ……」

「悪いが話は後だ、拓矢。奈美達の所に急いで行ってくれ。俺は乙姫さん達の所に行く。あいつの考えそうな行動なら、奈美達も乙姫さん達も危ないかもしれない」

 苦渋と焦燥を滲ませる声で、幸紀は拓矢に懇願するように言った。

「もうこれ以上、あいつの犠牲を出したくない。奈美達を守ってくれ……頼む」

 振り返った幸紀の目は、全ての事情を理解している者のそれだった。その瞳に映る切迫した色に、拓矢も確かめたいことを一旦飲み込み、自分のやるべきことを見抜く。

「わかった。行こう、瑠水!」

「わかりました。急ぎましょう」

 瑠水もそれに同調するように頷きを返し、拓矢はショッピングモールの中へ戻るべく、幸紀に背を向ける。去り際に、拓矢は首を背に向け、肩越しに幸紀を見た。

「ユキ……後で、話、聞かせてね」

「ああ。落ち着いたら全部話すよ。改めて、な」

 幸紀の言葉に決然と頷きを返し、拓矢は瑠水と共にショッピングモールの中へと駆け出して行った。後に残された幸紀は、重いため息と共に薄曇りの空を見上げると、

「けじめ……つけないといけないよな」

 自らに言い聞かせるように呟き、乙姫達の元へ走り出した。

  

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